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かごめ封印  作者: 月音


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17/19

第4話 ーー山守の証ーー

【十二支堂・翌日】

「え……九州、ですか?」

薫が目を丸くした。

「うん」

桃矢は頷く。

「豪から連絡があって」

「倒れたって聞いたから、しばらくウチに来いって」

「上手いもの食ったら元気になる、だってさ」

桃矢は苦笑した。

ハクは、桃矢の肩で耳を立てている。

「……行くのか?」

「うん」

桃矢は頷いた。

「たまには豪さんにも会いたいし…」

「でも、先輩」

薫が心配そうに言う。

「まだ、無理しないほうが……」

「大丈夫だよ」

桃矢は笑った。

「もう、すっかり良くなったから」

実際、桃矢の顔色は戻っていた。

ハクの輪郭も、くっきりとしている。

――ただ、傷口に残る鈍い痛みだけは、まだ消えていなかった。


「薫さんには店番をお願いします。」

「えっ……」


「授業あるだろ」

「だから、今回は俺とハクだけで行ってくるよ」

薫は少し寂しそうに頷いた。

「……わかりました」

「すぐ戻るから」

桃矢がそう言った時――

「……主、さっきのみたか」

「ん?」

桃矢が眉をひそめた。

「……ハク、お前も気づいたのか」

「ああ」

ハクは真剣な顔で頷く。

「さっき、豪と話してた時」

「画面の、後ろ」

「ああ」

薫が不安そうに聞く。

「なんか……妙な気配がした」

ハクが言う。

「俺も感じた」

桃矢が続けた。

「一瞬だったけど」

「……イヤな感じだった」

二人は、顔を見合わせた。

「主が気づいたなら、間違いねぇな」

「画面越しだから…断言はできない」

「豪は、全然気づいてない様子だったけど」

「……」

桃矢は、少し考え込んだ。

豪の家。

あの、のどかな山の集落。

あそこで、妙な気配?

