第6話 東の港 ― 虎の牙 ―
【嵐の前の港町】
列車が海沿いを走る。
窓の外には、青い海が広がっていた。
「次は、寅の守る地だ」
舞鳳が地図を広げる。
「寅…虎の妖、ですよね」
桃矢が窓の外を見つめる。
「ああ。小雪という妖だ」
舞鳳の表情が、少し複雑に曇る。
「小雪さん…って、名前だけ聞くと可愛らしいですね」
「名前と見た目は、な」
舞鳳が苦笑する。
「中身は虎そのものだ。気性が荒く、一度決めたら曲げない。戦闘能力も、十二妖の中で上位に入る」
「怖い人なんですか?」
「いや…」
舞鳳は少し考えた。
「怖いというより…孤独なんだ」
桃矢が舞鳳を見る。
「百年前、小雪には愛する人がいた。人間の男だ」
「人間を…?」
「ああ。だが、その男は死んだ。小雪を守ろうとして」
舞鳳は海を見つめた。
「それから小雪は、誰とも深く関わらなくなった。ただ一人で、港を守り続けている」
桃矢の胸が痛んだ。
「それは…辛いですね」
「ああ。だから…」
舞鳳が桃矢を見た。
「お前の力で、小雪を救ってやってほしい」
【港町での出会い】
駅に降り立つと、潮の香りが鼻をついた。
港町は活気に満ちていた。
漁師たちが網を繕い、魚市場では威勢の良い声が飛び交っている。
「平和そうに見えますね」
桃矢が周りを見回す。
「表面はな」
舞鳳が空を見上げた。
「だが、ここ数ヶ月、異常な暴風が頻発している。漁に出られない日が増えて、漁師たちは困っている」
「禍津日神の…?」
「おそらくな」
二人が港へ向かおうとした時――
「おっと、どこの旅人さんかな?」
軽い声が響いた。
振り返ると、堤防の上に一人の青年が座っていた。
長身、しなやかな体つき、飄々とした笑顔。
長い髪を後ろで結び、ラフな服装。
どこか掴みどころのない雰囲気。
「誰だ」
舞鳳が警戒する。
「俺?俺は風牙。まあ、ちょっとした風来坊ってとこかな」
風牙が堤防から飛び降りる。
その動きは軽やかで、まるで風に乗っているようだった。
「あんたら、この港に何の用?」
「それは…」
桃矢が答えようとすると、舞鳳が遮った。
「お前こそ、何者だ」
風牙はにやりと笑った。
「まあまあ、警戒しないでよ。俺はただの旅人さ」
その時――
ゴオオオオ…
突風が吹き荒れた。
「来たか」
舞鳳が身構える。
海から、黒い影が現れた。
巨大な水の塊が、人の形を取る。
「禍津日神の眷属…!」
【小雪の登場】
水の化物が、港に襲いかかろうとした瞬間――
「させない」
低く、冷たい声が響いた。
堤防の上に、一人の女性が立っていた。
白い着物。
長い黒髪が風に揺れる。
切れ長の目、整った顔立ち――だが、その目は鋭く、獣のような光を宿していた。
「小雪…!」
舞鳳が呟く。
小雪は化物を一瞥した。
「邪魔だ」
次の瞬間――
小雪の姿が消えた。
「え…?」
桃矢が目を見開く。
残像すら見えない速さで、小雪が化物の背後に回り込んでいた。
「遅い」
小雪の爪が、化物を切り裂く。
「ギャアアア!」
化物が悲鳴を上げ、水に戻って消えた。
小雪は冷たく吐き捨てた。
「弱い」
【風牙との初対面】
「やあやあ、相変わらず容赦ないね、小雪ちゃん」
風牙が拍手をしながら近づいてきた。
小雪が振り向く。
「風牙…またお前か」
「うん。今日も来ちゃった」
風牙が笑う。
桃矢は二人のやり取りに戸惑った。
「あの…知り合いなんですか?」
「ああ」
舞鳳が答える。
「風牙は…禍津日神側の妖だ」
「え…!」
桃矢が驚いて風牙を見る。
風牙は軽く手を振った。
「そうそう。俺、一応敵なんだよね。でもさ、小雪ちゃんと戦うの楽しくてさ、毎日来ちゃうんだ」
「毎日…?」
小雪が舌打ちした。
「うるさい。さっさと消えろ」
「冷たいなぁ。もうちょっと優しくしてくれてもいいじゃん」
風牙が小雪に近づく。
小雪が鋭く睨む。
「近づくな」
「怖い怖い」
風牙は笑いながらも、どこか嬉しそうだった。
【舞鳳の説明】
その夜、宿で舞鳳が説明してくれた。
「風牙は、約一ヶ月前にこの港に現れた」
「禍津日神の命を受けて、封印を破壊しようとしている」
桃矢が尋ねる。
「でも、なぜ毎日…?」
「わからん」
舞鳳が首を振った。
「最初は本気で戦っていたようだが…最近は、まるで遊んでいるようだ」
「遊んで…?」
「ああ。小雪も気づいているはずだ。だが、放っておけば港を襲う。だから、毎日相手をしている」
桃矢は考え込んだ。
「風牙さん…何を考えているんだろう」
【翌日の戦い ― 桃矢視点】
翌朝、桃矢と舞鳳は港へ向かった。
すると――
ガキィン!
