第7話 ② ーー霊道封鎖ーー
神泉苑の池が――静かに、揺れ始めた。
「……来ます」
結の声が、緊張を帯びる。
ゴゴゴゴゴ――
池の水面が、渦を巻き始めた。
「風花様、怖がらなくて大丈夫ですよ」
結が、南の位置にいる風花に声をかけた。
「はい…大丈夫です」
風花は、震える声で答えた。
「私……頑張ります」
桃矢は――東の位置から、風花を見た。
「主、始まるぞ」
ハクが、西の位置から声をかけた。
「ああ、いくぞハク!」
桃矢は、札を構えた。
池の中央――水面が、大きく膨れ上がった。
そして――
ドォン!
轟音とともに、池の中心に――黒い穴、霊道が開いた。
穴の奥から――冷たい風が、吹き出してくる。
あの世からの、風。
「準備はいいですか!」
結が叫んだ瞬間ーー
結の体が淡く、光り始めた。
龍の霊力。神泉苑を何百年も守ってきた、強大な力。
「臨兵闘者皆陣列在前!」
桃矢が、札を投げた。
札が、光を放ちながら――池の東側に、並んでいく。
「俺も行くぞ!」
ハクが、霊力を解き放った。
白い光が、池の西側を照らす。
「私も……」
風花が、両手を前に出した。
「お願い……力を……」
風花の体が――優しく、光り始めた。
七百年分の、想い。
一途に待ち続けたその時間が、今、霊力となって溢れ出す。
「よし、いいぞ風花さん!」
桃矢が、声を上げた。
「このまま――四方から、封じるぞ!」
四人の光が――池を取り囲む。
東西南北。それぞれの方角から、霊道の穴に向かって。
「封じろ――!」
桃矢が叫んだ。
四つの光が――一つになって、穴に向かって放たれた。
穴が――少しずつ、小さくなっていく。
「いける……!」
ハクが、希望を込めて言った。
ーその時だった
ゴゴゴゴゴゴゴゴッー!
穴が突然、大きく広がった。
「何だと!」
桃矢が、驚きの声を上げた。
穴の奥から――強大な気配が、近づいてくる。
「まずい……」
桃矢の顔が、緊張に引き締まった。
「何か、来る……」
結の目が、鋭くなった。
「とても、強い……」
穴から――一つの影が、現れた。
黒い、人の形をしたもの。
それは、普通の怨霊ではなかった。
「グ……ギギギギ……」
黒い影は、不気味な声を上げた。
「人間……生きた人間……」
その目が――風花を捉えた。
「殺シテヤル……」
「全員……殺シテヤル……」
影が――風花に向かって、突進してきた。
「させるか!」
桃矢は、札を投げた。
「臨兵闘者皆陣列在前!」
札が、影に向かって飛んでいく。
――影は、札をすり抜けた。
「何!?」
桃矢が、驚愕する。
「効かない……?」
影が、風花の目の前まで迫ってきた。
「風花様!」
結が叫んだ。
結の体から――青白い光が、放たれた。
光が、影を包み込む。
「ギャアアアア!」
影が、悲鳴を上げた。
光に焼かれて――後ろに吹き飛ばされる。
「風花様、大丈夫ですか!」
結が、駆け寄ってきた。
「はい……ありがとうございます、結様」
風花は額の汗を拭った。
影は、まだ消えていない。
それどころか――
「グ……ギギギギ……」
また、立ち上がってきた。
「あれは……」
結の目が、険しくなった。
「ただの怨霊じゃない」
「何百、何千という怨念が、一つに固まっている」
「怨念の塊……」
桃矢は、歯を食いしばった。
「厄介だな……」
その時――穴から、また何かが出てきた。
今度は、一体じゃない。
二体。
三体。
五体。
次々と、怨霊が這い出してくる。
「桃矢様!」
風花が叫んだ。
「ものすごい数の怨霊です!」
「このままでは――」
「大丈夫だ」
ハクが、前に出た。
「俺が、こいつらを引き受ける」
「主と結は、あの穴を封じろ」
「でも、ハク――」
「大丈夫だ。数は多いが俺だけでじゅうぶんだ!」
ハクは、桃矢を振り返った。
「お前が封じなきゃ、またすぐ開くだろ!」
「俺のことは、心配するな」
ハクが、怨霊たちに向かって突進する。
ハクの口から――小さな白い球が、鉄砲のようにバンバン飛び出す。
怨霊に当たると浄化され、優しい光になって消えていく。
「ハク様…すごい」
風花が、ハクの姿を見つめた。
「風花にも出来るぞ!」
ハクはニヤリと笑い怨霊を浄化しながら、風花に声をかけた。
「浄化の光が風花の手に集まってるだろ」
風花が自分の手を見ると――淡く光っている。
「えっ……!」
「もっと手に集中しろ!手のひらに球をイメージするんだ」
ハクは怨霊と対峙しながら、風花に伝える。
「ハク様……」
風花は、両手を前に出して――目を閉じた。
集中する。
手のひらに、光の球を。
すると――
「出来ました!」
風花の手のひらに、白い光の球が浮かんでいた。
「よーし、良くやった!」
ハクが、嬉しそうに尻尾を振った。
