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魔術師カイリの星巡り  作者: 雑木
6章 風雲の報せ
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85 〈ナガ〉



 黒く、細長いものが何百と、うねりながら膨張していく。

 学院の碩学、ミソラの背後からそれは現れ、真っ白な空間を塗り潰すように広がっていく。一瞬、彼女の身体が膨らんだように錯覚したのは、彼女がまさにそれの塗り潰した空間に溶け込むように佇んでいたからだろう。

 やがてそれは膨張を止め、彼女の周囲、四肢を広げたほどの範囲を埋める円形に落ち着いた。輪郭はなおも波打つようにうねっている。無数の蛇の群れか、それともイソギンチャクの触手が広がったような形だ。だが、その正体を見極めようと目を凝らしてもよくわからない。形が見えるのは輪郭だけで、その内部を見極められない。ただ塗りつぶされ、溶け込んでいる。それでいて真っ黒かと思えば、奇妙なことにぽつぽつと光が見える。

 ……見られている。

 視線を感じる。そんな気がした。目、ということだろうか。

 境目さえわからないほど全体が純白の部屋の中心に、黒く異質な全く別の空間が生じていた。


「君はコハナの〈泡〉を見たと聞きます。あれは平時は漂うばかりであまり印象にも残らなかったと思いますが、これは違うでしょう?」


 ミソラが淡々と口にする。今や彼女は黒い空間に呑み込まれかねないようにも見えるが、声にも表情にも変化は感じられない。

 ただ、空気だけが一変していた。

 先ほどまで僕たち二人の他に何もない、静かすぎるほどに凪いでいた空間に、今はひしめくほどの何かを感じる。当然その根源はミソラ、彼女の背後に広がるものにある。


「……生きているんですか、その、神器は」


 思えばコハナも〈泡〉をどこか自立した存在であるように語っていた。神から授かった道具というならそういうこともあるだろうと思っていたが、これは少々話が違う。

 明確な意思を感じる。


「生命の定義によりますね。しかし、自意識の有無を問うているのなら答えましょう。あります。これの名は〈ナガ〉。本来は仰々しい名がありますが、今そこまでは必要ないでしょう」

「自我がある……」


 言いながら見ると、その黒い空間から瞬く光が、ちかちかと僕を差しているようだった。見られていると感じたのは間違いでなかったらしい。

 それは好奇の視線だ。


「と言っても、基本的に勝手に動くことはないので安心してください。ただ知識欲が旺盛で、未知のものを目前にすると興奮する性格なのです」


 〈ナガ〉とやらにとって、僕は新しいおもちゃということだろうか。


「では、僕はどうすれば良いんですか」

「まずそのまま、立っていてください」


 そう言って、彼女は僕に向かって手を差し伸べた。


「そしてただ、耐えてください」

「……は?」


 返事はなかった。いや、あったのかもしれない。僕がそれを聞き取れる状態ではなくなってしまった。

 いつの間にかミソラの腕に黒く細長い……〈ナガ〉が絡みついていた。しゅるしゅると腕をつたい、ふわっと宙に飛び込んだと思うや、悠々と泳ぐように身をくねらせ近づいてき、僕の肩に渡ってきた。それに触れられた瞬間、僕はぴたりと動けなくなってしまったのだ。

 そいつと、目が合った。

 体色を黒いと思ったのは間違いだ。暗いと表現すべきだろう。触れられた瞬間にわかった。そいつに実体はない。真っ暗な空間が細長い形を取って動いているとでも言うしかないものだ。身体のほとんどが暗く……唯一、目に光がほのかに灯っている。目は一つ。他よりもやや膨らんだ先端部の中央で開かれている。大きさは親指の先ほど。見ただけ、目が合っただけで実感する。コハナの〈泡〉とは違う。明確にこちらへ干渉しようとする動きを見せる。しゅるりと僕の身体を〈ナガ〉が這っていく。身を左右によじりながら、まるで何かを探すように全身を這いずり回る。やがて、そいつは一点に落ち着く。僕の頭だ。その周囲をぐるぐる巡ってたと思うや、額の前でそいつの目が瞬く。そしてその頭を僕の額に押し当てた、次の瞬間にはもう頭の中へ入られていた。

