第1話 ーー藤原薫との出会いーー
いつも閉まっている古本屋
京都・神泉苑近くの路地裏古本屋「十二支堂」
看板には、今日も「本日休業」の札がかかっている。
数少ない常連客が、呆れたように呟く。
「また閉まってる…」
「この店、いつ開いてるの?」
Googleレビューには、辛辣なコメントが並ぶ。
★☆☆☆☆「3回来たけど、全部休業。営業する気あるの?」
★★☆☆☆「看板詐欺。古本屋じゃなくて『開かない店』に改名すべき」
★☆☆☆☆「もう諦めた。二度と来ない」
だが、時折こんなレビューも混ざっている。
★★★★★「奇跡的に開いてた!店主は親切で、探してた本を見つけてくれた」
★★★★★「不思議な店。困ったことがあったら、ここに来るといい」
店の奥。
星川桃矢(25歳)は、古文書に囲まれて座っていた。
机の上には、世界中から集めた封印術の文献。
ラップトップには、陰陽道のデータベースが開かれている。
「要石の解放…手がかりは…」
桃矢の目には、隈ができていた。
睡眠時間は、毎日3時間程度。
大学を卒業してから1年。
陰陽師としての依頼と、舞鳳を取り戻すための研究。
両立は、容易ではなかった。
その時――
カランコロン
店のドアベルが鳴った。
「え…?」
桃矢が驚いて顔を上げる。
「今日、開店の札出してないはずなのに…」
慌てて店の入口に向かうと――
扉の前に、一人の女性が立っていた。
藤原薫 19歳
∙帝都大学 2年生
∙民俗怪異研究会所属
∙黒髪のロングヘア、眼鏡
∙真面目そうな外見だが、瞳には強い意志
「先輩…」
薫が桃矢を見上げる。
「あの…星川桃矢先輩ですよね?」
「ああ、そうだけど…」
桃矢が戸惑う。
「君は?」
「藤原薫です。帝都大学の民俗怪異研究会に所属してます」
薫が頭を下げる。
「先輩の噂は、研究会で聞いてます」
「噂?」
「はい」
薫が真剣な顔をする。
「『本物の陰陽師がいる』って」
「それ、誰が…」
「研究会のOBです。先輩に助けてもらったことがあるって」
桃矢は思い出した。
半年前、悪霊に取り憑かれた大学生を助けたことがある。
「ああ…あの時の…」
「はい」
薫が深く頭を下げた。
「お願いします、先輩」
「私の親友を…助けてください」
【依頼の内容】
店の奥に案内し、桃矢は薫の話を聞いた。
「親友…というと?」
「水無瀬栞です」
薫が写真を取り出す。
笑顔の女性が写っている。明るそうな雰囲気。
「彼女が…どうかしたの?」
「3日前…」
薫の声が震える。
「自殺しました」
「…!」
「でも…おかしいんです」
薫が桃矢を見つめる。
「栞は、明るくて前向きな子でした」
「自殺する理由なんて、何もなかった」
「それに…」
薫が写真を見つめる。
「最後の2週間、様子がおかしかった」
「どう、おかしかったんだ?」
「性格が、変わったんです」
薫が震える声で続ける。
「明るかった栞が、急に暗くなって。
まるで、別人みたいに。」
桃矢は、ある可能性を考えた。
「君は…何か霊的なものを疑ってるのか?」
薫は頷いた。
「はい」
「民俗怪異研究会で学んだ知識ですが…」
薫が桃矢をまっすぐ見る。
「憑依、だと思います」
【栞の部屋へ】
夕方・栞のアパート
薫の案内で、桃矢は栞の部屋を訪れた。
「警察は?」
「自殺として処理されました」
薫が鍵を開ける。
「でも、遺族の許可を得て、まだ部屋はそのままです」
扉を開けると――
桃矢は、すぐに感じた。
「これは…」
部屋に、重い気配が残っている。
悪意ではない。
でも、強い未練。
「先輩?」
「ああ…ちょっと待って」
桃矢が部屋に入る。
本棚、デスク、ベッド。
普通の大学生の部屋。
だが――
桃矢の目に、“それ”が見えた。
【栞の霊】
部屋の隅に、女性の霊が座っていた。
水無瀬栞
透けた姿。
だが、表情ははっきりしている。
困惑と、悲しみが混ざった顔。
「あなた…」
桃矢が静かに声をかける。
「水無瀬栞さん、ですね」
栞の霊が、桃矢を見た。
「あなた…見えるの?」
「ええ」
栞が立ち上がる。
「私…死んだの?」
「はい」
桃矢が頷く。
「3日前、この部屋で」
栞は、自分の手を見つめた。
透けている。
「そう…やっぱり…」
栞が膝をつく。
「私…何があったのか、わからない…」
「落ち着いて」
桃矢が栞の前にしゃがむ。
「ゆっくりでいい。話してくれますか?」
栞は、震える声で語り始めた。
【栞の証言】
「2週間前…私、霊を見たの」
栞が思い出すように語る。
