第9話 九州の高原 ― 心の闇と光 ―
【列車の中 ― 舞鳳の不安】
列車が九州へ向かって走っている。
窓の外には、緑豊かな山々が広がっていた。
舞鳳は、珍しく落ち着かない様子で窓の外を見つめていた。
桃矢が気づいた。
「舞鳳さん…どうかしました?」
「…ん?ああ、いや」
舞鳳が曖昧に答える。
桃矢は舞鳳の横顔を見つめた。
「嘘ですね」
「え?」
「舞鳳さん、さっきから三回もため息ついてます」
桃矢がにっこり笑う。
「何か、心配事があるんですよね?」
舞鳳は少し驚いた顔をした。
「…お前、いつの間にかよく見るようになったな」
「だって、舞鳳さんともう何ヶ月も一緒にいますから」
桃矢が隣に座り直す。
「話してください。何が心配なんですか?」
舞鳳は少し黙った。
そして、静かに口を開いた。
「…和葉のことだ」
「未の妖、ですよね」
「ああ。羊の化身で、心を癒す力を持っている」
舞鳳の表情が曇る。
「和葉は…優しすぎるんだ」
「優しすぎる…?」
「ああ」
舞鳳が頷く。
「和葉は、他人の痛みを自分の痛みとして感じる」
「だから、誰かが苦しんでいると、和葉も苦しむ」
「誰かが死ぬと、和葉も死にたくなる」
桃矢は息を呑んだ。
「それは…」
「危険だ」
舞鳳が拳を握りしめる。
「80年前、戦争の時…和葉は野戦病院にいた」
「無数の兵士たちが死んでいくのを、見続けた」
「和葉は、全員を救おうとした」
「だが…救えなかった」
舞鳳の声が震える。
「それ以来、和葉は自分を責め続けている」
「『私が無力だから、みんな死んだ』と」
桃矢は胸が痛んだ。
「和葉さん…」
「だから、心配なんだ」
舞鳳が桃矢を見た。
「和葉が、自分自身を壊していないか」
桃矢は舞鳳の肩に手を置いた。
「大丈夫ですよ」
「何が?」
「だって、舞鳳さんがいますから」
桃矢が微笑む。
「舞鳳さんは、和葉さんのこと、ちゃんと心配している」
「そういう人がいるなら、和葉さんは大丈夫です」
舞鳳は少し驚いた顔をした。
そして、小さく微笑んだ。
「…お前、いつの間にか頼もしくなったな」
「舞鳳さんのおかげですよ」
桃矢が笑った。
二人は、並んで窓の外を見つめた。
【高原の療養所 ― 和葉の苦悩】
九州の高原。
広大な草原の中に、白い建物が建っていた。
「心の安らぎの家」――カウンセリング施設。
受付には、穏やかな笑顔の女性が座っていた。
長い髪、優しい目、柔らかな雰囲気――和葉だ。
「次の方、どうぞ」
和葉が患者を迎え入れる。
相談室。
30代の男性が、疲れた顔で座っている。
「最近、眠れないんです」
「どのくらい眠れていませんか?」
「もう…一週間くらい」
和葉は男性の手を取った。
羊の力が発動する。
人の心を読む力――
だが――
(…何も感じない)
和葉の顔が曇った。
男性の心が、空っぽだった。
まるで、そこに何もないかのように。
「先生…?」
「あ、すみません」
和葉は慌てて笑顔を作った。
「少し、お話を聞かせてください」
その日、和葉は10人の患者を診た。
だが、誰の心も読めなかった。
全員、心が空っぽだった。
「先生、私…生きている意味がわからないんです」
「先生、何をしても楽しくないんです」
「先生…死にたいんです」
和葉は必死に励ました。
「大丈夫ですよ」
「きっと、良くなりますから」
「一緒に、頑張りましょう」
だが、患者たちの目は虚ろだった。
和葉の言葉は、届いていない。
診療が終わった後。
和葉は一人、相談室に残っていた。
「なぜ…」
和葉が呟く。
「なぜ、誰の心も読めないの…」
「私の力が…消えてしまったの…?」
和葉は頭を抱えた。
その時――
スタッフがノックした。
「先生、大変です」
「何?」
