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かごめ封印  作者: 月音


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8/19

第8話 南の沼地 ― 蛇の愛と孤独 ―

【千年前の信仰】


――千年前、南の沼地――

満月の夜。

沼のほとりに、一人の美しい男が立っていた。

長い黒髪、白い肌、妖艶な瞳――時雨だ。

月光を浴びたその姿は、まるで絵巻物から抜け出したような美しさだった。


そして、沼へ続く道を、女たちが歩いてくる。

十人、二十人――

皆、お腹に手を当て、祈りながら。

「時雨様…どうか、子を授けてください」

「私にも、子を…」

女たちは時雨の前で跪いた。


時雨は優しく微笑んだ。

その微笑みだけで、女たちは心を奪われる。

「わかった。今夜、お前たちに祝福を与えよう」

時雨の体が淡く光る。

蛇の力が解放される。

女たちは一人ずつ、時雨の前に進み出た。


時雨が額に手を当てると、女の体が温かく輝く。


「ありがとうございます…時雨様…」

女たちは涙を流し、感謝した。


だが――

時雨の心の奥には、いつも疑問があった。

(彼女たちは、私を愛しているのか?)

(それとも、私の力を愛しているのか?)

(私の美しさを愛しているのか?)

時雨は、その答えを知らなかった。


ある夜、安倍晴明が沼を訪れた。

「時雨、お前は満たされているか?」


晴明の問いに、時雨は黙った。

「晴明様…私は、千年愛を求めるでしょう」

「そして、千年孤独でしょう」


晴明は悲しそうに微笑んだ。

「美しすぎる者の苦しみか」

「誰もが求めるが、誰も本当の意味では愛さない」


「…はい」

時雨が頷く。

「私は、道具です」

「子を授ける道具」

「美しい、飾り物」

時雨は満月を見上げた。

「私は…私自身を、愛されたことがありません」


晴明は時雨の肩に手を置いた。

「いつか、お前を本当に愛する者が現れる」

「それまで、待っていてくれ」

時雨は小さく頷いた。


【平成の変化 ― 信仰の崩壊】


――平成元年――

満月の夜。

時雨は沼のほとりで、一人待っていた。


だが――

誰も来ない。

「おかしい…今日は満月だぞ」

時雨は不安になった。

次の満月も、その次も。

誰も来なかった。


数ヶ月後。

時雨は村へ下りた。

「なぜ、誰も来ないのだ?」


村の老婆が申し訳なさそうに言った。

「時雨様…時代が変わったんです」

「変わった?」

「ええ。女性たちは、今は働いています」

「結婚しない人も増えて、子を望まない人も多いんです」


時雨は愕然とした。

「子を…望まない…?」

「ええ。それに…」

老婆は言いにくそうに続けた。

「時雨様を信じない人も増えました」

「『科学の時代』だと言って、神社に来る人も減っています」


時雨の胸に、不安が広がった。

(このままでは…子どもが、減っていく)

(かごめかごめを歌う童が、いなくなる)

(封印が…崩れる)

時雨は拳を握りしめた。

(どうすれば…)


【令和の時代 ― ホストへの転身】


――令和、現代――

時雨は、夜の繁華街を歩いていた。

ネオンが輝き、若者たちが行き交う。

(ここなら…女性と出会えるかもしれない)


時雨は、人間社会を何百年も観察してきた。

そして知っていた。

現代の女性たちが、どこに集まるかを。


時雨がビルの前を通りかかると――

「ちょっと、そこの君!」

スーツ姿の男――ホストクラブの店長が声をかけてきた。

そして、時雨の顔を見た瞬間、息を呑んだ。


「…なんて、美しい」

店長は我を忘れて見とれた。

「君、ホストやらない?いや、やってくれ!」


「ホスト…?」

「そう。女性をもてなす仕事。君なら…いや、君以上の逸材はいない」

店長が興奮気味に言う。

「君がいれば、うちの店はナンバーワンになれる!」


時雨は考えた。

(女性をもてなす…女性と出会える場所か)

(そして…子を授ける機会があるかもしれない)