 ……正確には、僕の〈丹紅〉の中に。

 まるで痛みはなく、感触もなかった。

 けれど感じる。わかる。あの〈ナガ〉は今、僕の体内……脳にあるという〈丹紅〉の中を泳いでいる。身体を探っていたのは、入り口を求めてのことだったか。あいにくランク1である僕には脳にしかまともに巡っておらず、額から窮屈そうに入っていった。

 容量が少ないという僕の中はきっと狭いのだろう。どうにかそこそこ動けそうなスペースを見つけたそいつが、僕へ合図をよこした……そんな、感覚があった。

 奇妙だ。少し違うけどスキル……〈言語〉と似ている。僕の中にあって、本来僕のものでないものと反発なくつながっている。それの効果がわかる。

 【紋】を使えとそいつは言う。

 僕に刻まれたものを起こす。その繋がり、術の構成を脳内、〈丹紅〉の中で詳らかにする。

 そいつはまるで満足せず、過去、刻んだそのときのみならず、【紋】に至った発想、試行錯誤、【継承】からいかに削ぎ落とし、必要な形に整えたか、その全てを知ろうとする。

 ……そこまで必要か? と、僕は思う。

 必要だ、とそいつは答える。


 知識・技術は突然生じるものではない。異常なひらめき、発想の飛躍、予期せぬ事故……様々な自然ならざる力が働いたにせよ、土台があり、過程がある。

 背景のない知識はただの呪文であり、歴史のない技術はただの動作に過ぎない。

 起因があり、過程を持って、結果に至る。

 それを知って、ようやく記録するに値するか決定される。

 求めるものがあるのなら、差し出さねばならない。


 そのような意味を僕の頭の中、血の中にそいつは流し込んだ。

 ……なら、仕方ないか。

 納得するしかなく、僕はその当時の僕の思考過程を渡すことにした。探す必要はなかった。頭脳活動は全て〈言語〉に記録されている。普通その記録は固く閉ざされているが、そいつは権限を持っている。油断すると何もかも閲覧されそうだったのでさっさと必要な分をまとめ、送る。

 不満げな気配がある。

 なるほど、ミソラの言う通りこいつは好奇心旺盛な知識魔だ。けれどそこまで自由ではないらしい。神の名を冠していても道具は道具、その領分から外れる気はないということか。

 やがて送った資料を見終えたのか、そいつは次にすべきことを伝えてきた。

 再現だ。

 【紋】を編み上げ、対象に刻み、実際に発動するまでの行程を再現してみろと言う。

 対象がいない、と言うと空振りでいいとそいつは返す。


 記憶を見る限り対象がいなかろうが術の行使に支障なく、害もないはずだ。


 ……しっかり理解されている。

 仕方ないので僕は言われたとおり【紋】を発動した。

 指の先に自身の魔力を集め、道を作る。それは魔力を共有させるための道であり、同化のための猶予でもある。

 魔力それ自体はこの地に満ちるものであるが、何かの意思に触れたときから独自の色を持ち始める。特にボスの魔力などは色濃い性質がある。まぁつまり簡単に奪われないようになっているということだ。魔物の中には魔力を吸収する術を使うものもいるが、あれも自分より弱い、色の薄い魔力を対象にしている。すぐに塗り潰せるようにというわけだ。

 【紋】も同様の考えだ。自分より色の薄い、弱い魔物を対象にしている。その点が【継承】と最も違う部分と言える。【継承】は眷属、最初から自分と同じ色に育てた魔物から後継者を選ぶもの。対してこの【紋】は色の薄い対象を選び、徐々に色を塗り潰す、あるいは混ぜ合わせて同じにするものだ。

 これにより【継承】と同様、魔力から自身と対象の魔物は同一の存在とみなされる。

 魔物の肉体には血が、〈丹紅〉が流れていないため、当然拒否反応は現れない。術者の肉体に魔力が触れていようとも、一身となる魔物の身体が最も変化を望んでいる以上、魔力はまずそこに反応する。万一、術者が変化を望んだとしても、刻まれた【紋】に術者の肉体変化を阻害する働きがある。これで【紋】が破棄されない限り拒否反応……魔力汚染は起きないはずだ。

