第2話 東の街 ― 失われゆく記憶 ―
【都市への到着】
北の村を後にした桃矢と舞鳳は、東へ向かう列車に揺られていた。
窓の外には田園風景が流れ、やがて高層ビルが立ち並ぶ都市が近づいてくる。灰色の空、ガラスと鋼鉄の建物、行き交う人々――誰もが下を向いてスマートフォンを見つめている。
「次は…子の守る地だな」
舞鳳が窓の外を見つめながら呟いた。
「子?」
「ああ、十二妖の一人、千尋だ。鼠の化身で、この街の地下を守っている」
桃矢は首を傾げた。
「地下?」
「そうだ。この街は地上だけじゃない。地下鉄、下水道、通信網、電力網…見えない場所に張り巡らされた『道』がある。千尋はその全てを把握し、禍津日神の侵入を防いできた」
舞鳳の表情が曇る。
「だが、最近連絡が取れない。何かが起きている」
「千尋って、どんな妖なんだ?」
舞鳳は少し考えてから答えた。
「小さく、目立たず、でも誰よりも賢い。千年の間、誰にも気づかれずにこの街を守ってきた」
「一人で?」
「ああ。千尋は…孤独に強い妖だ。いや、強いというより…孤独に慣れてしまった、と言うべきか」
舞鳳の声に、心配が滲んでいた。
【街の異変】
駅を降りると、雑踏の中に違和感があった。
人々は無表情で、目的もなく歩いているように見える。若者たちはイヤホンをつけ、画面を凝視し、周囲に無関心だ。
「おかしいな…」桃矢が呟く。
舞鳳が鼻をひくつかせた。
「禍津日神の気配が…薄く、広く、この街全体を覆っている」
街角のカフェから、親子連れが出てきた。母親がスマートフォンに夢中で、幼い子どもが手を引かれながら歩いている。
「ママ、ねえママ」
「ちょっと待って、今メール見てるから」
子どもは寂しそうに母親を見上げた。
桃矢の胸が痛んだ。
「舞鳳、この街では…子どもたちは外で遊んでいるか?」
「いや」舞鳳は首を振った。
「ここ数年で激減した。公園に行っても、子どもの姿はほとんどない。みんな家でゲーム、動画、オンラインだ」
「それが、封印を弱めている…」
「ああ。『かごめかごめ』を遊ぶ子どもがいなくなれば、封印は維持できない」
【記憶喪失の子どもたち】
二人は街の中心部、大きな病院へ向かった。舞鳳が事前に調べた情報によれば、この一ヶ月で子どもの記憶喪失が急増しているという。
小児科の待合室には、不安そうな親たちが座っていた。
「先生、うちの子が…昨日のことを全く覚えていないんです」
「検査では異常がないんですが、記憶だけが抜け落ちて…」
医師も困惑した表情で首を振っている。
桃矢と舞鳳は、廊下で一人の少女とすれ違った。10歳くらいだろうか。母親に手を引かれ、虚ろな目をしている。
「ねえ、お名前は?」母親が優しく聞く。
「…わからない」
「昨日、何をしていたか覚えてる?」
「…わからない」
「じゃあ、ママのこと覚えてる?」
少女は首を傾げた。
「…ママ?」
母親の顔が蒼白になる。
「私よ。あなたのママよ」
「…そう」
少女の瞳には、何も映っていなかった。
認識はできても、感情が何も宿っていない。
舞鳳が桃矢の袖を引いた。
「あの子から、禍津日神の気配がする。微かだが…確実に、何かに蝕まれている」
病院を出ると、舞鳳がスマートフォンを取り出した。
「千尋に連絡を取る。特殊な周波数で…」
舞鳳が画面を操作すると、数秒後、返信が来た。
「地下鉄・中央線・3番線ホーム・終電後」
「来た。今夜、会えるみたいだ」
【夜の地下鉄】
終電が出た後の地下鉄駅。
人気のないホームに、桃矢と舞鳳が降り立った。蛍光灯が冷たく光り、どこかで水滴が落ちる音が響いている。
「千尋…いるか?」
舞鳳が声をかける。
しばらく沈黙が続いた。
そして――
「久しぶりだな、舞鳳」
声が響いた。だが、どこから聞こえているのかわからない。
「千尋、姿を見せてくれ」
「…そこにいる人間は?」
「桃矢だ。星川桃矢。俺たちが千年以上待った継ぐ者だ。」
――沈黙。
やがて、線路の向こうから人影が現れた。
いや、現れたというより――
まるで暗闇に溶け込んでいたものが、形を取ったような。
小柄な少年――いや、少女?
