63 再会
うん、無理。倒しきれない。
わかっていたことだが、数が違いすぎる。
状況は変わらない。どうも馬車は結構派手に壊れていたようで、いまだに修理が終わる様子はない。散発的に襲いかかる魔物は僕とパレットで撃退できているが、キリがない。
ログン……彼の姿は最早視認できない。大型の魔物が現れ出し、彼を囲む群れに加わってしまった。その包囲が今なお解かれていないこと、時折魔物の頭や脚がそこから吹き飛んでいる様子が見られるのでまだ生きているようだ。
ログンはともかく、僕らが無事なのはひとえに魔物たちの狙いが違っているからだ。魔物の多くが僕らにはかまわず、相変わらず崖へ……山へ向かっている。崖をよじ登り、その上の木々の中へと駆け込んでいく。
棄兵、とマユズミは言った。生存機能のない一時的な戦力だと。あの痩身はそれと同時に崖を登ることにも役立っているのだろう。多くは駆け出した勢いのままにするすると登っていく。だが、中には途中で転落する個体も出てくる。地面に落ちるも肉体に損傷なければ再び崖に向かうが、爪や四肢が負傷していると周囲をうろつき始める。そうした個体が次にどこに目をつけるかというと、手近な獲物である僕らになる。
【パレット】
僕の近くで滞空していたパレットに呼びかける。
即座に飛び出したパレットが、ちょうどこちらへ駆け出そうとした魔物の横をかすめるように通過する。唸り声のような羽音を立ててパレットが僕の元へ戻ってくると同時、魔物の頭部が地面へ落ちている。
【ありがとう】
差し出した人差し指にパレットが止まる。親指でくすぐるようにお腹を撫でるとかすかな喜びが伝わってくる。僕はそのまま【紋】を通して彼に魔力を補充した。
パレットが【紋】を通じて使える魔術は今のところ三つ。一つは僕が決めたが、残りの【魔弾】と【刃】は彼が自分で選んだ。彼の機動力でその二つをばら撒くのは大変凶悪なので僕としても異論はないが、小さな身体に見合わぬ闘争心にはいつも驚かされる。
最初の内は僕の勝手に巻き込んだ罪悪感もあったが……
ぴい、と鳴きながら首を傾げる小鳥の姿を見る。彼が止まった指から「まだまだやれるぜ」と言わんばかりの戦意が感じられた。
【助かってるよ、本当に】
心からの思念を伝えて、僕は周囲を見渡す。
状況に変化はない。
いまだに何が起きているかいまいちわかっていないがひとまず確かなこととして、これは僕らにとって紛れもなく災害であるということだ。
突発的に起こり、その強大な力は正面から対すれば抗うことなど敵わない。幸いなことと言っていいものか、ほとんど渦中に放り込まれるも紙一重で決定的な被害を受けてはいない。今のところは。
災害は少しずつ範囲を広げるものだ。
穴から湧き出る魔物は尽きる気配がなく、崖を埋める魔物の数も増している。こちらに襲いかかってくる魔物は少ないが、徐々に増えている感覚がある。まだ僕らで余裕を持って対処できる程度だが……どこかで限界は来る。そして、それはもうすぐだという予感がある。
「あークソ、しょうがねえ! これで終いだ。どっかでぶっ壊れるだろうがさすがにまずい」
振り向くと、リュイスが馬車の下から這い出ながら渋い顔を見せていた。
不満のある出来なのだろうが、とにかく修理は終わったらしい。
リュイスがこちらに向かって声を張り上げる。
「乗れ、カイリ! 門までならなんとか持たせる」
「リュイス、でもまだログンが」
言いかけたとき、ぶわっと風が吹いた。
奇妙な風だった。
「俺ならいるよ」
それと同時、声がしたと思うや、すぐ目の前にログンが降り立った。真上から。ちょっとその場で跳び上がったみたいに軽い動きだった。
「は?」
「俺だけならあそこで待っててもよかったんだけどさあ。どうも遅れてるみたいだから、一緒に逃げようかなって」
彼はいやに呑気な口調で言った。
つい先程まで魔物たちが群がっていた……ログンがいたと思われる場所を見る。そこには今も魔物たちが集っている。首と足をぎゅうぎゅうと突っ込み、団子のような肉の小山ができあがっている。けれど先程までと決定的に違い、もうそれらは動いていなかった。
