65 マードウ
ジードたちが戻ってくる、少し前のことだ。
先にマユズミが追いついてきた。
【忘れていただろう、お前】
【ごめんごめん】
マユズミはケラのような姿を取っていた。地中を掘り進むことで誰の目にもつかなかったはずだ。
ひとしきり文句を叩きつけられた後、彼は不機嫌そうに言った。
【わからなかった】
穴のこと……突如として出現した迷宮を調べに行った彼はしかし、それが不首尾に終わったと告げる。
【わからなかったって、何も?】
【何もかもがおかしい】
【紋】を通じて感覚をつなげる。
彼が見たものを、そのまま送ってもらう。
数十秒、黙ってそれを処理し、精査し、考える。
結論は同じだった。
……わからない。
何だこれ。
【一本道、なのか?】
迷宮とは、文字通り「迷う」という意味がある。どこに向かえばいいか、どこにつながっているか見通すことができない。そういう場所だ。望んでそうしているわけでも、好んでいるわけでもなかろうが、そうなってしまうものだ。様々な迷宮を見てきて、どれ一つ同じ形はなかったが、その前提は変わらない。
対して、これは違った。
穴から源泉地……星髄まで直通。ほとんど曲がりくねることもなく、分岐など一切ない。ただ、最奥から地上まで繋ぐ道だけがある。いや、一応、最奥の脇に小部屋が作られていた。しかしこれはあの魔物、棄兵を製造するための部屋だろう。
迷うところなどない。
こんな迷宮、一日も持たずに踏破されてしまう。
【地下には余地がなかった。これ以上広げられないということだ】
【余地?】
【お前も感じただろう、この地にいくつもの星髄が生じていることを】
身震いするような思念が伝わってくる。
【あんなものではない】
そして、マユズミの見たものを、見た。
天に満ちる星。まず、そんな連想をした。
地下に、星空がある。
地上に開いた穴の奥に宿る星髄、そのほんのわずか、百歩も離れていないような場所に、別の星髄があった。
その隣にも、その隣にも、四方八方に星髄が湧き出ている。
地上から感じ取れたものはほんの一部だ。いや、きっとこの位置からでもそうなのだろう。もっと奥深く潜れば、さらに発見できてしまいそうだ。
【これ以上広げれば別の星髄ともつながってしまう。凡百の存在には荷が重い】
力を引き出す源が増えればいいという話ではない。星髄は巨大な力の塊……湖のようなものだ。迷宮はその湖から水を汲み、循環させている。その水源が二つに増えたならば、どうなるか。循環する水は激流となり、荒れた河川は往々にして土地を荒らすだけだ。
【土地を広げるならば地上しかなかった。そういうことだろう】
地上を手早く制圧するため、なけなしの戦力を用意し、乾坤一擲の勝負に出た。
結果としてそれは無惨に終わったが、その思考は想像できる。理解できる。
だからわからないのは、やはり、この場所だ。
【一体ここは何だ】
マユズミの疑問に僕は答えられない。
【この土地は、異常だ】
中央。
楽園だと人は言う。
そこへ、ようやく僕は足を踏み入れることになる。
◇
「じゃ、俺は残党狩りに付き合うから、また後でな」
そう言って、ジードは馬に相乗りさせてもらい、あっという間に去っていった。
……どこへいようが変わらないやつは変わらないな。
ため息をつくと、隣にいたマードウが口を開いた。
「ジードくんとは学舎が同じなんだって?」
「そうです」
「彼、昔からあんなだった?」
抽象的な質問だったが、言わんとすることはわかる。
「大体は」
「そりゃすごい。たまにああいうのが生まれてくるけど、彼はその中でもとびきりだね」
マードウはしみじみと言った。
「いるもんだねえ、天才ってやつ」
「……やっぱり、他所から見てもそう思うんですか」
「うん? ああ、学舎の中だけじゃわからないか。君は攻略隊で活動してるそうだけど、それでも同世代が多いわけじゃないからなあ」
「……」
「確実に同い年の中では一番だろうね。多分ここ十年の中でも。もしかしたら、才能だけなら史上稀に見る逸材かもしれない」
「そこまで、ですか」
「何せ負けず嫌いが揃ったうちの連中が、口には出さないまでも全員認めているんだよ。彼は十年以内に近衛になるってさ」
衝撃はない。当然だろうなとしか思えなかった。
それよりも、気になることがあった。
