70 中つ柱
この二年間、学舎のことはあまり思い出さなかった。
毎日が目まぐるしくそんな暇はなかった、という言い訳はある。
まぁ正しい。特に案内人になってから、迷宮内では努めて他のことを考えないようにしていた。余裕など無かった。
安全な場所では大体疲れているからすぐ寝るか、魔術の研究をしていた。マユズミとパレットを連れて行くようになってからはなおさら、昔のことなんて思い返すことはなかった。
一度、フォルマに近くまで連れて行かれたときも戻りたいとは思わなかった。離れた場所から見て、変わらないなあと感想を抱いておしまい。その前後に色々ありすぎたので無理はなかったが、我がことながら大分薄情だ。
……思い出すようなことがない、という事実もある。
学舎にいた頃の僕はほとんどがぼんやりと夢うつつに言われたことに従うだけの存在だった。
ちゃんと生きていなかった。
僕自身も学舎にいた頃はそんなに覚えていないし、僕のことをしっかり覚えている人も少ないのではないだろうか、最後の数日以外。
ジードとの、試合……決闘もどき……八つ当たり……まぁ喧嘩か、あの喧嘩は人目を引いてしまった。けれどあれも、びっくりはしただろうけど経緯がわからなければ同じだ。そういうことがあったというだけで、せいぜい問題児程度の印象しか与えられていないだろう。
ただ、それじゃ済まない人もいるだろうなという予感はあった。
二人の例外がいる。
学舎という枠組みの中にあって、その枠では収まりきらない才気を見せていたジード。あれからすれば、僕がぼんやりしてたかどうかなんて気にも留められない。
多分、あいつにとって重要なのはおもしろいかどうかで、その点で引っかかってしまった可能性がある。この二年で興味を失ってくれていると助かる。
もう一人、学舎という枠組みの中にあって、その内のすべてを気にかけていた彼女。サラ。
彼女であれば僕のことも覚えているだろうとはわかっていた。気にかけていたに違いない。何せ、他に聞いたこともない中退者だ。
また会おう、とは言った。
何の気なしに。学舎に戻る展望もなく、いずれどこかで会いたいと思ったわけでもなく、ただ縁があればと言外に。
……その縁がまさか今、ここに現れようとは。
◇
「びっくりしました。ジードから話を聞いて。いつも通り全然言葉足らずで何があったかまるでわからなかったのですが、カイリの名前だけ一瞬出て、驚いて聞き返したらここに来てるって言うんですから。それで今どこにいるのって聞いても知らないって言うし、なんでここに来てるのって聞いても同じで本当に呆れてしまって。元気そうだったなんてジード基準の元気が他の人にとっても元気かなんてわからないでしょう。どうせ自分の足で歩いている内は元気だなんて言うんですよこの男は。なので私はどうにかしてカイリを探そうと考えていたらマードウさんが帰ってきて、明日カイリの案内をするから私たちも同行するかって聞いてくれて助かりました。それで私たちもここにいます。改めましてお久しぶりです。お元気でしたか。はい、学舎は特に変わりありません。先生方も、学生のみんなも。もちろん、この二年で卒業していった人たちはいますし、新しく入ってきた子たちもいます。私たちが最年長なんですから、早いものです。それで、お元気でしたか。大怪我したり、危ない真似はしていませんか。どうしてそこで目をそらすんですか。一体何やったんですか。怒ってません。ジード、茶々入れない。怒ってないって言ってるでしょう。大体あなたは昨日も勝手にいなくなって、帰ってきたと思ったら山を降りていただなんて、バカじゃないの。っていうかバカよ。大バカ。はあ? 日帰りできたからいいじゃんとかそういう話じゃありません。大体あんたは交流会のときもそうやって好き勝手して、後で探し回るこっちの身にもなれってのよ。あ、めんどくさいって顔した。あったま来た。次の訓練は覚悟しとくことね。こてんぱんにしてやるんだか、ら。……あら、どうしましたカイリ、変な顔して」
