第7話 ① ーー年の瀬、神泉苑の異変ーー
今年もよろしくお願いします!
年越しのお話を今頃投稿…季節外れですが、
どうぞ温かい目で読んでいただけたら嬉しいです
【12月30日・朝】
「主、今年ももう終わりだな」
ハクが、店内を飛び回りながら埃を払っている。
「ああ、そうだな」
桃矢は、店の大掃除をしながら答える。
「風花さん、そっちの棚終わった?」
「はい、桃矢様」
「ありがとう風花さん、おかげで棚掃除は全部終わったよ」
風花が、本棚の隅から顔を出した。
「はい、ご苦労さまでした」
風花は休まず床掃除を始めた、その手つきには、七百年の時を経ても変わらない、花街で培った所作の美しさがあった。
「この時期の京都は、独特の雰囲気がありますね」
風花は、窓の外を見た。
師走の空気。
人々が慌ただしく行き交う、年の瀬の京都。
「ああ、みんな忙しそうだな」
桃矢も外を眺めながら、ふと口元を緩めた。
「俺、京都で迎える年越しが好きなんだ」
桃矢の声が、少し遠くなる。
「除夜の鐘が鳴り始めてから鳴り終わるまでの間だけ――」
「十二妖の一人、舞鳳と会って話すことができるんだよ」
「舞鳳様と……」
「ああ」
桃矢の表情が、ふと柔らかくなる。
懐かしむような、でもどこか切ないような。
「一年に一度だけ」
「でも――」
桃矢は、微笑んだ。
「だからこそ、大切な時間なんだ」
「今年は家族が増えたから」
桃矢は、ハクと風花を見た。
「舞鳳にも紹介したいな」
「賑やかな正月になりそうだ」
風花の目が――
優しくなった。
桃矢様には、大切な人がいる。
一年に一度しか会えない、特別な人。
「……素敵ですね」
風花は、小さく呟いた。
「今年は、私もこちらで年を越せるんですね」
桃矢は――
その言葉に、少し胸が温かくなった。
「ああ」
「一緒に、年を越そう」
その時――
カランと、店の扉が開いた。
冬の冷たい空気と一緒に、明るい声が飛び込んでくる。
「桃矢先輩、おはようございます!」
薫だった。
頬を赤くして、息を弾ませながら――
手には大きな紙袋を抱えている。
「薫。それ、何?」
「お正月飾りです!」
薫は、嬉しそうに紙袋を開けた。
「しめ縄に、門松に、鏡餅!」
「昨日、実家からもらって来たんです」
一つ一つ取り出しながら、薫は笑顔で続ける。
「せっかくだから、十二支堂もお正月らしくしましょうよ!」
「……ありがとう、薫」
桃矢の声が、少し温かくなった。
「いえいえ」
薫は笑顔で手を振った。
「あ、それと――」
薫は、バッグの中からもう一つ、小さな袋を取り出した。
「風花さんにも、お正月のお供え、用意してきました」
桃矢は――
薫の優しさに、胸がいっぱいになった。
「薫には、見えないのに…ありがとう」
「雰囲気でわかりますから」
薫は、少し照れたように笑って――
店の奥に向かって、丁寧に言った。
「風花さん、いらっしゃるんですよね?」
風花は――
薫の姿を見つめていた。
自分を思ってくれる人がいる。
目が合わないのに。
声も届かないのに。
それなのに――
その暖かい思いに涙が溢れた。
「……はい!」
風花は、震える声で答えた。
「います、薫様ありがとうございます」
桃矢が、優しく風花の言葉を伝える。
「風花さん、とても喜んでるよ」
【正午】
三人とハクは、店の飾り付けを始めた。
桃矢が門松を、玄関の両脇に据える。
薫がしめ縄を、丁寧に飾っていく。
風花が――霊力で、鏡餅をそっと整える。
見えない手が、静かに橙を乗せ、三方を正面に向ける。
「おお、風花、器用だな」
ハクが感心した。
「大昔、習ったのを思い出しました」
風花は、少し照れたように笑った。
飾り付けが終わると――
三人は、一息ついた。
「綺麗になりましたね」
薫が、店を見回して微笑む。
「ああ」
桃矢が、頷いた。
「これで、いい年が迎えられそうだ」
その時――
ジリリリリ――
黒電話が、鳴った。
桃矢は、受話器を取った。
「はい、十二支堂です」
『桃矢様ですか――私です』
女性の声だった。
落ち着いていて、どこか神秘的な響き。
桃矢の顔が、ぱっと明るくなった。
「結さん!」
桃矢は、嬉しそうに声のトーンを上げた。
「お久しぶりです。元気でしたか」
『ええ、おかげさまで』
結の声が、少し和らぐ。
桃矢は、少し笑った。
「結さんこそ、いつも忙しそうですね」
『相変わらず、賑やかです』
結は、ふっと息をついた。
『近所の方が――“龍神様、龍神様”と、毎日のように訪ねてまいります』
