9 少年たちの戦い
ジードの目が見開かれた。
ついで、にやっと口角が上がる。肉食獣の笑みだ。
「意味わかってんのか、カイリ?」
「多分ね」
「全力でやろうってことだぜ、それは」
「そのつもりだよ」
「これまで乗り気じゃなかったろ、訓練」
「今でもあんまり」
「おい」
「でも」
僕は笑みを浮かべた。精一杯の、不敵な笑みだ。
「ちょっと、君の邪魔してやりたくなったんだ」
「邪魔?」
「そう」
「できるのか、お前に」
「試してみればいいだろ」
ジードは喉を鳴らし、そうだな、とつぶやいた。
ゆら、とその身体が傾ぐ。筋肉で動かしたのではない、力が抜けた、まるですっ転ぶ直前の形。
……どこで見たのか、自分で編み出したのか。
僕は夢の中、武術にそんな技法があるとフィクションで見たことがあるが、だからといって反応できるわけじゃない。前回は運が良かっただけ。真正面に構えてある棒に、ジードから叩きつけに来ただけだ。
僕には反応できない。動きを捉える動体視力も、呼吸を読み取る勘も、追いつける速度もない。
だから、そう。
あ、と思ったときにはもう、ジードが目の前に踏み込んでいて、振りかぶられた棒が僕の肩を狙っていた。
一瞬後には強かに打ちのめされていただろう。本来なら。
その姿が目に止まるということは、成功したということだった。
ジードの目が今度は驚愕に見開かれる。
急いでジードをかわしつつ、その肩になでるようにして棒を当て、再び距離を取る。
すでにジードは体勢を整えている。こちらを訝しげに眺めている。
「今の、僕の勝ちでいいだろ」
「うん。問題ない。……何したか、聞いていいか?」
「いいけど」
「いやごめん、やっぱいい! 代わりにもっかいやろう」
再びジードがゆらりと身体から力を抜く。だが、まだ前に向かっては来ない。
さらに棒先を揺らし、こちらの呼吸を暴こうとしてくる。
その目は爛々と輝き、ひたと僕を見据え、他は一切なかった。
地を蹴る音と、目の前にジードが出現したのは同時だった。僕には同時としか思えなかった。
僕はジードに追いつけない。
それでもジードは今、僕の目の前で普段のキレとは雲泥の、鈍く、のろまな動きを晒している。
今度は余裕をもってジードの頭を軽く叩き、また距離をとった。
するとジードは体勢を整えてもおらず、うつむき、だらんと手から棒を下げている。
そのまま、ぽつりと言った。
「布。水。いや、毛布……を、もっと広げて、重くしたものだ」
「げ」
「違う? カイリ」
顔を上げたジードの顔に表情はなかった。感情を抑えた末の無表情ではなく、頭から感覚まで総動員したために顔に意識を向けていない結果そうなっているというだけ。
二度でバレるとは思わなかったが、もともとここまで来て隠すつもりもなかった。問われたなら答えるだけだ。
「そう。正確には、僕が想像したのは雲だけど。【綿雲】と名付けた」
触れたものに絡みつき、行く手を阻む地上の暗雲。
新たに開発したこれは魔力を感じ取れなければ不可視、不可避の妨害となる。僕はこれを前面に展開し、ジードを迎え撃った。思惑通りジードは【綿雲】に捕らわれ、鋭く速い動きができなかったというわけだ。
「【綿雲】ね……なるほど、なんか隠してるなあとは思っていたが、こういうの。いやなんとなく変な感じがしたんだよ突っ込んだとき。他にもいろいろできるんだろ?」
「言わないよ、そんなの」
「前使ってたのは、ちょっと力を強くするって感じか。あのときは手応えが変だったから、全身は強くしてなかったのかな」
「……」
ジードの頭が悪くないことはわかっていた。頭が悪い学生などいないが、その中でも判断力の速度や物覚えに優れていると知っていた。単純に、身体を動かすほうが好みで集中が続くだけのこと。
だとしても、こと戦いに関する勘の良さ、洞察の鋭さは、もしかしたらランクだけで説明できることではないのかもしれない。
性能より前に、その性質から戦いに向いている。
それが、ジードという少年なんだろう。
「それさ、何ていうんだ。なんかの技なんだろ? スキルじゃなさそうだし」
