第16話 ーー 量れぬもの ーー
山からの帰り、桃矢の車に道雅が乗り込んできた。
「お見事だったよ、桃矢君」
道雅は静かに微笑む。
「……だが、本当に白虎を手懐けるのは――これからだ」
桃矢はその言葉の意味を理解していた。
(……やはり、そうか)
胸の奥で何かが蠢いている。白虎の力が、まだ完全には馴染んでいない。
「まあ、そのことはいい」
道雅は視線を窓の外へ向けた。
「君は、薫のことをどう思っている?」
「え?」
突然の質問に桃矢は面食らう。
「素直で、明るくて……いい子だと思っています」
正直な言葉だった。
「仕事も真面目にやってくれるので、助かってます」
「……そうか」
道雅はニヤリと笑った。
「ならいい」
「……?」
「なに、老人の戯言だ」
それ以上、道雅は何も言わなかった。
十二支堂に着くと、薫と風花が出迎えていた。
「先輩! お帰りなさい!」
薫が心配そうに駆け寄ってくる。
「早かったですね。まだ二日しか経っていないのに……」
「楽勝だったぜ! なあ、桃矢」
ハクが自分のことのように胸を張る。
「……ああ」
桃矢は一瞬だけ視線を伏せた。
「先輩、怪我は?」
薫が心配そうに顔を覗き込む。
「本当に、もう大丈夫なんですか?」
桃矢は薫の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「薫は心配性だな。もう大丈夫だよ」
「でも……」
「今日は疲れたから、先に休ませてもらうよ」
そう言って、足早に自分の部屋へ向かった。
【桃矢の部屋】
扉を閉めた瞬間――
「ぐっ……!」
桃矢は思わず口を押さえた。胸の奥から何かが這い上がってくる。白虎の力だ。
(白虎め……)
歯を食いしばる。
(あの山から出るために、わざと……俺を器にしたのか……!)
「ウッ……」
喉の奥から咆哮が漏れそうになる。
(ここで暴走させるわけには……いかない……!)
桃矢は必死に力を抑え込んだ。
【ハクの察知】
店にいたハクがふと顔を上げる。耳がぴくりと動いた。
(……まだ馴染んでなかったか)
ハクはすぐに二階へ駆け上がった。
桃矢は口を押さえたまま窓を開ける。
そこに――ハクが現れた。
「付き合ってやるぜ」
「モゴモゴッ……」
桃矢が何か言おうとする。
「ああ、わかってる。“ありがとう、ハク様”だろ?」
ハクはニヤリと笑った。
「それより――」
ハクの目が鋭くなる。
「一戦交えるなら、ここじゃまずい」
桃矢は必死に頷いた。
「神泉苑へ行くぞ!」
ハクが言い切る。
「結のところまで、何とか耐えろ!」
桃矢は窓から飛び降りた。ハクもすぐに後を追う。
夜の京都を――二つの影が駆け抜けていった。
【神泉苑・深夜】
桃矢とハクが辿り着いた時、すでに結が池のほとりで待っていた。
「結さん……!」
桃矢は苦しそうに膝をつく。
「すみません……白虎の力が……」
「わかっています」
結は静かに手を上げた。
「結界を張ります」
結の手から青白い光が放たれる。それは神泉苑全体を包み込んだ。空気が一気に張り詰める。
「……これなら、外には漏れません」
桃矢は結を見上げた。
「存分に、戦ってください」
「……ありがとうございます……!」
桃矢の体が淡く光り始める。胸の奥から白虎が這い出そうとしていた。
「ぐあああああああっ!」
咆哮が夜を震わせた。
【白虎、顕現】
桃矢の体から白い光が溢れ出す。
光はやがて形を成した。
巨大な白虎。三メートルを超える体躯。紅い瞳が桃矢を見下ろしている。
「……やっと、出られたか」
「白虎!」
桃矢は立ち上がった。
「なぜ負けたふりをした……!」
白虎の声が低く響く。
「今から千年前――我は、藤原道胤に命を救われた」
桃矢の目が見開かれる。
「道胤様……薫のご先祖……」
「そうだ」
白虎は遠い目をした。
「禍津日神との戦いで、我は深手を負った。このまま死ぬと思った時――」
白虎の声がわずかに震える。
「道胤が我を救ってくれた。自らの霊力を分け与え、傷を癒してくれた」
「……」
「だから我は誓った」
白虎の目が鋭くなる。
「藤原一門に恩を返すと」
「あの山で藤原門下の修行に付き合ってきた。千年もの間――ずっとな」
桃矢は息を呑んだ。
(千年……ずっと……)
「だが――」
白虎の声が冷たくなる。
「藤原家には十分に礼を尽くした。もう恩は返したはずだ」
白虎は桃矢をまっすぐ見た。
「貴様は違う。藤原とは何の縁もない者だ」
「だから――」
紅い瞳が暗くなる。