 【紋】とはつまり、魔力的な同化と身体変化の制御という二つの働きを持つ魔術だ。一部魔術、感覚の共有などは副次的な効果にすぎない。

 以上のことを考えながら指の先に【紋】を描き、僕とパレットの間の魔力共有と、パレットの変化設計を意識した。

 その一連の思考と動作を観察していたそいつは、理解した、と言った。


 では、もう一度最初からやり直せ。


 ……は?

 脳内に問い返す。今なんて言った。

 尋ねてもまた、もう一度、としか返ってこない。それ以上の返事はない。

 嫌な予感を覚えながら、僕は再び【紋】を指先に描いた。




 ……何度繰り返したか、わからない。

 数えることなどとうにやめてしまった。

 ただ、同じ動作を繰り返す。

 初めて【紋】を刻んだときの記憶を再現し、その一つ一つの行程の精度を上げる。

 反復する。

 動作に狂いなく、あと百回繰り返しても変化はない。

 確信がある。そう考えるでもなく思いながら展開した【紋】を消したところだった。


 終わりだ。


 唐突に、何の予告もなく僕は解放された。

 夢から覚めたように、急に身体感覚が戻ってくる。それで、ようやく自分の意識だけが動いていたことに気づいた。


「……はあっ、はあっ、はあっ」


 荒い息が出て、膝から崩れ落ちそうになる。なんとか踏みとどまるが、肩は上下し、汗が全身から噴き出て、心臓はうるさく、脳はからっからに絞られた後。

 魔力が尽きたことはある。体力が尽きたことも、意識を失ったこともある。

 けれどこんなに全身が、頭脳と魔力まで含めた全てがギリギリまで使われたのは初めてだ。


「意外と早かったですね」


 声が聞こえる。

 顔を上げる気力がない。目だけを向けるが、汗のせいか視界が霞む。

 ぼやけた黒い立ち姿だけが見える。

 そこに、しゅるしゅると僕から向かう何かがいた。

 そいつの先端に灯った光が、強い輝きを放っている。


「ひとまず、これで君ができることは終わりです、が……これは」


 その人は息を呑んだようだった。


「なるほど。以前から仮説はありましたが、これで証明されたようなものですね。さて、これがどのような影響があるか……」


 何事か口にしている。

 しかし、僕にはもうその意味を考えることすらできない。


「果たして、教会はどう出るものか」


 意識が闇へと落ちていく。




       ◇




 薄暗い天井、灰色の壁がまず視界に入る。身体に目を向けると、毛布がかけられ寝台に横になっている。

 おそらく、学院内部の医務室……というには狭い。仮眠室か何かだろうか。見渡しても寝台以外に物は置かれていないというか、そんなスペースはない。ひどく殺風景だ。といっても、攻略隊の館も狭い部屋はこんなものだった。あちらには窓があるだけマシだったが。

 見知らぬ場所で目覚めるのもずいぶん慣れたものだった。

 ……僕は、スキルを造ってもらおうとした。

 そして神器の一部であろう、〈ナガ〉と呼ばれる異様な存在が体内へと入り、異様な体験をすることになった。夢か何かかと思うが、多分本当だ。

 スキルの存在を感じる。

 自分の中に、〈言語〉以外に初めて、違う何かがある。

 それは〈紋〉というべきものだろう。

 〈言語〉とは比べ物にならないほどに小さな存在感。しかし、たしかに僕の中に存在していた。

 実感はまだ湧いてこない。

 これが本当に動いてくれるか、わからない。

 それでも、もしこれが滞りなく効果を発揮し、阻まれることなく広まったなら、そうしたら……


「おや、起きたか」


 突然、声がかけられた。

 驚いてそちらに目をやると、いつの間にか扉が開かれており、一人の男がそこに立っていた。

 知っている顔だった。


「よう、調子はどうだい」


 ログン……ここへ来るまでの馬車を護衛していた男が、そこにいた。



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