「マードウさんは、ジードが気に入らないんですか」
「えっ、どうして」
「どうでも良さそうなので」
彼の語り口には熱がなく、淡々としていた。ジードを評価しているにも関わらず、そこに価値を見出していないようだ。醒めている。
彼は肩をすくめた。
「気に入らないわけじゃないよ。ただ、才能っていうのは結局要素の一つに過ぎないからね。強力な道具だけど、その分扱いを間違えたときが恐ろしい。才能はあったけれど大成しなかった、ならまだしも才能を過信して失敗、若くして……なんてこともあった。遣る瀬ないよねえ」
ため息をつく。
衛兵隊の副長。一個の集団の上に立つ人物としての真実がこもっているように感じられた。
「なるほど」
「メグロもそうだった」
「へえ……ええっ」
「あいつ、あれで将来を期待されていたんだよ。他もまあまあだったんだけど、特に〈鋼化〉の理解が深いって評価でね。ランク4確実だなんて言われてたんだけど……」
その先は続かなかった。
口を濁したというより、閉ざしたというべきだろう。しかめっ面で近づいてくる彼女の姿が視界に入る。
「ずいぶん軽い口もあったもんだなあ、衛兵隊副長様よお」
「隠すようなことでもないんじゃないかなあ。久しぶりだねリュイス」
「他人が決めることじゃねえだろ」
文句を言いながらもそこまで苛立っているようには見えない。
「ていうかマードウ、あんたまた太ったか?」
「貯えたと言ってくれ」
「必要以上に増えてんだから太ったでいいだろ」
「そのときにならないと十分だったかどうかなんてわからないものさ」
軽口をたたく姿は気心知れた様子だ。メグロのみならずリュイスとも旧知なのだろう。同期かもしれない。
「あんたの部下がようやく点検終えた。ここでの修理は無理だとさ」
「ああ、やはりねえ」
「あん?」
「君が難しいっていうんだから、うちの連中にどうにかなるとは思ってなかったよ」
「褒められてんのかわかんねえけど、なら最初からそう言えよ」
「うちの連中の勉強になるかなと思ってね。ま、想定通りだ。私が運ぼう」
「は? いいのか?」
「あのくらいなら問題ないだろう」
そう言うとマードウは歩き出した。壊れた馬車の方向だ。先程までリュイスや衛兵隊の〈手工〉持ちと思しき人たちが集まっていた。
「カイリ。あたしらも馬車に乗るぞ」
「あれ、直ったんですか?」
今の会話だと、馬車はそのままに聞こえたが。
「直ってねえよ。このまま走ったら門に着く前に車軸がイカれる。説明してもいいが……お前、こういうの考えるの好きだろ。知らないまま体験してみたらどうだ」
リュイスに促されるまま、また馬車に乗り込む。
中ではログンがまた長椅子で横になっている。
対面の席につく。リュイスが左隣に座ると、外から声がかかった。
「準備はいいかな。いいね。行くよ」
御者台から届くそれはマードウのものだ。
もしかして、彼が乗っているのか。あのメグロとは別方向の巨体が。負荷増えてるじゃん。
訝しく思った、そのときだ。
ふわっと浮き上がるような、そんな感覚があった。
僕の身体じゃない。地面、床から馬車が持ち上がったような印象だ。一瞬のことで、もう身体感覚に特に異変はない。しかし、明らかに何かが変わった。
馬が地を蹴る音がする。
馬車が走り出した。
◇
答えはわりとすぐに出た。
考えをまとめてからリュイスに尋ねようと思った頃、頭頂部にずしりとのしかかるものがあった。
リュイスの頭だ。
彼女は僕によりかかり、大口開けて眠っていた。
どう見ても熟睡だった。
「知識系スキルは脳への負荷が他とは段違いだ」
困っていると、前から声が届いた。
見れば対面の席を占領しているログンが寝転がったまま、目だけをこちらに向けていた。
「その上〈怪力〉を駆使して精気まで使っていたんだ。体力気力、両方尽きたとしても無理はないさ」
そう言われると起こす気もなかったがますます動けなくなってしまう。
……だけど、ちょうどいい。
「ログンさん、聞きたいことがあるんですが」
「何かな」
「あなたはどこで僕のこと知ったんですか」
「そんなことか。単純に攻略隊だよ。俺は所属してないけど、仕事の関係上たまに迷宮に行くんだ。結構有名だぜ、魔物使い」
「そうですか。では」
右手を横に軽く上げる。おいで、と背後に向かって念ずる。