「田中さんが…自殺されたそうです」
和葉は立ち上がった。
「え…!?」
「今朝、自宅で…」
和葉は言葉を失った。
田中さん――昨日、診た患者だ。
「そんな…」
和葉の膝が崩れた。
【増える自殺者 ― 和葉の限界】
その夜、和葉は診療所の記録を見ていた。
「今月だけで…5人も…」
自殺者が急増していた。
和葉が診ていた患者たちが、次々と命を絶っていた。
「なぜ…私は、救えなかったの…」
和葉は涙を流した。
「私の力が…足りなかったの…」
和葉の脳裏に、80年前の記憶が蘇った。
――太平洋戦争、野戦病院――
無数の負傷兵が運ばれてくる。
「助けてくれ…」
「痛い…痛い…」
「母さん…母さん…」
若き日の和葉が、必死に兵士たちの手を握っていた。
羊の力で、痛みを和らげようとした。
恐怖を取り除こうとした。
だが――
次々と、兵士たちは死んでいった。
「すまない…俺、もう…」
「お前さん、優しいな…最期に会えて良かった…」
兵士が和葉の手を握りしめ、息を引き取った。
和葉は涙を流しながら、兵士の手を握り続けた。
何百人も、何千人も。
誰も、救えなかった。
「私は…誰も救えなかった」
和葉が呟く。
「あの時も…今も…」
「私は…無力だ」
和葉は立ち上がった。
ふらふらと、窓に近づく。
窓を開けた。
冷たい風が吹き込んでくる。
(ここから…飛び降りたら…)
(楽になれるかな…)
和葉の目が、虚ろになっていく。
その時――
「和葉先生!」
スタッフが駆け込んできた。
「先生、何を…!」
スタッフが和葉を窓から引き離した。
「離して…」
和葉が力なく呟く。
「私…もう…誰も救えない…」
「だから…」
「先生!」
スタッフが和葉を抱きしめた。
「お願いです、死なないでください」
「先生がいなくなったら、私たちが困ります」
和葉は泣き崩れた。
【桃矢と舞鳳の到着 ― 異変】
翌日、桃矢と舞鳳は高原に到着した。
「あれが、診療所か」
舞鳳が建物を見上げる。
二人が入ろうとすると――
スタッフが慌てて出てきた。
「すみません、今日は診療お休みです」
「お休み?」
「はい。和葉先生が…体調を崩されて」
舞鳳の顔色が変わった。
「和葉が?どこにいる?」
「ご自宅で休んでおられます」
「案内してくれ」
舞鳳の声が、珍しく強かった。
【和葉との再会 ― 壊れた心】
和葉の家は、高原の一角にあった。
小さな木造の家。
二人がドアをノックすると――
しばらく、返事がなかった。
「和葉、開けてくれ。舞鳳だ」
舞鳳が声をかける。
やがて、ドアが開いた。
そこに立っていたのは――
痩せ細った女性だった。
髪は乱れ、目には生気がない。
まるで、魂が抜けたような。
「…舞鳳?」
か細い声。
「和葉…!」
舞鳳が驚愕する。
和葉は、まるで別人のようだった。
「久しぶり…ね」
和葉は力なく笑った。
「そして…あなたが、星川桃矢さん?」
「はい」
桃矢が一礼する。
「ようこそ…どうぞ、入って」
【部屋の中 ― 和葉の告白】
部屋の中は散らかっていた。
食事の跡、薬の瓶、乱雑な書類。
カーテンは閉められ、薄暗い。
「ごめんなさい…片付けてなくて」
和葉が申し訳なさそうに言った。
舞鳳が和葉の肩を掴んだ。
「和葉、何があった?」
「…何も」
和葉が顔を背ける。
「嘘をつくな」
舞鳳の声が震える。
「お前、いつからこんなに痩せた?」
「いつから、こんな目をするようになった?」
和葉は黙った。
桃矢が優しく言った。
「和葉さん、話してください」
「俺たち、和葉さんを助けに来たんです」
和葉は桃矢を見た。
その目には、涙が浮かんでいた。
「助ける…?」
「私を…?」
和葉は笑った。
自嘲的な笑い。
「無理よ」
