第三節 人見知り 3話目
合同授業が終わったその日の夕食時のことだった。
コン、コン、コンと三回のノック音が閑静な準備室に鳴り響く。もしかして、と思いながらも私は返事を返す。
「……入ってどうぞ」
「しっ、失礼、しますっ!」
そこには予想通り、夕食も食べずに部屋にやってきた一人の二年生の姿が。
「ハァ……なんだまた君か、リリー」
「ご、ごめんなさい……でっ、でもっ! 最近はこっちにも二食分届けられるし!」
それは俺が校長と相談した結果、給仕長が気を利かせてくれているに過ぎない。本来であれば同級生や友達と一緒に大広間で食事をするのが、生徒の毎食の決まり事だ。
「……とにかく、入りなさい。確かに料理は二人分置いてある。私一人では食べられないのも事実だ」
「やたっ!」
最近では彼女は寝る時と授業の時以外のほとんどをここで過ごしている。女子寮の方で何か言われないのかと聞いてはみるが、特に咎められる雰囲気もなく、彼女らを束ねている寮長の生徒からも何も言われていない様子。
「女子寮の方で友達とかいないのかい?」
「もぐもぐ……ごくん! 話す人もいるけど、こっちの方が楽しいっ! ……嫌いなあいつも、いないし」
この部屋にいることが楽しいのはなによりだが、いつもイジメに加担していた女子も授業中観察している限りでは最近大人しく見えるし、そもそも別の部屋なら問題ないように思えるが。
「……それじゃあ折角だし、ここで少し勉強していこうか」
「もぐもぐ……えっ!? べべべ、勉強!?」
食事はともかく、常にここにいるのは遠慮して貰わないとこっちも気が休まらない。そう思った私は少しぐらい嫌がるだろうかと、夕食を終えてからの勉強会を提案してみた。
「どうする?」
「……勉強は……嫌い、だけど……がんばるっ」
――意外な返答が帰ってきたことに、私は思わず目を丸くした。てっきりこれを機に部屋を訪れる回数でも減るかと思っていたが、ここで勉強までもしていくつもりらしい。
「ハァ……全く、参ったよ」
「……?」
「食べ終わったら、少しだけ防衛術の予習をするよ。それが終わったら、寮に戻るんだ」
「はーい!」
自分を褒める訳ではないが、この調子だと彼女の成績は防衛術が一番になりそうな気がするぞ。
◆ ◆ ◆
「――よし、今日はここまでだ。よくできたじゃないか」
「私、もしかしてすごい? 天才!?」
「はいはい、調子に乗らない」
時刻も九時を回り、そろそろ就寝の時間になる。そんな中で唯一明るいのが防衛術の教室――という訳でも無いか。恐らくはモーガン先生の居残り授業で呪文学の教室も明るいだろう。
「それじゃ、女子寮の方に戻るように。途中まで送ってあげるから」
「うん! ありがとう先生!」
この学校が危険という訳ではないが、夜になるとこの学校に古くから住み着いている幽霊の類いが跋扈するらしく、噂では夜な夜な幽霊集会を開いているとのこと。
実際に遭遇したことがある生徒もいるらしく、夜間巡回を行っている教員が幽霊を見て気絶した生徒を朝方発見する事件が時折起こっているらしい。
校長曰く、「害の無い幽霊なら祓う必要も無かろう」と言っているようだが。
「居残りさせた生徒が気絶して魂が抜けかけの状態で見つかってしまったら、こっちの監督問題になりかねないからな……」
「先生、何か言った?」
「いいえ、何も」
杖の先に光を灯し、辺りを照らしながら道を進む。道中不審な物音も聞こえるが、下手に刺激して幽霊を呼び寄せる必要もないだろう。
そうしてリリーが所属するバスカヴィルブラックの寮へと続く暗く長い廊下を歩いていると、廊下の反対側から同じく暗闇にポツンと光が現れる。
「ひっ!」
「誰でしょうか。まだ巡回の時間には早いと思いますが」
因みに下手に男性が女子寮に侵入しようと試みようものなら、校長直々に仕掛けた強烈な呪いによって晒し者にされるらしいが……まさかまだ寮にすら近づいていないというのに呪いが――
「――やあ! えーと、バトラー先生でしたっけ!?」
「え、ええ……貴方は確か――」
「ルーバン・ブラウンです! 飛翔訓練担当の!」
「ブラウン先生でしたか、こうして話すのは初めてですね」
あまりのハキハキとした喋り方に魔法省時代の忌々しい同僚達を彷彿としてしまったが、この人は関係ない……筈。
それはさておき目の前に立っている妙ににこやかで筋肉質な、いわゆる運動ができる側に分類される男は自らをルーバン・ブラウンと名乗り、そして飛翔訓練の担当という立場から同じ同僚としてこちらに握手を求めてくる。
「あんた、魔法省から来たんだってね! すげーよな、俺なんてただの一介の教職員なのにさ!」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。この場においてはブラウン先生の方が先輩になるんですから」
「はっはっは! まさかヤング先生以外に後輩ができるとは、ご高齢の方々が多い職場では嬉しい事です!」
こいつ……下手したら俺をこき使おうと考えてはいないか? だとしてもそんなの断固拒否するに決まっているが。
「……おや? 後ろに隠れているのは、バスカヴィルのリリーじゃないか。ダメじゃないか! もうすぐ就寝の時間だぞ!」
「っ! ……ご、ごめん、なさい……」
いつの間に小動物のように私の背後に隠れていたのか、コートの端を握って震えるリリーの姿がそこにある。
「全く……もういい! 女子寮まで送ってやるから着いてこい! バトラー先生の手を煩わせるな!」
「ひぃっ!」
「っ! すいませんブラウン先生、この子は私の居残り授業を受けていたので、私が責任をもって女子寮近くまで送ります」
ブラウン先生が引っ張り出そうと手を伸ばしたその瞬間の、彼女の怯え。それは今までで一番恐れていると思われていたモーガン先生に向けるそれよりも、段違いのものが窺える。
それ故とっさに腕を伸ばして阻んだ私は、居残り授業の監督者としての責任を建前に、ブラウン先生からリリーを引き離すことを決意する。
「良いんですか先生? 巡回担当は俺なんですから、巡回ついでに送った方が――」
「いえいえ、先生の方こそ、わざわざ一度巡回した道を逆回りするのは余計な手間でしょう? そもそも私の都合で残したんですから、最後まで責任を持って送り届けないと」
「そうですか……? ははっ! まっ、先生がそう仰られるならしょうがない! リリーも、送って下さる先生に感謝するんだぞ!」
「っ、は、はい……」
明らかに顔色の悪いリリーを隠すように反対側へと追いやりながら、私はその場を足早に去って行く。
「ではブラウン先生、僭越ながら失礼します」
「ええ、お気をつけて! 夜は幽霊もいるって話ですからなあ!」
夜の廊下に笑い声を響かせながら、ブラウン先生はその場を去って行く。その姿を見送るまでもなく現場を離れた私は、相当に離れたことを確認して、リリーの顔色を確認する。
「…………」
「もう大丈夫だよ。私が寮まで送り届けるから」
「っ! あっ、ありがとう、ございます……」
困ったことに、今度から彼女を寮まで送るのも私の仕事に含まれることになりそうだ。