第10話 ーー 帰る場所 ーー
【十二支堂・店先】
十二支堂の店先。
障子越しに、冬の光が差し込んでいる。
「なあ、最近さ」
ハクが、帳場の上で尻尾を揺らした。
「薫、来てねえよな」
「……言われてみれば」
風花が、少し考えるように首を傾げる。
「先日から、様子が変だった気がします」
「変?」
ハクが、片眉を上げる。
「ええ。どこか落ち着かないような……」
風花は、言葉を探す。
「何かを、決めかねているような……」
その時。
「……いつから?」
桃矢が、ふと顔を上げた。
「え?」
「薫が、変わったのは」
桃矢は、思い当たる節を探すように続ける。
「それ、いつ?」
風花は、少し考えてから答えた。
「……桃矢様が、結様のところへ行かれた日です」
「島のお土産を持っていらした時でした」
一瞬の沈黙。
桃矢の脳裏に、神泉苑での会話がよみがえる。
(……年末の霊道)
(藤原一門が動いていた、という話)
「……まさか」
「先輩?」
ハクが怪訝そうに見る。
「薫……」
桃矢は、ぽつりと言った。
「年末の霊道を開いたのが、自分の家だって……」
「聞いてしまったのかもしれない」
「はぁ!?」
ハクが、思わず声を上げる。
「薫の家が、霊道を開く? なんでだよ!」
「理由は……分からない」
桃矢は、首を振る。
風花が、はっとしたように口元を押さえる。
「……それなら」
「薫様が元気をなくされたのも、無理はありません」
「どういうことだ?」
ハクが尋ねる。
風花は、静かに言った。
「自分の家が、皆様に迷惑をかけたと思われたのでは……」
「それで――」
言葉を切り、続ける。
「もう、こちらには来ないつもりなのかもしれません」
空気が、張りつめた。
「……そんなの」
ハクが、低く唸る。
「勝手すぎるだろ」
桃矢は、唇を噛んだ。
(俺が、黙っていたからか…)
冬の風が、障子を鳴らす。
その音が、やけに大きく響いた。
⸻
【薫 side】
実家の門をくぐると、空気が変わった。
冬の冷え込みとは違う。
もっと、張りつめた――息が詰まるような感覚。
(……よしっ、話を聞かなくちゃ…)
薫は、無意識に背筋を伸ばしていた。
この家では、昔からそうだった。
「…お母さん」
控えめに声をかけると、母は縫い物の手を止め、顔を上げた。
「薫……どうしたの、急に」
「年末の霊道のこと」
薫は、まっすぐ母を見た。
「藤原一門が関わっていると、聞きました」
母の指が、ぴくりと止まる。
「……誰から?」
「それは……」
薫は言葉を濁した。
「でも、関係がないとは思えなくて」
しばらくの沈黙。
母は、ゆっくりと息を吐いた。
「……薫。あなたは、知らなくていいことです」
「どうしてですか!」
思わず、声が強くなる。
「私は藤原家の人間でしょう?」
母は、視線を逸らした。
「……だから、よ」
その時だった。
「――まだ、そんなことを言っているのか」
低く、威圧する声。
薫の心臓が、跳ね上がった。
「お、おじいさま……」
縁側に立っていたのは、藤原道雅だった。
背筋を伸ばし、こちらを見下ろすその姿は、昔と何も変わらない。
尊敬している。
誇りに思っている。
そして――恐ろしい。
「霊道の件を嗅ぎ回っているそうだな」
道雅の目が、細くなる。
「余計なことだ」
「でも……」
薫は、必死に言葉を探したが言葉につまる。
「私は何も……聞かされていなくて」
――パァンッ。
乾いた音が、部屋に響いた。
頬が、熱を持つ。
「……っ」
「お前に、聞かせる必要などない」
道雅の声は、静かだった。
だが、その奥に狂気が滲んでいる。
「お前は、藤原家の血を引きながら」
「何も知らず、何も背負わず、外でぬくぬくと――」
「違います!」
薫は、思わず叫んだ。
「私は……」
言いかけて、止まる。
自分が何を言いたいのか、分からなかった。
「もういい」
道雅は、冷たく言い放った。