「…わかった。やってみよう」


店長の顔が輝いた。

「本当か!?君の名前は?」

「時雨」

「シグレ…いい名前だ!」


【ホスト・時雨の圧倒的成功】


――三ヶ月後――

時雨は、あっという間に伝説になった。

ホストクラブ「BLACK BOX」のナンバーワン。

いや、この街全体のナンバーワンと言っても過言ではなかった。


初日から、女性たちは時雨に殺到した。

その美貌を一目見ただけで、女性たちは虜になった。


「時雨様…!」

「時雨様、素敵…!」

「時雨様、愛してます!」

女性たちが、時雨の周りに群がる。


時雨は微笑みながら、女性たちに酒を注ぎ、話を聞く。

何も特別なことはしていない。

ただ微笑むだけで、女性たちは幸せそうな顔をする。

(これは…昔と同じだ)

時雨は内心で思った。

(満月の夜、女たちが私に群がったように)

(今も、女たちが群がる)

(美しいだけで、愛される)

(いや――愛されているのではない)

(憧れられているだけだ)


店長が時雨に言った。

「時雨、君はすごい」

「初月で売上6000万円だ」

「こんなホスト、見たことがない」


時雨は無表情で頷いた。

「そうですか」

「女性たちは、君に夢中だ」

「みんな、君のために財布を開く」

店長が笑う。

「君は、まさに光り輝く君だ」


時雨は、その言葉に少し反応した。

(光り輝く…君)

(昔、そう呼ばれたことがある)

(だが、それは祝福ではなかった)

(呪いだった)


【タワーマンションの孤独】


時雨は、都心のタワーマンションの最上階に住んでいた。

ホストで稼いだ金は、天文学的な額になっていた。


だが、時雨にとって金は意味がなかった。

昔から、時雨は裕福だった。

人々が、供物として金を運んできたから。


広いリビング、全面ガラス張りの窓、夜景が一望できる。

高級家具、美術品。

ソファには、女性からのプレゼントが山積みになっている。

高級時計、ブランド品、現金の入った封筒。

「また、来た」

時雨が手紙を開く。

『時雨様、愛しています。私と結婚してください』

時雨は手紙を破り捨てた。

毎日、何十通も来る。

全て、同じ内容だ。

(愛している、と言う)

(だが、誰も私を知らない)

(私の美しさに、酔っているだけだ)