「……早く行かなきゃな」

「主」

ハクが桃矢を見上げた。

「大丈夫なのか? お前、まだ本調子じゃ……」

「平気だよ、ハクが1番わかってるだろ」

桃矢は真剣な顔になった。

「豪が何かに巻き込まれる前に」

薫が不安そうに言う。

「でも……先輩……」

薫は、ふと目を伏せた。

「……先輩が倒れたら、私、嫌ですからね」

「大丈夫」

桃矢は微笑んだ。

「ハクもいるし」

ハクは、小さく鼻を鳴らした。

「……ったく」

「でも、主」

ハクは真面目な顔になった。

「無理すんなよ」

「お前もな」

二人は、一瞬だけ目を合わせて――

小さく頷いた。

薫は黙って、二人を見つめていた。

「……気をつけてください」

「ああ」

桃矢は荷物をまとめ始めた。

ハクは、桃矢の肩から――

窓の外を見つめていた。

空は晴れている。

だが、何か……

胸騒ぎがする。

「……主」

「ん?」

「もう、かばうなよ」

桃矢は笑った。

「わかってる」

「俺たちは2人で1人なんだろ」

ハクは、その言葉に――

小さく、笑った。

「……ああ」

―――

【その頃・九州の古民家】

豪は、縁側で携帯電話を閉じた。

「よし、桃矢が来るってよ」

後ろで、祖母が笑った。

「そうかい。なら、美味いもん作らんとな」

「うん!」

豪は立ち上がり、家の中へと戻ろうとした。

その時――

ふと、空気が冷えた。

「……?」

豪は足を止める。

縁側の向こう、山の稜線。

何か……

影が、動いたような。

「……気のせいか」

豪は首を傾げて、家の中へ消えた。

静寂が戻る。

ただ――

山の奥から、

何かが、

じっと、

古民家を見つめていた。

【新幹線の中】

窓の外を、景色が流れていく。

東京を出て、もう数時間。

富士山を過ぎ、名古屋を過ぎ――

新大阪に着く頃には、日が傾き始めていた。

桃矢は、座席に座ったまま――

窓の外を見つめていた。

ハクは、膝の上で丸くなっている。

「……主」

「ん?」

「本当に、大丈夫なのか?」

桃矢は苦笑した。

「さっきから、何度目だよ」

「だって」

ハクは顔を上げた。

「お前、まだ霊力が完全に戻ってねぇだろ」

「……わかるのか?」

「お前の式神だからな」

ハクは、桃矢の服を軽く引っ張った。

「無理すんなよ」

「うん」

桃矢は頷いた。

「でも、豪を放っておけない」

「……ったく」

ハクは、また丸くなった。

だが、その小さな体は――

わずかに震えていた。

桃矢は、そっとハクの頭を撫でた。

「……怖いのか?」

「は?」

「誰が」

「お前」

「……っ」

ハクは、むっとした顔でそっぽを向いた。

「怖くなんか、ねぇよ」

「そっか」

桃矢は笑った。

「俺は、ちょっと怖い」

「……え?」

「だって」

桃矢は、窓の外を見た。

「あの気配、結構強かった」

「…………」

「でも」

桃矢は、ハクを見た。

「お前がいるから」

「大丈夫だと思う」

ハクは――

何も言わなかった。

ただ、桃矢の膝の上で――

小さく、丸くなった。

「……ばか」

かすかな声。

「お前が、ばかだ」

桃矢は笑って、また頭を撫でた。

窓の外、夕日が沈んでいく。

新幹線は、九州へと向かっていた。

―――

【九州・古民家】

豪は、縁側で夕日を眺めていた。

「明日には、桃矢が来るんだよな」

後ろから、祖母の声。

「楽しみじゃのう」

「うん!」

豪は振り返って笑った。

「久しぶりだし」

「そうかい」

祖母は優しく笑う。

「なら、明日はご馳走作らんとな」

「やった!」

豪は立ち上がり――

ふと、山の方を見た。

「……?」

夕闇に沈む、山々。

その稜線が、

なんだか、

いつもと違う気がした。

「……気のせいか」

豪は首を傾げて、家の中へ戻った。

縁側に、静寂が戻る。

だが――

山の奥から、

じっと、

こちらを見つめる、

何かの気配。

それは、

確実に、

濃くなっていた。


【新幹線・博多駅到着】

「着いたぞ、ハク」

桃矢が声をかけると、

ハクは目を覚ました。

「……もう、九州か」

「うん」

二人は新幹線を降りた。

博多駅は、夜でも賑やかだった。

「ここから、在来線に乗り換えて……」

