69 後悔
「お前、もしかしてもう自分の魔力汚染は解決してるんじゃないか」
……失敗した。
目を見開いてしまった。
リュイスの眉間にしわが寄っている。
「なんでわかったかって顔だな。簡単だよ。そういうとこメグロに似てるが、お前も抱え込むタチだろ。基本的に一人でやろうとする。誰かに話す、見せるなんてのは仕込みが終わってからだ。だからあの鳥を表に出したってことは、まわりがどう反応するか見ようとした、そんなとこだろ」
「……よく、わかりますね」
「ナメんな。あからさまにこっちの顔色伺ってただろうが。結局、一部のじいさんたちはお前を無視するようになった。言っとくけどな、じいさんたちは悪くねえぞ」
「はい。僕が」
「そうだ、お前が悪い」
「……」
「誰も悪くねえなんてアホなこた言わねえよ。選択を迫ったのはお前だ。……お前を避けてるじいさんたちがどんな顔してるか、知らねえとは言わせねえ」
「……はい」
そうだ、僕は知っている。
たとえ僕を避けていようが、僕の前では不機嫌な顔を見せようが、関係ない。パレットがいる。僕のお願いであちこち飛び回った彼が見聞きしたものは、全てそのまま僕も体験した。
嘆きを見た。怒りを見た。憎しみを見た。
虚空に投げられた謝罪を聞き、亡き人への問いかけを聞き、今も残る悔恨を聞いた。
本来、表れるはずのない感情だった。僕が彼らにもたらしたものだった。
「一部の反発と、多くの戸惑い……棚上げしたのを見ても、お前は鳥を隠すようなことはしなかった。イケると踏んだんだろ。この程度の否定なら問題ねえって。そう思ったら、なんとなくわかったんだよ。お前は魔力汚染をどうにかする方法を見つけた、そんでそれにはあの鳥が必要なんだ、とな」
不機嫌そうなリュイスに僕は、
「……すごいですね」
と言うことしかできなかった。
彼女の言うことは僕には仮説の構築と論理の飛躍が噛み合っていないように聞こえた。でも、僕の思考の大枠をほとんど言い当てていた。
「何もすごくなんかねえよ。お前らがわかりやすすぎんだ。んで、つーことはそれで間違ってねえんだな」
認めるしかなかった
「はい。まぁ、大体は」
「大体?」
「未完成なんですよ。僕には適用できても、他の人までどうかはわからない。確実に調整は必要です」
そもそも僕だって今は問題なく動いているだけで、今後機能しなくなるかもわからない。それは、大勢を最後まで観察し続けてようやくわかるかもしれないことだ。
「汎用的に安定した結果を得られるようになるには、どれだけ時間が要るか、ちょっと途方も無いですね」
「そうか」
リュイスは僕から視線を外し、墓石に向き直った。
その横顔から感情は読み取れない。変わらず眉間に力がこもっているが、苛立っている様子ではない。目を閉じ、何事か考えているようだ。
やがて彼女は目を開けた。
「もう一つ、聞いてもいいか」
「何ですか」
「お前はここに来て、どう思った?」
「……どう」
大きな建物がたくさんある。
列車など、未知の技術に驚いた。
こんな場所見たことがない……少なくとも、この身では。
思ったことは色々ある。知りたいこと、気になったこと、不可解なこと、奇妙な、恐ろしくさえ感じることもある。
でも、彼女が聞いているのはそういうことではないだろう。もっと単純な……根本的なことだ。
「怖い、ですね」
安心する、とメグロは言った。
「怖い? ここが?」
「はい。何がと言われても困りますが、なんとなく」
昨夜、リュイスは確かに安心しているようだった。身も心もこの地に委ねているように見えた。僕はそうではなかった。ただ不安だった。怖いとは言ったけれど、それも強烈なものではない。
心細い、が多分一番正確だろう。
「なるほどな」
リュイスは肯いた。
「メグロも似たようなことを言っていたよ。魔力汚染者になってから、以前ほど中央にいたいとは思えなくなったってな。昔は、ここに住むのが夢だったんだが」