小首を傾げるサラ。
しかし、その笑顔は若干引きつっている。
……変わってないと思ったらやはり変わっていて、変わったなあと思ったら変わっていなかった。
「君、変わらないなあと思って」
「どういう意味?」
「そのままの意味です」
圧迫感が増したので顔を背ける。
その先には、ニヤニヤした顔のジードと、見知らぬ青年が立っていた。
濃い茶色の短髪。長身で手足も長くすらりとした印象を覚えるが、胸板の厚みと下半身の安定感を見る限り、相当に鍛え上げているようだ。
「サラ君、もういいかな?」
「あ、はい! すみません!」
と、その青年が声をかけてきた。
はっとした様子のサラが背筋を正し、頭を下げる。
青年はそれを手で止めながら、こちらへ近づいていくる。
「はじめまして、衛兵隊のクライスです」
「はじめまして、案内人のカイリです」
握手を求められたので応じる。クライスと名乗った彼はにかっと笑う。快活な笑顔だ。大人の顔が、一瞬にして若々しい活力に満ちる。
「よろしくカイリ。副長、マードウさんは昨日の後始末があってね。外回りに出ているから、代わりに俺が君の案内を頼まれたんだ」
「それは、お手数おかけします」
「ははは、構わないよ。どうせ兵舎で訓練するだけだもの。それに、この二人の同期なんだろう? 一人増えただけさ」
「クライスさんには大変お世話になっています」
「結構強いぜ。俺はまだ一度も勝てていない」
言い添えるサラと、僕に向かって楽しげにつぶやくジード。
「まだ学舎を出ていない子に負けるわけにはいかないよ。普通は勝負にすらならないんだが」
礼儀正しくなさい、とジードに小言をぶつけるサラをよそに、クライスは苦笑する。
「立ち話もなんだ、車を用意しているから乗ってくれ」
その車は昨夜や今朝のものとは異なるもののようだった。内部構造に違いはないと思うが、明らかにデザインが違う。前者が良く言えば機能的、端的に地味だとすればこれには威圧感がある。ごつくて、いかつい。車体が分厚く、ちょっとやそっとの衝撃では壊れそうにない。
戦車のような印象がある。
後部座席は大人が四、五人は乗れそうなほど。運転席とはしっかり仕切られており、一応小窓を開ければ会話は可能だが、ほどんど荷台のようだ。運転席はやはり開放的で運転手の他にもう一人は乗れる空間があった。
こっちに座るか? と聞かれたのでお言葉に甘えることにした。興味もあったし、あの二人と狭い空間にいるのは、ちょっと避けたかった。
「悪いな。衛兵隊の備品だから乗り心地悪いだろう」
隣で運転するクライスが声をかけてくる。確かに彼の言う通り、比較的強い振動がある。とはいえ、十分車体が吸収している感覚もある。それに、
「いえ、街道の中にはここよりひどい場所なんて山ほどあるので」
東部のみとは言えあちこち旅した経験上、この都市の道は最も整備されているように思う。街道もしっかり舗装されているが、やはり風雨にさらされていると劣化もある。定期的に修繕の手が入っているようだが、それもよく使う道が優先されている。
「そういえば君は案内人だと聞くな。俺は軍の出身だから詳しくないが、迷宮ってやつは難しいところなんだろ。敵の懐に入らないといけないのはしんどそうだよな」
前を見ながら世間話を振ってくる。どう答えようか一瞬迷っていると、後部座席から小窓を開けてジードが顔を突き出してきた。
「迷宮? 迷宮ってあの迷宮?」
「……どれかは知らないけど」
「案内人ってのは知らないけど、何、お前迷宮に行ってたの?」
へえ、とジードは首を傾げた。
「ずるくね?」
「は?」
「ずるじゃん。だって俺はずっと学舎にいたのに、お前ばっかそんな楽しそうなところにいたのかよ。俺も行きたい」
真剣な目をして言われる。
バカじゃないのか、と思うが、そういえばこいつはこういうバカだった。一貫している。感心はしないが。
