プロローグ
橘 黒夢。この地に生を宿して23年。
これまでの人生、彼女もいなけりゃまともな職にさえ就いたことがない。
一言で言えば社会不適合者。クズってやつだ。
こんな俺でも、小学生までは順調な生活を送っていた。
仲良い幼馴染の女友達がいたとか、近くに住んでる美人なお姉さんがいたとか、そんな夢みたいな話じゃない。
ただ学業はそれなりにこなし、友達もそれなりに多く、家族にも恵まれ、なに不自由ない生活を送っていた。
中学に上がってからだな。
俺の生活が徐々に狂い始めたのは。
まずその起点となったのがこの名前だ。
『黒』に『夢』と書いて「クロム」
あれは小学校の時か。
親に自分の名前の由来を聞いてきて、それをクラスみんなの前で発表しましょうなんていう鬼畜な授業があった。
好奇心のままに聞いた当時の俺がバカだったのかもしれない。母ちゃんは当時好きだったアイドルの名前をまんま俺につけたとかなんとか答えた気がするが、当然俺はこの名前を胸張って背負えるほどの容姿は持ち合わせていない。
つまり痛い目を見る為の足枷でしかなかったのだ。
おっかねえ先輩に目付けられたり、気になってた女子に告った時は名前がちょっと…なんてふざけた理由で振られたこともあった。
こうなったら一流大学に合格して母ちゃんと親父を少しでも楽させてやろう、俺を嘲笑ってきたあいつらを見返してやろうなんて考えたこともあった。が、そんな夢も儚く散った。
この国は残酷だ。
俺がどんなに必死な思いで努力してきたかなんて気にも留めず、「不合格」のただの3文字で俺の努力は水の泡と化した。
それからは右肩下がりの人生だ。
ろくに就活もしていない俺に残された進路はただ1つ、滑り止めで受かったよく分からない大学へと進学すること。
実家で脛を齧りつつ浪人をしようとも考えたが、その年に親父が病気で亡くなったこともあり、一流大学への道は閉ざされた。
俺の人生はこんなことばかりだ。
とは言っても親を恨んでいるわけではない。
少なくとも経済面で困ったことはなかったし、俺がいきなり大学やめてプロゲーマーになるなんて馬鹿げた話をした時も母ちゃんは心配しつつ最後はちゃんと受け止めてくれた。
結局、見返してやろうと一流大学に合格すると決意したあの時も、周りに感化されてオシャレを極めようと決意したあの時も、そしてネットに感化されてプロゲーマーになろうと決意したあの時も、俺は全部全部中途半端だった。
諦めたとか、気が変わったとかそんなんじゃない。
心の中でまだ灯火は微かに燃え続けているのに、身体がまた明日、また明日、と先延ばしにするんだ。
それでまた明日また明日と怠惰し続けて数十年、完成してしまった全人類の劣化品がこれだ。
同年代の奴らが真面目に社会に出て金を稼いで、経済を回して、中には幸せな家庭まで持ってるやつだっている。
対して俺は未だに実家で親の甘い蜜を吸い続けている正真正銘のクズだ。
こういう時、同級生のキラキラした生活だとか、社会から向けられる哀れむような目なんかよりも俺の心を抉るのは昔から変わらない、俺に対する母ちゃんの態度だった。
俺がこんな救いようのない人間になっちまったにも関わらず、母ちゃんだけはずっとと変わらず優しく接してくる。
こんなにも盛大に子ガチャ外しておいて平気で笑ってられるあんたの懐の広さには流石の俺も脱帽だよ。
「っざいまーっす。」
「…あぁ。」
「あれ、今日のシフト橘さんだけっすか?」
「ん。あ、ああ…。」
「そっすか。それじゃ僕とツーオペっすね。」
「…わ、悪いね。」
「ん?なんか言いました?」
「い、いや……。」
「それより聞いてくださいよぉ。昨日彼女の誕生日だったからプレゼントに香水渡したら、私のこと臭いと思ってたの!?って怒られたんすよ!僕そんなつもりなかったんすよ!?酷くないっすかぁ…?」
こいつは高校生バイトの山下。
こうして俺にいつも愚痴を言ってくるが、聞いている俺からすれば妬ましい以外の何者でもない。
どうせ俺のことを見下しているんだろう。
そりゃあそうだよな、お前みたいな勝ち組から見れば俺なんてそう見えても仕方がないよな。
「大体女ってのはいつもそうっすよ!高校生が必死に貯めたバイト代で買ったプレゼントに普通そんなこと言いますぅ!?おかしいっすよね!」
知るか。そんなの。
せめて俺以外の人間に聞けよ。
…ん…なんだ…?
