72 少年たち、再び
「やだよ」
「ええ。なんでよ」
不満げなジードに、僕は手短に答えた。
「面倒くさい。理由がない」
「またやろうぜって言っといたじゃん」
「御免だって答えたはずだよ」
僕らは十歩の距離を置き、相対している。
衛兵隊の人々が大勢いる中で叫び合うのも馬鹿らしかったのでそこまで近づいたのだが、どうも具合が良くない。
広場の中心あたり、他の人々は遠い。というか、遠巻きにされている。先程まで訓練に励んでいた人たちが手を止め、僕らを見ている。ジードだけではない。僕にも、視線が向いている。
彼らに可愛がられていると聞くジードはともかく、どうして僕まで。
「二年も経ってるし心変わりしたろ」
「してない」
「いや、お前は本当はやりたがってる。俺にはわかる」
「何がわかるっていうんだ。……大体、そうだよ二年も経ってるんだ。もう僕じゃ君の相手はできない」
「わかるさ」
に、とジードが笑う。一瞬、真っ白な歯がわずかに覗く。
見覚えのある笑みだった。
「何が」
もう一度、同じことを口にした。
同時に、これはもう無理だなと思っていた。
「お前が俺にはわからないものを持っていることが、わかる」
はあああああ……と、深い溜め息が自分の口から勝手に出る。
逃げられない。確信に近い直感がある。先ほどサラが口にした、しつこいという言葉を実感する。こいつは多分、ここで断ってもあきらめないだろう。受けるまで求めてくるに違いない。
……一度、てきとうに相手してがっかりしてもらうか。
あまり良くない案が自分の中に浮かぶ。この二年、嘘や隠し事は舌の上に常駐しているようなものだったが、どうしてか気が重い。しかし、本気を出せるはずもなかった。
渡された棒を一度、ひゅん、と軽く振る。
懐かしい感触と思ったが、学舎のものとは少し違う。黒い金属質の触感だが、あまり重くはない。【強化】込みなら振り回すに支障はない。
やるか、と無造作に歩みだしたところで、
「待て待て待て、お前たちそれで始める気か」
僕らの間に割って入る人がいた。
足を止める。あと少しで間合いだった。
「いくらなんでも急すぎる。禁じ手くらい決めないと駄目だろう」
「クライスさん」
「カイリ、君はこいつより思慮深いと思っていたが」
「あなた最初から知っていたでしょう。何言ってるんですか」
「う……」
半目を向けると、彼は目をそらした。
当然、クライスはジードとの共犯に違いない。ここまで連れてきたのは彼で、着いた途端ジードは迷いなく行動に移した。それを止める気配もなくここまで静観していた……のは、組織の性格を考えると妥当かもしれないが、結局ここで目をそらしたのなら自白したも同然だ。
「……ジードは本物だ。本気のあれと引き分けたランク1って聞くとな、どうにも興味が惹かれて……いや、悪い。事前に言っておくべきだった」
頭を下げるクライスを横目に、もう一度軽く周囲を見渡す。
僕らを遠巻きに見る十数人の衛兵隊と思しき人たち、その好奇の目線が僕にも注がれているわけとは、つまりそういうことか。
「ジード、君、どんなでまかせ言いふらしたんだ」
「大したことは何も。同年代じゃ敵なしだろって聞かれたから、負けたことがあるって答えただけ」
「……余計なことを」
文句を言ったものの、そこまでの気持ちはなかった。失望される人間が増えるだけだ。気分のいいものではないが、どうしても嫌ということはない。
「今更だが……いいんだな、カイリ」
「ご期待には応えられないと思いますけど、構いません」
「わかった。……じゃあ、そうだな。ジードは〈気功〉を制限しろ。〈怪力〉程度だ。〈硬功〉は問題ないが、この試合、有効打が入った段階で止める」
「〈鋼化〉はどうします?」
「刃だけは作るな。あとは好きにしろ」
「了解」
肯き、ジードは右腕を広げる。その手は虚空をつかむように軽く開かれている。
直後、その手から鈍色の物体が溢れ出した。それは天地にまっすぐ伸び進み、やがて僕が手に持つ棒とそっくりの形を取る。
「〈鋼化〉、覚えたんだな」
「ああ。なんか使えるようになった」
奇妙な言い回しをする。
しかし再会したとき、鋼の槍を持つ姿は見ていた。スキルを習得したこと、それ自体は知っていた。
問題は量だ。
「……鋼は少しずつしか増やせないって聞いたけど」
