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魔術師カイリの星巡り  作者: 雑木
1章 揺籃の頃
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8 夢、生まれ変わりの話



 平凡であることを意識しないですむ日々は幸福だったと、その中にいるものは普通考えることすらしない。

 幸福は他人に測れるものではないとはいえ、強く害されることのない日々が続き、なんとなく年長者に守られているという自覚がゆるくあり、少しずつとは言え力をつけ、いずれは自分も年長者の中に入ると無意識の確信があった人生は、不幸ではなかった。

 不幸でないということは、ささやかに幸福であるということだ。

 それに気づくのは、難しいことなのだけど。

 夢の中の僕もそうだった。

 平成の日本に生まれた僕は、高校に上がるまでの自分をどうとも思っていなかった。

 何も考えていなかったと言ってもいい。

 僕の日々は、起きて、のそのそと一階に下りて、家族で朝食を取り、遅刻ギリギリで学校へ向かい、間に合わないときもありながら大体は滑り込み、授業を受け、集中を切らし、休み時間には友人とだべり、昼食は学食でとったり購買でパンを買ったりし、居眠りし、放課後は図書室に入り浸ったり掛け持ちの部活に顔を出したりし、帰宅、夕食を取り、ゲームしたり漫画読んだり妹の宿題を見たり、夜ふかしするときもあれば素直に眠るときもある。そんな毎日を送っていた。

 今と変わらず運動はそこまで得意ではなかった。これは特に小学校時代の人気に関わるので残念ではあったが、身体を動かすことが嫌いなわけではなく、集団の中心を羨むことはあってもその立場に成り代わりたいわけじゃないなと気づいてからはどうでもよくなった。

 勉強はまあまあだった。小学校時代は問題なく、中学時代に少し手こずったが、塾に入り、腰を据えて勉強するということを学んでからは問題なく希望の高校に進学するまでに成績を上げられた。

 交友関係もまずまずだった。男女ともに全員から好かれるわけではなく、大多数からは普通に扱われ、少数のよく話す相手がいて、ごくまれにこちらを嫌ってくるものがいるものの中学からは相手をしなければいいとわかったので問題なかった。

 恋愛はよくわからなかった。小学校の終わり頃から女子が気になることがあったが、いざ特定の誰かとなるとクラスの中でも可愛い子を思い浮かべるのでこれはテレビの向こうの芸能人を好きになる気持ちと何が変わるのかと自分でも疑問だった。……高校のとき、少し気になる子はいたけれどあれも結局どうだったのか、今となってはわからない。

 家族仲、これこそ考えたこともなかった。

 僕には両親がいた。兄と僕と妹の三人兄妹で、ペットは特に飼っていなかった……母の世話するメダカはペットと言うには僕と接点がほとんどなかったから、まあ保留だ。

 兄と僕はほとんど喧嘩したことがなかった。ほとんどというのは物心おぼろげな時期のことにまで責任が持てないから。お菓子の取り合いくらいのことはしてたと両親は言う。長じてから、妹の取り合いでにらみ合う仲ではあったような気もする。

 妹は可愛かった。妹なんて可愛くないという意見もわかるし、僕もそう思うことはあったが、無垢に自分を慕ってくる下の子を邪険にすることは僕にはできなかった。まぁ、兄が猫可愛がりするほどには可愛がれないが。あれは引く。

 両親との仲はどうだったのだろう。今思えば、両親は頑張って僕らを平等に扱おうとしていた。こちらから見たら不満に思うことも多々あったが振り返れば、言葉の選択、新品とお下がりのバランス、僕らへの態度にできるだけ一貫性を持たせようとし、丁寧に一人ひとりを見ようとしていた、と思う。