時雨は窓の外を見た。

満月が、ビルの間に浮かんでいる。

「千年…何も変わらない」

時雨が呟く。

「私は、美しいだけで愛される」

「中身を、誰も見ない」

時雨はワイングラスを握りしめた。

「私は…孤独だ」


【列車の中 ― 舞鳳との会話】


列車が南へ向かって走っている。

窓の外には、田園風景から次第に湿地帯へと変わっていく景色が広がっていた。

「次は、巳の守る地だ」

舞鳳が地図を広げる。


「巳…蛇の妖、ですよね」

桃矢が窓の外を見つめる。


「ああ。時雨という妖だ」

舞鳳の表情が、少し複雑に曇る。

桃矢が気づいた。

「舞鳳さん…何か、心配なことが?」

「…ああ」

舞鳳が地図を閉じた。


「時雨は…十二妖の中で、最も美しい者だ」

「美しい…?」

「ああ。時雨を見た者は、誰もが心を奪われる」

舞鳳は窓の外を見つめた。

「男も、女も、妖も、神も」

「誰もが、時雨に恋をする」

桃矢は少し驚いた。

「それは…すごいですね」

「いや」

舞鳳が首を振る。

「それは、呪いだ」

「呪い…?」

「ああ」

舞鳳が桃矢を見た。

「時雨は、誰からも愛される」

「だが、誰も時雨を本当の意味では愛さない」

「みんな、時雨の美しさに恋をする」

「時雨という人間には、興味がない」

桃矢は胸が痛んだ。

「それは…辛いですね」

「ああ」

舞鳳が頷く。

「時雨は千年、ずっと孤独だった」

「崇められ、求められ、でも理解されなかった」

舞鳳は拳を握りしめた。

「そして、最近時雨は…ホストになったらしい」

「ホスト…?」

「ああ。女性相手の商売だ」

舞鳳の表情が曇る。

「時雨が、そんなことをするとは…」

「きっと、追い詰められているんだ」

桃矢は舞鳳の横顔を見つめた。

「舞鳳さん…時雨さんのこと、本当に心配しているんですね」

舞鳳は少し驚いた顔をした。

「…ああ」

「時雨は…俺の、大切な仲間だ」

桃矢は微笑んだ。

「大丈夫ですよ。一緒に、時雨さんを助けましょう」

舞鳳は小さく微笑んだ。

「…ああ。頼りにしてる」


【ホストクラブ「BLACK BOX」― 圧倒的な光】


夜、舞鳳と桃矢は繁華街の一角にあるホストクラブに入った。

店名は「BLACK BOX」

入ると、豪華な内装、シャンデリア、高級ソファ。


そして――

中央の席に、一人の男が座っていた。

桃矢は、その瞬間息を呑んだ。


(なんて…美しい)

長い黒髪が、滝のように流れている。

白い肌は、月光のように輝いている。

切れ長の瞳は、妖艶で、儚い。

まるで、絵巻物から抜け出したような美しさ。

いや、それ以上だ。


人間には、ありえない美しさ。

時雨だ。

周りには、十人以上の女性たちが群がっている。

「時雨様、素敵!」

「時雨様、愛してます!」

「時雨様、私だけを見て!」

女性たちは、うっとりとした表情で時雨を見つめている。

まるで、神を見るように。

時雨は優雅に酒を飲みながら、女性たちに微笑みかけている。


だが――

桃矢は気づいた。

時雨の目が、空虚だということに。

微笑んでいるが、心は笑っていない。


「舞鳳さん…」

「ああ。あれが、時雨だ」

二人は、時雨の席に近づいた。


【時雨との再会 ― 空虚な微笑み】


「時雨」

舞鳳が声をかけると、時雨がゆっくりと振り向いた。


その瞬間――

桃矢は、時雨の美しさに圧倒された。

近くで見ると、さらに美しい。

まるで、この世のものではないような。

「…舞鳳?」


時雨の目が、わずかに見開かれた。

「久しぶりだな」

「本当に…何十年ぶりか」

時雨は立ち上がった。


その動きさえ、優雅で美しい。

女性たちが、不満そうに声を上げる。

「時雨様、どこに行くの?」

「ねぇー、時雨様!」


「すまない、少し席を外す」

時雨が微笑むと、女性たちは一瞬で黙った。


その微笑みだけで、心を奪われてしまう。

「すぐ戻る。待っていてくれ」

時雨は、舞鳳と桃矢を個室に案内した。


【個室での対話 ― 孤独の告白】


個室に入ると、時雨は疲れたように座った。

微笑みが消え、空虚な表情になる。

「舞鳳、お前が来るとは思わなかった」


舞鳳が桃矢を紹介する。

「こちらは、星川桃矢。晴明様の力を継ぐ者だ」

時雨は桃矢を見つめた。

桃矢は、その視線に少しドキリとした。

(この人の目…悲しそうだ)

