64 衛兵隊
この状況に陥ってすぐ、僕は「自分が原因なのではないか」と疑った。
自分が特別であると自惚れる気はないが、この身体に宿った力は耳目を集めてしまうものだろう。だから隠している。そこらの魔導士や魔物に見破られない自信はあった。しかし、迷宮内ならともかく今は他人も同行する旅路だ。魔力汚染者として怪しまれてない程度、最低限漂わせている魔力がある。
そこから漏れ出たものがあったのではないか。
ほんのわずか、嗅ぎつけられてしまったのではないか。
僕ではなく、【雲】を。
その疑念はすぐに杞憂であると知れた。魔物の多くが崖へ……山へ向かったからだ。
中央。そこに何があるか、僕は知らない。知るべきかもわからない。けれど明白なことが一つある。そこには、魔が求めてやまないものがあるのだろう。
他にも、新たな迷宮の誕生、棄兵、パレットのお披露目、ログン、スキルの遠隔操作、そういえばマユズミを置き去りにしてしまったとかで僕の頭はいっぱいだった。ごちゃごちゃと散らかり、何から拾えばいいかわからない。じっくり考える暇などない現状がむしろ幸いしたとすら言える。混乱していたのだろう、僕は。
そんな一切合切が、吹き飛んだ。
その赤毛を目にした瞬間に、どうしようもなく意識が全部持ってかれた。
だってこんなの、予想していなかった。
可能性すら頭に浮かんでいない。全くの不意打ちだ。
そいつはそういうふざけたやつだった。だからこっちもバカみたいな声を出してしまったんだろう。
◇
「――は? ジード?」
声は、きっとあいつには届かなかった。
けれど当然、隣に立つ男には聞こえてしまう。
「知り合い?」
一瞬、返答をためらった。単純になんと表現すればいいものかわからなかったからだ。
だから歯切れの悪い曖昧な返答をする羽目になる。
「……まぁ、はい」
「ふうん」
ログンは軽く肯く。
視界の中、ぐんぐんとジードの姿が小さくなっていく。じりじりと距離を詰める魔物の群れに、一人で対している。しかしやつはきっと不敵な笑みを浮かべているに違いない。後悔なんて微塵もないのだろう。
それを傍から見ている方がよっぽどだ。
僕も降りてしまってあれの援護をすべきかと一割くらい本気で考えていたところ、ログンが「なら」と口を開いた。
「一応、拾っとくか」
隣に顔を向ける。ログンは両手を前に突き出し、小さな円を描くように、空気を絡め取るように軽く動かした。そのさらに前方の中空に閃く影が見えた。線だ。ふと浮かび上がり、一瞬後には溶けるように見えなくなる。髪の毛よりも細い糸が幾筋もログンの手から伸びていた。
前方、今まさに魔物の一群を薙ぎ払ったジードの姿がある。次の攻勢に即応できるよう素早く構え直そうとした、おそらくそんな動きの途中、ぴたっと停止した。動画を一時停止したかのように、筋肉の動きや骨の支え、さらには物理法則を無視したかのような姿勢で。
ぽつりとログンがこぼす。
「捉えた」
視力の【強化】に集中する。見えた。
奇妙な姿で静止するジードの全身を、何かが締め付けている。肌と衣服にその異様が浮かび上がっている。まるで多頭の蛇が全身に巻き付いているかのような形がある。その上、その蛇は不可視だ。見えない。稀に陽光を反射し、わずかに閃く光があるばかり。
ぐ、とログンが両手を握った。瞬間、その手から伸びる糸が、一瞬で鈍色に輝いた。指、手のひら、手首から肘に至る部位を締め付ける。いや、巻き取られていく。
「うぉああああああ!?」
間抜けな叫び声が耳に届く。見ると、全身を鋼の糸で縛られたジードがそのままの姿勢でこちらへ近づいてくる。引っ張られている。
あっという間に馬車の中へと飛び込んできた。釣り上げられた、と言うべきか。
「意外と重かったな」
いつの間にか一歩下がり、ジードが馬車に入る空間を確保していたログンがつぶやく。
しゅるりとジードに巻き付いた鈍色の糸が解けていく。ここで尻もちでもついてくれればおもしろかったのだが、やつは何事もなかったように着地した。
「……はー、びっくりした。お、カイリ。やっぱ見間違いじゃなかったか。久しぶり」
「……久しぶり」
そいつはまるで変わっていなかった。
当たり前に、身体は成長している。背は高くなり、手足は伸び、顔つきにも幼さから若さに変わろうとする兆しが見える。変わらないのは、まとう空気だ。二年前と同じ調子で声をかけてくる。
僕の方はどんな顔をすればいいかわからないというのに。
「旧交を温めてるところ悪いが」
と、ログンが割り込んできたのはむしろありがたかった。
「俺はログン。君、名前は?」
「ジード」
「うん、よろしくジード。で、手短に聞きたいんだけど、コハナがどうしてるか知ってる?」
「取り込み中だそうです」
「そんなことだろうと思ったよ」
ログンはため息をついた。そこに好悪は見えない。単純に呆れているようだった。