「私は…もう、終わってるの」
「誰も救えない」
「患者の心が、読めない」
「みんな、心が空っぽなの」
和葉が顔を覆った。
「そして、次々と…死んでいく」
「昨日も、一昨日も」
「私が診た患者が、自殺していく」
和葉の声が震える。
「私は…カウンセラー失格だわ」
「いや、人間失格よ」
「私なんて…いない方がいい」
舞鳳が和葉を抱きしめた。
「馬鹿なことを言うな」
「舞鳳…」
「お前は、誰よりも人を救ってきた」
「80年前も、今も」
「お前がいたから、何千人もの人が救われた」
舞鳳の声が震える。
「お前が…いなくなったら、俺が困る」
和葉は舞鳳の胸で泣いた。
桃矢が口を開いた。
「和葉さん、これは…あなたのせいじゃありません」
「え…?」
「禍津日神の仕業です」
桃矢が説明する。
「禍津日神が、人々の心を奪っているんです」
「感情を奪い、生きる意味を奪い、人を絶望させている」
「だから、和葉さんが読めないんです」
「心が、そこにないから」
和葉は目を見開いた。
「私の…せいじゃない…?」
「ええ」
桃矢が頷く。
「和葉さんは、ずっと頑張ってきました」
「でも、敵が強すぎるんです」
「一人では、戦えません」
桃矢が和葉の手を取った。
「一緒に、戦いましょう」
「俺たちが、います」
和葉は涙を拭った。
「…ありがとう」
【舞鳳と桃矢 ― 作戦会議】
夜、三人は作戦を立てていた。
「封印の石は、高原の中心部にある神社にある」
舞鳳が地図を広げる。
「そこが、禍津日神の侵食を受けているはずだ」
「明日、行きましょう」
桃矢が言う。
「和葉さんも、一緒に」
和葉は不安そうな顔をした。
「でも…私、役に立てるかしら」
「大丈夫だ」
舞鳳が和葉の肩を叩く。
「お前は、俺たちの仲間だ」
「一人じゃない」
桃矢も頷く。
「三人で、戦いましょう」
和葉は小さく微笑んだ。
「…ありがとう」
舞鳳と桃矢が外に出た時。
桃矢が舞鳳に言った。
「舞鳳さん、和葉さんのこと、本当に心配してたんですね」
「…ああ」
舞鳳が空を見上げる。
「和葉は…優しすぎる」
「だから、心配なんだ」
桃矢は舞鳳の横顔を見つめた。
「舞鳳さんも、優しいですね」
「え?」
「仲間のことを、そんなに心配できるなんて」
桃矢が微笑む。
「俺、舞鳳さんと旅ができて、本当に良かったです」
舞鳳は少し照れた。
「…俺も、お前と旅ができて良かった」
二人は、並んで星空を見上げた。
【封印の地へ ― 心を奪われた人々】
翌日、三人は高原の中心部にある古い神社へ向かった。
鳥居をくぐり、参道を進む。
だが――
境内に、無数の人々が立っていた。
いや、立っているというより――
ただ、そこにいた。
目は虚ろ、表情はなく、動かない。
「これは…」
桃矢が息を呑む。
「心を…奪われた人々だ」
舞鳳が警戒する。
和葉が前に出た。
「みんな…」
和葉が人々に近づこうとする。
「和葉、危ない!」
舞鳳が止めようとしたが――
和葉は人々の前に立った。
「みんな、聞こえる?」
和葉の声は優しかった。
「辛いよね…苦しいよね…」
「でも、大丈夫」
「私が、助けるから」
和葉が一人の女性の手を取った。
その瞬間――
女性の目が、黒く染まった。
そして、和葉の腕を掴んだ。
「きゃあ!」
和葉の体に、黒い霧が流れ込んでくる。
「和葉!」
舞鳳が駆け寄る。
だが、他の人々が舞鳳の前に立ちはだかった。
無表情で、ゆっくりと近づいてくる。
「くそっ…!」
【桃矢の奮闘 ― 無力さ】
桃矢は必死に術を使った。
「浄化の術…!」
光が人々を包む。
だが――
効果がない。
人々は、何事もなかったかのように近づいてくる。
「なぜだ…俺の術が効かない…!」
桃矢が焦る。