中性的な顔立ちで、短い黒髪、鋭い目つき。
服装は現代的だが、動きは素早く音もない。
まるで小動物のようだ。
「……本当に、継ぐ者?」
千尋が桃矢を見つめる。その目は、警戒と期待が混ざっている。
「星川桃矢です」
桃矢が頭を下げる。
千尋は桃矢に近づき、じっと見つめた。
「……目が、似ている」
「え?」
「晴明様と。優しい目だ」
千尋は小さく微笑んだ。
「ようこそ、桃矢。俺は千尋。子の妖、鼠の化身だ」
【地下世界への誘い】
千尋は、線路の脇にある作業用扉を開けた。
「ついて来い。俺の『家』を見せてやる」
暗い通路を進む。懐中電灯の光だけが頼りだ。
「千尋、この街の状況は?」
「最悪だ」千尋が答える。
「封印は崩れかけている。子どもたちの記憶が、次々と奪われている」
「禍津日神が…」
「ああ。だが、それだけじゃない」
千尋は立ち止まった。
「人間自身が、記憶を捨てている」
「どういうことだ?」
「……見ればわかる」
【千尋の拠点】
通路を抜けると、広い地下空間が広がっていた。
古いレンガ造りの壁、無数のモニター、コンピューター、そして――壁一面に貼られた、新聞の切り抜きや写真。
「これは…」
桃矢が驚く。
「俺の情報網だ」千尋が説明する。「この街で起きた全ての事件、事故、出来事を記録している」
壁には、数十年分の記事が貼られている。
黄ばんだ新聞、色褪せた写真、手書きのメモ。
まるで時間の地層のように、古いものが下に、新しいものが上に積み重なっている。
「昭和40年、地下鉄開通」
「昭和55年、連続児童失踪事件」
「平成7年、大地震」
「令和2年、パンデミック」
「千尋…お前、これ全部…」
「ああ。俺が見てきたことだ」
千尋はモニターを操作した。画面には、街の至る所に設置された監視カメラの映像が映し出される。
「俺は千年、この街の『目』だった。見えない場所で、人々を守ってきた」
「誰にも知られずに…」
「ああ。それが、俺の仕事だ」
千尋の声には、孤独が滲んでいた。
【千尋の過去―晴明との思い出】
千尋がコーヒーを淹れてくれた。三人は古いソファに座る。
「千尋、お前…千年、一人で?」舞鳳が尋ねた。
「ああ」
「辛くなかったか?」
千尋は少し黙った。
「…辛かったよ。何度も、消えてしまいたいと思った」
千尋はコーヒーカップを両手で包んだ。
「でも、晴明様が言ったんだ」
【回想:千年前】
――千年前、京の都――
若き安倍晴明が、小さな鼠を膝に乗せていた。
「千尋、お前は小さいな」
「はい…」鼠が人の姿に変じる。小さな子どものような姿。
「だが、小さいからこそ、どこにでも入り込める。見えない場所を、見ることができる」
晴明は千尋の頭を撫でた。
「お前に、東の都を任せる。いつか、大きな街になるだろう。その地下を、守ってくれ」
「でも、晴明様…俺、一人で大丈夫でしょうか」
「大丈夫だ」晴明は微笑んだ。「お前は賢く、強い。そして…」
晴明は千尋を抱きしめた。
「お前は、誰よりも優しい。だから、人を守れる」
千尋の目に涙が浮かんだ。
「晴明様…」
「千年後、私の力を継ぐ者が必ず来る。その時まで、頑張ってくれ」
「……はい」
――回想終わり――
千尋は涙を拭った。
「晴明様の言葉が、俺を支えてきた。千年、ずっと」
桃矢は胸が熱くなった。
「千尋……」
「でも、もう限界かもしれない」千尋が顔を上げた。「この街は、変わりすぎた」
【街の変化】
千尋がモニターを指差した。
「見ろ。これが、現代の子どもたちだ」
画面には、公園の映像が映っている。
だが、誰もいない。遊具は錆び、砂場には雑草が生えている。
「昔は、ここで子どもたちが『かごめかごめ』を歌っていた。俺は、地下から聞いていた」
千尋の声が震える。
「その歌声が、封印を支えていた。俺を、支えていた」
「でも、今は誰もいない。子どもたちは家に閉じこもり、画面を見つめている」
千尋は別のモニターを見せた。
部屋の中で、子どもがゲームをしている。目は虚ろで、表情がない。
「記憶は、外で遊ぶことで作られる。友達と走り、笑い、ケンカして、仲直りして……そうやって、心に刻まれる」
「でも、画面の中の記憶は……薄い。すぐに消える」