「まぁいい加減終わってるだろう。そう待つこともないか。……それで、君はどうしてここへ? いくらなんでも警備の新人ってわけじゃないだろ」
「どうしてって言われても……いや、魔物がたくさん出たって聞いたんで、おもしろそうだから見に来ましたとしか」
ログンが顔を歪める。
僕はなぜだか自分のことでもないというのに恥ずかしくなって、思わず口を開いてしまった。
「すいません、こいつ頭おかしいこと言ってますけど本当に頭おかしいだけなんです」
「ええ、そこまでじゃないだろ」
「そこまでと感じる人もいるだろ」
そうかあ? と首をかしげるジードの横でログンは目を閉じ、すぐに開いた。
「そういうやつか、君。なら遠慮する必要はないな。右から来るやつを頼む。カイリは左だ」
言うと、ログンはジードを押しのけ開放された馬車の最後尾に立つ。
おそらくジードも気づいていただろうが、魔物が近づいている。しかも今度は後続との間隔が短い。手間取れば囲まれてしまう。
ひゅ、とログンが右腕を振るった。空中に閃くものが一瞬見える。鋼の糸を撒いたのだろう。ほとんど見えないが、馬車の後方から放射状に広がった鋼の糸を想像する。知らずその領域に踏み込めば一瞬で絡め取られ、切断される……先程は蛇を連想したが、蜘蛛の巣が正しいかもしれない。
「おっかない技だなあ」
つぶやき、ジードはログンの横に並ぶと、跳び上がって屋根をつかむや、ぐるんと身体を回転させ、視界から消える。すぐに天井から、とん、と音がした。どうやら馬車の上に着地したらしい。
「お、すごいぞカイリ。うじゃうじゃ寄ってきてる」
脳天気な声が聞こえてくる。
狭い馬車の中を嫌ったのだろう。ジードは屋根の上でやるつもりのようだ。
ため息をつくと、僕も準備することにした。二人のように広い空間はいらない。視界さえ確保できれば十分。
馬車側面の小窓から頭と左腕だけを出す。左手の上にはもうパレットが待機している。
【こっちに回り込んできたやつだけでいいよ】
伝え、後方へと目をやる。
確かにジードの言葉通り、群がってくる魔物の姿が見え、後続の圧力も感じる。だが、最早さほどの脅威とは思わなかった。これ以上切り札を見せずともよくなったからだ。
見上げると、視界を横切る何かがちらちらと見える。ぶうん、ぶうん、と唸るような風切り音が届く。
鋼の槍、その石突側だろう、と、はっきり見えずともわかる。きっとその一振りで魔物の命が一つは潰えている。馬車の上から地上の魔物にどうやって槍を届かせているかはわからない。でも、あいつがやることだ。不思議はない。
ひゅぱ、と今度は鋭く空を切り裂く音がある。ログンだろう。馬車の壁に遮られその光景は見えないが、また街道に血が飛び散っている。
パレット、と僕は声に出した。
「【本当に、無理しなくていい】」
下手すると僕らの出番はもう無いかもしれない。そんな予感があった。
実際、僕とパレットが相手した魔物はちょうど十体で終わった。
迂回してきた魔物の首を落とし、僕の手のひらにパレットが帰還したところで感じたのだ。
揺れ。車内にまで伝わってくる、街道揺らす地響きだ。
魔物たちからもわずかに感じはするが、これは明確に規模と質が違う。
鳴り響く。次第に大きくなる。地を蹴り砕くような、それでいて整然と連なった大量の音が迫りくる。
馬車の進む先からだ。
「ようやくお出ましだ」
ログンがつぶやくのをパレットが聞き取る。
確かにようやくだと思いながら僕は身をよじり、前方へ目をやった。
まず土煙が目につく。街道はそうでもないが、その両脇で舞い上がっている。土煙を上げているのは、黒い点だ。その群れ。はじめは小さな点に見えたそれは、まさしく瞬く間に大きく精密に、ぐんぐんと接近してきた。互いに近づいているとはいえ、向こうが相当な速度を出していることはすぐに知れた。
それは、騎馬だ。
数十の騎馬が地響きを立てながら現れたと思うやすぐに距離を詰め、この馬車の左右を抜けていく。
頭を持ってかれそうなほどの風が吹きつけ、慌てて窓から首を引っ込めた。
するとログンはすでに車外に背を向け、座り込んでいた。
「まったく余計な仕事をする羽目になった。後で文句言ってやろう」
「いいんですか、そんなだらけて」
「いいんだよ。外を見てみればいい」
言われ、開けっ放しの扉から見える外の光景を視界に収める。気配で察してはいたが、実際に見てみると余計に恐ろしい。
蹂躙だ。鎧袖一触という言葉が相応しいのだろう。騎馬の集団は全く速度を緩めることなく、馬車に群がっていた魔物たちを掃討した。
肉片とわずかな血溜まりが街道に散らばっている。
騎馬の集団はそのまま後方へ、おそらくは穴に向かって走り去ってしまった。
「あれが、中央の防衛戦力……?」
「まぁそうかな。衛兵隊って連中」
こともなげにログンが答える。
一方僕はといえば、結構衝撃を覚えていた。