「星川桃矢です。晴明様の力を継ぐ者として、参りました」

桃矢が一礼する。

時雨はじっと桃矢を見つめた。

「…晴明様に、似ている」

「目が、優しい」

時雨が小さく微笑んだ。

「ようこそ、桃矢。私は時雨、巳の妖だ」


舞鳳が口を開く。

「時雨…お前、何をしているんだ?」

「見ての通りだ。ホストをしている」

時雨が無表情で答える。

「なぜだ?」

「女性と出会うためだ」

時雨がワイングラスを傾ける。

「子を授けるためには、女性と関係を持たなければならない」

「だが、現代の女性は神社に来ない」

「だから、こちらから出向いた」


舞鳳は何も言えなかった。

時雨が続ける。

「だが…」

時雨の声が、わずかに震えた。

「失敗だった」

「失敗…?」

「ああ」

時雨が顔を上げた。


その目には、深い孤独があった。

「女性たちは、私に群がる」

「金を払い、時間を買い、私を求める」

「だが…誰も、私を見ていない」

時雨はグラスを置いた。


「彼女たちが見ているのは、私の顔だけだ」

「美しい、という理由だけで愛される」

「中身を、誰も知ろうとしない」

時雨は顔を覆った。

「千年…ずっと同じだ」

「私は、美しいだけの人形だ」


舞鳳は時雨の肩に手を置いた。

「時雨…」

「そして…子を授けることもできなかった」

時雨が続ける。

「女性たちは、私との時間を楽しむだけで、子を産もうとはしない」


「私は…無力だ」


「晴明様に託された役目を、果たせていない」


桃矢は胸が痛んだ。

(時雨さん…こんなに苦しんでいたのか)


【沼地の封印 ― 危機的状況】


翌日、三人は沼地へ向かった。

深い森の中、静かな沼がある。

月明かりが水面に映り、美しい。

「ここが、封印の地だ」

時雨が沼を指差す。


沼の中央に、小さな島があり、その上に石が立っている。


だが――

「石が…黒く染まっている」

桃矢が驚く。


封印の石は、黒い瘴気に覆われていた。

「時雨、これは…!」

「ああ。わかっている」

時雨が静かに答えた。

「封印は、崩れかけている」

「なぜ、もっと早く連絡しなかった!」

舞鳳が声を荒げる。


時雨は舞鳳を見た。

「連絡したところで、どうなる?」

「お前たちに、何ができる?」

「子どもを増やせるのか?」


舞鳳は言葉を失った。


時雨は沼を見つめた。

「私は、何度も試した」

「女性たちと関係を持とうとした」

「だが…誰も、子を望まなかった」

時雨の声が震える。

「彼女たちは、私の美しさを楽しむだけだ」

「私を、商品として扱う」

「私は…道具だ」

時雨は膝をついた。

「千年…ずっと、道具だった」

「誰も、私という人間を愛さなかった」


【禍津日神の囁き ― 甘い誘惑】


その時――

沼から、黒い霧が立ち上った。


「ほう、時雨。お前も、苦しんでいるのか」

低く、不気味な声。


禍津日神だ。


「黙れ」

時雨が睨む。

「お前のせいで、封印が崩れているんだ」


「違うな」

禍津日神が笑った。

「お前のせいだ、時雨」


「何?」


「お前は、美しすぎた」


禍津日神の声が、時雨の心に染み込む。

「誰もが、お前の美しさに恋をする」


「だが、誰もお前を理解しない」


「お前は、千年孤独だった」


時雨は言葉を失った。


「お前が欲しかったのは、愛だろう?」

禍津日神が続ける。

「本当の愛を」

「美しさではなく、お前という存在を愛してくれる者を」


「…そうだ」

時雨が小さく答えた。


「だが…そんな者は、いない」


「いるぞ」

禍津日神が手を伸ばした。

「私だ」


時雨は顔を上げた。


「私は、お前を理解している」

「お前の孤独を、わかっている」

「私も、孤独だからだ」

禍津日神の声が、優しく響く。

「時雨、私と共に来い」

「共に、この世界を変えよう」

「人間など、滅ぼしてしまえばいい」

「そして、お前と私だけの世界を作ろう」


その言葉は、甘く、静かに時雨の心に染み込んだ。


(この声に応じれば、もう苦しまなくていい)

(美しさを求められることも)

(役目を果たせと縛られることも)

(誰にも理解されず、孤独でいる必要もない)


千年分の疲労が、胸に押し寄せる。

時雨の瞳が、ゆっくりと揺らいだ。


時雨の目が、虚ろになり始めた。

(誰も…理解してくれなかった)

(でも…この声は、私を理解してくれる)

