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魔術師カイリの星巡り  作者: 雑木
5章 天地の柱
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61 混沌の地層



 僕にとって山とは迷宮だった。

 実際ほぼ間違いではない。この世、この地で僕が足を踏み入れた山は全て迷宮であるか、かつて迷宮であったものだった。つまり、その奥底に魔力が湧き出る源泉地を有している。

 それ以外、自然の……という表現がどの程度合っているかわからないが、源泉地や魔力によらず地面が高く盛り上がった山を見たことはない。あったのかもしれないが、入ったことはない。用がないからだ。

 それなのにどうしてか、あるいはそれゆえか、僕はそれを「自然にできたものか……」とぼんやり思った。そう思うしかなかったのかもしれない。目には見えている。耳に聞こえている。感覚はそれをしっかり捉えているというのに、認識できない。把握できない。たとえば見上げるほど巨大な岩を両手で持ち上げようと思っても素の肉体では無理だ。手を回すこともできず、押してもびくともしないに違いない。けれど触れた手から質感は伝わる。岩だということくらいわかる。ひんやりとした冷たさを覚えるだろう。匂いだって漂ってくるかもしれない。今も同じだ。一つ一つはわかる。大気全体に満ちる精気も、それに蓋されて地上に出ることができない魔力も感じ取れる。まだ麓にもたどり着いていないというのにすでにここは圏内だと知れる。巨大な存在に包まれているような感覚がある。悪い気分じゃない。心地良いとすら言える。しかしそのせいで余計に全貌が見えてこない。巨岩に手は回らない。持ち上げようとしても叶わない。全く動かすこともできないならば、それが本当はどれほど重く大きいのか知れたものじゃない。見えている部分でほとんどなのか、半分ほどか、はたまた一角が覗いているに過ぎないのか。力と規模の差がある一線を超えると最早推測さえ成り立たない。

 圧倒されていた。

 呑み込まれていた。

 まともにものを考えることができない。停止してしまっている。

 だから、僕の意識を覚ましたのは外から内へ直接伝わるものだった。


【馬鹿な。この全てが星髄だと……】


 マユズミが思念をこぼした。

 意図して伝えてきたものではなかった。マユズミもまた混乱しているようだ。無意識の思考がそのまま僕に届いていた。しかし、そのおかげで僕は自失から覚めることができた。周囲に気を配る余裕が生まれる。

 変わらず馬車の中にいる。僕は席の背後にある小窓から顔を出し、外を眺めていた。隣ではリュイスがこちらを向いて微笑んでいる。「ビックリしただろ?」なんて、呑気にも思える言葉を投げかけてくる。はい、とだけ返して僕は再び外に目をやる。彼女は圧倒されていない。むしろ、どこかリラックスしている。安らいでいる雰囲気がある。僕も理解はできる。近づくほどに濃くなる精気に包まれていると安堵してしまう。心を許していしまいそうになる。

 僕にそれは許されない。意識を向けると、フードの中のパレットが緊張しているのがわかる。精気のせいではないだろう。マユズミと同じく、地下の異様を感じ取ったに違いない。


【僕にもわかった。すごいな、これ】


 ふたりに思念を向ける。

 ようやく目に入ってくる情報をしっかり認識できた。

 いま馬車が走っている街道の周囲は荒れ地だ。草むらが好き勝手に広がり、手入れされている様子はない。背の高い植物はまるで見かけないため見晴らしはよく、見渡す限りそんな景色が広がっている。だから気づく。奇妙なほどに平たい。雑草が繁茂しているだけで、その下の地面はまるで傾き、勾配が見られない。

 まさにこの直下に源泉地……魔族のいう星髄、魔力の湧き出る迷宮の根源があるというのに、地表にはまるでその影響が見られない。

 ましてや源泉地は一つではなかった。少し意識を向け、感覚に集中すればあちこちに見つかる。密集している。

 かつて僕がいた学舎の山は三つの源泉地が集い、一つの迷宮を作っていたと聞く。それはしかし一つ一つは他と比べて小規模でもあったらしい。

 目の前に点在するいくつもの源泉地にそういった印象は覚えない。それぞれが独立している。僕が見てきたものと比べて規模が小さいようにも思えない。

 ただ、地上には全くその影響が現れていない。地下の異常とは裏腹に、ただ人の手が入っていない荒れ地があるばかりで、山も何もない。迷宮の跡すら見られない。

 ……均されている。

 ふと思った。

 ここは一度均されたのではないか?

 そして封じられて以降ただ放置された結果、この有様なのではないか。

 前方を見る。

 山だ。

 それは、山としか言いようがない。

 僕が今いる場所と比べて盛り上がっている。しかし高さでいえばさほどではない。今まで東部で見てきた山々よりはさすがに高いようだが、倍ほどあるわけではない。山頂部を除いて全面が緑に染まっており、傾斜もゆるやかで全体的に険しそうにも思えない。そびえ立つ、そんな印象はまるで覚えなかった。

 ただし、広い。

 ゆるやかに少しずつ高くなっている分、山と呼べる勾配が周囲に広がっている。その上に林があるから、どれほど広大な山林なのか想像もつかない。ただ広い。そういう山だ。

 なぜあれほどに広いのか、推測はできる。

 今いる場所の有様が僕に一つの応えを指し示している。

 しかし、信じられない。現実味がない。いや、今でさえまだどこかおぼろげな感覚がある。現実味がないというのならずっとだ。だけど、だとしても、本当にそうなのか……?