ぴゅう、ぴゅう、と頂上からわずかに血が漏れている。おそらくそこからログンは跳び上がり、脱出した。それはいい。想像できる。わからないのは、どんな技術を使えばあんな殺し方ができるかということだ。見る限り、肉塊は中心に向かってみっちり詰まっている。外側こそだらんと垂れ下がった後脚が見えるが、内部はどうなっているか想像もつかない。
僕のすぐ前に佇む男の四肢はべっとりと魔物の血に染まっていた。油のようにぬめり、最早指先から滴り落ちる様子もない。肘から先、膝から下がボロボロになった衣服と合わせて凄惨な姿だった。
「ん、これじゃ馬車に乗せたくないよな」
ログンはつぶやくと、手足を軽く広げた。次の瞬間、その皮膚が肘と膝から急にめくれ上がった。一瞬、そんな錯覚をしてしまった。波打つように盛り上がり、張り付いた魔物の血ごと表面が剥がれていくそれは〈鋼化〉の鋼だ。裏が鈍色に光っている。手足をコーティングしていた鋼を操作し、血を除いているようだ。鋼は手足の指先に集い、すぐに鈍色の球体が出来上がったと思うや、それは見る間に縮小していき体内へ戻り、ついには集められた血だけが地面へばしゃっとこぼれた。
「あー、まだ結構残ってるな。あれだけの数だとさすがにかわしきれないんだよなあ」
変わらず、ログンにはまるで気負う様子もない。うんざりだと言わんばかりに首を軽く振っている。
〈鋼化〉に関しては素人の僕でもわかるほど卓越した技量が一連の動作からうかがえた。手足を武器として戦っていたというのなら、おそらく〈武術〉のレベルも相当なものだろう。
戦闘に慣れている。
だけどそれだけではない、形容しがたい違和感を僕はこの男に覚えていた。
「何してんだお前ら! さっさと乗れ!」
リュイスに怒鳴られる。
僕とログンは同時に馬車に向かって駆け出した。
「どうにも遅れてるようだ」
僕を先に馬車に乗せ、後方を警戒しつつ独り言のようにログンが言った。リュイスが応える。
「ああ。まぁそのうち来るだろ。ぼけっとしてたらその前にやられちまうが」
「多分そろそろボスが出てくるしね」
いまいち意味がわからない会話の最中に、馬車が動き出す。
ぎいい、と何かがこすれるような音が響いた。車体、車輪が軋む音だ。だからといって馬車が止まることはない。破滅を予期させる音を鳴らしながら加速していく。
「……やっぱダメか」
ぽつんとリュイスがつぶやいた。頭を振っている。
……まさかこの馬車、本当に壊れるのか?
僕がリュイスに声をかけようとすると、彼女は突然しゃがみこんだ。
ぺたんと手を床につける。
「すまん、あたしはしばらく使い物にならない」
「何を」
するんですかと問いかけようとした。肩がつかまれ、制止された。
振り向くと、ログンが目を見張ってリュイスを見つめていた。
「遠隔操作」
ログンがつぶやく。「あー」とリュイスは面倒くさそうにうなずいた。
一瞬、言っている意味がわからなかった。〈手工〉はあくまで知識・技術のスキルだ。肉体を離れて作用するような力はない。あるとすればそれは……
「〈気功〉持ちには見えなかったな」
「〈怪力〉も弱い。つっても〈治癒〉なら散々受けてきた。近くの鋼を維持しておく程度ならな」
「……すごい」
思わず声を出していた。リュイスが何をしているか、ようやく僕にもわかった。
彼女が使っているのは〈鋼化〉だ。けれどその手に鋼で作成した道具を持っているわけじゃない。下だ。おそらく先程、馬車の底に鋼を残してきたに違いない。それを精気によって遠隔操作し、壊れながら走る馬車を同時に修復している。
……いや、そこまでは厳しいか。致命的に破損しきらないよう補強していると考えるべきだろう。
それにしたって信じられない。いまだ〈言語〉以外のスキルを持たない僕には実感ないが、基本〈鋼化〉はどこか肌身に接して運用することくらい知っている。身体から離す場合、維持だけならともかく形を変化させるなんて非常に難しいはずだ。