…自動ドアの向こう側から何か凄いスピードで…。
「って、聞いてるんすかぁ…?橘さーん?」
「ほんっとなんっていうか、僕納得いかないっすよ…!せっかく喜ぶと思って────────」
「あ、あ、危ない…っ────────────!!!!」
ガシャァァァァァァァァァン!!!!!ッッッッ!!
…ん………ってぇ……。
…ちくしょう…頭が回らねぇ……なんだってんだ…
ツイてねぇ…とうとう神にまで見放されたのかよ、俺は。
「あら?痛そうに…。大丈夫?」
目が覚めると、何もない、ただ無限にでも広がっているような未知の空間にいた。
「…ん……。……っ!?こ、ここは…いや、俺は確か…えっと…コンビニで働いてて、車が来て…それで…」
「ふふっ、ナーイス!リアクション!!」
い、いや…てかこの人は…?誰だ?まずどこなんだ?ここは…?
「どこって、そりゃあ天界よ!私は女神様よ〜ん!」
…は、はぁ?何言ってるんだ……?
「だーかーら!あなたはいきなり突っ込んできた暴走車に轢かれて、そのまま即死したのよ!」
………は?
というかまず、こいつさっきから俺の心読んでないか…!?
まさか本当に……
いやいや、まさかな…
「あなたは死んでしまったのよ!虚しくも、、でも良かったわ!後輩を庇って死ぬあのシーン!私は感動したわよ…!」
…?????
……いやいや…いやいやいやいや待て待て!死んだ?死んだのか?
俺が?車に轢かれて?
「ちょ、ちょっと待て!!これは…あれか!夢か?」
「夢じゃないわよ?ほら、あそこみてごらんなさい。」
「あ、あれって…母ちゃん?」
「あなたの事をよほど愛していたのか、凄く泣いているわね…いいお母さんじゃないの〜!」
「…てことは…ここってマジで…」
「だからそう言ってるでしょ?全く、女神様を疑うなんて御法度も御法度よ?」
「…まじかよ。」
どうやら俺は本当に死んでしまったようだ。
死ぬと女神が現れるってのはラノベの中だけの話じゃなかったのか…。
「うわぁっ!!!」
若い少年のような声が聞こえた。
「な、なんだ…?」
「あら!また来訪者だわ!」
見たところ中学生くらいの男の子か。
とは言え日本人じゃないな…。西洋?欧米か?
ガキのくせにめちゃくちゃカッコいい。
羨ましい限りだ。
「こ、ここは!!」
「天界よ!あなたも死んじゃったみたいね。」
「て、天界!?」
どうやら彼も死んでしまったようだ。
まあ、いきなりそう言われても普通の人間はそうなるよな…。
にしても彼、なんで日本語を話しているんだ?
まあこの女神もどきもだが…ハーフか?
「ぼ、僕天国へ行けるの!?僕にも招待状が来たんだ!!」
天国?招待状?
なんの話だ?
「そうねぇ…あなたは悪い子じゃないんだけれどねぇ…。でもきっとハデスさんはあなたをこのまま天国に向かわせるなんて、そんな甘い事はしてくれないと思うのよねぇ。」
「!?え!?なんで!!」
「だってあなた、単なる不注意の溺死でしょう?私たちにとってもあなたを天国に送るメリットがないのよ。」
「う、うるさいなあ!!じゃあ僕は地獄に行くのか!?勘弁してくれよ!!せっかく天界に来れたのに!!」
「うーん、そうねぇ…それもそれで可哀想よねぇ。不憫というか、溺れて地獄行きはねぇ…。」
こいつら、なんの話をしているんだ?
天国だの地獄だの、中学生にもなってまだそんなこと信じてるのか…。
本当、若い奴はそういうところも含めて羨ましいな。
現実を知らない呑気なところも。
「あ!そうだわ!!!」
(自称)女神は俺の方を見て何かひらめいたように言った。
「ん?」
「あなたたち、入れ替わったら?」
「………」
「………」
…ん?
…ん!?…ん!?!?!?
こいつなに言ってるんだ…?
今さらっとやばいこと言ったよな?
いや、幻聴か?幻聴か。そうだよな…そうか…。
「そうよ!それが良いわよ!どのみち同じ世界に再転生する事はできないんだから!良いわよね?」
…いや、幻聴じゃねえじゃん!!!!