「それを、怨霊に向かって投げろ!」
「はい!」
風花は――光の球を、怨霊に向かって投げた。
球が――怨霊に命中する。
怨霊が、光に包まれて――消えた。
「風花!上出来だ!」
「ばか、笑ってんな!」
ハクが叫んだ。
「怨霊はどんどん来るぞ、気を抜くなー!」
桃矢と結は、封鎖しながらその様子を見て――感心した。
「風花様とハク様、いいコンビですね」
結が、微笑んだ。
「ああ」
「結さん!ハクと風花さんが頑張ってくれたおかげで、隙ができた!」
桃矢は、札を取り出した。
「結さん、もう一度――四方から、封じよう」
「はい!」
結とハクが、自分の位置に戻った。
「風花様ー!」
「は、はい!」
風花も、南の位置に戻る。
「今度こそ――」
桃矢が、札を構えた。
「封じるぞ!」
ーーその時だった。
「ギギギギギ……」
怨念の塊が――動き出し、また風花に向かっていく。
「風花様、危ない!」
結が叫んだ。
ーー間に合わない。
怨念の塊の手が――風花に向かって、伸びてくる。
風花は――動けなかった。
怖い。
体が、震える。
「……いや」
風花は、目を閉じた。
そして――思い出した。
桃矢の言葉。
『風花さんには、強い霊力がある』
『その想いは、本物だ。それが風花さんの力になる』
――結の言葉。
『あなたには、帰る場所がある』
風花は――目を開けた。
「……そうだ」
風花の体が――光り始めた。
優しく、温かい光。
「私には……」
風花は、両手を前に出した。
「帰る場所がある!」
光が――怨念の塊を包み込んだ。
「ギ……ギギ……?」
怨念の塊が――動きを止めた。
「あなたたちも……」
風花は、優しく微笑んだ。
「きっと、寂しかったんですよね」
「一人で」
「誰にも気づいてもらえなくて」
「誰とも、繋がれなくて」
風花の光が――さらに、強くなる。
「私も……同じでした」
「七百年」
「ずっと、一人で」
怨念の塊の体が――ほどけ始めた。
一つ一つの怨念が、光に解かれていく。
風花は、桃矢を、ハクを、結を見た。
「居場所を、見つけました」
「温かい場所を」
「あなたたちも――」
風花は、怨念の塊に向かって手を伸ばした。
「きっと、見つけられます」
「だから」
風花の光が――怨念の塊を、優しく包み込んだ。
「今は……お休みなさい」
怨念の塊が――光の中で、透けていく。
「ア……リガ……トウ……」
最後に、そう言って――消えていった。
「風花……」
桃矢は――その光景を、見つめていた。
風花の優しさ。
風花の強さ。
それが――怨念の塊を、救った。
「素晴らしい……」
結も、感動したように言った。
「この短時間によくぞ、ここまで……」
風花は――その場に、膝をついた。
「はあ……はあ……」
息は荒いが風花の顔には、満足感があった。
「風花さん、大丈夫ですか?」
桃矢が、駆け寄ってきた。
「はい……」
風花は、疲れた顔で笑った。
「私……」
「ああ」
桃矢は、風花の肩に手を置いた。
「よく頑張った」
その時、穴の奥から――
一つの声が、聞こえてきた。
若い男性の声。
「……お…おーい、そこに…だれ…いる…かー!」
風花は――
その声に、ピクリと反応した。
「この声……」
穴から――
一人の男性が、現れた。
武装した、若い武士。
「……え」
風花の目が、見開かれた。
「どうして……」
「なぜ、あなたが……」
武士は――
風花を見て、驚いた顔をした。
「風花……?」
「お前……なのか」
風花は――
立ち上がろうとして、膝が震えた。
「あなた……本当に……」
混乱している。
なぜ、ここに。
なぜ、霊道から。
なぜ、今。
「どうして、あの世から……」
桃矢が、前に出た。
「結さん、これは――」
「わかりません」
結の目が、険しくなった。
「霊道から、直接この世に出てくるなど――」
「普通では、ありえません」
武士は――
周りを見回した。
「ここは……神泉苑か」
「俺は――」
武士は、自分の手を見た。
「あの世から、呼ばれた」
「呼ばれた?」
桃矢が、眉をひそめた。
「誰に?」
武士は、桃矢を見た。
「俺を呼んだのは――お主か?」
その目が、鋭くなる。
「その姿は、陰陽師だろう」
「陰陽師ですが…」
桃矢は、首を振った。
「俺は、あなたを呼んでいません」
武士は――
困惑した顔をした。
「おかしい……」
「二日前から、確かに誰かに呼ばれていた」
「強い霊力で」
「この穴が開いたのも――」
武士は、霊道の穴を見た。
「外からの力によるものだ」
「内から感じた」
「てっきり、陰陽師が……」
結は――
顔色を変えた。
「外からの力…?」
「まさか……」
結が、桃矢を見た。
「桃矢様」
「これは誰かが、意図的に霊道を開いた……?」