「それだけ、慕われてるってことですよ」
『それなら嬉しいです』
結は、少し照れたように言った。
ですがーー、
すぐに、声のトーンが変わった。
空気が、張り詰める。
『実は――桃矢様、気になることがございます』
桃矢は――
姿勢を正した。
結がこういう口調の時は、何か重要な話がある。
「何があったんですか?」
結の声が、真剣になる。
『今年の神泉苑の霊道――少し、様子がおかしいのです』
「霊道が?」
『ええ』
結は、少し間を置いた。
『いつもより、霊気が強いのです』
『このままだと――年越しの夜、大きく開く可能性がございます』
結の声が、さらに低くなる。
『三十一日は特別な時間』
『あの世とこの世の境が薄くなり――』
『空間が、大きく歪みやすいのです』
桃矢は――
窓の外を見た。
神泉苑の方角。
確かに、この数日――
あの辺りの霊気が、濃くなっている気がしていた。
「わかりました」
桃矢は、即答した。
「もちろん、お手伝いします」
『申し訳ありませんが、よろしくお願いします』
結の声が、少し柔らかくなった。
安堵が、滲んでいる。
『本当は、一人で何とかしたかったのですが』
「何でも相談してくれた方が嬉しいです」
桃矢は、優しく言った。
「俺たち、仲間でしょう?」
結は――
少し沈黙した後。
『……ありがとうございます、桃矢様』
その声には――
確かな、感謝があった。
『では――明日の夜、神泉苑で』
『大晦日の、午後十一時にお待ちしております』
「わかりました」
『それと――』
結は、少し躊躇うように言った。
『ハク様と……風花様も、一緒に来て頂けますか』
「風花さんを?」
桃矢は、少し驚いた顔をした。
『ええ』
結の声が、真剣になる。
『神泉苑の霊道を完全に封じるには――』
『四方からの封印が必要です』
『風花様ほどの霊力があれば』
『四方から封じることができるはずです』
「なるほど……」
桃矢は、風花を見た。
風花は――
不安そうな顔で、こちらを見ている。
「わかりました」
「風花さんにも、話してみます」
『お願いします』
結の声が――
少し、小さくなった。
『……気になることもございますので』
「気になること、ですか?」
桃矢は、眉をひそめた。
『それはまだ……確かではございませんので……』
結には珍しく、歯切れが悪い。
何か――
言いづらいことがあるのか。
『では……明日、お待ちしております』
電話が、切れた。
「主……」
ハクが、桃矢の肩で言った。
「聞いてたぞ」
「ああ」
桃矢は、受話器を置いて――
風花の方を向いた。
「風花さん」
「はい……」
風花は、少し緊張した顔で答えた。
「明日の夜――」
桃矢は、風花の目を見た。
真っ直ぐに。
「結さんと一緒に、神泉苑の霊道を封じるのを手伝ってほしい」
風花は――
目を丸くした。
「私が……ですか?」
「ああ」
「でも……」
風花は、自分の手を見た。
震えている。
「私なんかで、役に立てるでしょうか」
「大丈夫だよ」
桃矢は、優しく言った。
「風花さんには、強い霊力がある」
桃矢は、風花の肩に手を置いた。
「風花さんはまだ気づいていないかもしれないけど――霊力が強いんだ」
「元々なのか、七百年の間に宿ったものなのかは分からない」
桃矢の目が、温かくなる。
「その力を、貸してくれませんか」
風花は――
桃矢の目を見た。
優しく、強い目。
信じてくれている目。
「……はい」
風花は、小さく頷いた。
「頑張ります」
「ありがとう」
ハクが、尻尾を揺らした。
「じゃあ、明日は四人で頑張ろう!」
薫は――
三人のやり取りを見ていた。
少し、寂しそうに。
でも――
笑顔で。
「先輩たち、頑張ってくださいね」
「薫も――」
桃矢は、薫の方を向いた。
「いや、薫は」
「ここで、待っててくれるか」
「薫を危険な場所につれて行きたくないんだ、わかってくれ」
「もちろんです」
薫は、力強く頷いた。
「無事に帰ってくるまで、ちゃんと待ってます!」
その目には、涙が滲んでいた。
薫は――
必死に、涙を堪えている。
そして――
精一杯の笑顔を、見せた。
桃矢は――
そんな薫の頭を、軽く撫でた。
「ありがとう」
「必ず、帰ってくるから」
薫は――
もう、言葉にならなかった。
【12月30日・夜】
店を閉めた後、桃矢は風花と二階の居間で向かい合っていた。
「風花さん」
「はい」
風花は、緊張した顔で桃矢を見ている。
「明日のこと、不安?」
桃矢の問いに、風花は少し俯いた。