リュイスは目を閉じ、集中している。額にじんわりと汗が浮かび始めたのが見える。こころなしか、馬車から響く音が静まっているように思えた。
「ははっ」
上から笑い声が聞こえる。振り向くと、ログンが笑っていた。短く、ぽろっとこぼれたような声だった。
「脱帽だな、これは」
つぶやくと、踵を返す。馬車の後ろへ歩み寄っていく。
途中、片手を上げ、ひらひらと振る。手招きしているようだ。
「手伝えよ、カイリ」
これは聞き返すまでもない。
近づいてくる気配がある。
「わかりました。けど、一つ教えください。これは何ですか」
「言ったはずだぜ。新たな迷宮の誕生だって」
「それがよくわからないんですが」
ログンは扉に手をかける。開くと、後ろへ流れていく道と、ぐんぐん接近してくる魔物の姿が見える。三体。
今にも飛びかかってきそうなほどに、近い。
「ふっ」
呼気とともに、ログンが軽く手を振った。
空気が動く感覚がある。目には何も映らない。しかし、確かに何かが走った。
魔物の首が三つ、地面に落ちる。
弱い水鉄砲のような血しぶきが上がる。遠ざかっていく馬車に当たるはずもなく地面を汚す。
当然、徒手の間合いではなかった。
何らかのスキルか、不可視の刃物を持ってログンは離れた魔物の首を落としてみせた。
隣に立つ男の顔をそっとうかがう。
真意を読み取れない、軽薄そうな微笑が顔に貼りついたままだ。
「君は攻略隊で活躍してたんだろ。なら迷宮の発生くらい聞いたことあるんじゃないか」
こちらを向かず、先を見つめたままログンは言う。
「ありますよ。普通、そう簡単にはできないとも」
「確かに、他ではそうだ」
開け放たれた扉の向こう、すでに小さく見えつつある大穴から湧き出る魔物の中、こちらへ向かう動きが見える。群れの全体から見れば一割にも満たないほどだが、ぱっと見えるだけで百体は下るまい。この小さな馬車があの数に囲まれればどうなるか、考えるまでもない。
「ところが中央周辺ではよくあることなんだ。理由は知らないよ。年に何度か、穴が開いて魔物が湧き出る」
「……聞いたこともありません」
「ま、中央のことはみんなあまり話したがらないしな」
救いといえば統率されているようにも見えないことか。脚の速さにばらつきが見える。このままであれば接近は散発的になるだろう。そのとき、一体一体に手間取って群がられてしまうわけにはいかない。
「それに、もっと簡単な理由がある」
「……よくあるということは、この事態を収め続けているという意味ですよね?」
「そう」
「つまり、中央にはあれに対する備えがある」
「そういうこと。ありふれて、特別なことじゃないんだ。わざわざ話題にするまでもない。俺たちは運が悪かった。穴が開く瞬間に通りがかるなんてさすがに聞いたことがない」
話している間に、街道を爪が削り駆ける音が聞こえるまでに接近してきた魔物がある。今度は二体。
「だからもう今すぐにぶっ潰されてもおかしくないんだ、あれ。……少し遅いから、サボってんのかもわからないけど」
微妙に怖いことを聞き流しながら、僕はほーっと息を吐いた。
気が抜けた、と自分でもわかった。
隣のよくわからない男はともかく、リュイスたちにどこか余裕があるような気がしていたのだが、その理由がようやく知れた。いや今現在危機にあることは間違いなく、彼女たちがまさか呑気であったとは思わない。けれど焦燥感が薄い。そんな気はしていた。
だからこれが中央にとって慣れた事態であるなら理解できる。
良かった良かったと胸をなでおろす僕の耳に、こんな言葉が届いた。
「じゃあ、次は君の番だな」
「……は?」
一瞬、反応が遅れた。
何を言っているんだこの人は。
「いやあ、ちょっと疲れちまったんだよね。多少任せられる相手がいるなら是非お願いしたいんだけど」
「……」
「さっきも何体かは始末してたみたいだしさあ」
そして、彼はニヤッと笑みを見せた。
「名高い魔物使いのお手並み、見せてもらいたいな」
納得があった。
この男は、以前から僕のことを知っていたということだ。