「大学の図書館で。古い本を調べてる時」
「どんな霊でした?」
「女性…着物を着た、古い時代の人みたいだった」
栞が震える。
「その人…すごく悲しそうな顔で、私を見てた」
「……ずっと『帰りたい』って、呟いてた」
「それで…」
「怖くなって、逃げた」
「でも…」
栞の表情が暗くなる。
「その日から、ずっとついてくるの」
「家でも、大学でも、どこに行っても」
「そして…ある日…」
栞が自分の体を抱きしめる。
「気づいたら、私じゃなくなってた」
「体が、自分の意志で動かない」
「誰か別の人が、私の体を使ってる」
桃矢は理解した。
「憑依、されたんですね」
「そう…だと思う」
栞が涙を流す。
「私は、自分の体の中で叫んでた」
「『やめて』『出て行って』って」
「でも…」
栞が顔を覆う。
「その人は、私の体を使って…」
「自殺、したの」
【桃矢の決意】
桃矢は、静かに立ち上がった。
「わかりました」
「あなたは、被害者です」
桃矢が栞を見つめる。
「悪霊に体を乗っ取られ、意志に反して死なされた」
「でも…」
栞が桃矢を見上げる。
「もう、遅いよね」
「私、死んじゃったから」
「いえ」
桃矢が優しく微笑む。
「まだ、間に合います」
「え…?」
「あなたの体は、まだこの世にある」
桃矢が時計を見る。
「火葬は、明日の15時30分ですね?」
「うん…」
「それまでなら」
桃矢が勾玉を取り出す。
「あなたの魂を、体に戻せます」
栞が目を見開いた。
「本当に…?」
「ええ」
桃矢が頷く。
「でも、時間は限られています」
「体が火葬されれば、もう戻れない」
「それまでに、あなたは」
桃矢が優しく言う。
「大切な人に、別れを告げることができます」
栞の目から、涙が溢れた。
「ありがとう…」
「ありがとうございます…」
【魂の帰還】
翌日・葬儀場
桃矢と薫は、栞の遺体が安置されている部屋に入った。
棺の中に、栞の体が横たわっている。
「薫さん、少し下がっていてください」
「はい」
桃矢が棺の前に立つ。
そして、術を始めた。
桃矢は、ほんの一瞬だけ唇を噛んだ。
――間に合え。
「帰魂の術――」
勾玉が光る。
桃矢の手から、光の糸が伸びる。
その糸が、栞の霊を包み込む。
「水無瀬栞、あなたの体に戻りなさい」
光が、栞の体に流れ込む。
そして――
栞の指が、ピクリと動いた。
「…ん…」
栞がゆっくりと目を開ける。
「私…」
栞が自分の手を見る。
透けていない。
「戻った…!」
栞が起き上がる。
「先生…本当に…!」
「時間は、15時30分まで」
桃矢が時計を見せる。
「あと3時間です」
「大切な人に、会いに行ってください」
【別れの時間】
栞は、家族のもとへ走った。
母、父、弟。
「栞…!」
母が驚いて抱きしめる。
「どうして…あなた…」
「ごめんね、お母さん」
栞が泣きながら抱きしめ返す。
「私…自殺なんかしてない」
「悪い霊に、体を乗っ取られてたの」
「でも、もう大丈夫」
栞が家族を見つめる。
「今は、私だよ」
家族は、信じられない顔をしたが――
栞の目を見て、理解した。
「栞…本当に…」
父が涙を流す。
「おかえり」
「ただいま、お父さん」
そして、栞は薫のもとへも行った。
「薫…」
「栞…!」
薫が栞を抱きしめる。
「良かった…本当に良かった…!」
「ごめんね、心配かけて」
「ううん…」
薫が涙を流す。
「会えて…良かった…」
二人は、しばらく抱き合っていた。
【最後の別れ】
15時30分。
栞の体が、再び動かなくなった。
魂が、離れていく。
「…時間、だね」
栞が微笑む。
「でも、悔いはない」
「ちゃんと、みんなに別れを言えた」
桃矢が頷く。
「良かったです」
「先生」
栞が桃矢を見る。
「ありがとうございました」
「あなたのおかげで、私…救われました」
「いえ」
桃矢が微笑む。
「これが、僕の仕事ですから」
栞の姿が、淡く光り始める。
「薫…」
栞が薫を見る。
「ありがとう」
「あなたが、先生を呼んでくれたから」
「うん…」
薫が涙を拭う。
「栞…安らかに」
「うん」
栞が微笑んだ。
「じゃあね、みんな」
光が消え、栞の魂は天へ昇っていった。
【薫の決意】
数日後・古本屋「十二支堂」
桃矢が店で本を整理していると――
カランコロン
ドアベルが鳴った。
「あれ、また開店の札出してないのに…」
扉を開けると、薫が立っていた。
「先輩!」
「薫さん…」
「外の貼り紙、見ました!」
薫が目を輝かせる。
「『アルバイト募集』って!」