「……はい」
「私、こんなに大事なことに関わるの、初めてで」
「もし失敗したら、って思うと……」
風花の声が、小さくなっていく。
「風花さんは、十分強いよ」
桃矢は、まっすぐに風花を見つめた。
「七百年、この京都で一途に想い続けてきたんだから」
桃矢は、風花の目を見つめた。
「その想いは、本物だ。それが風花さんの力になる」
風花は――
桃矢の言葉を、じっと受け止めていた。
やがて、小さく頷く。
「……はい」
その顔には――不安だけではない、何かが浮かんでいた。
「ありがとうございます、桃矢様」
桃矢は、立ち上がりかけて――ふと、足を止めた。
「風花さん」
「はい」
「俺も、ハクも、結も――みんな、そばにいるから」
風花は、その言葉に目を見開いた。
そして――ゆっくりと、微笑んだ。
「……はい」
ハクが、二人の間に飛び込んできた。
「よーし、じゃあ明日はみんなで頑張るぞ!」
「ああ」
桃矢は、ハクの頭を撫でた。
「みんなで、京都を守ろう」
窓の外――星が、静かに瞬いていた。
明日の大晦日。神泉苑で、何かが起ころうとしている。
「さて」
桃矢は、立ち上がった。
「明日に備えて、早く寝るか」
「はい」
風花が、微笑んだ。
「おやすみなさい、桃矢様」
「おやすみ、風花さん」
桃矢は、明日の準備のために地下室へと向かった。
封印の札を作り、ハクが霊力を溜める。
二人の作業は、深夜まで続いた。
そして――大晦日が、やってくる。
【12月31日・午後9時30分】
大晦日の夜。
霊気が急に強くなった。
「もう行った方が良さそうだ……」
「はい」
「ああ」
桃矢とハク、そして風花は、十二支堂を出た。
「いってらっしゃい!」
薫が、店の前で手を振っている。
「必ず、無事に帰ってきてくださいね!」
桃矢は、振り返って微笑んだ。
「薫、店を頼むぞ」
三人は――夜の京都を走った。
神泉苑へ。結のところへ。そして、霊道封鎖へ。
神泉苑は、静けさに包まれていた。
池のほとりに――一人の女性が立っていた。
長く艶やかな黒髪。透き通るような肌に、七色に煌めく着物。
月明かりに照らされて、その姿はまるで幻のよう。
「結さん」
桃矢が、声をかけた。
結は、振り返った。
「桃矢様」
結の顔が、柔らかくなる。
「様子は?」
桃矢は、結に歩み寄った。
「はい、少し早まるようです」
結は池の中心を見つめた。
「やはり…そう思って、早く来ました」
桃矢も池を見た。水面が、微かに揺れている。
結は、まだ異変がないことを確認すると、ハクを見て微笑んだ。
「ハク様、お久しぶりです。元気でしたか」
「ああ、まあな」
ハクは、少し照れたように尻尾を揺らした。
「結こそ、相変わらず綺麗だな」
「まあ、ハク様、お上手になられましたね」
結は少し笑った。
そして――結の視線が、風花に向いた。
「……あなたが、風花様ですね」
風花は――結の美しさと、その佇まいに圧倒されていた。
「は、はい……!」
風花は、慌てて頭を下げた。
「風花と申します」
「初めまして、風花様」
結は、優しく微笑んだ。
「私は、結と申します。神泉苑に住む、辰の妖です」
「近所の者たちからは――」
結は、少し照れたように言った。
「“龍神様”などと呼ばれておりますが、気になさらず、結と呼んでくださいませ」
風花は――結の優しさに、少しほっとした。
「結様……」
「桃矢様から、風花様のことは伺っています」
結は、風花の手に自分の手を重ねた。
「七百年――」
結の目が、優しくなる。
「よく、耐えられましたね」
風花の目から、涙が零れた。
「……結様」
「でも、もう大丈夫」
結は、風花の手を握った。
「あなたには、帰る場所がある」
風花は――涙を拭って、頷いた。
「はい……ありがとうございます」
「さて」
結は、池の方を向いた。
「そろそろ、時間のようです」
結の表情が、真剣になる。
「皆様、配置につきましょう」
結は、池の周りを指差した。
「桃矢様は、東を」
「ハク様は、西を」
「風花様は、南を」
「そして私は、北を」
「四方から、霊道を封じます」
四人は――それぞれの位置についた。池を囲むように。
「まもなく――」
結の声が、響く。
「霊道が、開きます」
「皆様、気を引き締めて」
桃矢は――札を手に、池を見つめた。
風花は――自分の位置で、両手を合わせた。
ハクは――霊力を全身に纏った。
結は――静かに、池に向かって手を伸ばした。
すると――
池の中心が、ボコボコと泡立った。




