表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

時は金なり

監督が心臓発作で急死したことは作業員の間でも話題になった。クサナギと比べるとかなり年配だったが、命を落とすには早すぎる。年配の作業員の中には、自分とたいして変わらないじゃないかと口にする者もいた。


クサナギは彼を悼みつつ、いつものようにトーヤに果物の飴を分けてやった。トーヤはお礼を言って飴を口に含んだ。


監督がいないと作業が進まないため、新しい監督が指名されて業務を引き継いだ。

翌週の朝礼で、新しい監督、佐伯の挨拶があった。梅雨が明けてよく晴れた日のことだ。クサナギはいつものように作業服を着て、カノとトーヤとともに朝礼に加わった。


佐伯は五十代ぐらいで眼鏡をかけた男だった。彼は名乗ってから眼鏡を外してハンカチで軽く拭き、元通りにかけ直して挨拶を続けた。


「今までの現場の状況を確認しましたが、正直なところ業務の進捗が遅すぎます。監督と作業員があまりにも馴れ合っていたことがひとつの原因です。これからは効率化に重点を置き、無駄を省いてより迅速に作業を進めていく必要があります」


クサナギは黙って佐伯の話を聞いていたが、頭の中には反論が湧いてきた。

若造の作業員である自分に上の意向は分からないが、今までさほど効率が悪いとは感じなかった。なにより、来て早々に前の監督を悪く言わなくてもいいじゃないか。


そんな不満を知ってか知らずか、佐伯は説教じみた話を長々と続けた。気温が上がってきて背中を汗が伝う。佐伯の背後で業務用の冷風機が動いているが、作業員の立っている場所には風は届かなかった。


「時は金なりという言葉がありますが、それはこの現場にも当てはまります。時間は大切です。無駄なことに時間を使わず、一つ一つの仕事に真剣に取り組んでください」


こっちの台詞だ、と思った。


「また、最近は新型の感染症が流行しており、我々もそれに対処しなければなりません。感染者が出ないように、私生活でも注意が必要です。ふらふら遊び回ったり、無駄な外出をしたりしないように」


言っていることは一理あるが、話が終わる頃には気分がしらけてしまい、以前の監督を懐かしく思った。長い話が終わって各々が持ち場に向かうとき、カノが「無駄な説教だ」と小さく呟いた。同意である。


クサナギの作業班のメンバーが歩いていると、佐伯が近づいてきてトーヤを呼び止めた。

トーヤは猫車を押す手を止めて振り返った。数人の作業員がそちらに目を向ける。


「君がトーヤか」

「はい」


佐伯は眼鏡を押し上げると、トーヤに向けて言葉をかけた。


「君の働きぶりは聞いているよ。体が丈夫で不満を言わず、しっかりと作業に取り組む。これこそ理想の労働力だ。これからもその調子で頑張ってほしい」


佐伯はトーヤの肩を軽く叩いた。

トーヤは淡々と「ありがとうございます」と答えると、猫車を押して作業班に合流した。人の心をもたない少年はその日も一日よく働いた。


その日、クサナギはトーヤに飴を渡さなかった。

別に意地悪のつもりはない。クサナギの頭から飴のことが抜けていたうえ、トーヤも飴をねだりに来なかったからだ。


佐伯が監督になってから、朝礼で説教を聞かされるようになった。背後に冷風機があって、汗を流している作業員たちの前で一人で涼みながら説教するのだ。眼鏡を外してハンカチで拭くのが始まりの合図だったので、それを見るたびに気が重くなった。


佐伯がどこからか無茶な工程を受注してくるために、しわ寄せが現場の作業員に及んでいた。佐伯は進捗が遅いと嘆いていたが、そもそも工程に無理があるのだ。


監督の交代で現場の様子が変わってしまったなか、感染症もじわじわと広まっていた。作業員のなかではまだ出ていないが、近くの定食屋の店員が感染したことが報じられ、店は営業を停止していた。作業員の数人が仕事終わりにそこで食事していたことが分かると、佐伯は彼らを朝礼で名指しして「無駄な寄り道はしないように」と注意した。


出勤すると体温計で熱を測って表に書き込み、ヘルメットと作業服に加えて感染対策のマスクを着ける。マスクは品薄で一日一枚しか使えず、汗で濡れたマスクを使い続けるのが不快だった。感染対策は必要だとしても、炎天下で建設作業をするのにマスクは邪魔である。


ある日の仕事終わり、クサナギは疲れた体を引きずって歩いていた。疲れているときは体が傾きがちで、足を踏み出すたびに視界がわずかに揺れた。


隣を歩くトーヤに「お疲れ様です」と声をかけられた。白いマスクをつけた姿を眺めて、ソロイドも病気になったりするのか、と疑問が浮かんだ。生体アンドロイドも発症するのか気になるところだ。


