序章 天下りではなくお払い箱
「――以上でこの月の魔法界の運勢は良き方向へと向かうでしょう」
「ふむ……そうか」
魔法省内某所にて、いつも通りに占星術を用いてこの国の運命を変える。
月に一度、私だけが行える重大な調整――という程でもない。ただ未だに形式的に残された占星術の為に用意された部屋にて、巨大な天体模型を操作して魔法をかける。
星の位置でそれぞれ運勢だったり、あるいはもっと上位の運命だったりを変えるのが古来からお抱えである占星術師の仕事だったりするのだが、それも今となってはこの魔法省内でのお荷物がやらされるだけの、本当に形式だけの無意味な仕事。
「……占星の義に立ち会っていただき、ありがとうございます」
「……ご苦労であった。では」
こうして私は深々と頭を下げる……形式上だ。そしてこれもまた魔法省長官の形式上のねぎらいの言葉を受け取ると、私は再び部屋に唯一置かれている椅子と机の元へと戻った。
「さて、どうしたものか……」
魔法省に所属している証でもあるバッチが縫い付けられたスーツの上から、年季の入った古着のコートに袖を通し、私は椅子へと腰を降ろす。
冬場ともなれば、こんな隙間風も入ってくるような部屋はとても寒いからなぁ。
「ハァ……折角魔法省に就職したというのに、こんな明らかに必要のない仕事をやらされる羽目になるとはね……」
就職後即座に始まった出世の為の蹴落とし合い。昔から争いごとが嫌いだった私がそういったものからできる限り身を引いてきた結果――まあ、当たり前のことだがあってもなくても変わらないような部署へと追いやられる。
「今年もまた一人、か……他の者はみな出世街道をひた走っているのだろうな」
この部屋に追いやられてから最初に見つけた水晶玉。なんでも一つ前の職員が必要ないと置いていったものらしいが、特に占星術に使える訳でもなさそうで、ただただこちらの物憂げさを訴える眼を映しているだけ。
「……ん? もしかして早くも白髪が生えてきた?」
生まれつきくせのある茶髪の隙間にきらめいたような……あっ、やっぱり。
「まあ仕方ないか。こんな何もすることもなく閉じ込められるだけの部屋にいたら、そりゃストレスも溜まるか」
こんな部署でも一応魔法省所属の部署。することが無かったとしてもサボろうものなら処罰が待っている。というより、余計なことをして処罰を下そうとしているからこそこのような何もできない部署に放り込んでいるのだろう。
「腐っても魔法省所属だから給料は悪くないかもしれないが……」
それでも同期よりも給料は圧倒的に低い――というより、日給に近い給与形態なのだから、本当にいつ辞めて貰っても問題ないという事だろう。
「さて、今日は残った時間で明日以降の報告書“も”纏めて書くとしよう」
一日の終わりには報告書の提出。これもまた辞めさせる為の嫌がらせの一環。しかし今日は幸運なことに月に一度の占星術の日。ならば書き記す内容はもう決まったようなもの。
「……最後に先月何も起きなかったことを書き添えて、この部署の必要性でも一応書き記しておくか」
形式的とはいえやっていることは正式な占星術に則っているのだから、劇的では無いにしろ気休め程度には効いている筈。
……多分。恐らくだが。
「よし、ひとまず今日の分は書き終えた。後は少しばかり休憩をして、翌日以降の分でも適当に――」
「カイ! カイ・”ユーバンク”・バトラーはいるか!?」
この日も一日静かな部署になる筈が、突如私のフルネームを叫びながらドアを開ける魔法省大臣の登場によって騒がしいことになる。
「はい、バトラーは私ですが」
「おお、やはりいたか。彼が魔法省占星術部署のカイ・ユーバンク・バトラーです」
「ふむ、君が魔法省でも噂の……」
その噂とは魔法省でも唯一の魔法族ならぬ窓際族、という意味なのか? と皮肉を言いたいところだったが、目の前に立っているのが魔法界でも指折りの人物となると閉口せざるを得ない。
「……かつては三賢人として魔法族の発展に大いに貢献したとされるロナルド・アーウィング卿が、このへんぴな部署に何の用で?」
今年で御年二百を超えるであろう、魔法省はおろか魔法界ですら名前を知らぬ者などいるはずもない三賢人の内の一人。その三賢人で唯一存命している深いしわもつ老いた男に対して、私は敢えて皮肉を交えて言葉を交わす。
