22 自己嫌悪フォンテ
(やってしまった…)
廊下の端に置かれた掃除用具。その隣で膝を抱えたフォンテは、自分の言動を振り返って小さくなっていた。
抱えた膝に額を押しつけ、深く長く息を吐く。長年使用している掃除用具の隣に居るせいか、ちょっとかび臭い。
そんな空間だとわかっていたが、小柄なフォンテが風景に一体化する死角になる場所なので、一人になりたくてそこに収まっていた。
フォンテは食堂を飛び出してすぐ、自分の失敗を自覚していた。
(アニタにお礼を言えていないのに、お礼より先に暴言を吐くなんて)
奴隷商の船だ。もっと耳障りな暴言など日常的に飛び交うが、フォンテもアニタも幼い。
馬鹿の一言も衝撃的な暴言だ。
(年下の女の子相手にムキになって、最悪だ…)
アニタは命の恩人なのに、我慢できずに罵ってしまった。
庇ってくれたことへのお礼もできていないのに、なんで傷つけるような言葉ほど喉からするりと零れ落ちてしまうのだろう。
しかし反射的に嫌悪が顔を出し、拒否反応が出てしまった。
それもこれも、アニタがドラゴンを憧れと語るから。
(アニタは何もわかっていない。わかっていないからあんなことを言う。俺の方が年上なんだから、言い聞かせなくちゃいけなかった。馬鹿にするんじゃなくて、ちゃんと教えてやらないといけなかったのに…)
大人げなかったと、実際の年齢より幼く感じるアニタに対してそう思う。
だけど、聞き逃すことができなかった。
夢見る表情でドラゴンを語るアニタに、笑い返すことなんてできなかった。
だってドラゴンは、フォンテの大事なもの全て呑み込んでしまったから。
(父さん、母さん…フォルテ)
フォンテは小さな国の、裕福な家に生まれた。
長男だったので、将来は父親の跡を継ぐことになっていた。
その勉強で忙しく同年代の子供と自由に遊び歩くことはできなかったが、それでも自由がないわけではなかった。
似た立場の友達は居たし、三つ下の弟とも仲がよかった。優しい両親はフォンテの誇りだったし、何の不満もなかった。
歩いているのが生まれる前から敷かれたレールだったとしても、フォンテにとっては光り輝く星の道だった。
少年らしく勇者の話や冒険譚には心惹かれたが、だからって家を飛び出すほどではなかった。フォンテは家族が好きだったので、冒険よりも父の期待や母からの信頼。弟からの憧憬に応えたかった。
応えていけるはずだった。
そんな未来を無条件で信じていた。
数ヶ月前――小さな国が、ドラゴンに襲われるまでは。
過ごした国は、ドラゴンの生息地ではなかった。そのときになってはじめて、フォンテはドラゴンを見た。
黒々と輝く鱗は岩肌のようで、鋭い爪は地面に食い込み鋭さと大きな胴体の重さを表わしていた。黄ばんだ牙の隙間から溢れる涎に赤が滲み、ドラゴンの足跡が赤く染められた。黄金色の瞳の瞳孔は縦長で、ぎょろりと周囲を見渡して忙しなく獲物を探していた。一歩一歩が重いのに、獲物に迫るときだけ俊敏で、フォンテは父と母が呑み込まれるのを呆然と見ていた。
悲鳴を上げて、弟の手を引いて、フォンテは逃げた。
食われている両親を見捨てて、全力で走った。
だけどフォンテは子供で、無力だった。
そして背中を見せて逃げる獲物を、捕食者が逃がすはずがなく…。
「フォンテ」
「――っ!」
突然の呼びかけに、膝に額を押しつけていたフォンテの肩が跳ねる。
急いで顔を上げれば、呆れた顔の麗人が膝を抱えるフォンテを見下ろしていた。
船内の照明を背負い、蹲るフォンテを見下ろすその人には色濃い影が生まれる。
本来ならその影は威圧感と不穏を生むというのに、その人の煌びやかな美しさは全く陰らない。
「アンタ一人で、こんな所で何してるのよ」
にこりともせず、訝しげに問うのは、奴隷商の長。
――奇しくも。
奇しくもその台詞は、全てを失ったフォンテに彼が…リリアンが最初に掛けた言葉と重なって。
フォンテは情けなく歪む顔を、堪えることができなかった。
十二歳フォンテ。
暴言の語彙力は周囲の人間から得ているが、咄嗟に出てくる一番の暴言は馬鹿。ちなみに自分にもダメージが来る。




