2 左遷先の日常
聖女召喚が行われた街、カフライルから馬車で丸一日の移動を経て辿り着いたランパー村。
その規模から村人全員顔見知りなその村にある教会の近くの家に、神官と三日でクビになった聖女が暮らしてしばらくが経つ。
その日も同居人の召喚したニワトリの鳴き声を目覚ましがわりに目が覚める。
神官の青年ロジオの朝は早い。
一応教会に勤めるのが仕事なのだが、如何せんこの村は特別信仰が熱いと言うわけでもない為ロジオの仕事は限られている。
まずは朝食の準備だ。
鍋に水と細切れのトマトとキノコ、それから豆を入れて塩胡椒で味付けをし火加減を見ながら水気が無くなるまでよく煮込む。
続いてプライパンに卵とベーコンを入れて焼く。
しばらくすると朝食の匂いに目が覚め……た訳ではなく、自身の呼び出したニワトリに叩き起こされる形で渋々トワコが部屋から出てくる。
「おはようございます。もうご飯できますよ、顔洗ってきてください」
慣れた手つきで肉がカリカリになるまで焼いたベーコンエッグを皿に移しながら言えば「うい」という鳴き声のような返事をして洗面所へ向かう。
パンに切り込みを入れてトマトベースの具を詰め込みコップにコーヒー粉を入れお湯を注ぐ。
空になってしまった瓶の底を見てため息をつく。
どうやらコーヒー粉が切れてしまったようだ。
彼女の方のコップに少し多めに粉を入れてお湯を注ぎ、朝食が完成したタイミングでトワコが戻ってきて席に着いた。
「おはよう」
「はい、おはようございます」
改めて挨拶をしてからトワコが手を合わせる。
ロジオも真似るようにして手を合わせた。
彼女の元の世界に伝わる食事の前の挨拶なのだと、この村にきた初日に教わった。
食事を作ってくれた人や食材、またそれを作ってくれた人に感謝をする儀式のようなものだと言う。
感謝を伝える良い風習としてロジオも真似をするようになった。
「いただきます」
「召し上がれ」
パンを一口齧っては「うまいうまい」と言う様子にロジオは「よく噛んでくださいね」といつものように声を掛ける。
美味しそうに食べてくれるのでこちらとしても作りがいがある。
初めは元の世界とこちらの世界での食文化の違いに頭を悩ませたりはしたものの、当のトワコはといえばどうやら美味しければ何でもいいらしく、ロジオの料理の腕もあってか今のところ無理をしている様子もなければ「不味い」と言われたこともなかった。
この後、ロジオは薬草を詰みに行ったり怪我人がいれば治療に行き、村人の手伝いや子供達の相手をして再びこの家に戻ってくるのが主な一日のスケジュールだ。
ランパー村に来て二週間、これがすっかり当たり前の日常になっている。
では、その間トワコは何をしているのか。
「ところでトワコさん」
以前は聖女様と呼んでいたが「自分は聖女じゃないから名前で呼んでほしい」と言われたので今はそう呼んでいる。
「今日の予定は?」
「晩御飯まで昼寝する」
「そうですかぁ……」
そう、何もしていない。
本来の聖女であれば魔獣もしくは魔王の討伐に動くのだが、如何せん彼女は普通の魔法も使えなければ聖女の浄化の術も持ち合わせていない。
一度元の世界に帰る方法を探さないか提案したらすごく嫌そうな顔をしたので、それはまたの機会になった。
できることがない彼女は実際昨日も一日ベッドから出なかったらしい。
そんな彼女だが意外なことにトラブルもなくこの村で上手くやっている。
理由は簡単。
その時、ドアがノックされ聞き慣れた声がした。
ロジオが席を立ちドアを開けば見慣れた老年の女性がにこりと微笑む。
「ビーナさん? どうされました?」
「朝からごめんなさいね神官様。トワコちゃんはいるかしら?」
自分の名前を呼ばれたことに気付いたトワコはパンの最後の一欠片を口に放り込んでから二人の元までやってきた。
「ビーナさんじゃん、どしたの?」
「実はねリンゴとベリーの収穫を手伝って欲しいのよ」
「えー……今日忙し」
「アップルパイとベリージャムを使ったクッキーを作ろうと思ったんだけど」