「そう。スキルじゃない」
伝承されるべきと、人類が積み上げてきた技能ではない。
これは異界、異常の技術。人類から外にある力。きっといずれ僕らが対抗することになる何者かが鍛えた武器。
それはとうに名付けられていた。
「魔術だ」
魔術、とジードはその名を小さく復唱した。訝しむ様子もなく、自然に認識したようだった。
きっと初めて聞いた言葉のはずだ。誰に教わったわけでもなく、今まで教師の口からも出てきたことはない。
なのに、一度言われてしまえば僕らの中にそれはあった。
僕は自分で名付けたつもりだったがそうじゃない。〈言語〉スキルの中、「魔力」とともにその名はとっくに刻まれていた。
違和感もなく、それが間違いであるというスキルからの指摘もない以上、この名が正しいことは証明されている。
人間はそれをいつか見つけ出し、決意してその名をつけた。
すなわち、魔。
人を惑わすもの、災いを招くもの、悪しき振る舞いを見せるもの。
敵対する気がなければ、そんな名付けはしないだろう。
すでに僕はそれを身につけてしまった。独力、独学で身につけたものであるが、そんな言い訳に一体何の意味があるだろう。
少なくとも僕ら学生の身分でそれに触れることは想定も許容もされていないはずだ。
だから、これが最初で最後の機会だと思わなければならない。
「なるほどなあ」
ジードは言った。何か腑に落ちたような、納得したような顔だった。
「カイリ。お前、さては無茶したな」
「かもね」
軽く問われ、軽く肯いた。特に心配している様子はなかった。ただの確認であり、返答も真実もジードにはどうでもよかったに違いない。
ジードはただ、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、俺もちょっと無茶しよう」
そう言って構えると、ジードは「いいか?」と尋ねてきた。
僕が肯くと、ゆらり、とジードは前に倒れ込む。
とっさに前面に【綿雲】を展開する。
瞬間、失策を悟った。足で地面を叩く。間に合わない。
ジードが目の前にいた。
すさまじい衝撃が棒から両の腕、全身に広がる。たまらず僕は後方に弾き飛ばされ着地もままならず地面に腰を打った。
「ぐっ」
うめき声が漏れる。
痛みを堪えて前を見ると、先ほどまで僕がいた場所でジードがニヤリとこちらを見て笑っていた。
何が起きたかはもうわかっている。【綿雲】が破られた。それも、正面から。
ジードのやったことは変わらない。急加速での突撃だ。先ほどと違うのは、その肩を叩きつけるように、全身で突っ込んできたことだ。
直前で踏み込み、棒で一撃を加える動作では【綿雲】の妨害が効果的に働き、思うままに動けなかっただろう。それを、勢いを止めずにただの体当たりとすることで【綿雲】による妨害を無理やり突破する力技だ。
いや、ただの力技じゃない。
二度かかったことで【綿雲】の性質を把握し、これなら力ずくで突破できると感じたに違いない。
「【綿雲】って言ったか。それ、強い技だけど多分突き込みとかにも弱いだろ。一個一個の動作の勢いを邪魔するのは上手いけど、一点集中の真っ直ぐな力にはそこまでじゃない」
「解説ありがとう」
「うん。で、まだやるか?」
ジードが尋ねてくる。
これが奥の手ならもう終わりだろ、と言外に告げている。
そんなわけないだろ。
「君、足元ご覧よ」
「足? うわ」
ジードの足の前で土が盛り上がっている。
知らずに踏み込めば体勢を崩してしまうかもしれない大きさの隆起だ。もちろん、つい先程までそんなものはなかった。
「【地荒し】。地面をほんの少しだけ乱す魔術だ。ほんの少しでも踏み込みが狂うのは嫌だろ?」
立ち上がりながら言う。
ジードはものすごく嫌そうな顔をしていた。
「あのさあカイリ。もしかしてお前、こんな技ばっかじゃないだろうな」
「最初に言っただろ。邪魔してやるって」
「まさかこんな直接的な意味だとは……」
苦笑される。だが、否定的ではなかった。
