14 転落アニタ
「――捨てろォ!」
姿を確認した瞬間、リリアンが叫ぶ。
真っ先に反応したのは、遺体を運んでいたキューマだった。
彼は掴んでいた遺体を船の外に投げ飛ばした。放り出された身体が波に消える前に、飛び出した怪魚がその胴体を貫く。怪魚の数匹が、角を唸らせて同じ獲物に群がった。
「い、いやだぁあああ!」
「ひぃいいいっ」
「助けてくれー!」
遺体だけでなく、生き残りの海賊達も続々と海に蹴落とされていく。
怪魚への生き餌は、元気に抵抗すればするほどいい。怪魚には反応のない餌よりも、逃げ惑う餌を追う習性がある。恐らく狩猟本能だろう。彼らは狩りで餌を得る生き物だ。
「ひっ!」
飛び出した怪魚が、甲板に突き刺さる。それがフォンテの目の前で、彼は息を呑んで壁に貼り付いた。
怪魚の身体は人間と同じ形だが、同じ作りではない。
身体は鱗で覆われて、指は四本で指の間には水掻きがある。爪は黄色く鋭く尖り、股の間はつるりとしていて何もない。ヘソもないこそから哺乳類ではない。学者はそう判断しているが、学の無いフォンテはそこまでの知識を持っていなかった。
知っているのは、怪魚が肉食であること。
人であろうと鋭い角で刺し貫いて、その血肉を貪ることだけだ。
――モンスターは、そういう存在だ。
その怪魚が、フォンテの目の前に居る。
恐怖で一歩も動けない。
(逃げなくちゃ。動け、動けよ…!)
非戦闘員は船内へ。
わかっているのに、動けない。
(せっかく生き延びたのに、こんな所で…!)
恐怖の中、頭を過るのは穏やかな女性の笑顔。自分に伸ばされた小さな手。握ろうと伸ばした自分の手。
その背後で大きく開かれた、牙だらけの口内。
(こんな…!)
怪魚の角が、震えるフォンテに標準を合わせた。
飛びかかられて、腹を貫かれる。
恐怖で冴えた思考が怪魚の軌道を読み取った。だからといって動けないフォンテは、目を瞑ることすらできない。
怪魚が甲板を蹴った。
「ちょあー!」
その横から飛び出して来たアニタが、弾丸のような頭突きで怪魚を真横に吹き飛ばした。
フォンテの目の前から吹っ飛ばされる怪魚。
弾丸の勢いで飛んできたアニタ。
真横に飛んでいく、一匹と一人。
一匹と一人はその勢いのまま…海へと落ちた。
「はれー?」
「あ、アニター!?」
固まっていた足腰が恐怖から解き放たれて、手摺りを越えて海に放り出されたアニタを追う。しかし手摺りに縋っても、落ちていくアニタの方が早い。
アニタは怪魚だらけの荒波に、あっさり落っこちた。
「アニター!!」
「面舵いっぱい! 逃げろー!」
フォンテの叫び虚しく、船は旋回して怪魚の群れから遠ざかる。
アニタの鮮やかな赤毛も、荒波の中では見付けることはできなかった。
「そんな、アニタ…」
衝撃的な光景で頭が付いていかなかったフォンテだが、怪魚の群れから遠ざかってやっと現実が追いついてきた。
間抜けな顔で海に落っこちた赤毛の少女。
彼女はフォンテを守るために、無謀にも怪魚に頭突きを繰り出して、そのまま勢いで海に落ちた。
フォンテを守るために。
「俺、また…!」
手摺りを掴んで崩れ落ちる。
破天荒で意味も分からぬ言動を繰り返す、はっちゃけた少女だったが悪い子ではなかった。善良で、本気でいいことだと思って行動するよい子だった。結果はともかくよい子だったのに。
手を伸ばす暇もなく、あっさり波に呑まれた赤毛に、喉の奥が引きつる。
(年下の、女の子だったのに…!)
無邪気に名前を呼んで、無垢に飛び跳ねる女の子だったのに。
「俺の、所為で…っ」
後悔が、涙になって迫り上がる。
呻き声のような嗚咽をなんとか堪えるフォンテの背後で、男達のどよめきが広がった。
「待ってー! 待ってー!」
「…は?」
そして前方から、聞き覚えのある声が響く。
ぽかんと顔を上げたフォンテは、口を開けたまま固まった。
「落っこちちゃったのー! 置いてかないでー!」
そう、船から海に落ちたはずのアニタ。
彼女がもの凄い勢いで、船に向かって近付いてくる。
「アニタの冒険は始まったばかりなの! だから乗せて乗せて~!」
「な、何に乗ってんだー!!」
後悔も悲哀も罪悪感も全部吹き飛ばされたフォンテは、思わず叫ぶ。
アニタはサメの顔をした怪魚の背中に跨がって、無邪気な笑顔で手を振っていた。
怪魚の泳ぎは、バタフライだった。
もしかしたらドルフィンクロールだったかもしれない、サメの顔をした怪魚。




