第5話 北陸の村 ― 告げられぬ夜明け ―
古い神社の境内に、子どもたちの笑い声が響いていた。
「かごめかごめ、かごの中の鳥は〜♪」
七人の子どもたちが、輪になって歌っている。中心には、目隠しをした一人の女性が座っていた。
長い黒髪、赤い髪飾り、凛とした顔立ち――朱音だ。
「いついつ出やる、夜明けの晩に〜♪」
子どもたちが朱音の周りを回る。
「鶴と亀が滑った、後ろの正面だあれ?」
「はい、後ろにいるのは…さっちゃん!」
朱音が後ろを振り向くと、小さな女の子が立っていた。
「当たり!」
子どもたちが歓声を上げる。
「朱音お姉ちゃん、凄い!」
「もう一回やろう!」
朱音は微笑んだ。
「いいわよ。何度でも付き合うわ」
境内には、温かな陽光が差し込んでいた。
【地下の苦しみ】
だが、その同じ時刻――
地下深く、封印の石の前で、黒い影が蠢いていた。
禍津日神だ。
『ぐっ…あの歌…また、聞こえる…』
禍津日神の体が、見えない鎖に縛られるように震える。
『かごめかごめ…忌々しい…!』
歌声が聞こえるたびに、封印の力が強まる。体が重く、動けなくなる。
『あの唄は…危険だ…何か、おかしい…』
禍津日神は悟った。
『あの歌が、封印を支えている。あの子どもたちが、歌い続ける限り…俺は、出られない』
禍津日神の目が、赤く光った。
『ならば…やめさせるしかない』
【洗脳の始まり】
その夜から、村人たちは奇妙な夢を見るようになった。
最初は、ただの悪夢だった。
――初日の夢――
暗闇の中で、優しい声が囁く。
『お疲れですね』
「ああ…最近、よく眠れなくて…」
『それは辛いですね』
声は同情的で、温かい。
――三日目の夢――
『あなたの不調…原因があるのですよ』
「原因…?」
『それは、朱音です』
――一週間後の夢――
『朱音が、災いを呼んでいるのです』
声はもう、優しさを装っていない。
断定的で、有無を言わせない。
「朱音を…信じてはいけない…」
【子どもたちの異変】
翌朝、子どもたちは神社に来なかった。
朱音は境内で、一人待っていた。
「おかしいわね…いつもなら、もう来ている時間なのに」
昼になっても、誰も来ない。
夕方になっても、誰も来ない。
朱音は不安になった。
【村人の変化】
翌日、朱音は村を歩いた。
子どもたちの家を訪ねようと思ったのだ。
だが――
「…あ……朱音さんだ」
村人たちが、朱音を見る目が変わっていた。
冷たく、疑わしげな目。
「おはようございます」
朱音が挨拶をしても、誰も返事をしない。
背を向けて、去っていく。
「どうして…?」
朱音は戸惑った。
子どもの家を訪ねると、母親が出てきた。
「さっちゃんは…?」
「うちの子に近づかないで」
母親の声は冷たかった。
「え…?」
「あなたのせいで、さちが悪夢にうなされているの。もう、神社には行かせない」
バタン、と扉が閉められた。
朱音は立ち尽くした。
【かごめかごめの消失】
それから、神社に子どもたちは来なくなった。
境内は静まり返り、かごめかごめの歌声は消えた。
朱音は一人、境内を掃除しながら、涙を堪えていた。
(なぜ…?私、何かしたかしら…)
そして、朱音は気づいた。
封印の石から、かすかに黒い霧が漏れ出している。
「まさか…かごめかごめが歌われなくなって、封印が…」
朱音の顔が青ざめた。
【さらなる洗脳】
夜が来るたびに、村人の悪夢は悪化した。
――夢の中――
禍津日神が、より強く囁く。
『朱音が、全ての元凶です』
『朱音を追い出せば、平和になります』
『朱音を…追い出せば…』
村人たちは、その言葉を信じ始めた。
【朱音への敵意】
ある日、朱音が村を歩いていると――
「出て行け!」