 家族への好き嫌いを強く意識したことなど無い。それは当たり前にあるものだった。

 愛とはそういうものだと、僕は今になって認めた。

 当たり前でない人もいると高校時代にようやく気づいて、中学までにそうでなかった人とのやり取りを思い出して後悔したこともある。

 自分が将来、家族を持つとして、僕が今感じている以上のものを与えられるか真剣に考えてしまったこともある。

 そういう余計なことを考えられる人生を僕は送っていた。

 ……そういえば、生まれ変わりについて考えたこともあった。

 あれは友人との会話がふらっとそんな方向に向かってしまったのだったか。


『生まれ変わりってあると思う?』


 そう切り出したのか、切り出されたのか。僕らの会話はいつもそんな風に始まって、飛躍した。

 あったらいいよね、というのが僕の意見で、無い方が親切だ、というのは友人の意見だった。

 僕の意見は単純に、信じていないからだ。あると思えないから、あってくれたらやり直しも利くのになあ、という、随分余裕のある考えだった。やり直せなくてもなんだかんだ続いていく同じような明日を確信している、甘えだ。

 友人は単純に、意識なんて無い方がいい、と常日頃から言っていた。そもそも生きるということは前進するということで、大変なことなんだ、疲れてしまう、できればやりたくない。そんなことを言うやつだった。すごく頭がいいくせに、頭がいいからか、いつも余計なことを考えていた。余分が僕の本質だ、とは友人の口癖だ。

 もし生まれ変わったら、と友人は言った。


『もし生まれ変わったら、そしてそこが今とは全く違う環境であったなら、僕は人生を謳歌できるかもしれない。でも、どうせできないんだろう。意識があるということは考えなければいけないということで、前進しなければいけないということだ。僕はきっとそれにうんざりしてしまう』


 友人の言葉は当時まるで共感できなかった。

 今も多分、友人の言いたいことを理解できているわけではない。ただその後に続いた内容と合わせて、あいつの言うとおりだったなと受け入れているだけだ。


『当然、生まれ変わって環境が良くなる保証もない。今より悪かったら。あるいは今とは全く違うもので、全然馴染めなかったら。なまじ他を知っている分、きっとそれはさらにつらいものだ。比較ができるという余分、比較しなければ立ち位置を確かめられない孤独。知らなくてもいいこと、気づかなくてもいい真実、目覚めない方がいい意識は確実にある』


 友人の言うとおりだった。

 僕は耐えられなかった。夢を見て、自分が生まれる以前の、まるで違うどこかの記憶を追体験して、今いる場所の異様を知ってしまった。

 ランク、スキル、学舎、訓練……どれもこれもが僕の心を打ちのめした。

 その中で、実のところ一番マシなのがランクだった。生まれながらの優劣。明確に数字に表れる立場の差。そんなものは夢の中でもあった。自分が一番下であることは残念だが、大多数なのだ。仕方ないことだった。

 スキル。僕の中にも一つある。僕らの全員に施されている〈言語〉。これが逃げ場をなくした。僕らは物心ついてすぐに言葉を操れる。発声に慣れてしまえば、後は次々と言葉を操っていく。言葉を通じて思考も発達する。そのせいで僕らは幼い時期というのがあまりに短い。いや、今でもみんな年相応の部分はある。あるが、幼いままではいられない環境にいるから、どこか諦めている。

 学舎のせいだ。未だになぜ僕らがここに集められているか、正確なところはわからない。多分、何かと戦わせられるためだろう。雑に使い潰されるようなことはないに違いない。それが何の救いにもならないとしても。顔も知らない親元から離され、子どもの頃からただ訓練を受け、どう生きるかも知らされず、いずれどこかに出荷される家畜が僕らだ。