金属音が響いた。
堤防で、小雪と風牙が戦っていた。
小雪の爪と、風牙の風の刃がぶつかり合う。
「おっと、今日も元気だね!」
風牙が軽やかに跳躍する。
「黙れ」
小雪が追撃する。
だが――
桃矢は気づいた。
(あれ…?)
二人の戦いは、確かに激しい。
だが、どこか…遊んでいるような。
特に風牙は、明らかに手を抜いている。
そして――
風牙の目が、小雪を見つめる時。
そこには、戦いとは違う感情があった。
(まさか…)
【戦いの後 ― 小雪との会話】
戦いが終わり、風牙は去っていった。
小雪は堤防に座り、海を見つめていた。
桃矢が近づく。
「小雪さん」
小雪が振り向く。
「…お前が、継ぐ者か」
「はい。星川桃矢です」
小雪はじっと桃矢を見つめた。
「晴明様に似ている」
「え…?」
「目が、優しい」
小雪は再び海を見た。
「私は、優しさが苦手だ」
桃矢が隣に座った。
「なぜですか?」
「…失うのが、怖いからだ」
小雪の声が、わずかに震えた。
「百年前、私は愛する人を失った」
「舞鳳さんから、聞きました」
「そうか」
小雪は拳を握りしめた。
「あの時、私は弱かった。守れなかった」
「だから…もう二度と、誰も愛さないと決めた」
桃矢は何も言えなかった。
ただ、小雪の孤独が痛いほど伝わってきた。
【風牙の本音 ― ある夜】
その夜。
風牙は一人、海辺に座っていた。
波の音だけが、静かに響いている。
「はあ…」
風牙はため息をついた。
「俺、何やってんだろ」
風牙は空を見上げた。
「禍津日神様の命令は、封印を破壊すること」
「でも…」
風牙の脳裏に、小雪の顔が浮かぶ。
戦っている時の、鋭い目。
たまに見せる、寂しそうな横顔。
「好きになっちまったよ、完全に」
風牙は頭を抱えた。
「敵に惚れるとか、俺バカすぎ」
「でも…あいつと戦ってる時、楽しいんだよな」
風牙は立ち上がった。
「どうすっかな…」
【桃矢と風牙の会話】
翌日の昼。
桃矢は偶然、市場で風牙と出会った。
「あ、風牙さん」
「おっ、桃矢君じゃん」
風牙が手を振る。
桃矢は少し躊躇したが、声をかけた。
「あの…少し、話せますか?」
「ん?いいけど」
二人は市場の隅、ベンチに座った。
桃矢が口を開く。
「風牙さん…小雪さんのこと、好きなんですか?」
風牙は目を丸くした。
「…バレてる?」
「はい。見ていて、わかりました」
風牙は照れくさそうに笑った。
「参ったな。隠してたつもりだったんだけど」
「なぜ、戦い続けているんですか?」
風牙は少し黙った。
「…俺、禍津日神様の側にいる」
「でも、小雪を傷つけたくない」
「だから…手加減して、戦ってる」
風牙は空を見上げた。
「本気で戦ったら、どっちかが死ぬ。それは嫌だ」
「だから、毎日適当に戦って、適当に負けて、帰る」
桃矢は言った。
「それじゃ、何も解決しませんよ」
「わかってる」
風牙が苦笑する。
「でも、他にどうすればいいか…わからないんだ」
桃矢は風牙を見つめた。
「風牙さん、本当は…小雪さんの味方になりたいんじゃないですか?」
風牙は息を呑んだ。
「…ああ」
風牙が静かに頷いた。
「本当は、そうしたい」
「でも、俺は禍津日神様に恩がある」
「昔、俺が死にかけた時、助けてくれたのは禍津日神様だった」
風牙の目が揺れる。
「だから…裏切れない」
桃矢は風牙の肩に手を置いた。
「風牙さん、恩と愛は別です」
「過去に縛られて、今の自分を犠牲にするのは…違うと思います」
風牙は桃矢を見つめた。
「桃矢君…お前、いい奴だな」
「いえ」
桃矢は微笑んだ。