別に隠しているわけではない。東部の攻略隊と輸送隊の中で噂されているとも聞いている。その危険性は承知の上だし、それでどのような対応をされるか見たかったところはある。結果、今に至るまで接触はなかったのだが。
ログンがどの所属かはわからない。また、その目的に僕が含まれているかも知らない。ただの興味か、はたまた何らかの思惑があるかはわからない。けれど彼は今、僕を計ろうとしている。
「わかりました」
ため息を押し殺し、僕は肯いた。そうする他なかった。
二体の魔物が近づいてくる。かぱりと開けられた口に生え揃った牙がもうはっきりと視認できるほどだ。
「【パレット、お願い】」
言葉と同時、弾丸のように、稲妻のように宙を駆けるものがある。
使い捨ての魔物や、壊れかけの馬車など彼にとっては止まっているも同じだ。路上に二つの頭が転がり、目にも留まらぬ軌跡はそのまま僕の背のフードへと収まっていた。
沈黙が降りる。
あえてログンの方は見ない。細かい指示を与えなければパレットならこうすることはわかっていた。もっと手こずっても……弱く振る舞っても良かったかもしれないが、それは選ばなかった。
……腹が重い。
結果どうなるかわからない、それでも選ばねばならない決断を、僕はこれから何度迎えるのだろう。
「すごいな」
隣から上がった声には賛嘆の響きがあった。
「今のは、鳥かな。小鳥だろう。ちょっと尋常じゃない速度だ。捉えるのに骨が折れそう」
「……彼は持久力に難があります。まだ問題ないですけど、ずっとは無理ですよ」
「なるほどね。いやいいものを見せてもらった。十分使い物になる」
お互い視線を合わせずに会話する。
僕らの視界、その先ではいまだ続々と魔物が溢れ出す穴がある。こちらへの追手も数が増している。
また接近してきた魔物が風切る音ともにバラバラになる。
「大体は俺が相手する。一割ほど任せたいね」
「では、左右に回りそうなのをやることにします」
「助かるよ」
見据える先、すでに十を超える魔物が迫っている。問題ないだろう、まだ。この波状攻撃がいつまで続くか、全てはそれ次第だ。場合によっては【強化】の段階を上げることになる。あるいは、僕自身が【魔弾】や【刃】を使わざるを得なくなるかもしれない。
……それは困る。パレット以外を見せる気はない。
でも、ここで致命的な被害を受けるわけにはいかない。
疲れたなどと言っているが、隣の男にはどこか余裕がある。きっとどうにかできる自信があるのだろう。見せていない技もあるに違いない。しかし、そこまで積極的ではないが、こちらを探る意図も見える。
お互い切り札をどこで出すか……分が悪い根比べだ。
……せめて、と思う。
せめて、もう一人いたならば。
魔物一匹を普通に倒せる人間が、ここにいたならば。
どうしようもない考えを頭に浮かべていたときだった。
「ん?」
と、ログンが顔を傾けた。斜め上、馬車の壁にさえぎられ、ほとんどその先は見えない。
すでに魔物が群がり始めている。もう一秒の猶予もない。そんなときに、男は余所見した。何があるか、考えるまでもない。崖だ。中央を擁するという山がある。
そちらを見たということは、まさか救援がやってきたのか?
「良かっ」
た、とつぶやこうとした。
その姿が視界に入るまでは。
鮮やかな、火のような赤色が飛び込んでくる。
空から魔物の群れのど真ん中に急落し、衝突の寸前、振るわれる鈍色がある。
槍だ。
地面をかすめるように閃いたそれは、一振りで三体の魔物を両断してのけた。
その勢いのまま回転し、そいつはすとん、と着地した。
「おおー。マジで多いな」
魔物に囲まれながら、呑気な声を出す。
燃え立つような赤毛。記憶よりもかなり背丈と手足が伸びているが、まだ細い。成長途上の身体に、無骨な鈍色の槍が不思議と馴染んでいる。
周囲を見渡すそいつと、目が合った。
「あれ、カイリじゃん」
馬車は止まらない。どんどん距離が開いていく中、何故かその声だけははっきりと耳に届いた。
ジード。
同じ学舎で育った少年が、そこにいた。
「――は?」
思わず出てしまった声は、自分でもどうかと思うほど無防備だった。




