第9話 ーー聞いてしまった、真実ーー
【十二支堂】
「先輩、今日はどこか行かれるんですか?」
薫が、店の掃除をしながら尋ねた。
「ああ、ちょっと結さんのところに」
桃矢は、島で買った包みを手に取る。
「お土産、渡しに行ってきます」
「いいですね! 結様、喜ばれますよ」
薫は嬉しそうに笑った。
「いってらっしゃい!」
その声に見送られ、桃矢は十二支堂を後にした。
⸻
冬の京都は、静かだった。
路地には霜が降り、島の潮の匂いは、もうどこにも残っていない。
だが――
桃矢の胸の奥には、まだあの日々が残っていた。
おばばの笑顔。
風花の優しさ。
颯の言葉。
普通であることの、大切さ。
それらを抱えたまま、桃矢は神泉苑へ向かう。
⸻
【神泉苑】
「おかえりなさいませ、桃矢様」
結は、いつもと変わらぬ微笑みで迎えた。
「これ、島のお土産です」
包みを差し出すと、結は受け取りながら、わずかに指を止めた。
「まあ……ありがとうございます」
そして、桃矢の言葉を待つように顔を上げる。
「颯さん、幸せそうでした」
「『舞鳳と、結によろしく』って」
その瞬間、結の表情がやわらいだ。
「……良かった」
「颯は、ずいぶんと辛い思いをしてきましたから」
「ええ。始終笑っていました」
「こちらまで、幸せな気分になりましたよ」
穏やかな空気。
その均衡が、わずかに揺れた。
「……結さん?」
桃矢は、微かな陰りを見逃さなかった。
「…どうか、なさいましたか」
結は、静かに息を整え、口を開く。
「桃矢様が島に行かれている間、少し……調べていたことがございます」
声のトーンが変わる。
桃矢は、無意識に背筋を伸ばした。
「年越しの夜、霊道が開いた件です」
「……やっぱり」
「はい」
結は、まっすぐに桃矢を見た。
「残念ながら――藤原一門が、動いていました」
断定だった。
「藤原……」
脳裏に浮かぶのは、店で笑っていた薫の顔。
「ただし――」
結は、そこで一度言葉を切る。
「年明けに、薫様とお会いした際……」
その目が、柔らかくなる。
「薫様の心には、翳りは一切ありませんでした」
静かな言い切り。
「憎しみも、歪みも」
「まして、禍を呼ぶ気配も……何も」
桃矢の胸が、わずかに揺れた。
「……結さんは、どう思いますか」
桃矢は、迷いを隠さず口にする。
「俺は、薫に伝えるべきだと思っています」
「島に行く前までは、絶対に言わないと決めていました」
「でも――島で一緒にいて、気づいたんです」
「薫は、そんなに弱くない」
「まだ藤原一門の思惑も分かりません」
「もしかすると……理由が、あるのかもしれない」
結の視線が、鋭くなる。
「桃矢様。本当に、そう思っていらっしゃいますか」
「どんな正当な理由があったとしても――」
「この世と、あの世を繋げてはなりません」
沈黙が落ちた。
「……すまない、結さん」
桃矢は、目を伏せる。
「ありがとう、薫のことを考えてくれて」
「いいえ、私も言い方が強くなってしまいました」
「申し訳ありません」
「薫様のことで、もう一つお伝えしたいことが
ございます」
「……薫様の持つ力は、何者かに封印されています」
桃矢は息を呑む。
「誰が、何のために行ったのかは不明です」
結は、静かに続けた。
「ですが――」
「薫様の力は、すでに」
「その封印を施した者の力を、凌いでいます」
沈黙が落ちた。
⸻
【薫 side】
その会話を、薫は聞いてしまった。
掃除も終わり、
島の話を一緒にしようと、軽い気持ちで神泉苑へ向かっただけだった。
「風花さーん、結さんのところに行ってきます」
「お店、お願いしてもいいですか」
「はーい」
箒を片づけ、足取り軽く歩いてきた――その時。
石畳の手前で、薫の足が止まった。
「……年越しの夜、霊道が開いた件です」
桃矢の声が、聞こえた。
(……霊道?)
薫は、思わず柱の陰に身を寄せる。
「残念ながら――藤原一門が、動いていました」
結の声。
「藤原……一門?」
薫の心臓が、跳ね上がった。
それは、自分の家の名だった。
(……嘘……でしょ……?)
胸の奥が、ひやりと冷える。
足が、動かなかった。
(先輩と……結さんが、話してる)
聞いてはいけない。
そう思った。
でも――
「藤原一門」という言葉が、耳から離れない。
(私の……家のこと?)
薫は、息を殺して、二人の会話に耳を澄ます。
「……薫様の持つ力は、何者かに封印されています」
結の声が、静かに響く。
(――封印?)
「誰が、何のために行ったのかは不明です」
「ですが――薫様の力は、すでに」
「その封印を施した者の力を、凌いでいます」
薫の手が、震えた。
(力……? 私に……?)
自分に霊力がないことは、ずっと知っていた。
藤原の血を引きながら、何の力も持たない自分を――
ずっと、劣っていると思ってきた。
でも。
(封印……されてる……?)