舞鳳が叫んだ。
「桃矢、心がないから術が効かないんだ!」
「じゃあ、どうすれば…!」
「わからない!」
二人は、人々に囲まれていく。
和葉は、黒い霧に侵食され続けている。
「和葉…!」
舞鳳が必死に和葉に近づこうとする。
だが、人々が邪魔をする。
「どけ…どけぇぇぇ!」
舞鳳が変化し、猿の力を解放する。
素早く動き、人々を飛び越えていく。
だが――
その時、巨大な黒い手が現れた。
禍津日神の分身だ。
「ぐあっ!」
舞鳳が掴まれた。
「舞鳳さん!」
桃矢が叫ぶ。
禍津日神の分身が、舞鳳を締め上げる。
「くっ…!」
舞鳳が苦しむ。
「桃矢…逃げろ…」
「え…?」
「こいつは…強すぎる…」
舞鳳が血を吐く。
「お前まで…巻き込まれるな…」
「逃げろって言ってるだろ…!」
桃矢は首を振った。
「嫌だ!」
「桃矢…!」
「舞鳳さんを見捨てるなんて、できない!」
桃矢が禍津日神の分身に向かって走った。
「お前は…俺の大切な友だ!」
「一緒に、ここまで来たんだ!」
桃矢が叫ぶ。
「一人で逃げるなんて…できるわけないだろ!」
舞鳳の目が見開かれた。
「桃矢…」
禍津日神の分身が、桃矢に向かって黒い波動を放った。
巨大な、破壊の波。
桃矢には、避けられない。
「桃矢ぁぁぁ!」
舞鳳が叫んだ。
【舞鳳の犠牲 ― 命を賭けて】
その瞬間――
舞鳳が、力を振り絞った。
禍津日神の手を無理やり引き剥がし、
桃矢の前に飛び出した。
「舞鳳さん!?」
黒い波動が、舞鳳を直撃した。
「ぐああああああ!」
舞鳳の体が、黒く染まっていく。
背中から、黒い霧が噴き出す。
「舞鳳さん…舞鳳さん!」
桃矢が舞鳳を抱きかかえた。
「なんで…なんで俺を庇ったんですか…!」
舞鳳は血を吐きながら、笑った。
「当たり前だろ…」
「お前は…俺の大切な友だ…」
舞鳳が桃矢の頬に手を伸ばす。
「お前が死んだら…俺は…」
舞鳳の手が、力なく落ちる。
「やめろ…やめてくれ…!」
桃矢が泣き叫んだ。
「舞鳳さんを…舞鳳さんを奪わないでくれ…!」
「俺には…舞鳳さんが必要なんだ…!」
桃矢が舞鳳を抱きしめる。
「お願いだ…死なないでくれ…!」
舞鳳の意識が、遠のいていく。
(ああ…これで、終わりか)
(悪くない…最期だな)
(桃矢を…守れた)
舞鳳の目が、閉じようとする。
だが――
その時、桃矢の声が聞こえた。
「舞鳳さん!」
「俺、まだ舞鳳さんと話したいことがたくさんあるんです!」
「一緒に、最後まで旅したいんです!」
「だから…」
桃矢の涙が、舞鳳の顔に落ちる。
「だから、死なないでください…!」
舞鳳の胸に、温かいものが広がった。
(桃矢…お前…)
(そんなに、俺を必要としてくれるのか)
舞鳳の唇が、わずかに動いた。
「…わかった」
「え…?」
「死なない…から…」
舞鳳が、かすかに微笑んだ。
「お前を…一人にしない…から…」
桃矢の目から、涙が溢れた。
「舞鳳さん…!」
【桃矢の覚醒 ― 晴明の力】
その時――
桃矢の体が、光り始めた。
「え…?」
桃矢の胸から、強烈な光が溢れ出る。
勾玉が、まばゆく輝いている。
そして――
桃矢の脳裏に、無数の映像が流れ込んできた。
安倍晴明の記憶。
千年前の術。
封印の方法。
禍津日神との戦い。
そして――
晴明の声が響いた。
『桃矢、お前は強い』
『お前には、俺の全てを託した』
『術も、知識も、心も』
『だが、一番大切なのは』
『仲間を想う、その心だ』
桃矢は涙を流した。
「晴明様…」
『桃矢、お前にはできる』
『舞鳳を救え』
『和葉を救え』
『みんなを、救え』
光が、さらに強まる。
桃矢は立ち上がった。
その目には、強い決意があった。
「晴明様…ありがとうございます」