桃矢は時刻表を確認する。

「豪の家まで、あと二時間くらいかな」

「遠いな」

「山奥だからね」

桃矢がそう言った時――

ハクが、また身を強張らせた。

「……主」

「どうした?」

「あの気配」

ハクは、山の方角を見た。

「……もっと、強くなってる」

桃矢も、眉をひそめた。

「……うん、俺も感じる」

「急ごう」

二人は、在来線のホームへと急いだ。

夜の九州。

山々は、暗闇に沈んでいる。

その奥で――

何かが、彼らを待っている。


【在来線・車内】

電車は、山間部へと入っていった。

窓の外は、もう真っ暗だ。

時折、小さな集落の灯りが見える程度。

乗客は、ほとんどいない。

桃矢とハク以外には、

老人が一人、居眠りをしているだけだった。

「……静かだな」

桃矢が呟く。

「ああ」

ハクは、窓の外を見つめていた。

「……主」

「ん?」

「あの気配」

ハクの声が、低くなる。

「近づいてる」

桃矢も、それを感じていた。

空気が、重い。

電車が山に入るたびに――

その感覚が、強くなっていく。

「豪の家の、近くか……?」

「わからねぇ」

ハクは首を振った。

「でも、確実に……」

その時――

電車が、急ブレーキをかけた。

「うわっ!」

桃矢は、とっさに手すりを掴んだ。

ハクも、バランスを崩す。

車内放送が流れる。

『お客様にお知らせいたします』

『線路上に障害物があるため、一時停車いたします』

「障害物……?」

桃矢は、窓の外を見た。

電車は、トンネルの手前で止まっている。

線路の先――

暗闇の中に、何かが立っていた。

「……あれ」

ハクが、息を呑む。

「主、あれ……!」

それは――

人の形をしていた。

だが、輪郭が曖昧で、

黒く、

揺らめいている。

「……」

桃矢は、息を詰めた。

「……この気配はなんだ」

桃矢の声が、緊張に震えた。

ハクが、低く唸る。

「……影喰いじゃねぇ」

「でも、人でもねぇ」

影は、じっと電車を見つめていた。


桃矢が、立ち上がった。

「降りよう」

「主!」

「このままじゃ、他の乗客が危ない」

桃矢は、ドアへと向かう。

車掌が慌てて止めに来た。

「お客さん! 危険ですから!」

「大丈夫です」

桃矢は、静かに言った。

「俺が、なんとかします」

「え……?」

桃矢は、非常ドアを開けた。

冷たい夜の空気が流れ込む。

「ハク、行くぞ」

「……ああ」

二人は、線路へと降り立った。


【線路上】

影は、じっと二人を見つめていた。

桃矢は、ゆっくりと前へ出る。

「……お前は何者だ」

影は、答えない。

ただゆらり、と揺れた。

「主、気をつけろ」

ハクが警告する。

「こいつ……この前のより、強い」

「わかってる」

桃矢は、懐から札を取り出した。

「でも」

彼は、ハクを見た。

「俺たち、二人だから」

ハクは――

小さく、笑った。

「……ああ」

「今度は、お前だけに背負わせねぇ」

桃矢も笑った。

「頼りにしてる」

次の瞬間――

影が、跳ねた。

一直線に、桃矢へと。

「来る!」

桃矢は札を投げた。

「臨兵闘者皆陣列在前!」

光の壁が、影を弾く。

だが――

影は、一瞬で回り込んだ。

「速い……!」

「主、右!」

ハクの声。

桃矢は、とっさに体を捻る。

影の一撃が、頬をかすめた。

「っ……!」

「ハク!」

「わかってる!」

ハクの体が、光に包まれた。

白い獣の姿へと変わる。

「行くぞ、主!」

ハクは、影へと飛びかかった。

爪が、影を裂く。

影が、悲鳴を上げた。

だが――

すぐに、再生する。

「くそ……!」

「ハク、下がれ!」

桃矢は、新しい札を取り出した。

だが、その瞬間――

影が、分裂した。

二つ。

三つ。

五つ。

「……嘘だろ」

ハクが呻いた。

「こんなの……!」

影たちが、一斉に襲いかかってくる。

桃矢は、札を投げた。

「散れ!」

光が、影を払う。

だが、全ては防ぎきれない。

「っ……!」

一撃が、桃矢の肩を打った。

「主!」

ハクが叫ぶ。

だが――

桃矢は、倒れなかった。

「……大丈夫」

彼は、肩を押さえながら立ち上がった。

「まだ……やれる」

「主……!」