今でさえジードが持つ棒は身の丈よりも少し短い程度だ。昨日こいつが振り回していた槍はもう少し長く、さらに穂先も形作られていた。
〈鋼化〉は肉体の余剰分を鋼に変えるスキルだと聞く。一端の武装を用意できるまで、どうしても時間がかかると。
さすがに才能で済む話ではないだろう。
「もらった」
「は」
どこまでも軽く、まるで夕食のおかずを一品分けてもらったみたいな口調でジードは言った。僕の口からは意味のない声が出た。想像していた通りの答えだが、あまりに雑すぎる。呆れてしまえばいいのか、それさえ通り越して空虚に笑えばいいかも決められない。
「あんまり気が進まなかったんだけどな」
なぜかジード本人も嬉しそうではなかった。おかずの例えで言うなら、好物でないものを押し付けられたような顔だ。
理由を尋ねようとしたところで気づく。クライスがこちらを見ていた。待っているようだ。
顔を向けると、彼は口を開いた。
「カイリ、君はどうする?」
「どうする、とは」
「使うか、魔術」
「……え?」
「ここでなら構わない。身内しかいないし、〈布陣〉と森のちょうど境目にあるんだ。使っても誰にも気づかれることはない」
「ちょっと待ってください。何を言っているんですか」
意味がわからない。
魔術は、案内人や魔導士のそれこそ黙認されているとは言え、それ以外は禁止されているはずだ。具体的にどの程度の罪かは不明だが、そんなに軽く扱っていいものには思えない。
クライスは困った顔で頬をかいた。
「急にこう言われても信用ならんよな。一応言っておくと、うちは魔力汚染者に対しては保護よりの中立だ。実際あまり接点はない。どう扱えばいいかわからんってやつが多い。魔族に関しちゃ出くわしたら倒すだけだからな、好きも嫌いもないのが正直なところだ。ただ、だからこそやつらが使う技には興味がある。二年前とは言えランク1の君がジードに勝利できた、その秘密は知りたい。あとはまぁ、そうでもなければ公平じゃないしな」
「……」
「……難しいよな。騙して連れてきたわけだし。まぁ、気が向いたら使ってくれ。約束するが、この広場の中だけなら何が起きようとも外には漏れない」
そう言うだけ言ってクライスは僕らから距離を取った。その後方にサラの姿が見える。微妙に不機嫌そうな顔をして、僕らを見ている。
僕とジードはまた、十歩の距離を空けて相対している。
「やるか」
と、変わった様子もなくジードは言った。
思わず皮肉が口から出る。
「君は単純でいいな」
「そうか? これでもいろいろ考えているんだが、まぁ、そうかもな」
「……」
「俺はどっちでもいいよ」
「何が」
「魔術とかいうの、使うか使わないかさ」
「使った方がいいんじゃないか、君は」
「うーん。そのつもりだったけど、ついさっき考えが変わった。どっちでもいいよ。使うなら今度こそ勝つだけだし、使わないならそれはそれで、引っ張り出せばいいだけだ」
「……君は単純でいいな」
ジードは明快だ。
答えが常に自分の中に用意されている。その言葉にきっと嘘はなく、こちらがどう対応しようとも求めた答えを得るために動くだけなのだろう。
……本当に変わらない。ケリをつけたつもりでも、いざ対峙してしまえばまたあのときのような気持ちが湧き出てくる。
「わかった。やろう」
「おう」
「ただし、魔術は見せない」
「そうか」
宣言通り、ジードは気落ちした様子もなく、爛々と目を輝かせた。
「楽しみだ」
「……もう一度確認しよう。カイリは禁じ手なし。ジードは〈怪力〉まで、〈鋼化〉は刃引きしろ。頭や心臓など、有効打が入ったとみなした段階で勝負ありとする。四肢は多少目をつぶるが、一定以上の負傷とみなせばそれも有効とする。質問は?」
「無いっす」
「ありません」
「わかった。では……始め!」
クライスの合図を聞きながら、僕はいきなり失策に気づいた。
ジードが腰を落としている。
集中した視界の中、ジードが棒を地面と水平に構えている姿が映っている。両の足は前後に開かれ、地に根を張るような安定感が見える。急襲してこない。まず確実に踏み込んでくるだろうと構えていたが、読みが外れた。まずい。こちらが間合いを詰めるため動き出すには一拍必要だ。その間に一撃はもらってしまう。一撃? この距離で、あの武器、あの構えで届く攻撃などない。いやある。あると知っている。