桃矢が両手を広げた。
「俺は…みんなを救う」
「舞鳳さんを」
「和葉さんを」
「心を奪われた人々を」
桃矢の体から、巨大な光の輪が広がった。
「浄化の術…!」
光が、境内全体を包み込む。
心を奪われた人々が、光に包まれる。
黒い霧が、ゆっくりと剥がれていく。
人々の目に、光が戻る。
「あれ…私…」
「ここは…どこ…」
「何をしていたんだろう…」
人々が、我に返った。
表情が戻り、感情が戻る。
桃矢は、舞鳳に駆け寄った。
「舞鳳さん、頑張ってください!」
桃矢が舞鳳の胸に手を当てる。
「浄化…!」
光が舞鳳の体を包む。
黒い霧が、少しずつ剥がれていく。
「うぐ…ああ…」
舞鳳が苦しそうに呻く。
「もう少しです!頑張ってください、舞鳳さん!」
桃矢が必死に術を続ける。
汗が額を伝い、手が震える。
だが、桃矢は諦めなかった。
「舞鳳さん…俺、まだ舞鳳さんと話したいことがたくさんあるんです」
「だから…」
桃矢の涙が、舞鳳の顔に落ちる。
「だから、戻ってきてください」
その言葉が、舞鳳の心に届いた。
黒い霧が、一気に剥がれた。
舞鳳が目を開けた。
「桃矢…?」
「舞鳳さん!」
桃矢が舞鳳を抱きしめた。
「良かった…本当に良かった…!」
舞鳳は桃矢の背中をポンポンと叩いた。
「お前…泣きすぎだろ」
「だって…!」
桃矢が顔を上げる。
その顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
舞鳳は、その顔を見て笑った。
「お前、本当に…優しいな」
「そして…」
舞鳳が桃矢の頭を撫でた。
「強くなった」
桃矢は微笑んだ。
「舞鳳さんのおかげです」
二人は、涙を流しながら笑い合った。
【和葉の救出 ― 解放の言葉】
和葉は、地面に倒れていた。
体が黒く染まり、苦しそうに息をしている。
桃矢が駆け寄った。
「和葉さん!」
桃矢が和葉の手を取る。
和葉の手は、冷たかった。
「和葉さん、聞こえますか!」
和葉の意識は、深い闇の中にいた。
――和葉の心の中――
暗闇。
どこまでも続く、暗闇。
和葉は、その中で一人座っていた。
「私は…誰も救えなかった」
和葉が呟く。
周りには、無数の影が立っている。
兵士たちの影。
患者たちの影。
「先生…なぜ、救ってくれなかったんですか」
「先生…私、死にました」
「先生…あなたのせいです」
影たちが、和葉を責める。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
和葉は頭を抱えた。
「私が…悪いの」
「私が…無力だから」
「みんな…死んだの」
和葉は涙を流した。
その時――
光が差し込んできた。
「和葉さん」
優しい声。
桃矢の声だ。
「桃矢…さん…?」
「和葉さん、聞いてください」
桃矢の声が、闇の中に響く。
「あなたは、誰も救えなかったわけじゃない」
「でも…」
「戦争で、あなたは何百人もの兵士の心を癒しました」
光が、少し強くなる。
「死んでいった兵士たちも、あなたがいたから最期は穏やかでした」
「あなたの手を握りながら、『ありがとう』と言って逝きました」
和葉の目に、涙が浮かんだ。
「そして、今も何千人もの人を救ってきました」
「あなたがいたから、生きる勇気をもらった人がたくさんいます」
「あなたは…十分、頑張りました」
桃矢の声が、温かく和葉を包む。
「もう…自分を責めないでください」
「完璧じゃなくていいんです」
「できることを、できる範囲で」
「それで、十分です」
光が、さらに強まった。
影たちが、消えていく。
そして――
影たちの声が変わった。
「先生、ありがとうございました」
「先生がいてくれて、救われました」