「今って変な病気が流行ってるけど、トーヤは大丈夫?」


人から人にうつるって聞いたからトーヤはどうなのかなと思って、と付け足す。


トーヤは少し考えてから口を開いた。


「保証はできませんが、人間よりも病原体への耐性があるとされています。試作品のソロイドは数十種類の病原体を注射されましたが、目立った症状は出なかったと聞きました」


クサナギはあいづちを打つ。さらりと話しているが、あまり想像したくない実験である。


「ただ、発症しなくても手や口に病原体がついているかもしれないので、保菌者になって周りに広めないためにマスクは欠かせません。先のソロイドは感染性廃棄物として適正に処分されましたから、感染の心配はありません」


ご安心ください、とトーヤは笑顔で言葉を添えた。製造元の技術を誇りたいようだが、研究者でもないクサナギにとって、聞いていて気分の良いものではない。


「廃棄物とかいうなよ。トーヤがかからないならそれでいい」


クサナギは閉口して、一方的に話を終えた。


やがて、プレハブの詰め所が使えなくなった。上の判断で長机や椅子が撤去されてしまったのだ。扉を開けてみると、机や椅子があった場所には資材用の棚が置かれ、段ボールが積み重なっていた。


入り口に消毒液が設置され、扉には「密集を防ぐため立ち入りを制限します。資材を取り出す際は手指を消毒すること」と貼り紙があった。クサナギの作業班のメンバーは貼り紙を眺めて顔をしかめた。


「残念ですね」

「監督が変わってからヤなことばっかりだ」


クサナギは額の汗を手で拭った。この暑いのに室内で休めないんじゃ熱中症になりそうだ、と口にする。カノがそれに答えた。


「監督の話じゃ、休憩所があると人が密集して病気になるらしいぞ。ちょうど倉庫がここに欲しかった、とも話してた」

「うへぇ。正気か」

「暑い暑い。やってられん」


詰め所の入り口で不満をこぼす中、トーヤは入口で消毒液を手に擦り込み、マスクをずらしてペットボトルの水分を摂った。


作業班の一人が、冷風機の前で休もうと言って歩き始めた。トーヤはここにいると答えて残り、クサナギとカノを含む作業班で後に続く。


ちょうど佐伯が朝礼で立っている位置に集まった。居合わせた者が冷風機のコードを接続してスイッチを入れると、涼しい風が吹きつけた。風のよく当たる位置を取り合いながら涼んでいると、佐伯がそこに現れた。


「密集しすぎだ!」


佐伯は冷風機のスイッチを切って、作業班のメンバーを追い払った。


「熱中症対策です」とカノが答えると、佐伯は睨めつけるように目を細めた。


「くだらないことに知恵を使うから困る。ソロイドを見習ってください」


佐伯の一言で冷風機から遠ざかる作業員たち。クサナギとカノも顔を見合わせ、不満を感じながらも黙って従った。


あいつを見習えとか勘弁してくれ、と誰かが呟いた。カノは何事かを考え込むように立ち止まり、再び現場へと足を進めた。


午後からの作業が再開された。いつものようにカノが足場に上り、クサナギとトーヤが地上に残っていた。クサナギは資材を運んで受け渡しながら、作業服の襟元を引っ張って風を通した。


暑いなと口にすると、トーヤが「はい」と答えた。


クサナギは佐伯の言葉についてぼんやり考えていた。

自分たちは人間だ。給料も必要だし、病気にもかかる。耐用年数が決まっているソロイドとは違って、曖昧で掴みどころのない将来がある。引き合いに出されてはたまらない。


「おーい。クサナギ」


名前を呼ばれて上を向くと、カノが鉄パイプを両手で抱えていた。倉庫から工具を取ってきてほしいと頼まれて、クサナギはそれに応じた。


横を向いて数歩歩いたとき、大きなものが落下する気配を感じた。言葉で認識するより前に事故を想起させる。


クサナギは反射的に首を動かしてそちらに向ける。高所から降ってきた鉄パイプが、未舗装の地面に斜めに刺さるところを予見した。先ほどまで自分が立っていた場所。予見しても回避できない質量。


周りの音が消えたような静寂の中。


──トーヤ?


ソロイドの名前が頭に浮かんだ。落下地点にいた彼が貫かれて命を落とす光景を、クサナギは脳裏に観たのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  謎のウィルスの発生……感染者が増えて制限がかけられていくのは、まさに現実世界みたいですね! 行きつけの店に行けなくなったり、密になるなと叱られるシーンがとてもリアルでした!  [一言]…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