風切る音とともに、一瞬後、パレットが右手の指に止まっていた。
「この子を、どう見ましたか」
特に考える様子もなく彼は言った。
「まあまあ」
「……」
「さっきも言ったけど、速度は目を見張るものがある。刃と弾丸の攻撃もなかなか。でも、言っちゃえばそれだけだ。油断しない、硬い、範囲攻撃できる、そういう相手にはもう厳しい」
だから、とログンは言った。
「総じて、まあまあだ」
「なるほど。よくわかりました。ありがとうございます」
頭を下げられないので目礼し、パレットに戻っていい旨を告げる。
「ま、君個人の力は全く見せてくれなかったからな。その組み合わせ次第ではもっと化けるかもしれない」
「僕は弱いですよ」
「さて、そういうことを言うやつほど怖いものだが。そこの副長殿みたいにね」
「強いんですか、マードウさん」
おそらく彼は戦士ではないだろうと想像していた。
体型もその考えを補強するが、何より、手だ。まるで荒れていなかった。メグロや攻略隊の大人たち、〈手工〉持ちのリュイスと比べてももちろん、下手すると学舎の子どもより柔らかいんじゃないか。
肩書と印象が一致しない。奇妙な人物だ。
「強い弱いで論ずる人じゃないな」
「というと……」
「結構知られているし、教えても構わないんだろうけど」
そこで、ログンは目線を僕から外し、静かに閉じた。
「すぐに見ることになるよ」
その後、彼は口を開くことなく、本当に眠ってしまったようだった。
僕はリュイスの重みを頭に感じながら、ずっとその言葉の意味を考えていた。
◇
それは確かに門だった。
相変わらず異様な紋様を見せる崖の中、そこだけ人工物として急に現れた。
当然、大きい。僕らが乗ってきた馬車でいうと高さは少なくとも三倍以上。幅は十台並んで通れそうなほど。金属製で、余計な装飾はないがその分堅固に見える。おそらくかなり分厚い。先程のような魔物の襲撃が頻発するという話を考えると当然の備えなのだろう。
門の前は広場になっている。
今は閑散としているが、円形の作りや磨り減った痕跡から、普段はここに馬車がいくつも止まり、荷物の積み下ろしをしているのではないか。
「こいつ入りますかね……」
「大丈夫ですよ。行きはぎゅうぎゅうづめでしたが、今は哨戒に向かわせた分余裕がありますからね」
馬車から降りた御者とマードウが会話している。
馬車についてだ。本来であればここで僕らと荷物を下ろした馬車はそのまま別の合流地などに向かう予定だったのかもしれないが、想定外の事態が起き、馬車は破損した。修理のためにも、馬車ごと中央へ入りたいのだろう。
「あー、畜生。こんな頭が重えの久しぶりだ……」
リュイスがふらふらと馬車から降りてくる。
起こしてもまだ寝ぼけていたので僕は一足先に降り、門を見学していたのだが……もう少し気遣った方が良かった。
思えば、彼女はここに来るまでに徹夜で仕事を終わらせていた。そこに今回のこれだ。体調が悪くなっても無理はない。
「大丈夫ですか、歩けます?」
「あー。まぁなんとか。一度横になって寝れば治るくらいだと思うが」
リュイスはそう言うが、やや顔色が悪い。
どうするかと悩んでいたところに、声がかかる。
「なんだ、ひどい顔だなリュイス」
「んだよ。そう思うんならさっさと門開けて乗せろよ。お前だって疲れてんだろ」
近寄ってきたマードウは肩をすくめた。
「そうでもない」
そして彼は手を伸ばし、リュイスの額に手を当てる。
「おい」
リュイスが何事か言う前に、ぽう、と彼の手に光が灯った。
見覚えのある光だった。
〈治癒〉の、精気の光だ。
「こんなものだろう。スキル乱用の脳疲労には応急処置だが、多少は楽になったんじゃないか」
「……なった。礼は言う。助かった。助かったけど、あんた大丈夫か。ただでさえ余計な精気使っただろう」
「うん? ああ、そういえば言ってなかったか」
あっさりと彼は言った。
「私、ランク4になったんだよ、この前」
「は?」
「だからこのくらい全然平気」
すたすたと彼は門へ向かって歩き出す。
残されたのは、呆然とする僕ら二人だ。
「……マジかー」
深々とリュイスは息を吐いた。
僕も驚いてはいたが、付き合いが長い分、彼女の方が思うことがあるのだろう。
とりあえずわかりきったことを口に出す。
