7 僕らは違う
「ねえ。カイリはさ、この学舎を出た後のこと考えたこと、ある?」
「考えたことないやつなんて、少なくとも同年代じゃいないと思うよ」
僕が答えると、サラは肯いた。驚いた様子でもなかった。当たり前のことだからだ。僕らのうちの誰であっても、学舎を卒業したものたちがどうなったか気にしているはずだ。
いずれわかる、という答えしか与えられず、不安を押し殺しているだけで。
「そうだよね。あたしも考えてた。どうなるんだろう、どこに行くんだろう、みんなとは離れ離れになるのかなって」
「こんなとこに子どもたちを集めてそこそこの年齢になるまで育ててるんだ。使い潰すようなことはないだろ」
こんなやりとりがたまに学生たちの間で交わされては互いをひとときだけ納得させ合い、結局答えはわからないままなので気まずく尻すぼみに終わる、なんてことも誰もが一度は経験している。
禁止されているわけでもないのに静かに密やかに、僕らの中で稀に浮かんではすぐに消える、泡のような話題だ。
「うん。あたしもそう思う。そう思いたいし、思ってた」
「思ってた」
サラはすぐに答えず、左右を少し見回し、誰もいないのを確認するとこう言った。
「あたしとジードがこの前、ランク5の人に会ったって聞いたら、信じる?」
「そう言われて、信じないとはちょっと答えられない」
おそらく決意がこもった質問を、僕は感じたまま返した。
彼女はなんだか思い通りにならない幼児を見るような目で僕を見ていたが、気を取り直したようで続きを口にする。
「会ったの。ここに来た」
「いつ?」
「ちょうど一週間前。突然訪れたみたいで、先生たちもちょっと困惑したみたいなんだんだけど、任務で来たって」
「学生たちの間で噂になってないってことは早朝か夜かな」
「うん、夜だった。夕食後にね、あたしとジードだけ学長先生に呼び出されて、いい機会だからごあいさつしなさいって」
いい機会。ごあいさつ。
言葉通りのものなら、それは二人だけに与えられ、押し付けられたものだろう。
「部屋に入る前からわかったな。すっごいのがいるって。大きくて、広くて、深く、遠い……生命力の山みたいな人が中にいるって」
「……」
「そこまで近づかないとわからなかったんだから、かなり抑えてたみたい。抑えてあれなんだから、本当はどれだけすごいかなんてあたしにはわからない。遠すぎる人」
サラの受けた衝撃は僕にはわからない。
僕はその人物を見てないし、彼女の感覚も持たない。ただ、いま静かに、客観的に語ろうとしている彼女の様子を見て、そのとき初めて彼女は手の届かないものを知ったのではないか、と思った。
「ジードが何を思ったかは知らない。ただ、あいつは躊躇なく部屋の中に入っていった。会って、話しかけてた。あたしは……あいさつはしたかな。したはず。顔もよく覚えてない。話し方も、大きな声じゃなかった程度で、印象がない」
ずっと圧し潰されていたみたいだった、と彼女は言った。
「終わってから、あの人が行ってしまってから、先生たちが言うの。あれがランク5。人類の最高峰。君たちが目指すべきもの。いずれ中央でお世話になるから今のうちに顔を繋げてよかったって」
「中央……」
ある、とは聞いていた。西に、学舎の外へ向かう道を進んだ先に、この国の中枢があり、僕らを統治しているのだと、学習訓練の中で講義は受けた。
見たことない以上、おとぎばなしのようなものだ。学生たちの中には、いつか中央で華やかな暮らしができると思っているものもいるけれど、行く末がそうなるとは当然聞かされていない。
そのはずだった。
二人は、そのはずを覆されていた。
「あたしたち、みんな中央に行くんですか? って思わず聞いてしまった」
「それは……」
「うん。先生は変な顔してたな。思いがけないこと言われたみたいだった。それで、あっさり、成績優秀者二人まで中央に推薦できます。あとはそれぞれ適性を見ていろんなところに振り分けますって」
わかっていたことだった。
そんなところだろうと想像できていた。
いつまでも子ども、学生のままではいられないし、どこかで労働力として扱われることは教育内容からも明らかだ。どうせ軍隊が一番多いに決まっている。