「ああ…まあ、一応出してるけど…」
桃矢が苦笑する。
「でも、この店いつも閉まってるし、来る人いないと思って…」
「私、ここで働きたいです!」
薫が深く頭を下げる。
「お願いします!」
「え…でも…」
桃矢が戸惑う。
「ここ、基本的に暇な店だよ?」
「店番だけの仕事になるけど…」
「はい!」
薫が顔を上げる。
「それでもいいです!」
「でも…」
「先輩ぐらいの力があれば、式神を出せばいいのに」
「あっ――」
薫が慌てて口を押さえる。
「ハッ、いけない!」
「私の仕事がなくなる!」
桃矢が笑った。
「式神のこと、知ってるんだ」
「はい」
薫が眼鏡を直す。
「実家が、陰陽師の家系なので」
「え?」
桃矢が驚く。
「じゃあ、君も…」
「いえ」
薫が首を振る。
「私には、霊力がほとんどないんです」
「でも、知識だけなら少しはあります」
薫が桃矢を見つめる。
「だから、先輩の役に立てると思います」
「それに…」
薫が微笑む。
「先輩みたいな人を、手伝いたいんです」
「栞を救ってくれた、先輩を」
桃矢は、少し考えてから――
「わかった」
桃矢が手を差し出す。
「よろしく、藤原さん」
「はい!」
薫が嬉しそうに握手する。
「よろしくお願いします、先輩!」
【新しい日常】
こうして、古本屋「十二支堂」に新しい店員が加わった。
薫は、真面目で几帳面。
桃矢が不在の時も、ちゃんと店を開けてくれる。
「いらっしゃいませ~」
客が来ると、丁寧に対応する。
「この本、探してたんです!」
「良かったです。他にも、こんな本がありますよ」
店は、少しずつだが客が増え始めた。
そして、桃矢が依頼で出かける時――
「先輩、これ持って行ってください」
薫が護符を渡す。
「実家から送ってもらいました。厄除けの札です」
「ありがとう」
桃矢が微笑む。
「助かるよ」
【古本屋・夕方】
桃矢が依頼で出かけた後。
薫は一人、店番をしていた。
携帯が鳴る。
画面には「祖父」の文字。
薫は驚いて、携帯を見つめた。
(おじいさま…?おじいさまから、電話なんて…初めて…)
薫の手が震える。
深呼吸をして、電話に出た。
「も、もしもし…おじいさま?」
声が上ずっている。
『薫か』
低く、威厳のある声。
藤原道雅――薫の祖父。
薫は、幼い頃からこの声を恐れていた。
そして――憧れていた。
「は、はい…薫です」
『元気にしているか』
その一言で、薫の目に涙が浮かんだ。
(おじいさまが…私に…)
(「元気にしているか」って…)
薫は涙を拭う。
「はい…元気です」
声が震える。
嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらない。
『大学の方は順調か』
「はい!」
薫が明るく答える。
「勉強も、サークルも、頑張ってます!」
『そうか』
道雅の声が、少し柔らかくなる。
(おじいさま…優しい…)
薫の胸が温かくなる。
『アルバイトを始めたそうだな』
「はい!」
薫が嬉しそうに答える。
「古本屋で、店番をしています」
『どこの店だ?』
「京都の、十二支堂という店です」
『……そうか』
道雅の声が、少し間を置く。
だが、薫は気づかない。
『店主は?』
「星川桃矢先輩です」
薫が目を輝かせる。
「とても優しくて、頼りになる人なんです」
『星川桃矢…』
道雅の声が、探るような響きを帯びる。
(……安倍晴明の力を継ぐ者か)
だが、薫は気づかない。
ただ、祖父が自分の話を聞いてくれることが嬉しくて――
「先輩は、本物の陰陽師なんです」
薫が興奮気味に語る。
「私の親友を救ってくれて…」
「すごい力を持っているんです」
『そうか…』
道雅の声が、満足そうに響く。
『薫、よく頑張っているな』
「え…」
薫が息を呑む。
(おじいさまが…私を…褒めてくれた…?)
涙が溢れる。
「ありがとう…ございます…」
声が震える。
『これからも、頑張りなさい』
「はい…!」
薫が力強く答える。
「おじいさま…私、頑張ります」
「霊力はないけど…でも…」
薫が涙を拭う。
「おじいさまに、認めてもらえるように…」
『ああ。期待している』
その言葉で、薫の心が満たされた。
(おじいさまが…私を…)
(認めてくれた…)
電話が切れる。
薫は携帯を握りしめ、涙を流した。
「…良かった…」
「良かった…」
嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらない。
長年の孤独が、少しだけ癒された気がした。