時雨の手が、伸び始める。


【桃矢の言葉 ― 本当の美しさ】


「時雨さん、やめてください!」

桃矢が叫んだ。


時雨が顔を上げた。

「桃矢…?」


「時雨さん、あなたは孤独じゃありません」

桃矢が時雨の前に立った。

「俺たちが、います」

「お前たち…?」


「はい」

桃矢が頷く。

「舞鳳さんは、ずっとあなたのことを心配していました」


舞鳳が前に出た。

「時雨、俺は…お前のことを、仲間だと思っている」

「美しいから、ではない」

「お前が、誠実で、優しいからだ」


時雨の目が揺れた。

「俺…?誠実…?」

「ああ」

舞鳳が頷く。

「お前は千年、一人で封印を守ってきた」

「誰も見ていなくても、お前は役目を果たしてきた」

「それが、誠実さだ」


桃矢も続ける。

「時雨さん、あなたの本当の美しさは、顔じゃありません」

「心です」

「千年、人々のために尽くしてきた、その心が美しいんです」


時雨の目に、涙が浮かんだ。

「私の…心…?」


「はい」

桃矢が時雨の手を取った。

「時雨さん、あなたは道具じゃありません」

「一人の、大切な存在です」

時雨は声を上げて泣いた。

千年、誰もそんなことを言ってくれなかった。


【舞鳳と桃矢 ― 二人の絆】


禍津日神の誘惑が、さらに強まる。

黒い霧が、時雨を包もうとする。

「時雨、私のところへ来い」


「やめろ!」

舞鳳が時雨の前に立った。

「時雨は、俺の大切な仲間だ」

「お前には渡さない」

桃矢も並んだ。

「時雨さん、俺たちと一緒に戦いましょう」

二人が、時雨を守るように立つ。


時雨は、その背中を見て涙を流した。

(私を…守ってくれる)

(美しさのためではなく)

(私自身のために)


