第三節 人見知り 1話目
――ここ数日過ごして思う事だが、空間魔法でいじっているせいか外観と中の通路の配置が合致していない気がする。そしてその答え合わせのように、未だに外で飛翔訓練を終えた一年生が、他の教室と間違えて防衛術の教室に顔を出す光景がちらほらと見受けられる。
「……あれ? ヤング先生の魔法語学はここじゃない……?」
「おや、また一年生が迷い込んできたのかな」
次の授業の準備をしている時に訪れてきたのは、一人の小さな少年。恐らく彼もまた、本年度入ったばかりの一年生だろう。
「あれ? あっ、すいません! 教室を間違えました!」
「いやいや、構わないよ。この学校、外から見るのと内側との部屋の配置が異なっているようだからね」
そうして私以外は誰も訪れるはずも無かった教室だったが、この一人の少年は興味深そうに辺りを見回している。
「へぇー……」
「熱心に見ているね。防衛術に興味でもあるのかい?」
「いえっ! 二年生ってこんなことをするんだなーって」
汚れた大人社会を知らない少年の純粋で真っ直ぐな瞳はキラキラと輝いていて、既に魔法省の出世レースで濁ってしまった自分とは対照的にさえ思える。
そんな目でこちらを見られてしまってはあまりのまぶしさに目をそらしそうになるが、その前に少年の方から次の時間があることに気がついて急いで教室を去って行く。
「あっ! 次の授業に遅れちゃう! それでは失礼します!」
「ではまた時間がある時においで。その時はお友達も連れてきてもいいよ」
「……? ……はいっ」
……何を言っているんだ俺は? 特に来てもらったところで何かできる訳でも無いというのに。
しかしながらあのような、魔法に対して純粋な少年にまた会ってみたいと思っている自分がいるのも確かなもの。
「……まあ、二年生で教える内容を先に少しだけ伝授してあげるのもありかな」
◆ ◆ ◆
それからお昼休みの時のこと。教職員は普段の食事も各自自由のようで、特にえり好みが無ければ毎食、教室と繋げられている準備室という名の職員の自室にまで運んで貰える。
準備室は既に大半が私の私物によって占拠されており、空だった本棚にも私がよく読んでいる参考書や、校長から事前に頂いていた教科書類で埋まっている。そして部屋の立地が良いのか、窓から時折飛翔訓練をする生徒と目が合うことがたまにある。
「さて、と……お昼休みだ」
特に食に関してこだわりのなかった私は準備室までの料理配達をお願いしており、こうして時間になって自室に戻ればできたての料理がテーブルに置かれている。この学校では基本的に転移魔法はできないように封じられているようだが、こうして決められた場所への配達と、そして校長だけは転移魔法を使うことを許可されている。
「生徒のズルやイタズラの防止の為いえ、我々まで不便をすることになるとは……」
淹れ立てのコーヒーを片手に、学校外の情報を仕入れる為の新聞に目を通す。因みに新聞について、魔法界でもほとんどの者が納得する言葉が一つある。
ゴシップを知りたいのであれば、魔法新聞社の新聞を読むな――ということわざ。つまり魔法界最大手の魔法新聞社以外は、ほとんどが胡散臭い記事を取り扱っているという話だ。
「シャックルズ刑務所から脱獄者……はぁ、何をやっているんだか」
詳細までは新聞社でも掴めていないようだが、ともかく魔法省は俺みたいな奴をいびる前にやるべき事をやって欲しいものだ。
「……ん?」
新聞に目を通していると、突然準備室の扉をノックする音が聞こえてくる。つい先程脱獄の記事を読んだせいなのかはさておき、ミストルテインを素材にした杖を片手にドアへと近づく。
「……どなたです?」
「わっ、私っ!」
「私って言われましても……」
「リリー! リリー・ウォーカーっ!」
言われてみれば聞き覚えのある声を前に私はサッと扉を開けると、そこにはつい先程まで泣いていたのかまぶたを真っ赤にしたリリーの姿がそこにある。
「っ!? どうしたんだい!?」
「べっ、別にっ、なんともないっ! ……なんでも、ない」
「なんともないならそんなに目を真っ赤にするはずないだろうに。話してご覧なさい」
元からおいてあった椅子の内の一つに彼女を座らせると、元々好きで備えておいたベルモンドの取り寄せお菓子箱を彼女の前で開封する。
「どれでも好きなものを食べるといい。気にすることはない、元から馬鹿げた量が詰められた小箱だから」
取り寄せお菓子箱はこの学校に来る際に魔法省近くのお菓子店で買ってきたもので、一年分のお菓子が食べ尽くされるまで、お菓子箱を開ける度に中身が補充される魔法のかかった箱だ。
そして今回も例に漏れず、彼女の前で開けた箱には沢山のキャンディやチョコ、グミが顔を覗かせている。
その中でリリーが手に取ったのは中にイチゴのシロップの詰まったミルクチョコ。包装紙をはがして口に含めば、口の中が一気に甘さに支配される。
「っ!? すっごく甘い!」
「ああ、それは私も気に入っているんだ。…………さて、気持ちが落ち着いたところで話を聞こうか。どうしてここを訪れてきたんだい?」
「……それは……その……」
「話したくないなら、無理して話さなくていい。その代わり、ここでしばらくゆっくりしていくといい」
