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魔術師カイリの星巡り  作者: 雑木
5章 天地の柱
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62 棄兵



 交わした契約は簡単なものだった。


「傷つけられない限り人を傷つけない。互いに互いの望みのため、できる限り助け合う。……こんなところでどうかな」


 ようやく打ち解けてきた……それなりに会話にも応じるようになっていたマユズミは僕に呆れを含んだ思念を渡してきた。


【そんなものでいいのか】

「いいだろ」


 がちがちに縛り上げて動けなくなってしまえば本末転倒だ。緩すぎるかもしれないが、このくらいが性に合っている。


「君こそいいの。他に何か要求ない?」

【ない】


 マユズミは常に簡潔だ。

 自らの求めるものがはっきり定まっているからだろう。


【俺は土地が欲しい。力が欲しい。それさえわかっているのならばかまわない】


 それはとてもまっとうな願いだった。

 案内人として多くの迷宮に潜りその構造に触れてきた。フォルマから話を聞き、またその積み重ねの一部も見た。【雲】は少々例外の立場だったがむしろ考えが補強された。

 魔族は土地に強く執着する。

 正しくは源泉地……彼らが星髄と呼ぶ場所に。

 魔力が湧き出る場所だから力に執着すると言ってもいいかもしれない。それは間違いではない。間違いではないが、それだけでもない。

 自らが力を得るために設計し作り上げ、眷属を配し、よく力が循環し、まるで一個の生物であるかのように振る舞うまでになった土地……迷宮に、魔族は我が身に等しい思いを抱く。不可分であるとまで思い込むのかもしれない。実際には、土地から離れられないわけではない。離れがたいだけだ。

 マユズミは土地を失った。苦心して築き上げた迷宮は崩壊し、今では封印されている。そのことに怒りを覚えている様子はない。フォルマへの恨み言は何度も聞いたが。

 そして今、マユズミはまた土地を求めている。

 そのために僕のようなものと契約してもかまわない。その決意を示している。


「わかった」


 僕は肯いた。


「僕は君が再び土地を得られるよう努力する。知恵も手間も惜しまず提供する」


 裏切りの言葉を口にする。人間にとっての敵である迷宮とそのボスの誕生に僕は手を貸そうとしている。

 今更だ。禁止されているはずの魔術を乱用し、フォルマから手ほどきを受け、【雲】を受け継いだ。この世に裁判所があるのなら実刑判決間違いなしだろう。

 それでもやると決めた。恐ろしくないわけではないが、震えるほどじゃない。僕のことだから実感がないだけかもしれない。きっとそうだ。だとしても。


「だから君も力を貸してほしい。人が魔を正しく恐れるようになるその時まで、どうかその身を僕に預けてほしい」


 頭を下げた。意味はないとわかっていても、僕にできることはそれしかなかった。


【かまわないと言った】


 そうして、僕らは【紋】を刻んだ。

 半年前のことだ。




      ◇




【ありえない】


 制止するリュイスの声を背に受けながら馬車の後方から身を乗り出し、その光景を目にすると同時、マユズミの呆然とした感情が伝わってきた。

 穴が空いている。

 広々とした穴が、少し前に通り過ぎた街道脇の地面にぽっかりと口を広げている。

 ずっと崖ばかり見ていたが、さすがにあんな穴があれば気づいている。信じがたいことだが、あれはつい先程できたものだ。この馬車なら軽く三台は一度に呑み込めそうな穴が、一瞬にして生じたと考えるしかない。