「わかった。じゃあ、本気でやる。本気で叩き潰す。寸止めしきれなかったら許せよ」
「僕はもう先に二回も軽く当ててやってるというのに」
「この野郎……」
ジードが構えた。
僕も構える。もう【強化】もかけておく。手、肩、足腰、視力。追いつかないまでも、認識しなければ話にならない。
ここからが本番だった。
「いくぞ」
言うやいなやジードが飛び込んできた。
急加速を使わない無造作な接近。それだけに自由が利く。
前から来た、と思ったら軽く棒を打ち合わせ、そのまま左に回り込み、棒を合わせたまま滑らせるようにして突き込んできた。
今度は【地荒し】が間に合った。ジードの足元に穴が空き、体勢が崩れる。棒があらぬ方へ飛ぶ。
棒を振る。ジードとは比べ物にならない鈍さ。けれどこれで十分。かする。
ジードが跳び退る。
追撃する。
ジードの手のあたりに【綿雲】を飛び込ませ、【強化】によって威力だけはある一撃を放つ。
がぁん、と棒から悲鳴が上がる。【綿雲】の妨害を抜け、ジードの防御が間に合った。
また嫌そうに、けれどジードは笑ってみせた。
「本当に厄介だなぁ、それ」
獰猛な、肉食獣の笑みだった。
◇
ここに来るまでに僕が用意できた魔術は三つ。
一つ、【綿雲】。
魔力を薄く拡散しつつ、小さな雲のような形にまとめた力場。
敵が触れ、その中に入った瞬間から自動的に進む方向とは真逆の力が加えられる。が、薄く拡散しているため一点に加えられる力自体はそう強いものではなく、接している面が広くなければあまり効果はない。ジードが看破したとおりに突撃系の攻撃にも弱い。あくまで継続的な行動阻害を目的とした術。
一応僕が即時的に力を加える方向を操作することも可能だが、めっちゃ頭を使うので疲れる。
移動させることも可能だが一部ならともかく全体は遅いなどの特徴を持つ。嫌がらせ特化。
二つ目、【地荒し】。
魔力を地面に流し、操作する術。【綿雲】も大気に流しているようなものだが、そっちが空気に直接干渉していないのに対し、こちらは直接地面、土を操っている。
魔力は無生物であればたやすく浸透し、そこに干渉できる性質を持っているようで、さほど難しい術ではない。
ただし強く意識していなければ魔力は地面に染み通り、こちらの支配を抜け、そのまま地の底に沈んでいってしまうため制御に気が抜けない。そのくせ戦闘ではある程度広い範囲にかけ続けていなければころころと変わる立ち位置に対応できない。やはり使い所が難しい。
長じれば攻撃に使えるかもしれないが、現段階では同じく嫌がらせ、妨害の術。
三つ目、はっきり言ってこれが一番使えない。
【魔弾】。
もう名前から何からあまりにもありきたりすぎるが、あるとないとでは大違いなので試してみた。そして、現段階では厳しいと判断した。
魔力を収束し、弾丸状に形成して放つ。物理的な力を備えたそれは込めた魔力量に応じた威力を持つ。……のだが、速度が遅い。
そこらの小動物や、他の学生になら通じるだろう。
だが、ジード相手には厳しい。ジードはすでに【綿雲】に触れ、何らかの違和感を覚えていた。気配、予兆を察する可能性は十分に高い。避けられてしまう気がする。
速度を上げることはできる。ただ、そのためには魔力を収束するための僕自身の集中と時間が必要だ。
そんな余裕、ジード相手にはない。
全然、ない。
「うはははははは!」
笑う。笑う。
ジードが笑う。
ずっと笑い続けている。
何が楽しいんだ、本当に。こっちはずっと魔力を使い続けて頭がクラクラしてきたというのに。
「楽しい! すっげえ楽しい! 初めてだこんなの!」
ジードは叫び、笑いながら【綿雲】を引きちぎり、【地荒し】を蹴飛ばし、【強化】した僕の一撃をはねのける。
尻上がりに調子上げてきたジードとは対象的に、僕はそろそろ限界だった。
魔力にはまだ余裕がある。だが、それを使う精神力の方がやばい。
急がなくてはならない。
「すごいぞカイリ、お前はすごい!」
うるせえ。すごいのは君だ。
その、すごい君を邪魔しに来たんだ、僕は。
ちっともすごくない。