千尋は拳を握りしめた。
「禍津日神は、その隙を突いている。薄い記憶を、喰らっている」
【千尋と人間】
「でも――」
千尋が別の画面を開く。
そこに映し出されたのは、駅のホームにいる青年。
二十代後半、スーツ姿。どこか影を背負った瞳。
「この男を知っているか?」
舞鳳と桃矢は首を振った。
「名前は健太。この街で生まれ育った。両親はいない。施設で育った」
千尋の声がほんの少し柔らかくなる。
「10年前、健太は中学生だった。ひどいいじめに遭って、家出して……地下鉄の暗いホームに逃げ込んでいた」
千尋は静かに続けた。
「――その時、俺が見つけた」
【回想:10年前】
――深夜の地下鉄。
線路脇で、小さな肩を震わせて泣く少年。
「もう……嫌だ……死にたい……」
その暗闇の中に、ぽつんと小さな影が立った。
「死ぬなよ」
まるで年齢に似合わない、落ち着いた声。
「お前が今見てる世界なんて、この世のほんの一部だ。下ばかり見てるから、大事なもの全部見逃すんだ」
涙で濡れた目がそっと上がる。
自分と同じくらいの年の子ども――千尋がそこにいた。
「……誰?」
「千尋だ。お前は?」
「……健太」
千尋は隣に腰を下ろし、線路の奥の暗闇を見つめる。
(こいつ……俺と同じ目をしている)
千年、誰とも本当の意味でつながれなかった千尋。
人間を見守ることはできても、一緒に生きることはできない。
だからこそ――この少年の孤独が、痛いほどわかった。
「どうして泣いてる?」
「いじめられて……もう、消えたい……」
「そうか」
千尋はため息ではなく、受け止めるように一度だけ瞬きをした。
「死にたいほど嫌なら、学校なんか行くなよ」
健太が顔を上げる。
「え……?」
「世界はひとつじゃない。学べる場所も、救われる場所も、選べる未来もいくらでもある」
千尋はさらりと言ってから、健太をまっすぐ見る。
「パソコンの使い方、教えてやる。投資の勘の磨き方もな」
「……教えてくれるの?」
「ああ。金の流れは“臭い”でわかる。腐るものと、育つものの違いを見抜けばいい」
千尋は健太の手をそっと握った。
「だから、生きろ。死ぬな」
その声は、夜のホームの冷たさを一瞬で溶かすほど温かかった。
「俺が、お前を守る」
――そして一年後
自信を取り戻した健太には、自然と友達ができた。
あいつが小さな世界から一歩踏み出すために、おれはこの街へ引っ越してきたのだ。
「それから、ずっと俺は健太を見守ってきた」
千尋はモニターに映る青年を見つめる。
「施設を出て、働き始めて……苦労したが、決して折れなかった。
今では――証券会社で働いている」
そこにはもう、あの日線路脇で泣いていた少年の面影はない。
ただ、千尋の言葉に救われて立ち上がった“ひとりの人間”がいた。
「健太は知らない。あの時、地下鉄で会った子どもが、今も自分を見守っていることを」
千尋は微笑んだ。
「でも、いいんだ。俺は、健太が幸せならそれで」
桃矢は涙を堪えられなかった。
「千尋……お前、優しいな」
「いや」千尋は首を振った。「俺が、健太に救われたんだ」
「え?」
「健太を見守ることで、俺は孤独に耐えられた。人間を信じ続けられた」
千尋は桃矢を見た。
「だから、この街を守りたい。健太みたいな子どもたちを、守りたい」
――その時、警報が鳴り響いた。
「何だ!」
千尋がモニターを確認する。
「まずい……封印の石が、完全に崩壊しかけている!」
画面には、地下深くの映像が映っている。古い石が、黒い霧に包まれている。
「行くぞ!」
三人は地下深くへ走った。
――さらに下へ、下へ。
古い下水道、廃墟となった地下施設、そして――
「ここが、封印の地だ」
広い空間に、巨大な石があった。表面には梵字が刻まれているが、亀裂が走り、黒い霧が噴き出している。
霧の中から、人の形が現れた。
いや、人ではない。無数の顔が重なり合い、苦しそうにうめいている。
「これが……記憶を喰らわれた子どもたちの……」
桃矢が息を呑む。
「ああ」千尋が答える。
「禍津日神は、子どもたちの記憶を集めて、この姿を作った」
霧の塊が、ゆっくりと近づいてくる。
【千尋の戦い方】
「舞鳳、桃矢、下がれ」
千尋が前に出た。