「成績優秀なものほどいいところに推薦できるからあなたたち二人は素晴らしいんですよ、なんて、そんなことまで言われた」
「……まぁ、そんなとこだろ」
「そうだね。わかってました。わかってたけど、いざ言葉にされたらさ」
サラは笑った。苦く自嘲する、笑みというにはただ口がその形をとっているに過ぎない表情だ。
「ジードはそれから変わった。直に見て、目標ができたんだと思う。今まで手を抜いてたとは思わないけど、全力で訓練に打ち込むようになった」
「感化されたのかもね」
「うん。単純だから。色々言ったけど、いいことだと思うんだ。悪いことじゃない。でも、誰もついていけない」
「……」
「今まではジードにランク2もなんとかついていけてたし、ランク1の中にもランク2に並ぶような子もいたじゃない。きっと今までそんな風にジードに引っ張られてみんな進んでたと思うんだ」
「そういうところはあったかもしれない」
「これから先ジードとの距離は開く一方で誰も追いつけなくて、あいつの背中さえ見えなくなって、そうしたらどうなるんだろうって考えちゃったんだ。きっとみんな、ずっと足取りが重くなってしまうんじゃないかなって」
「……わからないな、そんなの」
「うん。わからない。わからないことは、怖い。嫌だよ。もし、みんながあいつを追いかけるのをあきらめて、立ち止まってしまったら? 立ち止まらなくても、前より進むのが遅くなってしまったら?」
涙をこらえるように眉間に力を込めながら、彼女は泣いてはいなかった。
彼女はただ、怒っていた。
「みんなこの学舎を出た後、どこに行くんだろう」
誰に対して怒っているわけでもなく、強いて言うならこの、僕らを取り巻く環境に怒っていた。
「だから、あいつらをジードにけしかけた」
「……そう。五人がかりで本気でやれば、きっと追いつけるって思ったんだけど、ダメだったね」
「言い出したのは僕だからな……」
「あ、ごめんそうじゃない。……きっと人にやらせようとしたのがいけなかったんだと思う。みんなは、まだジードに戸惑ってるだけで、こんな風に怖がってるのはあたしだけだから」
「そうだね」
僕は肯定した。サラはやっぱり笑みのような何かを口元に浮かべた。
彼女はもう話すことはなくなったようで、力が抜けた様子で佇むばかり。何かを僕に期待したわけではなく、ただ誰かに聞かせずにはいられなかったのだろう。
僕もそれ以上、彼女に声をかけることはなく、その場を後にした。
◇
本来ならば真っ暗な森の中を進む。
足元に地面や木の葉、木の根を踏む感触はあれど、音は出ない。【消音】はまだ有効だ。
森に入ってからは【消臭】もかけた。夜間は浅いところにまで肉食動物が現れることもあると聞く。念には念を入れる。
魔力はまだ持つ。
実際のところ消費で言うと【隠身】が一番重く、あとは似たりよったりだ。もちろん状況にもより、たとえば【消音】だと大きな音を消すときは一時的に消費も激しくなる。今は足音、呼吸程度だから最低限。
現在かけているのは【消音】【消臭】【暗視】の三つで、【隠身】は森に入ったと同時に解いた。
野生動物もこちらの気配を察するのではないかという心配はあるが、切らなければ泉まで持たないと判断した。
黙って夜の森を行く。
たまにバサバサと飛び立つ鳥や小動物の鳴き声が聞こえる。
気味が悪いところもあるが、生命の営みだろう。僕は極力それらを意識せず、焦らず進んでいく。
かつて森に入る訓練があった。狩人が森の中にある危険な兆候を見逃すなと言っていたことを思い出す。細かく言えばもっとたくさんあるのだろうが、そのとき教わったことは三つだ。
触れてはいけない植物に触らないこと。この森にも毒性を持つ植物がいくつかあり、浅いところに生えているものを教えてくれた。
次に小動物を見つけ、自分に捕まえられそうでもむやみに手を出さないこと。それは他の肉食動物の獲物かもしれない。
最後に、水場を発見しても、すぐには飲まないこと。水を濾過する道具があり、必要な人間にはいずれ支給されるだろうからそれまでいくら綺麗でも安易に飲んではいけない。
……あれは、もしかしたらあの泉のことを指していたかもしれない。
魔力。僕はこれを発見した。
