第12話 ーー 選択の重み ーー
【十二支堂・朝】
朝の光が、障子越しに柔らかく差し込んでいた。
「先輩」
薫が、いつになく真剣な声で桃矢を呼んだ。
「ん?」
「……神泉苑に、行ってきます」
桃矢は、その一言で察した。
「……結に、話を聞くのか?」
「はい」
薫は、まっすぐ桃矢を見る。
「千年前のこと」
「結様なら、きっと知っている」
桃矢は、ほんの一瞬だけ考え、それから頷いた。
「……分かった」
「気をつけて」
「はい」
薫は、静かに頭を下げ、店を出た。
その背中を見送りながら、桃矢は小さく息を吐く。
(……薫)
(お前は、ちゃんと向き合う覚悟なんだな)
自分は――
本当は、見ようと思えば見られる。
千年前の出来事の一端を。
けれど、今まで桃矢はそれをしなかった。
(見るべきなのは、今だ)
ーーー◇ 千年前・神泉苑 ◇ーーー
「晴明」
帝が、静かに名を呼んだ。
「この都を、守ってほしい」
安倍晴明は、首を横に振る。
「私は、ただの術者にすぎません」
「権力も、名声も、望んでおりません」
「断る権利があるとでも」
帝の声は、穏やかだったが、逃げ場はなかった。
「そなたが立てば、都は安定する」
側近たちが、息を潜めて見守る。
藤原一門の頭首は、黙って立っていた。
「藤原家も、力を尽くしてくれている」
帝は続ける。
「だが……民に示す象徴が要る」
晴明は、ゆっくりと目を伏せた。
「……私を、祀り上げるおつもりですか」
答えはなかった。
沈黙が、すべてだった。
藤原頭首が、初めて口を開く。
「それが、都を守る最善であるなら」
「我らは、構いません」
その言葉に、晴明が顔を上げる。
「……藤原殿」
「ただし」
藤原頭首は、静かに続けた。
「その歪みは、必ず後に残る」
帝は、目を伏せた。
そしてーー
**公には**藤原の名は
歴史から消えた。
ーーー ◇ ◇ ◇ ーーー
桃矢に晴明のつらい気持ちが流れ込んで来た。
【神泉苑】
冬の名残を抱えた空気が、池の水面を静かに揺らしている。
観光客の声が遠くに聞こえるのに、ここだけ時間が歪んでいるようだった。
薫が足を踏み入れた、その瞬間――
胸の奥が、ひやりと冷えるような感覚。
――ふと、視界が滲む。
「…薫様」
「すみません、また来てしまいました」
「結様……」
結は、静かに微笑んでいた。
「お願いがあります」
薫は、深く頭を下げる。
「……千年前のこと、教えてください」
結は、少しだけ目を細めた。
「何を、お知りになりたいのですか」
「…何をしたのか」
薫の声が、わずかに震える。
「どうして、祖父が、あんなにも……」
結は、ゆっくりと首を振った。
「薫様」
「私は、そこにいました」
「ですが――すべてを知っているわけではありません」
「え……?」
「誰が決めたのか」
「なぜ、そうなったのか」
結の声は、遠くなる。
「誰も、はっきりとは答えを持っていなかった」
そして、静かに続ける。
「安倍晴明様は……」
「権力も、名声も、望んではいませんでした」
薫が、息を呑む。
「でも――」
結は、少し寂しそうに微笑む。
「帝の側近たちが、晴明様を祀り上げたのです」
「祀り上げた……?」
「救世の神として、です」
結は頷いた。
「そうすれば、救世の神がお仕えする帝は」
「偉大な存在だと、世に示せる」
薫は、言葉を失った。
「封印の功績は、すべて晴明様のものとされました」
「藤原一門の名は……」
「藤原様の犠牲も……」
「歴史に、刻まれなかった」
沈黙。
「晴明様は……」
薫が、震える声で問う。
「それを、知っていたんですか?」
「ええ」
結は、目を伏せる。
「ですが、帝には逆らえなかった」
「どうして……」
「都を、守るため」
結は、まっすぐ薫を見る。
「晴明様は」
「ご自身の名が汚れることよりも、藤原一門の想いが消えることよりも…」
「都の平和を、選ばれました」
薫の胸が、きゅっと締めつけられる。
(選んだ……)
(晴明様も、選んだ)
「薫様」
結は、静かに告げる。
「千年前の悪は、もうこの世にいません」
「帝の側近も政治を弄んだ者たちも」
「皆、とうに土に還りました」
「でも――」
「その時代に生まれた歪みは」
「今も、残っているのなら…」
「それを正すのか」
「それとも、終わらせるのか」
結の視線が、薫を射抜く。
「それは――」
「今を生きる、あなたたちの選択です」
【薫・帰り道】
夜の街を、薫は一人歩いていた。
(晴明様は……奪ったわけじゃない)
(祀り上げられただけ)
(悪いのは……政治を弄んだ側近)
でも――
祖父は、ずっと晴明を恨んでいた。
「安倍晴明が、すべてを奪った」
その言葉を、何度も聞いてきた。
(……違う)
薫は、立ち止まった。
(おじいさまは――)
(恨む相手を、間違えている)
冬の風が、頬に当たる。
(でも……)
(それを、言えるのか?)