「まてまてまて!1人で勝手に進めるな!!!同じ世界には転生できない?どういうことだよ!?」
「まぁまぁ、焦らないの!これは神々の規約の第二条『神は死者を同一世界に再生させることを禁ず』に基づくものでね、流石の私にも覆せない絶対の規則なのよ!でも、好都合にもあなたと彼は別の世界の人類みたいだから。世界が別ならまた人生をやり直せるでしょ?」
「別の世界の人類…?俺たちの住んでいた世界以外にも人間の住む世界があるっていうのか?聞いたことないぞ?そんなの。」
「そりゃあ聞いたことないのは当然よ。こればっかりは割り切って受け入れるしかないわね。」
「はぁ…?めちゃくちゃだろ…。」
「それで、どう?とても良い案だと思うけれど?」
「いや、俺がこの若くて容姿の整った彼に転生するのはまだしも、この子が俺に転生するのはあまりにも荷が重すぎるだろ。」
「そう?地獄に行くよりはマシだと思うけれど?」
「いやいや…地獄って…。」
「そもそもあなた達、現世で大きな未練を抱えたまま死んだりするからこんなところに転移させられたのよ。」
…大きな未練?なんのことだ?
「全く、あなたたち自分が生前に抱えていた未練も覚えていないの?」
「少なくとも俺には未練なんてないな。元より人生に希望なんてなかったからな。」
「はぁ…なんて悲しいこと言うの!?いい?あなたの抱えた未練は他者との比較、親への罪悪感、そして自己嫌悪。簡単に言えば人生そのものね。」
「人生そのもの…いや、まあ間違いはないが…あかの他人に言われると何か…まあいいか…。」
「そしてあなたの未練も全く同じね。他者との比較、親への罪悪感、自己嫌悪。」
「…はい。」
「この美少年が?俺と同じ??なわけあるか!てか人生まだまだこれからじゃねえか!」
「それはあなたも一緒よ?」
「…いや、まぁ…ああ。」
「にしてもその容姿で自己嫌悪って、俺なんかに転生したら気が狂っちまうんじゃないか?」
俺がこのガキになれるのは好都合だ。
こんな容姿があれば努力せずとも女は寄ってくる。
「おじさん、さっきから容姿容姿って言うけれど、なんのことを言っているの?」
「なんのことって、容姿は容姿だろ。中学生にはちと難しい単語だったか?」
「本当、狭い世界で生きてきたのねぇ…。」
「あ?どういうことだよ」
「まだ分からないの?いい?各世界によって人の価値観は異なるのよ。あなたの世界が容姿や経済力に重きを置いているように、彼の世界ではまた別の価値観に重きが置かれているの。狭い世界で生きてきたあなたには分からないだろうけれど、未だに容姿なんて無価値なものに重きを置いている世界はあなたのところくらいなのよ?」
「そ、そうなのか…?なら、このガキの世界だと人はどんな価値観に重きを置いているんだよ?」
「異能よ。」
「異能…?なんだそれ?ファンタジーかよ」
「ま、時代遅れも甚だしいあなたの世界からしたら未知の概念よね。」
「おい、俺は自分の世界のことは嫌いだが他者に言われるとなんかこう、引っかかるものもあるぞ。」
「…え?おじさん、異能を知らないの?」
「さっきからおじさんおじさんて…いやまぁ、君から見れば十分おじさんだけどさ…。」
「誰から見てもそうよ?」
「お前さっきまでまだまだ若いって言ってたよな!?」
「おじさんの世界には異能がないの?それってつまり、人の価値観が異能に囚われないってこと…?」
「ん?あぁ、そんなのは漫画やラノベの世界にしか出てこないな。強いて言うなら俺の異能はタイピングとかか?」
「それは異能じゃないわ。単にあなたが引きこもり生活で身につけたレスバスキルのひとつよ。」
「そ、そうか…なんかひと聞き悪いな…。」
「タイピング?レスババトル?」
「あなたは気にする必要ないわ!こんな大人になってはダメよ?」
「そんな大人に入れ替えようとしてる犯人がお前だろうが!」
「あら、そうだったわね笑」
「ま!つまりあなたたち2人の住む世界では人の価値観に大きくズレがあるということ。容姿、経済力、異能。特異なところだと顔の大きさ最重視している世界もあったりするわよ。」
「もうめちゃくちゃだろそれ。」
「そうね。少なくともあなたの世界では確かに人の価値観を容姿や経済力、ユーモア性などが支配している傾向にあるわ。対して彼の世界ではそれが異能という超次元的な産物に置き換えられているのよ。これはそんなに別次元の話でもないのよ?」
「どういうことだ?」
「たとえばあなたの世界にもそれぞれ異なる文化やルールが存在していると思うけれど、中でもあなたの暮らしていた場所では比較的その傾向が強かったというだけの話。同じ世界でも別の文化圏であれば容姿や経済力をほとんど気にしないところだってあるってことよ。」
「なるほどな…少し分かってきた。」
「それで、どうするの?私も暇じゃないんだから、早く決めてほしいのだけど。」
「と言われてもなぁ……。」
俺は困っていた。
このまま死ねば地獄へ行く。
それが本当なのかは分からないが、本当だった時のリスクは計り知れない。
とはいえこんなガキに俺の人生を継ぐのはどうだ?