石が飛んできた。
朱音は驚いて振り返った。
村人たちが、敵意を向けている。
「お前のせいで、俺たちは眠れないんだ!」
「災いを呼ぶ女!」
「この村から出て行け!」
朱音は何も言えなかった。
ただ、神社へ逃げ帰るしかなかった。
【朱音の孤独】
神社の社の中で、朱音は膝を抱えて座っていた。
「どうして…私、何も悪いことしていないのに…」
涙が溢れた。
「子どもたちは…私のこと、嫌いになったのかしら」
「村の人たちは…私を、嫌っているの…」
朱音は千年、この村を守ってきた。
災害を予知し、警告し、人々を救ってきた。
だが、今――誰も信じてくれない。
「晴明様…私、もう…」
【桃矢と舞鳳の到着】
雪が降る中、桃矢と舞鳳は村に到着した。
「寒いな…」
「ああ。北陸は、雪が深い」
二人は村の入り口で、老人に声をかけた。
「すみません、朱音さんという方を探しているんですが」
老人の顔が歪んだ。
「朱音?あの災いの女か」
「え?」
「あの女のせいで、村中が眠れないんだ。お前たち、あの女の仲間か?」
「いえ、そうではなく…」
「なら、近づくな。災いが移るぞ」
老人は去っていった。
桃矢と舞鳳は顔を見合わせた。
「舞鳳、これは…」
「ああ。禍津日神の仕業だ。村人が、洗脳されている」
【神社へ】
二人は、山の中腹にある神社へ向かった。
雪道を登り、古い鳥居をくぐる。
境内は静まり返っていた。
「朱音、いるか?」
舞鳳が声をかける。
社の扉が、わずかに開いた。
「…舞鳳?」
か細い声。
朱音が顔を出した。その目は赤く腫れていた。
「朱音…!」
舞鳳が駆け寄る。
「大丈夫か?村人たちに、何かされたのか?」
「舞鳳…久しぶりね…」
朱音は力なく笑った。
「そして、あなたが…星川桃矢さん?」
「はい。桃矢です」
朱音の目が、桃矢の胸元――勾玉に注がれる。
「その勾玉…晴明様の気配がする」
朱音は涙を拭った。
「晴明様の力を継ぐ方…ようこそ」
「ごめんなさい…こんな姿、見せて…」
【朱音の告白】
社の中で、朱音は全てを話した。
子どもたちがかごめかごめを歌っていたこと。
ある日から、村人が悪夢を見始めたこと。
子どもたちが来なくなり、村人が自分を敵視し始めたこと。
「私、何もしていないのに…なぜ、こんなことに…」
朱音は泣いた。
桃矢は朱音の手を握った。
「朱音さん、元気を出してください」
「でも…」
「これは、禍津日神の仕業です。村人は洗脳されている」
「洗脳…?」
「ああ」
舞鳳が説明した。
「禍津日神は、かごめかごめの歌を恐れている。だから、歌をやめさせるために、村人を操っているんだ」
朱音は目を見開いた。
「じゃあ、子どもたちも…」
「ああ。悪夢を見せられて、神社に来られなくなった」
「そんな…」
朱音は拳を握りしめた。
「許せない…子どもたちを、巻き込むなんて…」
朱音の目に、怒りが宿った。
【朱音の過去】
夜、囲炉裏の火を囲みながら、朱音は語った。
「私は、酉の妖。鶏の化身」
「夜明けを告げる存在として、晴明様に選ばれた」
◇◇◇
――千年前――
若き安倍晴明が、小さな鶏を膝に乗せていた。
「朱音、お前の声は美しいな」
「ありがとうございます、晴明様」
鶏が人の姿に変じる。
「お前に、北陸の地を任せる。夜明けを告げ、人々に希望を与えよ」
「はい」
「そして、警告を発し続けよ。災いが来る前に」
晴明は朱音の頭を撫でた。
「お前の声が、人々を救う」
――回想終わり――
◇◇◇
「私は千年、この役目を果たしてきた」
朱音は火を見つめた。
「地震、津波、大火…災いが来る前に、予知夢を見て、人々に警告してきた」
「だが…」
朱音の声が震える。
「時々、信じてもらえなかった」
