第五節 幽霊の正体 1話目
「いけー! いけー! それいけー! ボサッとしてんじゃねぇぞー!!」
「ファフニール! ファフニール!」
「バスカヴィルブラックに勝利を!!」
ブラウンの強烈な野次と、競技場の観客席から各寮の応援が空へと響き渡る――
この日は一日中、寮対抗のブルームレースに時間を割かれることとなっていた。当然ながら教職員もブラウンを中心に全員駆り出され、私はレース中に外部の異常が無いかどうかの巡視を指示されている。
「さて、どうしたものか……」
とはいえ、今の私の目が捉えているのはブルーラル上空で次々と輪を作ってはレースを仕切っているブラウンという存在。当然メインは学校の外からの不法侵入や乱入を見張る事なのだが、片手間にブラウンの様子をチラチラと見ざるを得ない。
それにしてもやはりこの時期の外は寒いな。生徒も皆防寒具をつけているし、私もスーツの上にいつものコートを着ておかないと凍え死んでしまいそうだ。
「生徒は皆観客席にいて、寮監も各寮についている。今のところは問題ない」
ベンチに座るように箒に腰を掛け、足を組んで顎に手を当てる。ブラウンという男が裏で何をしているのか、そして昨日のモーガン先生の言葉の本質はなんなのか……繋がりそうで繋がらないこの二つが、頭の中をぐるぐると回っている。
「もしかしてモーガン先生は、既に糸口を掴んでいる可能性が――」
「随分とお悩みのようですね、バトラー先生」
しわがれてもなお芯のある老婆の声のする方へと顔を向ける。するとそこには、伝統的な魔女の服装であるとんがり帽子と黒のローブに身を包んだ教師がいる。
イーヴァ・トンプソン。アーウィング卿と同じでこの学校最古参の先生であり、教頭でもある女性だ。
「学校に来てからそこそこの日にちが経ちますが、何かお悩み事でも?」
「えっ? ああいえ、そんな大きな悩みという訳では無いんですが。それよりも教頭は確かジャックライトの寮監では――」
「寮生のお世話はヤング先生にお任せしています。私もたまには外の見回りをしようと思いましてね」
それって遠回しに俺一人だと不安だって事を言いたいのか?
「教頭の見回りもあるとなれば、学校も安泰でしょうね」
「……そうですね」
私のおべっかの仕方でも悪かったのか、トンプソン教頭は歯切れの悪い言葉を返してくる。
「……何か問題もあるんですか?」
「問題があるというより、あったと言った方が正しいのかどうか……」
「――それってもしかして、例の幽霊事件に関与していたりするんですか?」
「っ!? 何故それを貴方が!?」
ありがとうモーガン先生。貴方のおかげでまた新たな情報を得ることができそうです。
「実は他の先生から話をお聞きしまして……女性ばかりを狙う幽霊、恐ろしいものです」
私が知っているのはこれだけだと言わんばかりの口ぶりで語ってみると、教頭は首を振って私の言葉に訂正を重ねる。
「……校長は、害の無い幽霊なら祓う必要もないと言っていました」
「それもお聞きしました」
「その実体は幽霊でなく悪魔、あるいは淫魔の可能性があると我々は踏んでいます」
「淫魔……」
その言葉の裏として意味しているのは、襲われた女子生徒は皆心身共に大きな傷を負ってしまっているということ。校長は暗に幽霊の存在を否定する為に、先の言葉を生徒全員に告げたのだろう。
「被害を受けた女子生徒は皆、深夜かあるいは早朝に気絶した状態で見つかっていました。当の本人達の記憶は全て忘却術で消されていたようで、突然自分の身に降りかかった不幸を前に、為す術もなく泣き崩れるしかありませんでした」
「なんて酷いことを……!」
「その後、被害を受けた生徒はほとんどが学校を休学しているか自主的に退学をしていて、今も学校には来ることができていません。学校内に残っている生徒には病気の療養という形で話を通してはいますが、実際は今もその悪魔は捕まっておらず、校内の捜索が続いているのが現状です」
ブラウンの話どころか、更にとんでもないものを引きずり出してしまったと、私はゴクリと生唾を飲み込む。
「……ちなみに被害を受けた生徒の名前とか分かりますか? もしかしたら、私が魔法省に掛け合うことで対策本部を――」
「いえ、その心配はありません。今のところはブラウン先生が積極的に夜間巡視を行って下さっているおかげで被害も抑えられているようですので」
「ブラウン先生が……?」
――二つを繋げる最大のヒントが、今私の前にぶら下がっている。グリフィス家の人間ではない私ではあるが、私の勘がそう訴えている。
「ええ、ブラウン先生が。それと以前は貴方の前に防衛術の担当をされていたコナー先生も夜間巡視に立候補して下さっていました。彼もブラウン先生の推薦でつい最近学校に来た先生で大変勇敢だった先生ですが、ご存じの通りモーガン先生との合同授業での事故で怪我をされて――」
「そういうことだったのか!」
思わず大声で納得の声を挙げて、教頭の話を遮ってしまう。だが今俺の頭の中で、全てが繋がって一つの現実をハッキリと浮き彫りにしている。
これだ! 全てが繋がった! モーガン先生は既に尻尾を掴んでいたんだ!
「後はどう突き詰めるか……」
「突然どうしたんですかバトラー先生?」
「いえ、ただ自分が呼び寄せられた理由がハッキリとしたので納得しただけなんです。校長も中々話して下さらなかったので……」
「恐らくこの件に関して、新任であるバトラー先生にはまだ早いと思ったのでしょうね」
教頭はあっさりと言ってのけたが今はそんなことなどどうでもいい。それよりも、最後に確認しておかなければならないことが一つだけある。
「最後に一つだけよろしいでしょうか」
「ええ。もう隠すこともないでしょうし」
「被害を受けた“ほとんど”の生徒が休学と仰っていましたが、まだ学校に通っている生徒はいるんですね?」
大方予想は付いているが、もしこれが当たっていたとしたらあの男の疑いは決定的な者へと変わってしまうだろう。
「ええ、一人……未遂という形でその生徒だけが唯一、女子寮に逃げ込むことで何事もなく済んだようです。しかしその子は悪魔を直接見たのか、あるいは呪いでもかけられたのか何も語ろうとせず、ただただ震えるばかり。情報を得ようと多くの先生の立ち会いの中事情聴取をしたのですが、結局何一つ聞き出すことはできませんでした」
それはそうだろう、その教員の中に悪魔が潜んでいるかもしれないのだから……!
「……ちなみにその生徒の名前は?」
ほとんど分かりきった答えであるが、それでも俺は聞いておかなくてはならない。
俺の問いに対して、トンプソン教頭は堅く口を閉じ、そして重たい扉を開くようにゆっくりと口を開けて答えを告げる。
「その生徒は、バスカヴィルブラック寮の二年生――」
――リリー・ウォーカーです。