「利用させてもらった。」
「……利用?」
「そうだ」
短い肯定。
「貴様を器にして、あの山から出る。そして――自由になる」
沈黙が落ちた。
「邪魔をするな。我は自由になるのだ」
【激闘】
白虎が地を蹴った。その速さは山での比ではない。
「速い……!」
桃矢は咄嗟に符を投げる。
「結界!」
だが――白虎は結界を粉砕した。
「ぐっ……!」
桃矢が地面を転がる。白虎の爪が、彼がいた場所の地面を抉った。
「主!」
ハクが白虎に飛びかかる。
だが――白虎の尻尾がハクを弾き飛ばす。
「ハク!」
「……平気だ!」
すぐに立ち上がる。
「こいつ、山の時より強くなってるぞ!」
「ああ、そうみたいだな」
桃矢は両手を前に突き出した。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前――浄化!」
光が集まり、奔流となって白虎を包む。白虎が苦しげに吠えた。
だが――倒れない。
「くそ……!」
額に汗が滲む。
(霊力が……足りない……)
その時――白虎の声が響いた。
「……それだけか? 貴様の力は、その程度か?」
桃矢は言い返せない。
白虎の目に失望が宿る。
「ならば――貴様に我を従える資格はない」
白虎が再び跳躍する。今度は――本気だった。
「主、逃げろ!」
だが――桃矢は逃げなかった。
まっすぐ白虎を見据える。
「……逃げない」
「俺は――白虎、お前の力が必要なんだ」
「舞鳳さんを救うために」
白虎の動きが一瞬止まる。
「……舞鳳?」
「ああ」
拳を強く握る。
「俺の大切な人だ。その人は今――禍津日神を封印する要石になっている」
声がわずかに震えた。
「俺は……その人を救いたい」
「だから――」
桃矢は白虎を見上げる。
「お前の力を、貸してほしい」
「……」
長い沈黙。
やがて――白虎が低く息を吐いた。
「……禍津日神か」
「あれは――“はかり”を持つ」
「命も、霊も、因果さえも。等しく量り、切り捨てる存在だ」
紅い瞳が細まる。
「我にとっても、敵だ」
断言だった。
「山に縛られていた千年の間、幾度となくあの気配を感じてきた」
「あれは獣でも神でもない。世界を壊すための”理”そのものだ」
白虎は桃矢を見据えた。
「だから――」
「貴様が禍津日神と相対するというのなら、我は見過ごせぬ」
「これは藤原の恩とは関係ない。我自身の意思だ」
低く言い添える。
「……共に行く理由としては、十分だろう」
「ひとつだけ教えてやる」
桃矢の背筋が自然と伸びた。
「禍津日神は、“力”そのものでは封じられぬ」
「あれは力を喰らう。霊力も、呪も、恐れも――等しく”重さ”として量るからだ」
「要石とは、その”重さ”を押し付けるための楔だ」
「だが――」
「あれには、量れぬものがある」
「それは――想いだ」
「覚悟でも犠牲でもない」
「“誰かを救うと決めた想い”だ」
「禍津日神は世界を均す存在。だが――人の想いは理解できぬ」
「己で選び、背負い、踏み出す想いだけは、あれのはかりには乗らぬ」
白虎は静かに告げた。
「犠牲を必要としない想いを束ねられれば――要石など、いらぬ」
桃矢は胸の奥で脈打つ力を感じ、静かに息を吐いた。
(量れないもの……想いを束ねる……)
桃矢は手を差し出す。
「白虎。お前と対等でいたい。仲間として」
白虎はしばらく黙っていた。
そして――ゆっくりと桃矢の前にしゃがんだ。
「……貴様、名は?」
「星川桃矢」
「桃矢か」
白虎の目が穏やかになる。
「我は白虎。四神の一柱にして、西を守護する者」
「……よろしく、白虎」
桃矢はその頭に手を置いた。
「これから一緒に戦おう」
白虎は小さく頷く。
「……ああ。貴様に、力を貸そう」
白虎の体が光に包まれる。光は静かに桃矢の体へと溶け込んだ。
今度は――痛みはない。温かく優しい光だった。
桃矢の胸の奥で、白虎の力が静かに収まった。
「……これでいい」
白虎の声が心に響く。
「必要な時は呼べ。我はいつでも駆けつける」
桃矢は胸に手を当てた。
「……ありがとう」
【結の助言】
光が消えた後、結が静かに近づく。
「……見事でした」
「結さん……」
桃矢は深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「いいえ」
結は優しく微笑む。
「桃矢様がご自分で成し遂げたことです」
結は隣に腰を下ろした。
桃矢は夜空を見上げる。星が冷たく光っている。
(舞鳳さん……俺は必ずあなたを救う)