「予言が当たると、『お前が災いを呼んだ』と言われ」
「予言が外れると、『嘘つきだ』と罵られ」
朱音は涙を拭った。
「それでも、諦めなかった。人々を救いたかったから」
「でも、今回は…もう、限界かもしれない」
桃矢は朱音の肩に手を置いた。
「朱音さん、諦めないでください」
「でも…」
「俺が、村人の目を覚まします。必ず」
朱音は桃矢を見た。
「あなた…本当に、晴明様の想いを継いでいるのね」
朱音は微笑んだ。
「わかったわ。信じる」
【村人の襲撃】
翌朝、神社に村人たちが押し寄せてきた。
松明を持ち、怒号を上げている。
「朱音を出せ!」
「災いの女を、追い出せ!」
桃矢と舞鳳が、社の前に立ちはだかった。
「待ってください!朱音さんは、何も悪くありません!」
「黙れ!お前たちも、あの女の仲間か!」
「違います!あなたたちは、洗脳されているんです!」
「何を言っている!」
村人の一人が、石を投げた。
桃矢の額に当たり、血が流れる。
「桃矢!」
舞鳳が駆け寄る。
「大丈夫だ…」
桃矢は血を拭いもせず、村人を見つめた。
赤い血が頬を伝い、顎から滴り落ちる。
村人の一人が、わずかに怯んだ。
「お、俺たち…何を…」
だが、別の村人が叫んだ。
「惑わされるな!あいつらは朱音の仲間だ!」
「そうだ!追い出せ!」
正気に戻りかけた空気が、再び狂気に染まる。
「お願いです。目を覚ましてください!」
「うるさい!」
村人たちが、神社に向かって進み始める。
その時――
「やめなさい!」
朱音が社から出てきた。
「朱音さん、危ない!」
「いいえ」
朱音は村人の前に立った。
「あなたたちが、私を憎むなら…私は、この村を出て行きます」
「朱音さん…!」
「でも、一つだけお願い」
朱音は村人を見渡した。
「子どもたちを、守ってあげて。悪夢から、解放してあげて」
朱音は涙を流した。
「それだけが、私の願いです」
村人たちは、一瞬言葉を失った。
だが――
「嘘をつくな!お前が、子どもたちに悪夢を見せているんだ!」
「そうだ!出て行け!」
村人たちが、再び前に進む。
【桃矢の決意】
桃矢が前に出た。
「俺が、証明します」
「何を?」
「朱音さんが無実だということを。そして、本当の犯人を捕まえます」
桃矢は村人を見つめた。
「今夜、俺は夢の世界に入ります。そこで、禍津日神と戦います」
「夢の世界…?何を言っている…」
「信じてください。今夜、全ての真実がわかります」
【夢への潜入】
夜、桃矢は神社の社で横になった。
朱音と舞鳳が見守る中、桃矢は目を閉じた。
「朱音さん、俺を夢の世界に導いてください」
「わかったわ」
朱音が桃矢の額に手を置いた。
「私の力で、村人たちの夢に繋ぐわ」
朱音の体が、淡く光り始める。
「行って、桃矢。そして…お願い」
桃矢の意識が、深く沈んでいった。
【夢の世界】
桃矢が目を開けると、そこは暗闇だった。
どこまでも続く、黒い空間。
「ここが…夢の世界…」
遠くに、無数の人影が見えた。
村人たちだ。皆、虚ろな目をして立っている。
そして、その中心に――
黒い影が立っていた。
禍津日神の分身だ。
『ほう、来たか。晴明が選んだ者よ』
禍津日神が笑った。
『お前も、永遠の悪夢を見せてやろう』
「させない」
桃矢が前に出た。
「お前が、村人を洗脳していたんだな」
『洗脳?違うな』
禍津日神が首を振った。
『私は、真実を教えただけだ。朱音が、災いを呼ぶと』
「嘘をつくな!」
『嘘?では、なぜ朱音がいる場所に、災いが起きる?』
禍津日神が村人に囁く。
『朱音が予言をすると、災いが起きる。朱音が、災いを呼んでいるのだ』
村人たちが、頷く。
「そうだ…朱音のせいだ…」