「先生、大好きです」
和葉は顔を上げた。
影たちが、微笑んでいた。
「みんな…」
「先生、もう自分を責めないで」
「先生、幸せになってください」
影たちが、光の中に消えていく。
和葉は涙を流した。
「ありがとう…みんな…」
現実世界。
和葉の目から、涙が流れた。
「ありがとう…桃矢さん…」
桃矢が和葉に浄化の術をかける。
光が和葉の体を包む。
黒い霧が、ゆっくりと剥がれていく。
そして――
和葉の体に、色が戻った。
「和葉さん!」
和葉が目を開けた。
「桃矢さん…」
「良かった…」
桃矢が安堵の息をつく。
和葉は微笑んだ。
「ありがとう…私を、救ってくれて」
【禍津日神との対峙 ― 完璧なコンビネーション】
その時――
禍津日神の分身が、再び現れた。
「ほう、力を目覚めさせたか」
巨大な黒い影が、三人を見下ろす。
「だが、まだ未熟だ」
「お前たちでは、私を倒せない」
桃矢が立ち上がった。
「貴様…!」
舞鳳も隣に立った。
「桃矢」
「はい」
「二人で行くぞ」
「ああ」
二人は顔を見合わせた。
そして、微笑んだ。
何も言わなくても、わかる。
何ヶ月も一緒に旅をしてきた。
何度も、共に戦ってきた。
今の二人なら――
「行くぞ!」
「ああ!」
二人は同時に動いた。
舞鳳が左から飛び込む。
「おっと、速いな」
禍津日神が舞鳳を掴もうとする。
だが、舞鳳はそれをかわし、右へ跳ぶ。
その瞬間――
桃矢が右から術を放つ。
「浄化の矢!」
光の矢が、禍津日神に命中する。
「ぐっ…!」
禍津日神がよろめく。
「今だ、舞鳳さん!」
「わかってる!」
舞鳳が禍津日神の背後に回り込む。
そして、力を込めて蹴りを放つ。
「とりゃあ!」
禍津日神が前に倒れそうになる。
その瞬間――
桃矢が正面から大技を放つ。
「浄化の光輪!」
巨大な光の輪が、禍津日神を包む。
「ぐああああ!」
禍津日神が悲鳴を上げる。
二人は着地し、振り返った。
禍津日神の分身が、消えていく。
「やった…」
桃矢が呟く。
舞鳳が桃矢の肩を叩いた。
「お前、いい動きしてたぞ」
「舞鳳さんこそ」
桃矢が笑う。
「息、ぴったりでしたね」
「ああ」
舞鳳も笑った。
「お前と組むの、楽しいな」
「俺もです」
二人は拳を合わせた。
【封印の補修 ― 三人の歌】
和葉が立ち上がった。
「私も…手伝います」
「和葉さん、大丈夫ですか?」
桃矢が心配そうに尋ねる。
「ええ」
和葉が微笑む。
「もう、逃げません」
「この地を、守ります」
和葉が封印の石に手を当てた。
桃矢と舞鳳も、石に手を当てる。
三人で、『かごめかごめ』を歌い始めた。
「かごめかごめ、かごの中の鳥は…」
光が石を包む。
「いついつ出やる、夜明けの晩に…」
亀裂が塞がっていく。
「鶴と亀が滑った、後ろの正面だあれ」
光の柱が天へ伸び、封印は完全に修復された。
【その後 ― 和葉の再生】
数日後。
和葉は、再び診療所に戻った。
だが、以前とは違った。
相談室で、患者と向かい合っている。
「先生、私…最近、生きている意味がわからなくて」
30代の女性が、不安そうに言う。
和葉は女性の手を取った。
羊の力が発動する。
(ああ…心が、読める)
女性の心が、和葉に流れ込んできた。
孤独、不安、悲しみ――
だが、同時に。
希望を持ちたいという、小さな光も。
「大丈夫ですよ」
和葉が微笑む。
「あなたは、一人じゃありません」
「私が、います」
「そして、あなたを愛してくれる人が、きっといます」
女性の目に、涙が浮かんだ。
「先生…」
「一緒に、探しましょう」
「生きる意味を」
女性は頷いた。
「はい…」
診療が終わった後。
スタッフが和葉に言った。
「先生、今日は調子良さそうですね」