「……」
「大体わかったよ、カイリ」
「はい」
「だからこれは、お願いになる」
彼女は静かに微笑んだ。
いつもはきりっと力強い意思を表すような眉が、見たこともないほど落ちていた。
「……このまま、あたしと一緒に帰らないか」
沈黙はきっと数秒のことだ。
僕は応えようとしたけれど、その前に彼女が言葉を重ねる。
「体調崩したって言えばいいさ。何なら忘れ物したっつって帰ろうぜ。言い訳なんてあたしがいくらでも考えてやる。後のことも任せろ。スキルも、別に今じゃなくたっていいはずだ。本当なら向こうから出向くもんだ。お前が一人だからって連れてこさせたけどさあ」
彼女は栓を外したように言い募る。
口を挟むことができない。
「いや、どうしても今欲しいってんなら残ったっていい。かまわない。でもそれならやっぱりすぐ帰ってこいよ。寄り道すんな。観光も今度にしとけ。そういや同年代がいるんだっけか。学舎出たらうちに遊びに来るよう言えばいい。残念だがゆっくりするのはやめとけ。どうせガキのうちは遊び場も少ねえよ。酒飲めるようになってからにしろ。そんでな」
普段の威勢のいい姿は見る影もない。
一人の、傷ついた女性がそこにいた。
「あの鳥は、もう絶対他人に見せるな」
「……」
「見せないでくれ。頼む」
「どうして、ですか」
「お前がどうなるかわかんねえからだ。わかんねえのか」
「ちょっと危険かもなとは思っていますが」
「それで済むならな。ああ、あたしも早々最悪なことにはなんねえと思うよ。考えすぎかもしれねえ。でも、ありうる。魔物を受け入れるかどうかなんて、今まで誰も、議論さえしてこなかったことだ。どう転ぶか誰にもわからない」
彼女の言うことは正しかった。
けど、正しさで舗装された道では追いつかないとわかってしまったから。
「わからないから、そこに行くしかないんですよ」
「自分の身を危険にさらしてもか」
「……そうしないと、間に合わないんです」
彼女の顔がはっきりと悲痛に歪むのがわかった。
……お互いに、踏み込みすぎた会話をしている。触れずにいたことでここまで来れた、来てしまった結果、ずっとそこにあった歪みがあらわになっている。
それだけは口にして欲しくないと、願っていた。
「放っておけよ、メグロのことなんて」
それを口にするまで彼女を追い詰めたのは、僕だ。
「……できませんよ」
「できねえと思っているだけだ。お前はもう自分の魔力汚染はどうにかなってんだろ。なら、もうそれでいいじゃねえか。無理して他人のことまで考える必要はねえよ。時間かければ、お前の方法も少しずつ受け入れられるかもしんねえ。人脈作ってんだろ。十年もあればもっと安全にことを進められるさ」
「それじゃメグロさんは助かりません。それに、十年後はもっとひどくなってるかも」
「なら逃げろ」
断ち切るような声だった。
「自分の命を一番にしろ。そうしたって、誰もお前を責める資格なんてない。逃げていいんだ」
それでいて、祈るような。
「あたしはお前に逃げてほしいよ、カイリ」
……いつだったか、彼女に申し訳なく感じたことを思い出す。
あのときも彼女はひどく悲しそうで、僕はとても居心地が悪かった。自分が勝手なだけだという自覚があったから、人からの好意を受け止めきれずにいた。それは今も変わらない。あのときと同じく、僕は周囲にどう見られるか全く構わず、好き勝手動こうとしている。
だからせめて、もう、言葉を取り繕うのはやめにしよう。
本当を、そのまま口にしよう。
「僕は、後悔したくないんです」
「……死んだら後悔もできねえだろうが」
「そうですよね。本当にそう。当たり前のこと。だから、言葉にすると馬鹿みたいなんですけど、死んだって後悔したくないんです」
「おまっ……」
「逃げたらその先一生後悔する。ずっと引きずる。事あるごとに思い出すんですよ。自分のことだからよくわかります。死んだように生きるだけになってしまう。それはもう、御免だ」