「違う!」
桃矢が叫んだ。
「朱音さんは、災いを予知して、警告していただけだ!朱音さんが呼んだんじゃない!」
『証拠は?』
禍津日神が嘲笑う。
『ないだろう?』
桃矢は言葉に詰まった。
【子どもたちの声】
その時――
「朱音お姉ちゃんは、優しいよ!」
小さな声が響いた。
振り返ると、子どもたちが立っていた。
「さっちゃん…!」
「朱音お姉ちゃんは、いつも私たちと遊んでくれた!」
「お姉ちゃんは、悪い人じゃない!」
子どもたちが、桃矢の周りに集まった。
「お兄ちゃん、朱音お姉ちゃんを助けて!」
桃矢は頷いた。
「ああ。必ず、助ける」
桃矢は子どもたちを見た。
「みんな、一緒に歌ってくれるか?『かごめかごめ』を」
「うん!」
【かごめかごめの力】
子どもたちが、輪になって歌い始めた。
「かごめかごめ、かごの中の鳥は…」
その瞬間、禍津日神の体が震えた。
『ぐっ…この歌…!』
「いついつ出やる、夜明けの晩に…」
見えない鎖が、禍津日神を縛り始める。
『やめろ…やめろぉぉぉ!』
「鶴と亀が滑った、後ろの正面だあれ」
桃矢が叫んだ。
「朱音さん!今です!」
【朱音の鶏鳴】
現実世界で、朱音が立ち上がった。
「わかったわ、桃矢」
朱音の体が、光り輝き始める。
そして――
朱音の喉が震える。
千年、夜明けを告げてきた声。
闇を払い、希望をもたらしてきた声。
「コケコッコーーーー!!!」
その声は、神社から村へ。
村から山へ。
山から空へと広がっていった。
雪雲が割れ、朝日が差し込む。
まるで、朱音の声に応えるように。
【夜明け】
夢の世界が、光に包まれた。
禍津日神が悲鳴を上げ、消えていく。
村人たちの目から、虚ろな光が消えた。
「あれ…俺、何を…」
一人の男が、自分の手を見つめた。
石を握りしめていた手。
「夢を…見ていたのか…」
別の女性が膝をついた。
「私たち…朱音さんに、何を…」
記憶が戻ってくる。
石を投げたこと。
罵声を浴びせたこと。
千年この村を守ってくれた恩人を、追い出そうとしたこと。
「ああ…」
村人たちの顔が、蒼白になった。
そして、子どもたちが笑顔で歌っている。
「かごめかごめ〜♪」
【目覚め】
桃矢が目を覚ますと、朝日が差し込んでいた。
「成功したのか…」
朱音が微笑んでいた。
「ええ。ありがとう、桃矢」
外から、声が聞こえた。
「朱音さん!朱音さん!」
村人たちが、神社に駆け上がってきた。
「朱音さん、ごめんなさい!」
「俺たち、ひどいことを…」
村人たちが、涙を流しながら謝った。
そして、子どもたちが朱音に抱きついた。
「朱音お姉ちゃん!」
「会いたかった!」
朱音は涙を流しながら、子どもたちを抱きしめた。
「私も…私も、会いたかったわ」
【かごめかごめの再開】
その日から、神社には再び子どもたちの笑い声が響くようになった。
「かごめかごめ、かごの中の鳥は〜♪」
桃矢と舞鳳が村を出る日、朱音が見送りに来た。
「桃矢、ありがとう。あなたが来てくれなかったら、私は…」
「いえ。朱音さんが諦めなかったからです」
「これからも、この村を守ってください」
朱音は頷いた。
「ええ。夜明けを告げ続けるわ。希望を、伝え続けるわ」
子どもたちも手を振っている。
「桃矢お兄ちゃん、またね!」
「舞鳳お兄ちゃんも!」
桃矢と舞鳳は、手を振り返した。
「また、必ず」
【安倍晴明の声】
その夜、桃矢が眠りにつくと、夢の中で安倍晴明の声が聞こえた。
『桃矢、よくやった』
『朱音は、誰よりも強く、誰よりも優しい。だが、孤独に弱い』
『お前が、朱音を救ってくれた。ありがとう』
『次の地へ行け。まだ、旅は続く』
桃矢は微笑んだ。
「はい、晴明様」