「ハク」

桃矢は、ハクを見た。

「俺の霊力を、使え」

「……え?」

「お前と俺は、繋がってる

お前が強くなった分、俺も強くなってんだよ」

桃矢は笑った。

「だったら――」

「一緒に、戦おう」

ハクは――

一瞬、目を見開いた。

そして、

「……主」

ハクの声が、震えた。

「俺を……武器にしろ」

「武器……?」

「式神は、術者の力を形にする」

ハクは、桃矢を見上げた。

「お前の霊力と、俺の力を合わせれば……」

「俺は、お前の剣になれる」

桃矢は、一瞬驚いた顔をして――

そして、笑った。

「……やってみるか」

「ああ」

ハクは頷いた。

「でも、一つだけ」

「ん?」

「痛くても……」

「文句言うなよ」

「お前が?」

「うるせぇ!」

桃矢は笑った。

「わかった」

彼は、右手を差し出した。

「来い、ハク」

ハクの体が、光に包まれた。

白い獣の姿が、溶けていく。

その光が――

桃矢の手に、吸い込まれていく。

次の瞬間――

桃矢の手に、

一振りの刀が、現れた。

白い刃。

柄には、六芒星の意匠。

「……これが」

桃矢は、刀を握りしめた。

軽い。

だが、確かな重みがある。

『主』

ハクの声が、頭の中に響いた。

『感じるか? 俺の力』

「ああ」

桃矢は頷いた。

「感じる」

影たちが、再び襲いかかってくる。

桃矢は、刀を構えた。

「行くぞ、ハク!」

『ああ!』

桃矢は、地を蹴った。

刀が、光を纏う。

一閃。

影が、真っ二つに裂かれた。

再生する暇も与えず――

二閃、三閃。

光の軌跡が、影たちを切り裂いていく。

『主、左!』

ハクの声。

桃矢は、体を捻って横薙ぎに振るった。

光が、影を薙ぎ払う。

「すごい……!」

桃矢は、自分の手を見た。

「ハク、お前……!」

『当たり前だ』

ハクの声が、少し誇らしげだった。

『俺は、お前の式神だからな』

桃矢は、笑った。

「そうだな」

最後の影が、悲鳴を上げながら襲いかかってくる。

桃矢は、刀を振り上げた。

「終わりだ!」

一閃。

光が、爆発した。

影が、完全に霧散する。

霧散したはずの影の残滓が、

山の奥へ、引きずられるように消えていった。


静寂が、戻った。

桃矢は、大きく息をついた。

「……はぁ……はぁ……」

刀が、再び光に包まれる。

その光が、小さな猿の姿へと戻った。

「……主」

ハクは、桃矢の肩に飛び乗った。

「大丈夫か?」

「うん」

桃矢は笑った。

「すごかったな、今の」

「……ああ、初めてにしては上出来だな」

ハクも、少し照れたように言った。

「倒したわけではないから、安心は

できないぞ」

「……っ」

ハクは、顔を背けた。

「だな……」


桃矢は、優しくハクの頭を撫でた。

「それでも頑張ったな、ハクありがとう」

ハクは、何も言わなかった。

ただ、桃矢の手に小さく、頭を預けた。

電車の中から、車掌が顔を出す。

「だ、大丈夫ですか!?」

「はい……」

桃矢は、なんとか立ち上がった。

「もう、大丈夫です」

「い、一体何が……」

「獣が、出たんです」

桃矢は、適当に誤魔化した。

「もう、逃げましたから」

車掌は、半信半疑の顔で頷いた。

桃矢とハクは、再び電車に乗り込んだ。

電車は、豪の家へと向かって再び動きだした。

【駅・夜】

「次は、終点――」

アナウンスが流れる。

桃矢とハクは、小さな無人駅に降り立った。

「……着いたな」

桃矢は、周囲を見回した。

駅には、街灯が一つだけ。

それ以外は、真っ暗だ。

「ここから、豪の家まで……」

桃矢は、スマホの地図を確認する。

「歩いて、三十分くらいか」

「遠いな」

ハクが、桃矢の肩で呟いた。

「山道だし」

「まあ、仕方ない」

桃矢は、歩き出した。

舗装されていない道。

両脇には、田んぼが広がっている。

星が、綺麗だった。

「……主」

「ん?」

「さっきの奴」

ハクが、真剣な顔で言った。

「あれ、豪の家に向かってたんじゃねぇのか?」

「……うん」

桃矢も頷いた。

「俺も、そう思う」

「だとしたら……」

「まずいな」

二人は、顔を見合わせた。

「……急ごう」

「ああ」

桃矢は、歩く速度を上げた。