「千尋、一人で戦うつもりか!」
「ああ。これは、俺の戦いだ」
千尋の体が変化し始めた。小さくなり、素早くなる。鼠の本性が現れる。
千尋は地面を蹴り、壁を駆け上がる。霧の塊が手を伸ばすが、千尋は素早く回避する。
「鼠は、小さく、速く、そして賢い。力では勝てないが、頭脳で勝つ」
千尋が空間の至る所に、小さな装置を設置し始める。
「これは……爆弾?」舞鳳が驚く。
「いや、音波発生装置だ。特定の周波数で、禍津日神の霊体を乱す」
千尋が最後の装置を設置すると、スイッチを押した。
高周波の音が響き渡る。霧の塊が揺れ、苦しそうにうねる。
「今だ!桃矢、封印の準備を!」
【記憶を取り戻す歌】
桃矢は封印の石の前に立った。
「舞鳳、千尋…一緒に歌ってくれ」
三人で、『かごめかごめ』を歌い始める。
「かごめかごめ、かごの中の鳥は…」
霧の塊が揺れた。
その中から、子どもたちの記憶の光が浮かび上がる。
公園で遊んだ日。
友達と手を繋いだ温もり。
母親に抱きしめられた安心感。
初めて自転車に乗れた日の興奮。
犬と遊んだ夏の午後。
――かけがえのない、小さな宝物たち。
「返せ……これは、子どもたちのものだ!」
千尋が叫んだ。
笑い声、走る足音、手を繋ぐ温もり――
記憶の光が、一つ、また一つと解放されていく。
「いついつ出やる、夜明けの晩に…」
記憶の光が、霧から離れ始める。
「鶴と亀が滑った、後ろの正面だあれ」
千尋が封印の石に手を当てた。
「晴明様……見ていてください。俺は、約束を守ります」
光の柱が天井へ伸びる。霧の塊は崩れ、子どもたちの記憶は解放された。
――地上に戻ると、街の空気が変わっていた。
公園を通りかかると、子どもたちが数人、輪になって遊んでいた。
「かごめかごめ、かごの中の鳥は〜♪」
歌声が、夕暮れの街に響く。
母親たちもスマートフォンを置き、子どもたちを見守っている。笑顔が戻っていた。
「これで……この街は、守られたな」桃矢が微笑む。
千尋が横に立った。
「ああ。だが、油断はできない。また同じことが起きるかもしれない」
「でも、お前がいる」舞鳳が言った。「お前が、この街を守り続ける」
千尋は頷いた。
【健太との再会】
その時、一人の青年が公園に入ってきた。
健太だ。
「あれ……ここ、昔よく遊んだ公園だな」
健太が懐かしそうに見回す。
千尋は物陰に隠れた。
健太は、ベンチに座り、子どもたちを見つめている。
「かごめかごめか……懐かしいな」
健太は微笑んだ。
「昔、地下鉄で会った子がいたんだよな。あれ、夢だったのかな」
千尋は、じっと健太を見つめた。
「夢じゃないよ、健太。俺は、ずっとここにいる」
心の中で呟く。
健太は立ち上がり、去っていった。
千尋は、その背中を見送った。
まっすぐな背中。
あの日、線路脇で丸まっていた小さな背中とは、まるで別人だ。
千尋の目に、涙が滲んだ。
「元気そうで、良かった」
――ありがとう、健太。
お前がいたから、俺は千年を耐えられた。
千尋は小さく微笑んだ。
――桃矢とまおが次の地へ向かう時、千尋が見送りに来た。
「桃矢、ありがとう。お前が来てくれて、俺は救われた」
「いえ、千尋さんこそ」
「次の地へ行け。まだ、他の妖たちが待っている」
千尋は微笑んだ。
「俺は、ここでこの街を守る。もう、孤独じゃない。健太がいる。そして……お前たちがいる」
桃矢は頷いた。
「また、会いましょう」
「ああ」
千尋は手を振った。
【エピローグ:健太のオフィス】
数日後、健太のオフィス。
同僚が声をかけてきた。
「健太、最近元気だな。何かいいことあった?」
「ああ、守られてる気がするんだ」
「守られてる?」
「昔から、いつも誰かが見守ってくれてる気がする。だから、頑張れるんだ」
健太は窓の外を見た。
地下鉄の入り口が見える。
そこに、一瞬、小さな人影が見えた気がした。
子どものような、それでいて古い存在のような。
健太は窓に手を当てた。
「ありがとう」
地下鉄の入り口の影から、千尋が見上げていた。
二人の視線が、一瞬だけ交差した気がした。
千尋は小さく手を振った。
そして、闇の中に消えた。
――また、見守っているよ。
いつまでも。