「バカじゃないの?」
と、ジードの後ろからサラの声も聞こえてくる。
「なんでだよ、いいじゃん迷宮。歯ごたえありそう」
「そんな危険そうな場所に好んで行きたがるのあんただけよ。というかカイリ、案内人って何? 後でちゃんと説明して」
げ、飛び火してきた。
どうかわすか考えていると、ははは、とクライスが笑う。
「確かにジードは軍か攻略隊かで言えば、攻略隊向きだよな。軍の方はすぐに飽きそうだ」
「話聞く限りそうなんですよね。毎日同じような敵を掃討し続けるだけってのはちょっとなー」
「ただ、攻略隊も南部さえ平定してしまえばかなり落ち着くと言われてるんだよな。お前が学舎を出る歳になるまで残っているかどうか」
「うげえ」
「はは、そうなっても進路に悩むことはないさ。どうせお前はうちに来る」
二人の会話を横で聞いていた僕はそこで引っかかるものを覚えた。
話の流れからすればジードは今、衛兵隊に勧誘されている。内定とさえ言えそうだ。それはいい。衛兵隊がどのような位置にあるかまだ良くわかっていないが、エリート部隊であることは間違いなさそうだ。才能は欲しがるだろう。
ただ、一つ疑問があった。
「そういえば聞き逃してたけど、なんで二人はここにいるんだ?」
「あん?」
「おかしいだろ。普通、十一になるまで学舎を離れることはない。まさか僕みたいにスキルを授かりに来たってわけじゃあるまいし」
「うん、俺らはもうもらったぞ。学舎に担当の人が来た」
「なら、どうして。確か呼び出されたって聞いたけど」
「それは」
と、ジードが口を開いたところで、
「そこまでにしてくれ」
クライスが制止した。さほど強くもなく、感情もこもっていない。す、と差し込むような声だった。
「カイリ、悪いんだが聞かないでおいてくれるか。隠すようなことではないんだが、言いふらすことでもない。少なくとも、不完全な理解が広まるのは困る」
「はあ……」
「聞きたかったら後で副長にでも聞いてくれ。正直に言えば、ジードの説明は不安なんだ」
「ああ、それはわかります」
「ひどくない?」
ジードが奮然と僕らを見るが、妥当なところだろう。頭が悪いわけではないが、興味から離れたものに対する理解が雑なところがある。間違ってなければいいだろうとか考えていそうだ。
どういう事情かはわからないが、多少込み入ったものがありそうだ。
「ならクライスさんが説明してやればいいじゃないすか」
「それはできないな」
「どうして」
ぶーたれるジードに、クライスさんが前方を指差す。
「もう着く」
その指し示す先には、もう視界を埋め尽くすほどになった巨大な建物がある。
列車から降りた後、この都市を一望したときに一際目についた、円柱状をした都市の中心部。
それは塔というには太く、横に広い。
しかし、低いわけではない。当然、高い。多分普通に階層を分けているならば五十階くらいはあるだろう。
縦にも高く、横にも広がっているため、類似する建物がちょっと思いつかない。
バカでかい。
そして、そろそろ直視しなければならないことがある。
真っ白だ。
その建物は、上から下まで真っ白な素材で作られていた。
偉容を誇る、異様な姿。
……昨夜は大きいということしかわからなかった。
今朝はまだ早く、それに墓地へ向かって離れていったため、気づかなかった。
でもリュイスと別れて、都市へと戻る最中、さすがに目については「気のせいだろう」「見間違いだ」となるべく目をそらしていたが、目の前まで来ては認めざるをえない。
この路面と同じ材料がその建物には使われているようだった。
白鉱と、彼女は言っていたか。
「中つ柱」
と、クライスが口にした。
え、と問い返すと彼はひどく平坦な声で言った。
「あの建物の名前だよ。普通は柱とだけ呼ぶ」
いや、違う。
平坦なのではない。それは努めて感情を表さず、無駄に触れず、事実だけを口にする……厳かな声だった。
「尊き方のおわす場だ」