ジードは馬車の上から地上の魔物に攻撃を加えていた。
があん! と鼓膜を破壊するかと思うほどの音が顔のすぐ横から響く。
手がじんじんとしびれている。
防げたのはただの幸運だ。見えていたわけじゃない。
僕は顔の横に両手で棒を構えている。
その棒を、ぎしぎしと軋ませるものがある。
ジードの鋼だ。
やつの手からまっすぐに伸びた棒があとわずかで僕の頭を粉砕するところだった。そう思ってしまうほどの威力の残滓が手に残っている。
ジードは動いていない。両手は棒を構え、前に突き出しているものの、足の位置は変わっていない。踏み込んできていない。
鋼の棒だけがその身を伸ばし、一瞬で間合いを潰していた。
「ちぇっ」
舌打ちが聞こえたと思うや、圧力を加えていた鋼の棒がその身を縮めて、ジードの元へ戻っていく。すぐに先ほどと同じ長さになる。
ジードは愉しげに笑っていた。
「これで倒せるかと思ったんだけどなあ、甘かったか」
「……殺す気か、君」
「さすがに当てる瞬間にゃ弱めるつもりだったよ。防がれたからそのままにしたが」
今の一瞬でどっと気力を消耗した僕と違い、上機嫌な様子でジードは応える。こんなものは小手調べだと言わんばかりだ。
……思い出すものがあった。
二年前だ。そして【影】のフォルマと初めて出会ったときのこと。
メグロが【影】に向かって攻撃を加えた、と思わせて封魔の実を弾いたことがあった。そのとき、メグロは鋼を伸ばして攻撃していた。当時はわからなかったが、案内人として活動する内、あれはかなりの高等技術だと気づいた。
鋼の形状を変えることは皆やっている。けれど、その変化の過程を攻撃手段とするなんて、他にできる人を見たことがない。昨日リュイスが鋼を遠隔操作し即時的に馬車の補修を行った、あれが近いくらいだ。
今のジードの攻撃が、あのときのメグロほど速かったとは思わない。ただし、傍から見ていただけのあのときと、実際に対峙し突きという点の攻撃を直にこの距離で食らうとなると体感速度は段違いだ。
「二年前、お前色んな手で翻弄してくれたじゃん? あれ悔しくってさあ。とりあえず、距離の離れた相手とも戦えるようにならなくっちゃなと考えてたんだよ」
「それで、これ。……聞きたくないけど聞いとく。君、どのくらいでこれできるようになったんだ」
「あー。どんくらいかな。実戦で使えるようになるまで、一月くらいだっけか」
それがどれほどのものか、僕にはわからない。実感がない。
けれど視界の端、クライスや他の衛兵隊の人々が苦笑いしているのが見える。規格外だと暗に言っている。いや口に出している。「お前できる? 俺は無理」「いやあれ変態の技でしょ」というつぶやきを【強化】した耳が拾う。
つまりそれは、この攻撃が衛兵隊という優れた集団においても通用する技だということだ。
「なるほど」
僕は声に出して肯いた。
「わかった」
「何がわかったんだよ」
嬉しそうに尋ねてくる。なんで嬉しそうなんだ。
「意義がわかったって言ったんだ」
「はあ?」
眉を上げるジードに構わず、僕は一歩を無造作に踏み出した。
間合いを詰める。
瞬間、ジードの腕と腰だけがブレる。一瞬の連動により生じた威力が同時に伸長する棒という道によって一切の損失なく僕に牙をむく。
わかっていても反応することは困難だが、当てる。当てればそらすことくらいはできる。
だが棒と棒が触れた瞬間、無理だ、と気づいた。
回転している。
生半可な防御を弾き飛ばすほどの回転がジードの棒にかかっている。一瞬後には僕の両腕は棒ごと跳ね上げられ、無防備な身体をさらしてしまう。
それがわかっても、僕の腕力では【強化】込みでも覆せない。
……だから、力で対抗はしない。
心中でつぶやく。
【雲散】
ぎょ、とジードが目を見開く。
その体がわずかに崩れている。腕はそのままに、頭がわずかに引かれている。
奇妙な感触を覚えたのだろう。
確かに手の中にあった力が霧のように消えてしまったに違いない。およそ戦士からしてみれば最も縁遠い感覚だろう。
その隙に、さらに間合いを詰める。
また一歩、踏んだ瞬間にはもうジードは体勢を整え、顔中に喜色を浮かべている。
「今何した!?」
言うわけないだろ。