 けれどマユズミが驚いたのはそんなことじゃない。

 その穴が迷宮であることが問題だった。奥底に源泉地を抱えている。

 そしてその穴は入り口……迷宮が設けざるをえない外界との接触点ではない。


【開いている……?】


 次の段階にある。

 すなわち、侵食に。

 穴の縁にうごめくものが見える。這い出ようとするものがある。姿を現す。

 犬だ。

 犬だと、思う。

 痩せこけて体毛に乏しい。牙と爪だけがやけに大きく鋭利で、他は貧相……どころではない。

 頭がなかった。

 いや、頭部はある。鼻と口はついている。しかし目はなく、耳もない。それどころか首から口につながる部分以外、何もない。平べったい。本来脳が収まる部分に何もない。

 一瞬、言葉を失った。

 その間にも穴から犬が続々と現れる。

 呆けている場合ではなかった。


「どうして馬車が動いていない?」


 馬車は停まっていた。地響きで一度停まったのはいい。しかし、今も動き出していないのはおかしかった。


「すまん、手を貸してくれ!」


 外から声が聞こえる。御者のものだ。

 振り向き、僕の腰に手を回し抱き止めていたリュイスと顔を見合わせる。彼女は心配そうな顔をしていたが、今の御者の声を聞いたからか、外を気にしている様子もある。


「行きましょう」

「おう」


 短く言葉をかわし、肯き合う。

 馬車の外に出る。すぐに異状に気がついた。

 街道に地割れが走っている。深いものではないが、馬車の車輪が挟まっていた。

 ……素人目だが、壊れているようにも見える。


「……まずは車輪を外したい。〈怪力〉はあるな? 手伝ってくれ」

「わかった。……ああクソ、二つやられたか」

「僕もやります」


 言うが、御者もリュイスも首を振る。


「重いからな。それより離れるなよ。やつらが近づいてきたら教えてくれ」

「……わかりました」


 肯くしかなかった。

 【強化】はリュイスに教えていない。あるいは彼女だけなら見せても問題なかったかも知れないが、御者がいる。

 それに、あの魔物たちの方が気になっていた。

 悠然と穴へ近づいていたログンのことも。

 目を向けると、ちょうどログンが魔物の群れと対峙しているところだった。

 距離にして十歩程度。魔物であれば一足飛びで距離を詰めてもおかしくない間合いだ。

 ログンは武器を用意するでもなく、両手をだらんと下げた自然体でいる。なぜだか僕は背を向けた彼の顔がニヤついている様を想像してしまった。

 魔物が三体、ログンに飛びかかる。正面と左右から同時。確かな連携だ。

 ログンの体幹はブレない。ただ、左右の腕だけが僕の目から消えた。それほど素早い動きだった。

 交錯は一瞬、三体の魔物は飛びかかった軌跡をわずかに外れて地面に身を投げだした。三体とも、頭部と前脚が切り落とされている。

 また下げられたログンの手に武器は見えない。しかしその肘から先、指まで鈍色に覆われているように見えた。

 三体やられた魔物側に動揺は見られない。ただログンを確かな脅威とみなしたか、鼻先が一斉に彼の方へ向く。訓練でもしたかのように一糸乱れぬ動きだった。


【棄兵だ】


 自失から覚めたか、マユズミが犬の魔物をそう呼んだ。


【眷属ではない。あれに生存する機能はない。ただ戦力を必要とするときのみ生み出すものだ。相当追い込まれたときでなければやらんが】

【どうして】

【数日で死ぬからだ。効率が悪い】


 単純な答えだ。

 では少なくともこの敵、この迷宮のボスはその間に何かをやろうとしているのだろう。


【土地を開いておきながら棄兵を使うなど】


 まだ文句をこぼしている。だから頼んだ。


【あの中、調べに行ってくれるかな】

【離れて平気か】

【なんとかする】


 どうやら心配してくれていたらしい。

 かまわないと伝えると、マユズミは早速【繭】を開きながら僕の足元からそっと地面に降り立った。

 そこには地割れがある。

 しゅるしゅると開く【繭】から何かやけに前脚がでかい虫の姿が現れたと思うや、それは素早く割れた地面の奥へその身を飛び込ませた。

 こっちはこれでいい。

 背後、馬車の方を見るとちょうど地割れから車輪を引き抜き、平らな地面に車体を下ろしたところだった。


「大丈夫ですか?」

「あー……久しぶりに全力出したから疲れたが、なんとか」


 さすがのリュイスも肩で息をしているが、その手はすでに車輪の様子を探っている。段々とその目が険しくなる。


「まずいな」

「直るか?」


 御者が尋ねるのに、リュイスは肯く。


「直せるが、ちと時間がかかる。何なら直接馬に乗って逃げた方がいいかもしれねえ」

「それは困る」

「あ?」

「この荷は置いておけないんだ。頼むよ、どうにか馬車を直してくれ」

「ざけんな。あたしはともかくガキがいるんだぞ」


 今にもつかみかかりそうな雰囲気だ。しかし御者も意見を翻す様子はない。

 そこに僕は声をかけた。


「魔物が来ます」


 二体、こちらへ駆け寄っている。

 ログンはいまだ健在だ。先程の場所から一歩も動かず、八方から襲いかかる魔物を切り裂いている。

 だが穴からはまだ魔物が現れている。ログンに襲いかかる魔物はすでに飽和している。あぶれたものがそこに留まるはずもない。

 多くは崖に向かい、大きな爪を利用し、器用に崖を登っている。

 ごく一部、二体の魔物がこちらに向かっていた。

 リュイスと御者が迎え撃とうとする。

 僕はそれを手で押し留めた。


「大丈夫です」


 と口にし同時に、


【出番だよ】


 と、背後のフードで今か今かと出番を待っていたパレットに伝えた。

 その軌跡を目で追うことは敵わない。

 少し遅れて繋がった感覚からどういう飛び方をしたのか知るのみだ。

 一瞬後、こちらへ進む魔物の頭部が二体とも弾け飛ぶ。二体は頭を失ってもしばらく走り続けていたが、やがて電池が切れたように全身から力が抜け倒れ伏した。

 ぶん、ぶん、と音を立て、パレットが僕の元へ戻ってくる。

 またフードの中に潜り、そこに設置した蜜を吸う気配がある。


「これくらいなら僕でもどうにかなります。ご心配なさらず」


 言いながら振り向くと、リュイスはまた途方に暮れたような顔をしていた。


「……心配しないわけがないだろう」


 そう言って、彼女は馬車に向かう。

 ……申し訳ないことをしている。自覚はある。

 いよいよ後戻りできない道に僕は足を踏み入れた。

 御者の視線が背中に突き刺さる。こぼれた声が耳を打つ。


「ま、魔物……?」


 そうですよ、と声に出さず僕はつぶやいた。



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― 新着の感想 ―
[一言] さいっこうに面白いです……! 楽しすぎて衝撃を受けてます しっかりとした文章なのに読みやすく、一瞬で引き込まれました 次の更新を心から楽しみにしています
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