「マードウさん、〈治癒〉も使えるんですね」
「あー……あいつは〈気功〉系なら大体使えんだよ。代わりっつーか〈鋼化〉は苦手で〈武術〉に至っちゃ取りもしなかったが……」
数秒して、リュイスは顔を上げた。
「出世したなあ、あいつ」
穏やかな、それでいて様々な感情を内包した微笑がその顔には浮かんでいた。何を思ったかは知らないが、最終的に残った感情がそれだったか。
……よくわからないけど、良かったんだろうな。
「そういえば、答えなんですけど」
「答え?」
なんだっけそれと言わんばかりの顔を浮かべるリュイス。
僕らも門へ近づいている最中、思い出したので口を開いた。
「どうやってマードウさんが馬車を運んだかって話ですよ。あれ、〈軽功〉ってスキルでしょう、〈気功〉系の。確か物を軽くするんですよね」
「あー。はいはい思い出した。うんそう」
「難しいって聞きますけど」
閉山舎のご老人方でもできるという人は見つからなかった。
「使い手は少ねえな。輸送隊にはそこそこいるけど、引っ張りだこだから滅多に見ねえし」
確かに物資の運搬においてこれほど有用なスキルもないだろう。僕だってほしい。
「以前あいつは軍の補給部隊にいて、その頃は精気の使いすぎでよくぶっ倒れてたけど、ランク4になったってことはそのへんも解決したんじゃねえかな」
などと会話している内に、マードウが門に手をかけるのが見えた。
……もしかして、そういうこと?
次の瞬間、僕ですら知覚できた。門全体にマードウの精気が浸透していく。
数秒後、門が左右に開いていく。他の衛兵隊が押しているとはいえ、たったの四人。それも左右に二人ずつだ。〈怪力〉を使っているにせよ、あまりに簡単そうに開いていく。
やがて門が完全に開いた。
中は薄暗く、よく見えない。
「行くぞー」
リュイスの声に促され、いつの間にか止まっていた足を動かす。
今更ながら、気が遠くなっていた。
僕はこれからこんな人間ばっかの土地に入って、ほとんど徒手空拳で一発かまそうとしている。武器はあるけどどれだけ効果あるかもいまいちわからない。
……だからって、弱気になるなよ。
つばを呑み下し、一歩を踏み出す。
まずはそこからだ。
「急げよ。すげえのが見れるぞ」
「え」
今日はもうお腹いっぱいなんですが。
◇
それは細長い箱を上下に二つ重ね、さらに斜面に沿うように前面を削った形をしていた。
中に入ると、やはり薄暗く、全体を見通せなかった。
要所に灯りを配置しているようで、足元まで見えないということはなかったが、一瞬立ち止まってしまった。
音の反響が奇妙だったからだ。
広い、というのはいい。
けれどどうも突き抜けるような、どこまでも吸い込まれるような感覚がある。
「馬は二階に繋いでください。馬車も脇に置ける場所があるんで、そこに。固定用の道具があるんでそれも使って」
すぐに階段があった。
上りではない。下りだ。
馬だけが階段を降りず、もう少し先にある扉からその中へ入っていく。
階段を降りると狭い空間があり、すぐ横に扉があった。
中に入る。
先導する衛兵隊の人が灯りをつけた。
「他は一階で。座席は自由。汗臭いのはうちの連中のせいなので文句は受け付けません。何かあればハシゴ使って先頭まで。部下が応対します」
その部屋は、がらんとしていた。
壁沿いに座席だけがある。先程まで乗っていた馬車を前後数倍に伸ばしたような空間が広がっている。
前の方に、少し上等そうな座席があったので、とりあえずリュイスを連れていき、横にさせる。彼女はやはり疲れていたようで、すぐに寝息を立て始めた。
ログン、御者、衛兵隊の人々と各自自由に席に着いていく。
僕もリュイスの近くに腰を下ろした。
「何か質問はありますか。ありませんね。はい、では出発します。多少揺れますのでお気をつけを」
空間……この場、全体にマードウの精気が満ちる。
ふわ、と先ほども感じた浮遊感。
がたん、ごとん、とついにそこは動き出した。
窓はない。あったとしても見えるのは地肌、岩肌だけだろう。
それは山をくり抜いた道を進んでいく。
そう聞いた。
ふう、と僕はため息をついた。
天井を見上げる。
声には出さなかった。
顔にも出なかったと思うが、これは単に呆然としていただけだ。
……登山鉄道では、これ。