「ええ」
和葉が笑った。
「少し、肩の荷が下りたの」
「え?」
「完璧じゃなくていいんだって、教えてもらったから」
和葉は窓の外を見た。
青い空が広がっている。
「私は、私にできることをする」
「それで、十分なの」
【別れの日 ― 次の地へ】
桃矢と舞鳳が次の地へ向かう日。
和葉が見送りに来た。
高原の草原で、三人は並んで立った。
「桃矢さん、舞鳳さん、ありがとう」
和葉が深く頭を下げる。
「あなたたちが来てくれなければ、私は…」
「和葉」
舞鳳が和葉の肩に手を置いた。
「お前は、強い」
「一人で、戦ってきた」
「それだけで、十分すごいことだ」
和葉は涙を拭った。
「ありがとう、舞鳳」
「これからも頼むぞ」
「ええ。この地は、私が守るわ」
和葉が微笑む。
「そして…自分も、大切にする」
桃矢が頷いた。
「それが一番です」
和葉が舞鳳を見た。
「舞鳳、変わりましたね」
「え?」
「前より、優しい顔をしています」
舞鳳は少し驚いた。
「そう…か?」
「ええ」
和葉が微笑む。
「桃矢さんと一緒にいて、幸せそうです」
舞鳳は少し照れた。
「…そんなこと、ないだろ」
「いいえ、あります」
和葉がくすくす笑う。
「二人とも、良いコンビですね」
桃矢と舞鳳は顔を見合わせた。
そして、笑った。
【草原の道 】
二人が草原の道を歩いていた。
風が心地よく吹いている。
「なあ、桃矢」
「はい?」
「さっき和葉が言ってたこと」
舞鳳が少し照れくさそうに言う。
「俺、優しい顔してるって」
「ああ、言ってましたね」
桃矢がにっこり笑う。
「本当ですよ」
「は?」
「舞鳳さん、最初に会った時より全然優しい顔してます」
桃矢が舞鳳を見上げる。
「最初は、もっと怖かったです」
「怖かったって…」
舞鳳が苦笑する。
「俺、そんなに怖かったか?」
「はい」
桃矢が即答する。
「めちゃくちゃ怖かったです」
「マジか…」
舞鳳がショックを受けた顔をする。
「でも」
桃矢が続ける。
「今は全然怖くないですよ」
「むしろ、一緒にいると安心します」
舞鳳は少し驚いた。
「安心…?」
「はい」
桃矢が微笑む。
「舞鳳さんがいてくれるから、俺は頑張れるんです」
舞鳳は少し黙った。
そして、小さく笑った。
「お前…本当に、いいこと言うな」
「え、普通のこと言っただけですけど」
「いや、いいことだ」
舞鳳が桃矢の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「俺も、お前がいてくれるから頑張れる」
桃矢は嬉しそうに笑った。
しばらく歩いた後。
桃矢が言った。
「舞鳳さん」
「ん?」
「さっき、俺を庇ってくれた時…」
桃矢の声が少し震える。
「本当に、怖かったです」
舞鳳が足を止めた。
「舞鳳さんが死んじゃうんじゃないかって」
桃矢が舞鳳を見上げる。
その目には、涙が浮かんでいた。
「もう、あんなことしないでください」
「桃矢…」
「俺、舞鳳さんがいなくなったら…」
桃矢の声が詰まる。
「俺、一人じゃ戦えないです」
舞鳳は桃矢の肩に手を置いた。
「わかった」
「え?」
「もう、無茶はしない」
舞鳳が微笑む。
「お前を、心配させたくないからな」
「舞鳳さん…」
「でも」
舞鳳が真剣な顔になる。
「お前も、無茶するなよ」
「さっき、俺を助けようとして飛び込んできただろ」
「あれも、危なかった」
桃矢は少し照れた。
「だって…」
「だって?」
「舞鳳さんを、見捨てられないじゃないですか」
桃矢がぷいっと顔を背ける。
「舞鳳さんは、俺の大切な人ですから」
舞鳳は目を丸くした。
そして、笑った。
「お前…本当に、素直だな」
「何ですか、それ」
「褒めてるんだ」