山道を登っていく。

やがて――

遠くに、灯りが見えた。

「あれだ」

桃矢が指差す。

古い民家。

茅葺き屋根。

豪の家だ。

「……でも」

ハクが、眉をひそめた。

「主、あの家の周り……」

「……ああ」

桃矢も感じていた。

妙な気配。

濃く、重い。

「豪……!」

桃矢は、走り出した。

【豪の家・縁側】

豪は、縁側に座っていた。

祖母が、お茶を持ってきてくれる。

「ありがとう、ばあちゃん」

「どういたしまして」

祖母は、優しく笑った。

「明日、桃矢くんが来るんじゃろ?」

「うん!」

豪は、嬉しそうに頷いた。

「久しぶりだから、楽しみで」

「そうかい」

祖母は、夜空を見上げた。

「……綺麗な星じゃのう」

「うん」

豪も、空を見上げた。

満天の星。

静かな夜。

平和な時間。

だが――

その時、

ふと、

空気が、冷えた。

「……?」

豪は、首を傾げた。

「ばあちゃん、寒いだろ?」

「……そうじゃのう」

祖母も、不思議そうに言った。

「急に、冷えたような」

豪は、立ち上がった。

「戸締り、確認してくるよ」

「ああ、頼むよ」

豪は、家の中へと入っていった。

祖母は、一人縁側に残った。

「……」

彼女は、じっと山の方を見つめた。

そして――

小さく、呟いた。

「……来たか」

その瞬間――

バン!

家の門が、勢いよく開いた。

「豪!」

桃矢の声。

豪が、慌てて飛び出してくる。

「桃矢!?」

「え、なんで……!」

「明日来るって……」

桃矢は、息を切らしながら言った。

「豪、大丈夫か!?」

「え? あ、ああ……」

豪は、戸惑った顔をした。

「何が?」

「この家の周り」

ハクが、鋭く言った。

「妙な気配がする」

「気配……?」

その時――

祖母が、縁側から声をかけた。

「……やはり、気づいたか」

「ばあちゃん?」

豪が振り返る。

祖母は、静かに立ち上がった。

「桃矢くん、じゃろ?」

「はい……」

「よう来てくれた」

祖母は、深々と頭を下げた。

「実は……」

「この家、ここ数日――」

「何かに、狙われとるんじゃ」

桃矢とハクは、顔を見合わせた。

「狙われてる……?」

「ああ」

祖母は、山の方を見た。

「夜になると、何かが来る」

「この山の“夜のもん”じゃ」

「私には、姿は見えん」

「じゃが、気配だけは……」

「はっきりと、感じるんじゃ」

豪が、驚いた顔で言った。

「ばあちゃん、なんで黙ってた!?」

「言っても、信じてもらえんじゃろ」

祖母は、苦笑した。

「それに……」

「豪を、心配させとうなかった」

「でも……!」

「大丈夫じゃ」

祖母は、桃矢を見た。

「この子が、来てくれた」

「桃矢くん、お前さん……」

「陰陽師、なんじゃろ?」

桃矢は、一瞬驚いて――

そして、頷いた。

「……はい」

「そうか」

祖母は、安堵したように笑った。

「なら、安心じゃ」

「頼めるか?」

桃矢は、真剣な顔で頷いた。

「もちろんです」

「守ります」

豪は、桃矢を見つめた。

「桃矢……」

その時――

山の奥から、

風が吹いた。

冷たく、

重く、

禍々しい風。

ハクが、桃矢の肩で身を強張らせた。

「……来る」

「主」

「ああ」

桃矢は、懐から札を取り出した。

「豪、ばあちゃん」

「家の中に入ってて」

「で、でも……!」

「大丈夫」

桃矢は、笑った。

「俺とハクが、なんとかする」

豪は、一瞬迷って――

そして、頷いた。

「……わかった」

「気をつけろよ、桃矢」

「うん」

豪と祖母は、家の中へと入った。

残ったのは――

桃矢と、ハク。

そして、

山の奥から、

近づいてくる、

何か。

「……主」

「ああ」

ハクはいつでも変化できるように――

二人は、並んで立っていた。

風が、強くなる。

そして――

闇の中から、

それが、現れた。

桃矢は、一歩、闇の中へ踏み出した。


「主!」

ハクの声。


「大丈夫」

桃矢は、振り返らなかった。

「これは……斬るもんじゃない」

「聞こえたんだ、かすかだけど

助けてって」

 

黒い影が、桃矢を包み込む。

冷たく、重く、息が詰まる。

「桃矢、これは夜澱よどみだー!