 嫌になっても仕方ない。仕方なくなんかないとどこかの誰かに責められようが、僕は嫌になった。

 だからずっと夢を見た。眠っては夢を見て、起きては夢を思い出し、この今を無いものと放り投げた。

 そうして、つい最近まで生きてきた。

 魔力を見出さなければ、きっと今でもあのままだっただろう。

 見出した今となっても、先のことを考えないようにしていたのは一緒だ。無いものと見ていた。

 だから僕には誰も責める資格はない。責める気もない。

 ジードはすごく、サラは立派だ。ジードから離れたものたちの気持ちもわかるし、ケニーの諦観には同意しかない。

 ……それでも僕は今、ここにいる。

 泉に浸かり、顔だけが水面から上に出て、ぼんやりと木々の中、ぽっかりと空いた隙間から覗く星空を眺めながら思う。

 放っておいてもよかった。放っておくつもりだった。関わりたくなかった。

 これは構造的な問題だ。ランクが僕らの元に敷かれ、学舎が僕らを生産しようとしている以上、避けられぬ問題。サラは正しいが、その正しさはこの学舎の理念からズレている。

 大多数の品質が底上げされるより、最も優れたもの一つがとことん磨き上げられる方がいい。

 学舎はそういう場なのだろう。

 もしかしたら、もう少し大多数のことも考えているかもしれない。ただ少なくとも、今のジードの歩みを止めることは望まれていない。

 サラの動きまで知られているかどうかはわからないが、少なくとも特に問題視されていなかったはずだ。あれはジードを邪魔する性質はなく、結果的にも上達を促している。

 だが、たとえばジードの足を引っ張ろうとする動きには対処してくるだろう。

 僕がこれからしようとしていることはどうか。

 わからなかった。出たとこ勝負だ。

 下手すると大問題になるかもしれない。その可能性は、ある。

 だとしても。誰に望まれていなくても。

 わからないならやる。

 それだけだ。

 僕は縁に手をかけ、泉から這い出た。

 重い。全身が濡れて、冷えきっている。

 そして、全身に魔力が染み渡っている。

 試しに魔力を使ってみた。【乾燥】、濡れた衣服と手足を乾かしたかった。

 果たして問題なく起動し、服も身体もすっかりかぴかぴだ。途端、鈍痛が頭を走る。しばらく待つと落ち着くが、前途は多難だった。

 意識すると、頭が本当に重い。持ちきれないものを持ち上げ、さらに持ち帰ろうとしている。

 きっと、大変な無茶をしている。

 それでも、嫌な気分じゃなかった。

 ……ふと、友人はあのとき最後になんて言ったのだったか気になった。

 脳裏にはノイズが走り、思い出せない。

 これが終わった頃、思い出せるといい。僕はそう願いながらまだ暗い森の中を歩き出した。

 なんとか寮にバレずに帰り着き、ベッドに潜り込むと、目を閉じた瞬間、僕の意識は途絶えた。

 そして再び目覚めたとき、僕は医務室のベッドの上で、高熱を出していた。ぼやける視界の端、医療担当の先生が難しい顔をしている。

 だろうなと思いながら、僕は再び眠ることにした。




      ◇




 次の日、僕は広場に向かった。

 運動訓練の時間だ。みんな散らばってあちこちで訓練している。

 その端で、今日はもう誰も相手をしてくれなくなったのか、ジードが一人、素振りをしていた。

 ついでにいつもの場所に目をやると、何と珍しいことに担当教師がいない。いても行動は変わらないが、チャンスでもあった。

 近づき、声をかける。


「や、ジード」

「カイリ? お前、熱出したって聞いてたけど大丈夫なのか?」

「うん。もうすっかり」


 嘘ではない。

 熱は引いているし、身体の調子も悪くない。

 懸念がないではないが、多少なら持つだろう。


「相手しようか」

「お、マジ? ありがてえ、ありがてえ。みんな今日も昨日も都合が悪いってつまんなくてさあ」

「だろうなあ」

「え、もしかしてやっぱ俺避けられてんの?」

「あ、さすがに察してたんだ……」

「ええ……嘘でしょ。悲しいんだけど」

「まぁいいじゃん。今日は僕とやろう」


 そして、僕らは少し距離を置き、構えた。

 僕の構えを見てジードが小首を傾げた。


「あれ、受けてくれるだけじゃねえの? 俺はいいけど……」

「ジード、頼みがあるんだけど」

「なに?」

「僕と勝負してくれないか」


 ジードの目が見開かれた。



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