「……もう?」
あの日、【雲】の魔力に触れて目覚める前までの僕は、生きていなかった。ぼんやりと生命活動がそこにあっただけ。死んでいないだけ。
変わったのだろうと思う。僕は今、日々を生きているはずだ。それでも、自分がそうあったことは覚えている。どうすれば元に戻ってしまうか、簡単にわかる。
立ち止まれば、それで終わりだ。
足を止めて、考えるのをやめて、明日を思わず目を閉じたなら、きっと僕は終わる。あの日以前に戻ってしまうだろう。それだけは嫌だ。
後悔は足を重くする。
足は軽い方がいい。
「メグロさんを助けたいだなんて、そんな綺麗事じゃないんです。自分のためなんですよ」
フォルマ。彼女のこともそうだ。
彼女との出会いも僕の中ではとても大きい。
学院の研究資料を見て、僕は本当の怒りというものを初めて覚えた。
覆してやる、と思った。
だからって、それは彼女のためじゃない。自分のためだ。他ならぬ、誰でもなく、自分の。
「僕は、僕のために今、ここにいます」
言い切る。
リュイスは呆然と僕を見て、すぐに目をつぶり、空に顔を向ける。
ちょうど太陽は雲に隠れ、薄い影が墓地を覆う。灰色の時間が訪れる。
何事か、彼女はつぶやいたようだった。聞こえない。
やがて顔を下ろし、また目が合う。
「……勝手な話だなあ、ほんとによ」
「すいません」
「謝んなよ。余計腹立つ」
あーあ、と彼女はぼやき、その場で伸びをした。
「はあ……ったく、わかった。わかったよ、お前の言い分はな」
「はい」
「納得はしてねえぞ。あたしの意見は変わんねえ。やめるっていうんならすぐ歓迎してやる」
「はい」
「だから勝手にしろとも言わねえし、応援もしない」
「はい」
「……自分を大事にしろよ」
はい、と僕は肯いた。
うん、とリュイスは僕の頭を撫でた。
大きくなったなと彼女はつぶやいた。
◇
リュイスは墓地からその足で列車へと向かっていった。時間が押しているようだったので、行きに乗車し、墓地の前で待ってもらっていた車に乗せた。
お前が乗れと言われたが、僕はメグロについて回ったときから歩くのが仕事なので問題ないと言い張り、最終的に本当に時間が迫っていた彼女が折れたのだ。
そんなわけで、僕は今都市の中を歩いている。
日が昇り、しっかり動き出したそこはもう人、人、人と合流地以上の賑わいだ。
道行く人の装いを見てみれば実に多種多様で、攻略隊風の格好をしている人、なんとなく文官っぽい人、仕事中のリュイスのような格好をしたおそらく職人とまぁわかりやすい人々から、道の端でおしゃべりに興じるご婦人方、さらに一団となって歩く同年代らしき子どもたちの姿を目にしたことで、昨夜とはまた違った意味で本当にここは他とは違うのだと理解できた。
中央の内部と外部とでは常識もかなり違ってくるはずだ。もともと攻略隊と、せいぜい輸送隊のことしか僕には実感がない。多少の知識はあっても、実際はわからない。
……やっぱり、ほとんど出たとこ勝負になるなあ。
先程リュイスに言われた手前、なるべく準備はしておきたいが、どこから手を付ければいいものやら。
前途は多難だ。そう思いながら街角を曲がり、宿が目に入ってきたところで、
「お、帰ってきたじゃん。おーい、カイリ」
「……」
見覚えのある、見慣れた、少しだけ見違えた姿がそこあった。
ぶんぶんと手を振る赤毛は昨日も見た。
その隣にいた、長い銀髪を揺らす少女がずんずんこちらへ近づいてくる。
思わずこっちが立ち止まってしまった。
彼女はますます歩調を速めて迫ってくる。
僕は観念して、彼女を迎えることにした。
ぴたり、と僕の目の前で彼女が立ち止まる。
懐かしい面影がそこにある。眉は吊り上がり、口は笑みの形を作っている。生真面目な顔つきは変わらない。
「やあ、サラ。久しぶり」
「……ええ。お久しぶり、カイリ」
二年ぶりのあいさつを、交わした。