あまりにも畜生すぎやしないか?
こんな美少年に転生して異世界で無双人生を謳歌したいという気持ちもありながら、俺の人生の過ちは俺自身が取り返すべきだとも思う…。
「…僕、転生したい。」
…は?
いやいや、このガキ正気か?
「そう?ならその体で進めていいかしら?」
「いやいやまてまてまて!念の為あらかじめ忠告しておくがな!こんな見た目で定職もない俺に転生すれば君は間違いなく苦労することになるぞ?苦労なんて生ぬるい言葉じゃねぇ、周りからは白い目で見られ、一生他に見下されながら生きることになるんだ!!そこんとこ理解してるのか!?」
「それは自明ね。」
「おい?」
「…分かった。僕、この人と入れ替わる!」
こいつはこいつでぜんっぜん話聞いてねぇ…!!!!!!!!!
「てめぇ話聞いてたか!?」
「このまま地獄に行くのは嫌なんだよ!僕がおじさんの人生を、次は後悔なく天国に行けるようにリスタートするからさ!だから、おじさんは僕の人生が次こそ後悔なく終われるように、お願いだよ!!」
「んなこと言われてもなぁ…俺の人生はお前が思っている以上にその…あれで…。」
「こんな子供が勇気出してそう言っているのに、あなたという大人は本当になんというか……。」
「…あー!!もう!分かってるよ!分かってるけど…」
異世界転生。
ラノベで散々読んできたものと近しい何かなら、転生先でチート能力やハーレム獲得なんてこともあるかもしれない…。
つまるところ、興味がないと言えば大きな嘘になる。
それにこの女神もどきの言う通り、言われてみればこんな俺にだって確かに後悔はあるし、これまでの人生全てをやり直したいと思ったことも数えきれないほどある。
「…チッ…分かったよ…!俺がお前の人生をどうにかしてやる。ただな!!!最後にもう一度だけ。よく聞け。」
「俺の人生を引き継ぐということは、色々な意味でお前自身が大きな苦労を余儀なくされるということだ。それはお前ではなく俺自身が積み重ねてきた過ちの集大成であって、それでもお前はそれを受け入れなきゃならねぇ。本当にそれでもいいんだな?」
きっと言葉で何度言っても伝わらないだろうが…。
人生の先輩として、そして俺、橘 黒夢の先輩としての最終忠告だ。
「うん、それはここに来た以上お互い様だよ。次に会うときはきっと天国で会えるように、約束だよ!おじさん!」
ったく世間知らずの生意気なガキだ。
羨ましい。俺にだってそれくらい純粋で希望に満ちた時期があったさ。
だが、互いが互いを引き継ぐ以上─────────。
「…分かった。約束だ。」
俺は名も知らぬ少年と固い握手を交わした。
「あら!じゃあ意見も合致したみたいだし、いいわね?」
「ああ」「うん!」
「それではこれより、『地球』の人類と『ピースフル・ワールド』の人類による、交換転生の儀を行うわ!!!!」
母ちゃんのこと、頼んだぜ。少年。
「運命変換【ディスティニーエボルヴ】─────────!!」
目の前がいきなり白く輝き出し、目も開けていられないほどの眩しさを放ち始めた。
「っ──────────────!!!」
「…ん……。」
目が覚めると、広大に広がる青い空が見えた。
小鳥の囀りに、これは川を流れる水の音か。
「…本当に来たのか…?」
起き上がると、そこは河原だった。
腹筋感覚だけで明確に分かるほど身体が軽い。
横にはとても緩やかとは呼べない流速の荒い川がバシャバシャと流れ、石に当たって跳ね返った流水の水飛沫が飛んでくる。
そして今、俺の服も髪もビチャビチャだ。
女神もどきの言うことが本当なら、あの少年は恐らくここで溺死してしまったのだろう。
つまり、俺は本当に異世界転生をしたのだ。
色々あったが、俺の第2の人生が始まった。
異能がなんとか言っていたな。
まずはこの世界のことを知るためにも、とりあえず近くを探索してみることにするか。
っとその前に、せっかく来たからにはな…。
「異世界楽しむぞぉぉぉぉ!!!!!!」
こうして俺、橘 黒夢の人生が再スタートしたのであった。