千年間、恨み続けてきた相手が
実は「間違い」だったなんて――
(言えるわけ、ない)
薫は、唇を噛んだ。
(だから……)
(私が、真実を知らなきゃいけない)
史実書。
祖父が大切にしている、藤原一門の記録。
(あれを、読まなきゃ)
薫の足が、自然と家の方へ向かっていた。
【薫の家・深夜】
祖父の書斎。
薫は、金庫の前に立っていた。
番号は――知っている。
祖父の誕生日。
単純だけど、それが祖父らしかった。
カチャリ。
金庫が、開く。
中に、古びた書物。
藤原一門に伝わる史実書。
薫は、そっと取り出した。
重い。
埃っぽい匂い。
(……ごめんなさい、おじいさま)
薫は、スマホを取り出す。
カシャ。
その音が、やけに大きく聞こえる。
(……バレたら、もう戻れない)
薫の手が、震える。
でも――止められない。
カシャ。
カシャ。
ページをめくる音さえ、怖い。
(早く……早く……)
汗が、額に滲む。
その時――
階下から、物音。
「……っ!」
薫の心臓が、跳ね上がった。
(おじいさま……?)
息を殺す。
静寂。
(……気のせい)
薫は、震える手で撮影を続けた。
最後の一枚。
カシャ。
終わった。
薫は、急いで史実書を戻す。
金庫を閉める。
カチャリ。
その音が――
まるで、自分の心臓の音のように聞こえた。
【十二支堂・翌朝】
「先輩」
薫が、真剣な顔で桃矢を呼んだ。
「ん?」
「……話が、あります」
桃矢は、薫の表情を見て、すぐに察した。
「……分かった」
二人は、店の奥へ移動する。
「実は……」
薫は、スマホを取り出した。
「昨夜、祖父の書斎に忍び込んで」
「史実書を、撮影してきました」
桃矢の目が、わずかに見開かれる。
「……薫」
「ごめんなさい、勝手に動いて…」
薫は、俯く。
「でも――」
「どうしても、知りたくて」
桃矢は、少し考えてから言った。
「……見せてくれるか?」
薫は、頷いた。
桃矢と薫は、並んで座っていた。
スマホの画面に、古い文字。
「……これ」
桃矢が、ある一節を指差す。
「『帝の側近、藤原家の功を隠し』」
「『安倍晴明一人の手柄とす』」
薫が、続きを読む。
「『当主・道胤みちたね封印に身を投じるも』」
「『その名、歴史に刻まれず』」
二人の間に、沈黙が落ちた。
「……やっぱり」
薫が、小さく呟く。
「祖父が恨むべきは、晴明様じゃない」
「側近だった」
桃矢は、静かに頷いた。
「ああ」
「でも――」
桃矢は、続ける。
「その側近も、もういない」
「……はい」
しばらくの沈黙。
「先輩」
薫が、ふと顔を上げた。
「ん?」
「おじいさまは……」
薫は、言葉を探す。
「何が、したいんでしょうか」
桃矢が、真剣な顔になる。
「……どういうことだ?」
「史実書には、確かに書いてありました」
薫は、スマホの画面を見る。
「『藤原家の功績が、消された』って」
「ああ」
「でも――」
薫は、桃矢を見た。
「だから、何をしたいんですか?」
「年末に、霊道を開いた」
「それは……なぜ?」
桃矢は、少し考えてから答えた。
「……」
「藤原一門の名を歴史に残したいのか?」
「歴史を、書き換える」
薫の胸が、ざわついた。
「それとも……」
桃矢の目が、鋭くなる。
「藤原家の地位を、上げるため?」
「地位……」
「千年前、消された功績を証明して」
「藤原一門を、再び力ある家に」
薫は、息を呑んだ。
「分からない」
桃矢は、静かに首を振った。
「藤原一門の狙いが、何なのか」
「それが分からない限り――」
桃矢は、薫を見た。
「俺たちは、動けないな」
沈黙。
「……聞かなきゃ、ダメですね」
薫が、小さく呟いた。
「え?」
「おじいさまに」
薫は、まっすぐ桃矢を見た。
「何がしたいのか、聞かなきゃ」
桃矢は、少し驚いたように目を見開いた。
「……薫?」
「怖いです」
薫は、正直に言った。
「でも――」
「このままじゃ、何も分からない」
「おじいさまが、本当に何を望んでいるのか」
「それを知らないと……」
桃矢は、静かに頷いた。
「……ああ」
「でも、素直に答えてくれるとは思えないけどな」
桃矢は、真剣な顔で続ける。
「お前が行くなら、俺も行く」
薫の目に、涙が滲んだ。
「……ありがとうございます」
【夜・薫の部屋】
薫は、窓の外を見つめていた。
冬の星が、冷たく光っている。
知らなければ、楽だった。
でも、もう戻れない。
(おじいさまは――)
(何が、したいの?)
史実書には、「過去」しか書いてなかった。
「今」何を望んでいるのかは――
(聞かなきゃ、分からない)
(怖い)
(でも――)
(行かなきゃ)
薫は、そっとスマホを握りしめた。
画面には、史実書の写真。
古い文字が、淡く光っている。
(先輩が、一緒にいてくれる)
(だから――)
(大丈夫)
その覚悟だけを、胸に刻んだ。
冬の風が、窓を鳴らす。
その音が――
まるで、何かの始まりを告げているようだった。