当然ながらこれをとんでもないことだと大臣は私の方を見るなり憤りを露わにした表情を向けてくる。そして即座にクビだと宣告しようとしていたが、当の本人はというと苦笑を浮かべるばかりで気分を害しているようではない様子。
「そう意地悪を言うでないわ。確かにここは、魔法省でも爪弾きにされている風潮があるかもしれんが、腐っても魔法省所属部署じゃ。並大抵の人間であればここをへんぴだとは言うまい」
そう言ってアーウィング卿は辺りを見回し、そしてつい先程私が儀式を終えた天体模型へと目を止める。
「……これは、お前さんがやったのかい?」
「ええ。毎月最初の新月の日、そちらの模型を使った占星術でもって、この魔法界の安寧を願う……まあ、一種の祈祷のようなものですね」
「なるほどなるほど……うむ、そうか」
何をそんなにまじまじと見ることがあるのか。古来より伝わる呪術形態から特段変えたつもりは無いが。
「……そうか……」
「……何かご不満でも?」
「いやいや、興味本位で聞いただけじゃ」
「そうですか」
ただ興味本位でこの部署を訪れたというのであればできる限り早くお帰り願いたいものだが、どうも世間話をしにきただけではなさそうだ。
「……ところで、バトラー君」
「はい」
「君は今の仕事に満足しているかね?」
「っ!? ……それは一体どういう意味で?」
なるほど、読めたぞ。俺がここに来て既に二年、中々折れないことで我慢の限界が来たのか、三賢人を使って俺を諭そうというのか。
――そうはさせるものか。
「失礼ですが、俺はこの仕事に満足しております。つい先程アーウィング卿も仰ったとおり、魔法省で働けるというのにこれ以上の贅沢は――」
「違う違う、そうではない。同じ魔法省内でもこのような部署にいるのは勿体なくはないかという事だ」
思わず私と丁寧に言えずに俺と言ってしまったが今更取り返しが付かない。しかしそんな些細なことよりも話は思わぬ方向へと転がろうとしていることに、俺は当初気がつくことができなかった。
「っ!? お待ち下さいアーウィング卿! 予定していた話と違うでは――」
「違う? 何を言っているのだ、儂が聞いたのは彼をこの部署から移転させること、それだけだが」
どうやら大臣としては私の予想通り辞めさせる方向で話を進めるつもりだったようだが、どうやらアーウィング卿は違う目的を持って私に話を持ちかけようとしているらしい。
「彼には魔法省に所属したまま、私の学校に特別講師として来てもらいたいんじゃ」
「なっ!? そんな無茶苦茶な!?」
どういうことだ? 話が全く見えてこない。この私が特別講師?
「申し訳ありません、話が全く見えてこないのですが――」
「つまり、こういうことじゃよ」
そうしてアーウィング卿直々に渡された羊皮紙には、ある契約について内容を纏められえている。
「ブルーラル魔法学校、特別講師……?」
「儂が校長を務めておる魔法学校で防衛術の職員に欠員が出てしまってな。その穴埋めとして冬休み明けの一月からどうかね?」
九月の入学式から半年経たずして欠員とは、一体何が起こったのか。興味本位で聞いてみたもののアーウィング卿は言葉を濁すばかり。
「前の職員がまだ契約期間中だったのじゃが、ちょっとした事故が起きてしまってな。仕事の続行が難しいということで急遽欠員補充が必要になったんじゃ」
「それでどうして私に?」
「魔法省に聞いたら君が一番手が空いていると聞いてな。まあ、月に一度の占星術の日は戻れるように日付を調整しておくから、是非――」
「ちょちょちょ、ちょっと待って下さい! 既に私が行く前提となっているようですが――」
「別に構わんだろう? 魔法省でも形式的に残っている部署なんじゃから」
くっ、やっぱり最初から知っていたかこのジジイは……!
「そういうことで、よろしく頼むよバトラー君。大臣も、これでいいかな?」
「で、ですが…………まあ、いいでしょう」
大臣としても予定外だったようだが、これで私が使い潰されでもしたらこれ幸いにと辞職させる腹づもりだろう。そうはさせるかと言いたいところだが。
「とにかく、バトラー! お前は来週からブルーラル魔法学校の特別講師として生徒の前で教鞭を振るってもらう! いいか、あくまで魔法省からの人事派遣だぞ。魔法省として恥じぬ仕事をこなすように!」
「……承知しました、大臣。あくまで魔法省の人間として、それなりの仕事をさせていただきます――」