「俺も、昔誰かに同じことを言われたんです」
【舞鳳の視点 ― 小雪との会話】
同じ頃。
舞鳳は小雪と、港の倉庫で話していた。
「小雪、風牙のこと…どう思っている?」
小雪は顔をしかめた。
「邪魔だ」
「本当に?」
舞鳳が問い詰める。
小雪は黙った。
「…わからない」
小雪が呟く。
「あいつは敵だ。でも…」
小雪は拳を握りしめた。
「あいつと戦っている時、私は…楽しいと感じている」
舞鳳は微笑んだ。
「それは、恋だよ」
「恋…?」
小雪が顔を上げる。
「私が…恋…?」
「ああ」
舞鳳が頷く。
「百年ぶりに、お前は誰かを好きになった」
小雪は動揺した。
「で、でも…あいつは敵で…」
「関係ない」
舞鳳がきっぱり言った。
「恋に、敵も味方もない」
小雪は顔を赤くした。
「…馬鹿なことを言うな」
だが、その顔は明らかに動揺していた。
【風牙の決断 ― 嵐の夜】
その夜、異常な暴風が港を襲った。
「これは…!」
桃矢が外を見ると、海が荒れ狂っていた。
「禍津日神の本体が動いている…!」
舞鳳が駆け出す。
二人が港に着くと――
小雪が一人、巨大な黒い渦と戦っていた。
「小雪!」
「来るな、舞鳳!」
小雪が叫ぶ。
「これは、私の戦いだ!」
黒い渦が、小雪に襲いかかる。
小雪が爪を振るうが、渦は次々と再生する。
「くっ…!」
その時――
「小雪、下がれ!」
風牙が現れた。
風牙が両手を広げると、巨大な風が吹き荒れた。
黒い渦と、風がぶつかり合う。
「風牙…!お前、何を…!」
「決めたんだ」
風牙が振り返る。
その目は、真剣だった。
「俺、禍津日神様を裏切る」
「お前を、守る」
小雪は息を呑んだ。
「馬鹿…!お前、何を言って…!」
「好きなんだよ、小雪」
風牙が叫んだ。
「お前のこと、本気で好きになった!」
「だから、もう敵とか味方とか、どうでもいい!」
「お前を守りたい!それだけだ!」
小雪の目に、涙が浮かんだ。
「風牙…」
その瞬間――
黒い渦が、風牙に襲いかかった。
「風牙!」
小雪が叫ぶ。
だが、間に合わない。
風牙の体が、邪気に包まれる。
「ぐあああああ!」
【桃矢の浄化 ― 命を繋ぐ】
「風牙さん!」
桃矢が駆け寄った。
「舞鳳さん、手を貸してください!」
「ああ!」
桃矢が風牙の胸に両手を当てる。
舞鳳が桃矢の背中を支える。
「浄化の術…!」
勾玉が光り始める。
だが、邪気は強く、なかなか剥がれない。
「くっ…!」
桃矢が必死に力を込める。
その時――
小雪が風牙の手を握った。
「風牙…死ぬな…!」
小雪の涙が、風牙の手に落ちる。
「お前が…いなくなったら…」
小雪の声が震える。
「私、また一人になる…!」
風牙の目が、わずかに開いた。
「小雪…」
「頼む…生きてくれ…!」
小雪の叫びが、風に乗って広がった。
その瞬間――
勾玉の光が、さらに強まった。
邪気が、一気に剥がれていく。
「うおおおお!」
桃矢が最後の力を振り絞る。
そして――
邪気は、完全に消え去った。
【二人の告白】
風牙は地面に倒れ込んだ。
「風牙…!」
小雪が風牙を抱き起こす。
風牙は目を開けた。
「小雪…」
「馬鹿…!なぜ私を庇った…!」
小雪の涙が、風牙の顔に落ちる。
風牙は微笑んだ。
「決まってるだろ」
風牙が小雪の頬に手を伸ばした。
「お前が傷つくより、俺が死んだ方がましだ」
小雪は何も言えなかった。
「俺…お前のこと、本気で好きだ」
風牙が続ける。
「敵に惚れるとか、俺バカだよな」
「でも…後悔してない」
小雪は、ついに声を上げて泣いた。
「私も…」