「この家に、お前の居場所はない」
「……っ」
「出て行け」
「藤原家の名を語る資格もない」
母が、何か言いかけて口を閉じた。
その沈黙が、答えだった。
薫は、深く頭を下げた。
「……失礼します」
廊下を歩きながら、足元が揺れる。
守ってくれると思っていた家。
そのすべてが、音を立てて崩れていく。
門を出た瞬間、冷たい風が頬に当たった。
(……帰る場所)
薫の脳裏に、十二支堂の暖かな灯りが浮かぶ。
だが――
そこへ戻る勇気が、今はなかった。
薫は、夜の街へと足を向けた。
【結のもとへ】
薫は、気づけばそこに立っていた。
石畳の先、淡い灯りに照らされた一角。
結がいる場所――結界の内。
(……どうして、ここに)
自分でも分からない。
足が、勝手に向かっていた。
「薫様」
結は、すでに気づいていたように、静かに微笑んだ。
「……あの時、私たちの話を聞いてしまったのですね」
「すみません。私の配慮が足りませんでした」
「……いえ」
薫は、首を振った。
「私……家にも、十二支堂にも……帰れません」
声が、震える。
「どうしたらいいのか……分からなくて……」
結は、静かに首を振った。
「薫様。本当に、帰れないのですか?」
「……だって」
薫は、俯く。
「私の家が、皆に迷惑をかけて……」
「先輩にも、黙っていられて……」
「それは、薫様が悪いことですか?」
「……っ」
「桃矢様が黙っていたのは」
結は、優しく続けた。
「薫様を傷つけたくなかったから」
「ならば――」
「薫様が傷ついたまま、遠ざかることこそ」
「桃矢様を、一番悲しませることになりますよ」
そこで、とうとう堪えていたものが溢れた。
明るくて、いつも笑っていた薫が――
子どものように、ぼろぼろと涙をこぼした。
結は、慌てることもなく、そっと言った。
「薫様」
「泣いていると、大事なものが見えなくなりますよ」
結は、静かに指差す。
「あちらをご覧なさい」
薫が、涙で滲む視界の向こうを見ると――
石畳を、必死に駆けてくる影があった。
薫は、袖で涙を拭って、小さく笑った。
「……結さま」
「本当ですね」
「泣いてちゃ、ダメですね」
もう一度、前を見る。
「あんな――」
少し照れたように言った。
「レアな姿が、見えなくなるんですから」
結は、くすりと微笑んだ。
「ええ」
「薫ー!!」
「薫さまー!」
「……かおるー!」
桃矢、ハク、風花。
息を切らしながら、必死な顔で走ってくる。
「探したんだぞ!」
ハクが、息を荒げながら怒鳴る。
「突然来なくなりやがって!」
「ご無事で良かったです……」
風花は、ほっとしたように胸に手を当てた。
桃矢は、何も言わず――
ただ、薫の前に立った。
「……先輩」
「薫」
桃矢は、まっすぐ薫を見た。
「ごめんな」
「違うんです、先輩は悪くない…」
「でも……私……」
「何があったって」
ハクが割り込む。
「お前は十二支堂の仲間だろうが」
「そうです!」
風花が頷く。
「薫様がいないと、寂しいんです」
薫の目から、また涙が溢れた。
でも、今度は――
悲しみではなく、温かさに包まれた涙だった。
結が薫の耳元で優しく囁いた。
「薫様は、ちゃんと”帰る場所”を持っています」
その言葉は、慰めではなく――
事実だった。
【十二支堂】
翌朝。
いつものように、店の扉が開いた。
「おはようございます!」
明るい声。
桃矢が顔を上げると、そこには――
いつもの薫がいた。
「……おはよう」
桃矢は、少しだけ安堵の息を吐いた。
「先輩、今日は何作りますか?」
「……そうだな」
桃矢は、少し考えて言った。
「お前の好きな親子丼、作るか」
「わあ! 嬉しいです!」
薫は、いつもの笑顔で笑った。
(……薫)
桃矢は、心の中で呟いた。
(お前の霊力…また強くなった…?)
冬の陽射しが、店内を柔らかく照らす。
その光の中で――
薫は、心から笑っていた。