一応後で寮監のモーガン先生くらいには話を通しておくか。俺一人で下手に抱え込んでも面倒事は目に見えている。
そう思っていた矢先のことだった。
「……授業中に、モーガン先生! に、怒られて……それで――」
「教室から飛び出してここにきた、と……ハァ」
思わず溜息をついてしまったが、まあ生徒からの話を聞く限りでもあの先生は怖いという話で持ちきりだから仕方ない部分もあるのか。
「……まあ、気分が落ち着くまでここにいるといいよ。それと、昼食はテーブルの上にある私の分を食べなさい。心配しなくとも、食べかけではないから」
この分だとお昼すら食べずにここに居座りかねない勢いだったので、少なくとも腹を空かしたまま返すことがないようにと、テーブルの上に置いてあった昼食にも手をつけていいと声をかけ、私は再び新聞の方へと視線を落とした。
「…………」
「…………」
そのまま無言の時が過ぎていく。しかし先刻よりは落ち着きを取り戻した様子のリリーは、私の言葉に甘えるように、昼食にも手をつけていた。
「……ふむ」
「もぐ、もぐ……」
しばらくしてまたしても、ドアからノック音が響いてくる。
「? 今度は誰でしょうか」
「ももも、もしかして、モーガン先生!?」
「もしそうだとしても、私が話をしますから」
そうして食事途中で慌てだすリリーを席に座らせたまま、私は席を立ってドアの前に立つ。
「はい。どなたでしょうか」
「先生! 遊びに来ました!」
「んん? 遊びに来た?」
これまた聞き覚えのある男の子の声に、一体誰だったかと首をかしげながらドアを開ける。
すると目の前に立っていたのは、あの迷い込んできた一年生ともう一人。
「お前本気かよ!? 先生の部屋に突撃ってー……こ、こんにちはー、あはははは……」
それまで必死に制止しようとしていたのであろう同級生が、私と目が合うなりご機嫌取りをするかのようなひきつった笑みと挨拶を始める。
「あれ? もしかして他にも遊びに来た人が?」
「ん? ……っ! ああ、彼女も私の所に遊びに来ていたところなんだ」
少年が目ざとく見つけたリリーの姿を適当に誤魔化しながらも、ここで追い返すのもどうかと思った私は仕方なく二人も部屋に招き入れることにした。
一人は以前に迷い込んできたことで面識を持った、短く切った黒い髪の真っ直ぐな瞳を持つ少年。そしてもう一人は落ち着きのなさそうに辺りを見回す、頬にそばかすのついた茶髪の少年。
「僕はエリオット・グリフィスといいます。そして友達の――」
「ネイサンです! ネイサン・ジョーンズです!」
二人の方は既に昼食を終えているようで、ネイサンと名乗るお調子者の方は、私の許可を得ることもなくお菓子箱に手を伸ばそうとしている。
それにしてもグリフィスか……確か四十一の魔法族の一つだったはず。となると目の前の少年もまた、優れた才能を持っているのだろう。
――魔法省から追い出された私とは違って。
「エリオットにネイサンか、良い名前だ。私の名前はカイ・バトラー。二年生から学習する防衛術の担当をさせてもらっている。お近づきの印として、お菓子はそこの箱から好きなものを取っていいよ」
「本当!? 先生最高かよ!」
そう言ってネイサンはごっそりお菓子を持って行こうとしたが、それを友人であるエリオットが無言で手をはたいて止めている。
「いってー、だって先生が好きなだけ持って行けって――」
「好きなものを取れって言っただけだよ。むしろ遠慮くらいしないと」
流石はグリフィス家、社交辞令がなっているとでもいうべきか。そして特に害をなす雰囲気も無いと理解したリリーは、エリオットに指を指されたことで止めていたフォークを再び動かし始める。
「二人は所属はどこなんだい?」
「僕達二人ともオーロファフニールです」
ファフニール……ということはあの時いたアーサー・フィリップス先生が寮監か。
「ということは、フィリップス先生にお世話になっているのかな?」
「そうです! あの先生すっごくいい先生なんですよ! 授業も面白いし!」
フィリップス先生は一年生の段階から全員が学ぶ魔法学の担当をしているそうで、どうやらその授業の評判も抜群らしい。バスカヴィルやジャックライトの生徒の中でも、フィリップス先生のファンがいるとかなんとか(まあ、ネイサンの大げさな話を聞く限りなので本当かどうかは疑問であるが)。
「そうなんだ、それは素晴らしい先生だね」
「そうそう! あの怒りっぽいモーガン先生とは大違い!」
「っ!」
モーガン先生の名前が出るなり反射的に身体をびくつかせてしまうリリーを横目に、私はそれとなく二人に時間を伝えてここを出るように促す。
「おっと、午後の授業が始まってしまう。もうすぐ教室に二年生も来るだろうから、君達も午後の授業に行ってきなさい」
「バトラー先生、お菓子ありがとうございました」
「またお菓子食べにきてもいいですか!?」
「ダメだってばネイサン、まったくもう」
そうして二人仲良く準備室を去って行ったところで、改めてリリーの方を見やる。
「や、やっといなくなった……」
「そうだね。賑やかな二人組だったね。……さて、午後からは二年生の防衛術だ。君もしっかりと授業に出るように」
「ぎくっ!? わっ、わかりました、先生」
何とか機嫌も良くなったようなので、下手に他の二年生に見られる前に彼女を連れて、教室の方へと戻ることにした。