時雨は立ち上がった。

「舞鳳、桃矢…ありがとう」

時雨の体が、光り始めた。

蛇の力が解放される。

だが、それは今までとは違う光だった。

温かく、優しく、そして強い。

「私は、もう一人じゃない」

時雨が微笑んだ。

その微笑みは、今までとは違った。

心から、笑っていた。


【人々の歌 ― 封印の補修】


「今です!」

桃矢が叫んだ。

「時雨さん、封印の石に手を!」

時雨が封印の石に手を当てる。


光が、石を包み始める。


だが、黒い瘴気は強く、なかなか消えない。

「くっ…まだ足りない…!」

舞鳳が時雨の隣に立ち、石に手を当てた。


「一人じゃない。俺たちも、一緒だ」

桃矢も手を当てる。


「みんなで、守りましょう」

三人の光が、一つになる。


だが――

「ぐおおおお!」

禍津日神が、さらに強い力で襲いかかってくる。


「これだけでは…足りない…!」

桃矢が叫ぶ。

「人々の力が、必要です!」


その時――


「時雨様!」

声が響いた。


振り返ると――

沼のほとりに、人々が集まってきた。

老人、大人、子ども――何十人もの人々。

先頭には、一人の老婆が立っていた。


「私の祖母が言っていました」

老婆が前に出る。

「昔、この沼に時雨様という神様がいて、私たちの先祖に子を授けてくださったと」


時雨は驚いた。

「お前…」

「はい。私は、時雨様のおかげで生まれた命の子孫です」

老婆が深く頭を下げた。

「ありがとうございます、時雨様」


他の人々も、次々と頭を下げた。

「私もです」

「私の家族も、時雨様の恩恵を受けました」

「時雨様がいなければ、私たちは生まれていませんでした」

時雨は涙を流した。

「みんな…」

「私のことを…覚えていてくれたのか」

「もちろんです」

老婆が微笑む。

「時雨様は、この地の宝です」

「私たちの、命の恩人です」


桃矢が人々に呼びかけた。

「皆さん、一緒に歌ってください!」

「かごめかごめを!」

「封印を守るために!」


子どもたちが、最初に歌い始めた。

「かごめかごめ、かごの中の鳥は…」

小さな、か細い声。


だが、その声は純粋で、力強い。

大人たちも、歌に加わる。

「いついつ出やる、夜明けの晩に…」

老人たちも、歌い始める。


「鶴と亀が滑った…」

歌声が、沼に響く。


時雨、舞鳳、桃矢が封印の石に手を当てる。

「後ろの正面だあれ」

光が、さらに強まった。


人々の想い、歌声、祈り――

それが全て、封印の力となる。


「封!」

時雨が叫んだ。


光の柱が天へ伸び、黒い瘴気を吹き飛ばす。

「ぐおおおお!」

禍津日神が悲鳴を上げる。

「覚えておけ…時雨…!」

「次は…必ず…!」

禍津日神は、消えていった。


封印の石が、輝きを取り戻した。

亀裂は塞がり、清らかな光を放っている。


「成功した…」

桃矢が安堵の息をつく。


時雨は、その場に座り込んだ。

疲労と、安堵と、そして――

温かいものが、胸に広がっていた。

人々が、時雨に駆け寄る。


「時雨様、ありがとうございます!」

「時雨様、大丈夫ですか?」


子どもたちが、時雨の周りに集まった。

「時雨様、すごかった!」

「かっこよかった!」


その光景に、時雨はふと、千年前の満月の夜を思い出した――

あの頃、人々は祈りを捧げていたが、今はただ、一緒に歌っている。


時雨は、子どもたちを見て微笑んだ。

(ああ…これだ)

(これが、私が守りたかったものだ)

(美しいと言われることではなく)

(ただ、必要とされること)

(感謝されること)

時雨は、子どもたちの頭を撫でた。

「ありがとう、みんな」


【その後 ― 新しい生き方】


数日後。

時雨は、ホストを辞めた。


店長は残念がったが、時雨の決意は固かった。

「お世話になりました」

時雨が頭を下げる。


「時雨…本当に辞めるのか?」

店長が名残惜しそうに言う。

「お前がいなくなったら、うちの店は…」

「大丈夫です。他にも良いホストがいます」

時雨が微笑む。

「私は…本当の役目に戻ります」


時雨は、タワーマンションも引き払った。

高級家具も、美術品も、全て処分した。


そして――

沼のほとりに、小さな家を建てた。

昔の神社を復興させ、そこに住むことにした。

「時雨様、お参りに来ました」

人々が、時雨を訪ねてくる。


子どもたちも、遊びに来る。

「時雨様、一緒に遊ぼう!」

「かごめかごめ、歌おう!」

時雨は、子どもたちと一緒に遊ぶようになった。

昔のように、神として崇められるのではなく。

今は、友達のように。

(これが…本当の繋がりか)

