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1話 尾を見る

 その日、坂見さかみとおるはいつものように、尾白おじろみおを登校ついでに拾うところだった。チャイムを鳴らすと、慌てた様子の澪の父親がドアを開けるなり、「澪がいないんだ!」と告げた。


 透は招かれるまま家へ入ると、見慣れた澪の部屋へ入る。しかし、彼女の姿は見当たらなかった。 

 鞄や鍵、普段彼女が使っている持ち物は、全て部屋に残っているようだった。


 一つ、透の目に鮮明に映ったものがあった。机の上に揺れる、猫のような輪郭をした影。

 

 「おじさん、あんな猫飼ってましたっけ?...いやいや、机の上にいる...」

 そう言いながら、机に目を戻す。

 「あれ、いない」

 

 疲れているのか、彼女が突如消えたことへの動揺だろうか。透は自身の感覚に確信が持てずにいた。

 

 朝から澪の両親と家中を探し回り、警察への連絡も済ました。

 「ごめんね。透くんは遅刻しちゃうから、もう行っておいで」

 もやもやする気持ちを堪え、透は通学路へ戻る。彼女は一体どこへ行ったのだろうか。家出するほど不和であるとも思えなかった。

 時間だけが刻々と過ぎていく。透は足を速めた。


 独りの通学路はひどく静かだ。

 いつも彼女と歩く石畳は、一歩踏むごとに想い出が滲み出るようだった。

  

 道中、シャツの袖がふわりと靡いた。

 「......ん?」

 風は無い。何かが横切ったような、そんな感覚。

 「気のせいか...」

 そう呟き、また学校へ向おうとした時だった。


 ほんの一瞬だけ、階段の影に、尾のようなものが揺れていた気がしたのだ。

 形は猫の尾のようで、まるで映像のノイズが空間に滲んだような、壊れた残像。

 だがもう一度目を凝らした時には、それはなかった。影も、気配も、跡形も。

 

 「...澪?」


 ふと口に出た名前。

 問いというよりも、記憶に触れるような、そんな動作に近かった。


 坂の上で、チャイムが鳴り響く。

 透はもう一度そこを振り返り、何も言わず歩き出す。

 何かが始まりかけていることに、まだ気付かぬまま。


__________________________________________


 放課後、透は澪の家の前にいた。

 結局彼女は学校にもいなかった。授業の内容も、誰かが彼女について触れていた記憶も、霞がかったように曖昧なまま通り過ぎていく。


 澪の部屋をもう一度見たかった。


 不在の気配と、あの"影"の存在を確かめたくて、彼女の部屋のドアを開ける。

 今朝と同じく、何の変哲もない部屋。ただ——


 「...まただ」


 机の上で、"それ"は揺れていた。

 猫のような輪郭、尾はノイズのように空間を乱している。

 透が視線を向けると、それに気付いたかのように一瞬揺れ、影はすっと溶けた。


 「お前、見えているようだな」


 背後から声がした。振り向くと、部屋の入り口に見知らぬ女性が立っていた。

 黒いスーツの姿で、鋭い視線をこちらへ向けている。

 

 「誰...ですか?」


 「尾痕びこん対策室の、久城くじょうしずくだ」

 

 「ビコン...?あの、何か用でしょうか...」


 「用も何も、お前が今見ていたモノについてだ」と久城は言う。


 「それは"TAILテイル"と言う。見るのは初めてか」そう続ける。

 

 無論初めてだと透は言い、久城へ説明を求める。

 

 「あの、どういうことですか?澪が消えたことと、さっきの影は関係あるんでしょうか」


 久城は、透の言葉に小さく頷くと、部屋の奥まで歩み寄ってきた。部屋の真ん中で立ち止まり、彼女は机の上、すでに消えたはずの空間をじっと見つめる。


 「TAIL——正式には《Trans-Anthropic Interface Log(彼方へ触れた記録)》。我々はそう呼んでいる」


 そう言って、久城は指先を空間にすべらせる。まるで消えた残響に触れようとするように。


 「TAILは、ある種の“痕跡”だ。人がこの世界に遺していく、未解決の想い。感情の残響。後悔、喪失、孤独、情愛、期待、欲望——そういった感情が、心の奥底に積もったとき、ある条件下で“尾痕化”という現象を引き起こす。そして当人は、ふっと姿を消す。その代わりに残されるのが、TAILだ」


 澪が消えた理由が、ようやく輪郭を持ち始める。だがそれは、あまりに漠然としていて、現実味に欠けていた。


 久城はさらに言葉を続けた。


 「だがこのTAIL、誰にでも見えるものではない。お前のように、“彼見かみ”と呼ばれる素質を持つ者だけが、それを視認できる。我々尾痕対策室が追っているのは、お前のような“見える者”と、“残された尾”だ」


 彼見——透の中で、その響きが静かに広がる。


 「お前が今日初めてアレを見たということは、おそらく“覚醒”したということだろう。TAILを遺した者に、お前が何か強い感情を向けられていた。そういう時、彼見の因子が顕在化し、覚醒することがある。とはいえ、適正もあったんだろう」


 透は、言葉を失ったまま、机の上をもう一度見る。そこにはもう、何もない。


 「……じゃあ、澪は本当に、いなくなったんですか?」


 恐る恐る問うと、久城は短く答える。


 「“消えた”んじゃない。“彼方”に行ったんだ」


 その言葉は、透の胸に異様な余韻を残した。彼方。空間ではないどこか。現実の裏側のような響き。


 久城は名刺のようなカードを一枚、机の上に置いた。黒地に白い文字。そこには「尾痕対策室 第二班 久城雫」とだけ印字されていた。


 「この町、緒ノ浦では尾痕化が他所よりも頻繁に起きている。理由は、まだ明言できない。だが、お前が"彼見"に覚醒するほどの強い残響……もし、彼女を追う気があるなら、明日、そこに来い」


 透がカードを手に取る前に、久城は踵を返していた。部屋を出る時、彼女は一度だけ振り向いて言った。


 「言い忘れていたが、TAILに触れることは、何かを失うことでもある。……その覚悟があるなら、来るといい」


 扉が静かに閉まり、透は一人残された部屋で、名刺を見つめた。

 尾のように揺れていたあの影は、何を語ろうとしていたのか。

 そして、彼女を取り戻すために、自分は何を失えるのか。


 まだ答えは出なかった。

TAILテイル:こちらの世界に遺る感情のログ。

彼見かみ:TAILが見える人のこと。

尾痕びこん化:TAILを遺し、彼方へ行ってしまうこと。

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