それは、「ない」のではなく、
「封じられている」ということ?
頭が、混乱する。
(――先輩……)
薫は、唇を噛んだ。
桃矢は、知っていた。
でも、黙っていた。
それは――
(私を、守るため……?)
それが、優しさだということは――
分かってしまうのが、余計につらかった。
(何も……知らなかったのは、私だけ……?)
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
薫は、静かにその場を離れた。
足音を立てないように。
誰にも気づかれないように。
ただ――
心の中で、何かが音を立てて崩れていくのを、
薫は、確かに感じていた。
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【藤原家本邸】
京都の奥座敷。
障子から差し込む冬の陽光が、畳を淡く照らしている。
藤原道雅は、床の間に飾られた古びた巻物を、じっと見つめていた。
背筋はいまだ伸び、その眼光は鋭い。
だが、その瞳の奥には――千年分の怨念が、静かに燃えている。
巻物に記されているのは、
後世の歴史書には、決して記されなかった真実。
『藤原家当主、道胤、身代わりとなり封印に入る』
千年前。
禍津日神を封じる儀において――
藤原家は、当主の命を差し出した。
民を守るため。
都を、未来を、次の世代を生かすために。
だが――
歴史に刻まれたのは、
「安倍晴明が、十二の妖と共に禍津日神を封印した」
それだけだった。
藤原家の名は、どこにもない。
封印の中心に立ち、命を捧げた当主の名も――
記録のどこにも、残されていなかった。
「……許せない」
道雅は、低く呟いた。
「すべてを奪われた」
その怨念が、千年の時を超え、今も消えずに残っている。
「だが……」
道雅の目に、鋭い光が宿る。
「星川桃矢……お前が動いてくれたおかげで」
「ようやく、その時が来る」
道雅は、ゆっくりと巻物を閉じた。
「舞鳳が解放されれば、六芒星の封印は弱まる」
「その時こそ――」
「藤原家が、再び封印を成す」
「そして……」
道雅の唇が、わずかに歪む。
「千年の時を経て、真実が明かされる」
道雅は、ゆっくりと巻物を閉じた。
「……いずれ、取り戻す」
冬の陽光が、畳の上に長い影を落とす。
その影は、
まるで禍津日神の黒い触手のように――
静かに、静かに、部屋を這っていた。
⸻
【十二支堂】
桃矢が神泉苑から戻ると、薫が店にいた。
「あ、先輩。おかえりなさい」
いつもと変わらない笑顔。
何も知らないふりをした、いつもの薫だった。
でも――
桃矢は、気づいた。
その笑顔が、少しだけ硬いことに。
瞳の奥に、いつもはない翳りがあることに。
「……薫?」
「はい?」
「……いや」
桃矢は、言葉を飲み込んだ。
(気のせい、か……?)
「先輩、今日のお昼、何にしますか?」
「そうだな……薫は何が食べたい?」
「私、先輩の作る親子丼が好きです!」
「じゃあ、それにするか」
桃矢は台所へ向かった。
その背中を、
薫は――黙って見つめていた。
何も言わずに。
何も、聞かなかったことにして。
でも。
(先輩……)
薫の胸の中で、小さな棘が刺さったまま、抜けなかった。
「藤原一門」
「封印」
「力」
その言葉が、頭の中でぐるぐると回る。
(私……何も知らなかった)
(自分のことなのに)
そして――
(先輩は、私に黙っていた)
それは責められない。
優しさだと、わかる。
でも。
(なんで……)
言葉にならない感情が、胸の奥で渦を巻く。
「先輩……どうかしました?」
「いや、何でもない」
桃矢は、無理に笑顔を作る。
「親子丼、作るから待ってて」
「はい……」
薫は、また微笑んだ。
その笑顔は――
もう、島にいた時のような、
心からの笑顔ではなかった。
⸻
桃矢は鍋を手に取り、ふと窓の外を見る。
冬の空は、どこまでも澄んだ青。
けれど、その青の向こうに――
何かが、静かに蠢いている気がした。
それが、まだ名前を持たない不安だと、
この時の桃矢は、知らない。
⸻
翌日。
「先輩、今日は家の用事があるので、お店お休みします」
薫からの、短い連絡だった。
「わかった。気をつけて」
桃矢は返信したが――
胸の奥に、小さな引っかかりが残った。
(……用事?)
薫が、自分から休むと言ってくることは、珍しい。
そして――
その「翌日」も。
その「次の日」も。
薫は、十二支堂に来なかった。
連絡は、いつも短く、丁寧。
「すみません、今日も休みます」
理由は、言わない。
桃矢は、何度も返信の指を止めた。
(聞いた方がいいのか……?)
でも――
その指は、結局「わかった」としか打てなかった。
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一週間が過ぎた頃。
風花が、ぽつりと言った。
「桃矢さん……薫ちゃん、どうしたの?」
「……わからない」
桃矢は、正直に答えた。
「でも……俺が、何かしたのかもしれない」
風花は、何も言わなかった。
ただ、桃矢の横顔を――
少し悲しそうに、見つめていた。