時雨は、心から笑えるようになった。


ある日、老婆が時雨を訪ねてきた。

「時雨様、お話があります」


「何だい?」

「実は…この街の若い女性たちが、最近子どもを産みたいと言っているんです」


時雨は驚いた。

「本当か?」



「ええ。時雨様が戻ってきてから、街に活気が戻りました」

老婆が微笑む。

「みんな、希望を持ち始めたんです」

「子どもを育てたい、と」


時雨の目に、涙が浮かんだ。

「そうか…」

「時雨様、これからも、この街を守ってください」

「ああ」

時雨が頷く。

「私の役目は、ここにある」


【舞鳳と桃矢 ― 別れの日】


桃矢と舞鳳が次の地へ向かう日。

時雨が見送りに来た。


沼のほとりで、三人は並んで立った。

「舞鳳、桃矢…ありがとう」

時雨が深く頭を下げた。

「お前たちが来てくれなければ、私は禍津日神に堕ちていた」


「そして、何より…」

時雨が顔を上げた。


その目には、温かい光があった。

「お前たちが、私を理解してくれた」

「美しさではなく、私という存在を」

舞鳳が時雨の肩を叩く。

「当然だ。お前は、俺の大切な仲間だからな」

「ああ」

時雨が微笑む。

「仲間…良い響きだ」


桃矢が言った。

「時雨さん、あなたは本当に美しい人です」

時雨が少し驚いた顔をする。

「でも」

桃矢が続ける。

「それは、顔のことじゃありません」

「心が、美しいんです」

「千年、人々のために尽くしてきた、その心が」


時雨は涙を拭った。

「ありがとう、桃矢」

「お前は、晴明様に本当によく似ている」

「優しくて、温かい」

時雨が二人を見た。

「お前たちも、良いコンビだな」

舞鳳と桃矢が顔を見合わせる。

「ああ」

舞鳳が頷く。

「こいつがいてくれて、助かってる」

桃矢も笑った。

「俺も、舞鳳さんがいてくれて心強いです」

時雨は微笑んだ。

「二人とも、大切にしろよ」

「仲間を」

「ああ」

二人が頷いた。


桃矢と舞鳳が去っていく。

時雨は、その背中を見送った。


子どもたちが、時雨の周りに集まってきた。


「時雨様、かごめかごめ歌おう!」

「ああ、歌おう」

時雨が微笑む。


子どもたちと輪になり、歌い始める。


「かごめかごめ、かごの中の鳥は…」

歌声が、沼に響く。

満月が、静かに輝いていた。

時雨は空を見上げた。

(晴明様…見ていますか)

(私は、やっと見つけました)

(本当に大切なものを)


【舞鳳と桃矢 ― 列車の中】


列車が、次の地へ向かって走っている。

窓の外には、夕日が沈んでいく景色が広がっていた。

「桃矢」

「はい」

「お前…時雨に良いことを言ったな」

舞鳳が微笑む。

「『心が美しい』と」

桃矢は少し照れた。

「いえ、本当のことを言っただけです」

「時雨さん、本当に優しい人でした」

「ああ」

舞鳳が頷く。

「時雨は、昔から優しかった」

「だが、その優しさに気づく者がいなかった」

「みんな、美しさに目を奪われて」

舞鳳は窓の外を見た。

「でも、お前は気づいた」

「時雨の本当の美しさに」

桃矢は微笑んだ。

「舞鳳さんも、ですよね」

「時雨さんのこと、ずっと心配していましたから」

舞鳳は少し驚いた顔をした。

「…ああ」

「俺は、時雨のことを心配していた」

「だが、どう声をかけていいかわからなかった」

舞鳳が桃矢を見た。

「お前がいてくれて、良かった」

「お前が、時雨を救ってくれた」

桃矢は首を振った。

「違いますよ」

「俺たちが、一緒に救ったんです」

桃矢が微笑む。

「舞鳳さんと、俺と、人々と」

「みんなで」

舞鳳は小さく微笑んだ。

「…そうだな」

二人は、並んで窓の外を見つめた。

夕日が、二人を照らしていた。


【安倍晴明の声】


その夜、桃矢の夢に安倍晴明の声が響いた。

『桃矢、よくやった』

『時雨は、千年の孤独から解放された』

『美しさの呪いから、自由になった』

晴明の声が、温かく響く。

『時雨は、昔から美しすぎた』

『誰もが、その美しさに恋をした』

『だが、誰も時雨という人間を見なかった』

『それが、時雨の苦しみだった』

『だが、お前は見た』

『時雨の心を』

『そして、舞鳳も』

『お前たちが、時雨を救ってくれた』


晴明が続ける。

『桃矢、お前は舞鳳と良い旅をしているな』

『二人で支え合い、共に戦っている』

『それが、何より嬉しい』

『これからも、舞鳳を頼む』

『あいつは、お前を必要としている』

桃矢は微笑んだ。

「はい、晴明様」

「俺も、舞鳳さんを必要としています」

『ああ。それで良い』

晴明の声が、優しく消えていった。


【朝の光】


翌朝、桃矢が目を覚ますと、隣の座席で舞鳳が眠っていた。

窓に頭を預け、静かに寝息を立てている。


桃矢は、舞鳳の寝顔を見て微笑んだ。

(舞鳳さん…いつも頑張ってる)

(俺を守ろうとしてくれる)

(俺も、舞鳳さんを守りたい)


桃矢は、そっと自分のジャケットを舞鳳にかけた。


朝日が、二人を照らしている。


列車は、次の地へ向かって走り続けていた。


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