東部だけ、攻略隊の中だけとはいえ荒事を仕事にする大人たちを四桁近く見てきた。その内に、なんとなくぱっと見でランクがわかるようになった。
漂ってくる気配が違う。
昇格間近や上がりたて、ランク詐欺など例外もあるが、大体は第一印象と外れることがない。目の前に座り込むログンは多分ランク3だろう。御者は2か。
今の騎馬軍団は全員ランク3以上に見えた。その中でも相当な練度だ。
そして数人、さらに抜きん出た気配を放つものもいた。かつて出会ったランク4と同質なものを感じた。
攻略隊であれば迷宮一つ潰せる戦力だ。
もちろん迷宮の厄介さとは単純な戦力で解決できるものではなく、安易に比較できるものではない。彼らがあのままの装備で迷宮に潜って完全に踏破できるかと考えると難しいだろう。
それでも、あの集団は何かが違う気がした。
「あいつらが来たならもう俺たちの出番はないよ」
「……強いんですね」
「そりゃあ、色んなとこから優秀なのを引き抜いて構成されてるからね。こういう事態にも慣れている。けど、何より場所だな。ここらでやる限り、あいつらが負けることはない」
「それは、どういう……」
重ねて尋ねようとしたら、ばたん、と倒れる音に遮られた。
「がー! もう無理だ、限界、頭焼き切れるわ!」
リュイスが床に背中から倒れ込み、大の字になって寝転んでいた。
「衛兵隊が来たんならもういいだろ……悪いが御者に止めるよう言ってくれ……」
「了解。今回一番の功労者は君だな」
言いながら立ち上がると、ログンは馬車の前方へ向かう。
「おつかれさまです」
「おう……」
応じる声にいつもの力はない。
「そんなとこで寝たら風邪ひきますよ」
「まだそんな歳じゃねえ」
「歳関係ないでしょう」
力なく抵抗するリュイスをなだめながら長椅子に寝かせる。
そして馬車が止まり、さてどうするかと見回したところで、気づいた。
「……ジード、どこ行った?」
◇
それから一時間ほどすると、ジードが戻ってきた。
衛兵隊とともに。
「知り合いいたから相乗りさせもらったんだよ」
馬からぴょんと飛び降り、晴れ晴れとした顔でジードはそう言った。
「……」
何を言えばいいかわからない。
心配させるなというべきか、けれど実際、心配なんてちょっとも思わなかった。「彼なら連中と一緒に行ったよ」とログンが教えてくれたが、それがなくとも不安に思うことはなかっただろう。
単に、変わらないなと思い知っていただけで。
「なんでここにいるんだ、君」
「うん? 言ったろ、見物に来たって。いやー、本当にすげえ数だったな。穴のまわりなんてもう地面が見えねえの」
「そういうことじゃなく」
額を押さえそうになる。
「君、まだ学舎にいるはずだろ。どうして中央にいるんだ」
「呼び出されたんだよ」
「誰に」
「知らね。なんか色々聞きたいから一度来いって話が来たんだと」
他人事のようにふわっとしたことしか言わない。自分のことであるというのに興味が無いようだ。
らしいが、全く何もわからない。
「……サラがいればな」
彼女なら本人以上に事情を把握しているだろう。ないものねだりに過ぎないが。
「いるぞ」
「え」
「一緒に来たからなあ。中にいる」
「ちょっと待って、君たち本当に何があったんだ」
言ったところで、横から声をかけられた。
「すまない、ちょっといいかな」
振り向くと、見知らぬ人物が一人、にこやかな顔で僕を見ていた。
「君がカイリだね?」
「はい」
「良かった。手紙通りだ」
彼はほっと息をつき、改めて視線を合わせてきた。
「私はマードウ。メグロの友人だよ。君の案内を頼まれた」
「それは、よろしくお願いします」
少し困惑を覚えながら彼の手を取る。
その手は柔らかく、なめらかだ。
「あいつとは軍の同期でね、そこそこ長い付き合いなんだよ」
「はあ……」
マードウと名乗ったその人は、なんというか、まるでこの場にそぐわない人物だった。
周囲を警戒する衛兵隊の人々は、騎馬ということもあるが全員雰囲気がある。長物の武器を構え、自身のみならず馬も要所を鋼で守っている姿からは、なるほど、慣れていると言われるだけの安定感が見える。
その中で彼は、ちょっと浮いていた。
全体の印象としては、丸い。
柔和な笑みを顔に浮かべている。
背丈は普通で、首から下が前後左右に空間を埋めている。かといえばどっしりしている感覚はなく、それこそボールのように急に跳ね上がりそうな奇妙な印象がある。
つまり一見して、彼はふくよかな人物だった。
ここまで肉付き豊かな人をこの世に生まれ落ちて初めて見たかもしれない。
隣でジードが口を開く。
「マードウさん、衛兵隊の副長やってんだよ」
「え」
驚き、彼の方を向くと、
「いやあ、どうもそういうことになってるんだよね」
うんうんと肯いていた。
その姿は、改めて見ても戦士とはほど遠かった。