「行きます」
「本当? 助かるわぁ!」
あからさまに嫌そうな顔をしたトワコだったが食べ物が出た途端手のひらを返した。
トワコが上手くやれている理由がこれだ。
早い話、彼女は食べ物に釣られやすい。
なのでこうして度々村の住人に餌付けをされつつ、手伝いをこなしている。
村人の頼みをあからさまに嫌がれる胆力もすごいが、そこを逆手に取って利用するだけの強かさがこの村の住人にはあったのだ。
ホクホクと軽い足取りでロジーの後ろをついて行く背中を半目で見送り、ロジオもポーション作成に必要な薬草を取りに出かけるのであった。
◆
「まず、僕達のいる国はランディニウム王国と言います。温暖な気候と土地に満ちる魔力が豊富な国で、魔王が発生しやすい国でもあります」
薬草を鍋で煮詰めながら本の内容を諳んじるようにロジオはこの国のことを語る。
太陽が真上にやってきた頃、無事にベリーとリンゴの収穫を終えたトワコはアップルパイとクッキーが出来上がるまでの時間でロジオの仕事場を訪ねてきた。
仕事場といっても協会の奥にある厨房だ。ここで普段ロジオは薬草を調合したりしている。
トワコは手伝うでもなくテーブルに突っ伏してその後ろ姿を眺めながら、若干うとうとしつつ静かにロジオの話に耳を傾ける。
「魔王が……発生?」
「はい、この世界での魔王というのは概念的なものなんです。土地の魔力の澱みによって生じる存在……初めは魔獣の召喚、最終的に自身の領土を持つようになります」
「元々聖女って何するものなの?その魔王と戦ったりするの?」
「いえ、この国における聖女の役割は土地の浄化です。そもそも戦うこと自体は普通の人間でも可能なんですよ」
「……この国?」
『この国』その言葉にトワコは引っかかった。
その言い方だとよその国にも聖女がいるみたいじゃないか。
「えぇ、他の国にも聖女はいらっしゃるんですよ」
トワコの無言の疑問にロジオは何が言いたいのか理解してそれを肯定した。
薬草から出てきた灰汁を取りゆっくりと鍋をかき混ぜる。
「聖女は国によってその特色に違いはありますが主に『聖なる力で魔に連なるものを退ける存在』と言ったところでしょうか」
聖女は元々存在する魔法とは別に聖なる魔力をその身に宿している。
先代の聖女が亡くなり、しばらくすると新たな聖女が生まれる。
それはこの世界のサイクルの一つなのだが稀に、その歯車が狂う。
今のランディニウム王国がまさにその状況の真っ只中にいた。
先代の聖女が亡くなって二十年余り、今のところは領土を得た魔王も存在するのだがその魔王を倒すこと自体はできている。
しかし領土を浄化しなければ土地の淀みは癒やされない。
浄化されない土地には新たに魔王が発生する。ここ二十年の間に強大な魔王が二度現れているが、何とか凌げている。
幸い今は均衡を編もっているがこれがいつ崩れるとも限らない。
「成程、それで私を呼んだと」
「……はい」
ロジオは手を止めて目を伏せる。
そうだ、だからこそトワコを呼んだ。
例え呼んだのがあの私利私欲に塗れたプーカではなく国やこの世界を憐れんだ何者であれ許されることではないのだ。
自身が帰れないと言われてもトワコはロジオに何も言わなかった。
「そっか」と一言だけ返事をしてそれ以外には何も。ロジオを責めることもなかった。
成り行きから始まった関係で、元々ロジオが世話焼きな性格なのもあるが、自分がこうやって彼女の世話をやているのだってせめてもの罪滅ぼしなのかもしれない。
と、その時トワコが勢いよく顔を上げた。
「はいお待たせ〜パイとクッキーよ」
部屋にふわりと甘い香りが漂ってきた。
やってきたビーナの腕にはパイとクッキーが入っているであろうバスケットがある。
「神官様も休憩にしましょう?」
「えぇ、いただきます」
ロジオは鍋の火をとめて食器を取りに行く。
しかし、戻ってきた時にはすでにトワコが手掴みでアップルパイを頬張っていたのでビーナと共に苦笑いすることになる。