小雪が風牙の手を握りしめる。
「私も…お前が好きだ…!」
「百年…誰も愛さないと決めていたのに…」
小雪が風牙を見つめる。
「お前は…私の心を、溶かした…」
風牙は嬉しそうに笑った。
「良かった…片想いじゃなくて」
二人は、静かに抱き合った。
【舞鳳と桃矢 ― 見守る二人】
少し離れた場所で、舞鳳と桃矢が二人を見守っていた。
「良かったな」
舞鳳が微笑む。
「ええ」
桃矢も微笑んだ。
舞鳳が桃矢を見る。
「桃矢、お前…優しいな」
「え…?」
「風牙を助けたこと。敵なのに、迷わず助けた」
桃矢は少し照れた。
「だって…風牙さん、悪い人じゃないですから」
「ああ」
舞鳳が頷く。
「だが、誰にでもできることじゃない」
舞鳳が桃矢の肩に手を置いた。
「お前は、本当に晴明様の後継者だ」
桃矢は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
舞鳳も笑った。
二人は、小雪と風牙を見守り続けた。
【封印の補修】
翌日、四人で封印を補修した。
港の祠に、大きな石がある。
「ここが、封印の石だ」
小雪が説明する。
風牙が石に手を当てた。
「俺、禍津日神様を裏切った」
「もう、戻れない」
小雪が風牙の手を握った。
「後悔しているのか?」
「してない」
風牙が微笑んだ。
「お前がいれば、十分だ」
小雪も微笑んだ。
桃矢が勾玉を掲げる。
「皆さん、一緒に歌いましょう」
四人で、『かごめかごめ』を歌い始めた。
「かごめかごめ、かごの中の鳥は…」
港の人々も、歌に加わる。
「いついつ出やる、夜明けの晩に…」
光が石を包む。
「鶴と亀が滑った、後ろの正面だあれ」
封印が、完全に修復された。
【別れ ― 次の地へ】
数日後、桃矢と舞鳳は次の地へ向かうことになった。
港で、小雪と風牙が見送りに来た。
「桃矢、舞鳳、ありがとう」
小雪が深く頭を下げた。
「二人がいなければ、私たちは…」
「いえ」
桃矢が微笑む。
「二人が、自分たちで答えを見つけたんです」
風牙が桃矢の肩を叩いた。
「桃矢君、お前本当にいい奴だな」
「俺、お前のこと友達だと思ってる」
「俺もです」
桃矢が笑った。
舞鳳が小雪に言った。
「小雪、幸せになれよ」
「…ああ」
小雪が頷く。
「お前も、な」
舞鳳は少し驚いた。
「俺が?」
小雪が舞鳳と桃矢を見た。
「お前たち二人、いいコンビだ」
「これからも、共に戦え」
舞鳳は照れくさそうに笑った。
「ああ」
【安倍晴明の声】
その夜、桃矢の夢に安倍晴明の声が響いた。
『桃矢、小雪が笑顔を取り戻した』
『あの子は、百年前に愛する者を失い、孤独に生きてきた』
『だが、お前のおかげで、新しい愛を見つけた』
『風牙という男も、良い男だ。あの二人なら、大丈夫だろう』
『ありがとう、桃矢』
『そして…』
晴明の声が、優しく響く。
『舞鳳を、頼む』
『あいつは、お前を守ろうと必死だ』
『だが、お前も…あいつを支えてやってくれ』
桃矢は微笑んだ。
「はい、晴明様」
【舞鳳との夜道】
翌朝、二人は次の地へ向かう列車に乗った。
窓の外には、朝日に照らされた海が広がっている。
「舞鳳さん」
「ん?」
「俺、舞鳳さんと旅ができて…嬉しいです」
舞鳳は少し驚いた。
「…突然どうした」
「いえ」
桃矢が微笑む。
「小雪さんと風牙さんを見ていて、思ったんです」
「支え合うって、いいなって」
舞鳳は少し照れた。
「…ああ」
「俺も、お前と旅ができて…良かった」
二人は、並んで窓の外を見つめた。
朝日が、二人を照らしていた。