 僕にはわからない。


【ありえない】


 マユズミもおそらく僕と同じ結論に至ったのだろう。

 信じがたい、けれど目前の事象はその通り存在している……そんな揺らいだ思念がこぼれた。




 果たして、ありえないと思われることであろうと、実際に目にしてしまえばそれはただの現実だった。

 近くまで来たならはっきりと感じ取れる。

 目の前には崖がある。どこか奇妙な崖だ。垂直に切り立ち、同じ高さで左右にずっと広がっている。風化した跡こそあれど、まるで上から切り取ったように見えた。

 きれいな形だった。

 美しいとすら言える。

 この山はおそらく、人工的に整えられている。周囲の平原も含めてデザインされ、そのように維持されている。整然と落ち着いた形はそれだけで人を安心させるに違いない。

 けれど、その中はぐちゃぐちゃだった。

 いびつに重なり合い、ドロドロに混ざり合い、重なっては押しのけては醜い争いが繰り広げられていた。

 感覚が拾った混沌が、崖のおかげで目にも映ってしまう。

 地層、とそれを言っていいものか。

 しかし間違いなくそれはこの地の歴史だった。

 どれほどの迷宮が生まれ、地表を覆わんとしながら失敗し、その後に生じた迷宮が広がりまた失敗し、ときに同時に生まれたものが激突しながら上へ先へ目指してまた崩れ去った。そんな、馬鹿みたいな争いの歴史が崖のおかげで地上に露出していた。

 この山の地表全てが整っているだけに目を引いてしまう。いや、僕以外の人は誰も気にしてはいない。目には入っていても気に留めるようなものではない。僕だけが勝手に読み取って怯えている。


【ここで一体いくつの土地が生じたというのだ……】

【わからない】


 マユズミにわからないなら僕にわかるわけがない。

 山のように見えるこれは実際、そうなのだろう。山だ。それは正しい。しかしその成り立ちは尋常なものじゃない。

 ……想像してみる。

 ここにはいくつもの……それこそ何十、何百もの源泉地があった。それぞれが独立し、迷宮を形作り、山が連なっていた。そういう場所だった。その全てが潰され、均されて今の形になった……単純に考えるならこの通りだが、わからない。違和感がある。

 均された。そもそもこれがおかしいのだが、少なくともこの山周辺は意図されてこの形になったと見る方が自然だ。迷宮のように内から構築したものではない。外から表面の形だけ整えてある。だからそこはいい。手段も考えるだけ無駄だ。

 源泉地が密集しているのもいい。近くに感じるだけでも十以上の源泉地が山の下にある。そういう場所もあるのかもしれない。

 わからないのは、山ではなかった。

 なぜここに中央を置いたのかということだ。


「もうちっと先に門がある。そこから山に入るぞ」


 ぼーっ崖が右に流れていくのを見る僕にリュイスが声をかけてくる。

 思わず答えてしまう。


「門?」

「ああ、そこ以外全部崖が続いてんだよ」


 こともなげにリュイスは言う。彼女にとって、これはもう当たり前の風景なのだろう。すごいとは思っていても、そこに違和感を覚えたりはしない。僕のように余計な感覚を持っていないからだ。この精気が漂う土地に安心して身を預けることができている。


「……リュイスさん」


 僕は何を言うか自分でもわからないまま口を開いた。

 こぼれたものは結局ひどく平凡な疑問だった。


「中央って、何があるんですか」


 リュイスは、虚をつかれたような顔をした。


「何って……」


 何を言おうとしたのか、口を開いたときには彼女から表情が失われていた。途方に暮れたような、自分を見失ったような顔で僕を見ながら何かに意識が持っていかれているようだった。

 次に彼女が何と言うか、わからなくなった。


「全てだよ」


 背後から声がかかったからだ。リュイスがはっとする。声のした方を見る。


「中央には全てがある」


 ログンだ。

 馬車の護衛でありながら今の今まで寝ていた男が、身体を起こし、ニヤつきながらこちらを見ていた。


「全て、ですか」

「本当さ。過言じゃない」


 首をひねりながら隣を見ると、リュイスが微妙な顔をして肯いた。


「まぁ、確かにな。主要な家も施設も大体何でも揃っている。ないものを探す方が難しい」

「なるほど……」


 言ったものの、ログンの言葉には何か妙な含みがあった。気になりさらに尋ねようとすると男はしかし立ち上がっており、馬車の後方、扉に手をかけていた。


「何してるんですか!」

「仕事だよ。君は感じないのか、カイリ」

「え?」


 疑問は、轟音にかき消された。

 馬車が揺れる。とっさに椅子に捕まると、すかさずリュイスが僕を抱きしめる。

 彼女の身体の向こう、馬車の扉から外へと身を躍らせた男が口にしたそれを、とっさに【強化】した僕の耳が拾う。


「新たな迷宮の誕生だ」


 地響きと、巨大な獣の鳴き声が飛び込んできた。



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