だが当たり前だが、僕が第一発見者であるはずがない。現に以前の狩人と何者かの話題はおそらく泉のことを言っていた。それが正しければ、何者かの方は魔力に干渉できるようなことも言っていなかったか。
この国では、とっくに魔力は発見されている。管理されてもいる。少なくともその証拠が一つある。だが、少なくとも子どもたちには知らされていない。学舎後のことと同じく。
考えてみると恐ろしいはずだが、僕の足は止まらない。
気持ちに変化もない。
生まれて初めて僕は未知を覚え、自分の意思でそれに手を出した。
先に何が待っていようと、破滅があろうと、それは全て僕のものだ。
ケニーの言葉を思い出す。
『あいつら、ようやく絶対に手の届かないものを見つけたって顔だ』
わかるよ。
よくわかる。
生まれつき、自分が足りないと知らしめられ続けてきた僕らは、誰よりも早くそれを知っている。
ジードは言った。
『やっぱできるならできる限りできることやりたいじゃん?』
それは今、この学舎の中で君しか口にすることができない言葉なんだ。
他の誰が言おうとも、それは上っ面だ。芯が伴っていない。
自分の全力をたやすく上回られてなお走り続けられる人間は滅多にいない。
いつか壁に当たるかもしれない。いずれ挫折を知るかもしれない。
少なくとも今、誰より先で走り続ける資格があるのは君だけだ。
サラは嘆いた。
『みんなこの学舎を出た後、どこに行くんだろう』
君の不安は僕にはわからない。
見えているものが違う。見てきたものが違う。
立場も視点も違う僕らはただ同じ場所で暮らしてきただけだ。みんなそうなのだ。
ジードがただひたすら自身を追求する方向を目指したなら、サラは僕ら全員のことを考えて足が止まった。
足を止め、こちらを振り返るだけの余裕が彼女にはあったと思うのはきっとひねくれすぎているのだろう。
……今、僕はここにいる。
他の誰のためでもなく、自分が前進するためでもない。
そうせざるを得ないとわかってしまったから、ここにいる。
そういう意味では、もしかしたら僕も二人と同じ理由を持ったのかもしれない。
ふーっ、と息をついた。
以前とは違い、多少磨かれた感覚はこの場に満ちる魔力をさらに知覚できている。
泉に着いた。
変わらず泉の中には魔力が湛えられ、その水面上からも漂っている。
それだけじゃない。踏みしめた地面の下、ここら一体の大地、そこから水も栄養も吸い上げる草花、木々にも、そこかしこに満ちている。
泉の縁で屈み込む。泉に向かって手をかざし、意識を向ける。
あたりに満ちる魔力を、つかむ。
つかみとり、逃さない。支配する。
がりがりと意識が削られ、思考は一瞬も持たない。
叶う限りの魔力を従えようとして――ふ、とやめた。
無理だろう、と気づいた。事前にそうだろうなと思ってはいた。やるだけ試してみたが、やはりダメだった。
今の僕が従えることのできる魔力量はさほど増えておらず、無論森に入る前よりは増えているが、せいぜいが倍。
求めている量には不足している。
わかっていた。
足りない人間が何かを得ようとするなら、何かを差し出さねばならない。
……この前、僕が泉の中に落ちたとき、僕はすぐに這い上がった。少し飲んでしまったが、口にした段階でほとんどを吐き出した。
異物感。
身体に入れてはいけない感覚。
今、僕の中にある魔力は、少し飲み込んでしまったものからさらに身体が全力で排出し、ギリギリ許容量と認めたものだ。
それだけでも僕の身体が魔力に慣れる端緒とはなり得た。少しずつ許容量が増える感覚はあるため、今できなくともいずれ周囲の魔力を全て従えることも可能になるかもしれない。
わかっていたことだ。
そして、もう一つわかっていることがある。
もう僕はわかりきった先には行きたくないということ。寮を出るとき、もう決めていたこと。
もう一度自分に確認したけれど、ここで帰る選択肢はなかった。
僕は両手を使い、泉の水をすくい取り、一息にそれを飲み込む。
のどを通り、胃袋に入り、全身に染み渡る、瞬間。
ぱきん、という音が頭の奥で鳴った気がした。何かがひび割れるような音だった。
そして覚えのある感覚が足裏から伝わる。
ずるりと再び足を滑らせ、泉に全身を踊らせた瞬間、僕は意識を手放した。