舞鳳が桃矢の背中を叩く。
「お前のそういうとこ、好きだぞ」
桃矢は顔を赤くした。
「な、何言ってるんですか急に…」
「事実を言っただけだ」
舞鳳がからかうように笑う。
「照れるなよ」
「照れてないです!」
桃矢が早足で歩き出す。
舞鳳は、その後ろ姿を見て微笑んだ。
(本当に…いい奴だな、桃矢は)
舞鳳も、桃矢の後を追った。
【夕暮れの丘 ― 絆の深まり】
夕日が沈みかけていた。
二人は、丘の上で休憩していた。
草原に座り、夕日を眺めている。
「綺麗ですね」
桃矢が呟く。
「ああ」
舞鳳も頷く。
しばらく、二人は黙って夕日を見ていた。
そして――
桃矢が口を開いた。
「舞鳳さん」
「ん?」
「俺、この旅が終わったら…どうなるんでしょうね」
舞鳳は少し考えた。
「わからないな」
「でも」
舞鳳が桃矢を見た。
「お前は、きっと立派な陰陽師になる」
「晴明様みたいに、人々を救う」
桃矢は首を振った。
「俺、晴明様みたいにはなれないと思います」
「なぜだ?」
「だって、俺…まだまだ弱いですから」
桃矢が自嘲的に笑う。
「さっきだって、舞鳳さんに助けてもらいました」
舞鳳は桃矢の肩を叩いた。
「馬鹿」
「え?」
「お前は、もう十分強い」
舞鳳が真剣な顔で言う。
「俺を助けてくれただろ」
「和葉も助けた」
「人々の心も、取り戻した」
「それは、お前が強いからだ」
桃矢は目を見開いた。
「でも…」
「いいか、桃矢」
舞鳳が桃矢の目を見た。
「強さってのは、力だけじゃない」
「心の強さだ」
「お前は、誰よりも優しくて、誰よりも強い心を持っている」
「それが、お前の本当の強さだ」
桃矢の目に、涙が浮かんだ。
「舞鳳さん…」
「だから、自信を持て」
舞鳳が微笑む。
「お前は、立派な陰陽師だ」
桃矢は涙を拭った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
舞鳳が桃矢の頭を撫でた。
二人は、並んで夕日を見つめた。
オレンジ色の空が、二人を包んでいた。
【安倍晴明の声】
その夜、桃矢の夢に安倍晴明が現れた。
桃矢は、草原の中に立っていた。
そして、目の前に晴明が立っていた。
「桃矢」
「晴明様…!」
桃矢が驚く。
晴明は微笑んだ。
「よくやった」
「和葉を救い、舞鳳を救い、人々を救った」
「お前は、私の全てを受け継いだ」
晴明が桃矢の肩に手を置く。
「術も、知識も、心も」
「お前は、もう一人前の陰陽師だ」
桃矢は涙を流した。
「晴明様…ありがとうございます」
「いや」
晴明が首を振る。
「礼を言うのは、私の方だ」
「お前が、私の想いを継いでくれた」
「お前が、仲間たちを救ってくれた」
晴明が微笑む。
「そして…」
「舞鳳との絆も、深まったな」
桃矢は頷いた。
「はい」
「舞鳳さんは、俺の大切な人です」
「一緒に、最後まで戦います」
「ああ」
晴明が頷く。
「最後の戦いが、近い」
「だが、お前なら大丈夫だ」
「お前と舞鳳なら、必ず勝てる」
晴明の姿が、光の中に消えていく。
「信じているぞ、桃矢」
「はい!」
桃矢が叫んだ。
光が消え、桃矢は目を覚ました。
【朝の光】
朝日が昇っていた。
桃矢が目を覚ますと、隣で舞鳳が眠っていた。
草原で野宿したのだ。
桃矢は、舞鳳の寝顔を見て微笑んだ。
(舞鳳さん…いつも、ありがとう)
桃矢は、そっと自分の上着を舞鳳にかけた。
そして、立ち上がって空を見上げた。
青い空が広がっている。
(あと少しだ)
(あと少しで、全ての封印を巡り終える)
(そして…最後の戦いが待っている)
桃矢は拳を握りしめた。
(大丈夫)
(舞鳳さんがいる)
(俺は、一人じゃない)
朝日が、桃矢を照らしていた。