絶対、のまれるんじゃないぞー!」

ハクが叫ぶのと同時に、黒かった夜澱が徐々に薄くなる。


――山の悲しみ。

――人の嘆き。

――言葉にならなかった想い。


「……ああ」

桃矢は、目を閉じた。

「ずっと、ここに溜まってたんだな」


彼は、逃げなかった。

押し返さなかった。


ただ、受け止めた。


「もう……大丈夫だ」

闇が、震えた。


次の瞬間――

黒い影は、音もなく崩れ、

細かな光へと砕けた。


微細な、無数の光。

それらは、ふわりと宙を舞い――


やがて、

山の奥へ、

還っていった。

祖母は、静かに頷いた。


「……もう、心配ない」

風が、止んだ。


山は、もう唸っていなかった。


足元に――

小さな木札が、落ちていた。


いつから、そこにあったのか。

誰が、置いたのか。

わからない。


桃矢は、なぜかそれを拾い上げた。

「……主」

「それ」

「山が……認めたってことか」


祖母が、静かに縁側から降りてきた。

木札を見て、ゆっくりと頷く。


「山守の証じゃな」

「滅多に、出んものじゃ」

「……よほど、気に入られたんじゃろ」


祖母は、桃矢の前に立つと、

静かに木札を手に取った。


「これはな」

祖母は、優しく言った。

「山から預かったもんじゃ」


そう言って、

首紐を整え、

桃矢の首に、そっと掛ける。


「だいじなもんじゃ」

「けっして、なくしてはならぬぞ」


桃矢は、一瞬言葉を失い――

深く、頭を下げた。


「……はい」

「大切に、預かります」


豪が、木札を見つめて、

少しだけ唇を尖らせた。


「……いいな、それ」


祖母は、そんな豪を見て、

くすりと笑った。


「お前はな」

「木札がなくても、守られておるじゃろ」


豪は、一瞬きょとんとして――

それから、照れたように笑った。


「……そうか、そうだな!」


――翌朝。


台所から、味噌の香りが漂ってきた。


「起きんかい、朝餉じゃよ」


祖母の声に、豪が目をこすりながら起き上がる。

縁側には、もう桃矢とハクの姿があった。


「おはようございます」

桃矢が、少し照れたように頭を下げる。


「昨日は、よう眠れたか」

祖母が言う。


「はい」

「……とても」


囲炉裏のそばに、膳が並べられる。


白いご飯、囲炉裏で炙った地鶏、


高菜漬け、それから――

炭火でことこと煮えた、芋の入った味噌汁。


「いただきます」



ろ箸を取った、その瞬間。

桃矢は、ふと気づいた。


――あの、重たい気配が。

もう、どこにもない。


「……もう、大丈夫ですね」


桃矢が言うと、

祖母は、穏やかに笑った。


「ああ」

「山も、静かじゃ」


豪が、味噌汁を一口すすって、

ぽつりと言った。


「……そうか?」

「昨日までと、何も変わらないが」


祖母は、少しだけ目を細める。


「それで、ええんじゃ」


朝の光が、障子越しに差し込む。

山は、何も語らない。

だが――

確かに、見守っていた。


「ごちそうさまでした」


桃矢は、深く頭を下げた。


「また、来ます」

「今度は……」

「何もない日に」


祖母は、頷いた。


「待っとるよ」


桃矢とハクは、家を後にした。


背中に、あたたかな気配を受けながら

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