結の声が、震える。
桃矢は――
その言葉に、背筋が凍った。
「そんな……」
誰が。
なぜ。
何のために。
「それが――」
結は、眉をひそめた。
「私が気になっていたことです、霊道の開き方が、不自然でした」
結の目が、鋭くなる。
「まるで誰かが、鍵を開けたように……」
風花は――
その会話を、ぼんやりと聞いていた。
目の前にいる、この人。
七百年、待ち続けた人。
でも――
「……あなた」
風花は、小さく呟いた。
「戦で……亡くなったんですね」
武士は風花を見た。
そして――
ゆっくりと、頷いた。
「ああ」
武士は、自分の胸に手を当てた。
「討ち死にしたんだ……無様だろ」
風花の目から――
涙が、一筋流れた。
「いえ、無様ではありません!」
静かな声。
「『またな』って……言ったのにな」
武士は、苦しそうに顔を歪めた。
「すまない、風花」
「いいえ」
風花は、首を振った。
「あなたのせいじゃ、ありません」
「私が……待つと決めたんです」
「最初は」
風花の声が、少し遠くなる。
「あなたに会いたくて」
「あなたが帰ってくるまで、ここにいようと思って」
「でも――」
風花は、空を見上げた。
「五百年が過ぎた頃から」
「わからなくなりました」
「あなたを待っているのか」
「それとも――」
風花は、小さく笑った。
「ただ、意地になっているだけなのか」
武士は――
その言葉に、息を呑んだ。
「風花……」
「七百年って」
風花は、武士を見た。
「そういう時間なんです」
「愛しさも」
「寂しさも」
「全部、混ざって」
「わからなくなる」
風花の涙が――
頬を伝った。
「でも――」
「それでも、待つという強い気持ちだけは…」
「あなたに、会いたかったから」
武士は――
風花の前に、しゃがんだ。
「すまない」
「本当に、すまない」
二人の間に――
静かな時間が流れた。
七百年分の、時間。
そして――
風花は、涙を拭った。
「でも、もう大丈夫です」
風花は、桃矢を見た。
「私、居場所を見つけましたから」
「温かい場所を」
「よかったな、風花」
「いい人たちに、出会えて」
風花は――
男性に、微笑んだ。
「はい」
風花は、男性の手を取った。
「あなたもこちらで一緒に暮らしませんか」
「すまない風花……それはできない」
男性は、霊道の穴を見た。
「あちら側に…戻る」
「七百年も、さまよったからな」
「そろそろ生まれかわる番なんだ」
風花が驚く。
「そ……そうですか…生まれかわる」
「最後に会えて、良かった」
男性は、立ち上がった。
「この霊道、封鎖するんだろう」
男性は、桃矢を見た。
「手伝うぞ、陰陽師」
「中から、俺が封じる」
「外から、あんたたちが封じろ」
風花は男性の袖を掴んだ。
「待って……」
「せっかく、会えたのに」
「もう、お別れですか…」
男性は――
風花の頭を、優しく撫でた。
「風花」
「縁があったらきっとまた会えるよ」
男性は、霊道の穴に向かって歩き出した。
「じゃあな、風花」
「今度こそ――」
「さようならだ」
風花は――
涙を流しながら、頷いた。
「……さようなら」
「そして――」
風花は、精一杯の笑顔を作った。
「ありがとうございましたー!」
男性が、穴の中に入っていく。
「今だ、陰陽師!」
男性の声が、響いた。
桃矢は――
全ての札を取り出した。
「臨兵闘者皆陣列在前!」
桃矢の最大の霊力を込めて。
札が、光を放つ。
穴の周りに、札が貼り付いていく。
「俺も行くぞ!」
ハクが、白い光を放った。
「私も……!」
風花が、最後の力を振り絞って。
「そして――」
結が、龍の力を解き放った。
「封!」
四人が、同時に叫んだ。
四つの光が――
穴を、完全に包み込んだ。
穴がゆっくりと閉じはじめた。
「風花……幸せに……な……」
男性の声が、遠くなる。
「はい!」
風花は、最後の力を振り絞って叫んだ。
「あなたのこと……」
「忘れません!」
穴が――
完全に、閉じた。
パシッ。
音とともに。
霊道が、封じられた。
静寂。
神泉苑に、静けさが戻った。
池の水面は――
また、穏やかに揺れている。
まるで、何事もなかったかのように。
風花は――
その場に、座り込んだ。
涙が、止まらない。
それは、悲しい涙だけではなかった。
「……やっと」
風花は、小さく呟いた。
「お別れが、言えました」
桃矢は――
風花の隣に、座った。
「風花さん」
「はい」
「いい人だな」
風花は――
桃矢を見て、微笑んだ。
「はい」
「私が一生をかけて愛した人ですから」
風花は、空を見上げた。
夜空に、星が瞬いている。
「ありがとうございました」
「おかげで、神泉苑の霊道を封じることができました」
結が嬉しそうに微笑んだ。




