54 魔物使い
むせるような甘い香りが立ち込めている。
鼻の奥を突き刺すようなものから、さわやかに過ぎ去るもの、ねっとりと残り続けるものなど様々な香りが入り混じっている。完全に混ざりきってはおらず、順次入れ替わるように感じるのがまだ救いか。
花の香りだ。
いくつもの花の香りがあたり一面に染み付いている。
けれど、花そのものはまるで見当たらない。というよりも、目に映るものがほとんどない。
そこは真っ黒な場所だった。床も壁も天井も全てが黒い。つるりと無機質な質感で覆われている。
通路が正しいのだろう。まっすぐ一本道で、時折、床や壁に隠された穴が見つかる。そこに入ると、また似たような通路に出る。その繰り返しで、進んでいるのか戻っているのか非常にわかりづらい。整然としているためにかえって現在位置を把握しにくい場所だ。
視覚だけに頼っているならば、だが。
【五十歩先、右の壁に穴がある。そこから奥へ向かうほど匂いが濃くなる……と思わせて罠だ。多数の眷属が待ち構えている。このまま進むがいい】
「了解」
短く返事すると、不満げな気配が伝わってくる。いつものことなので気にしない。
そしてもう一つ、逸るような思念が背後から漂ってくる。確固たる意味に成らない、感情だけのものだ。もう少し待って、と声をかけると笛のような鳴き声が上がる。承諾してくれたらしい。
一人は気楽だったなあ、と思いながら進む。
簡素で無機質な空間に甘い香りだけが充満していることに違和感があったが、もう慣れた。慣れてしまうほどここに通っているともいう。
訪れる度に増築と改築が施されているここは、迷宮として奇妙に見えると案内人たちはいう。その感覚は正しく、ある意味でここは迷宮ではない。
迷宮内部に作られた、眷属の巣と呼ぶべき場所だ。
意思の声による支持に従い、進むと、ようやくたどり着いた。直前でさすがに匂いをカットする。
狭い通路から一気に開けた大部屋だ。
だというのにただでさえ濃い匂いがその部屋ではさらに圧縮されている。強い光によって目が眩むように、濃密で多種多様な香りは嗅覚を麻痺させ、下手すると脳を蝕むだろう。
色とりどりの花があった。生えているのではない、採取され、一つところにまとめられている。
そして、蟻のような魔物が何十体もいる。その魔物には地面を踏みしめる六本の足とは別に背面から二本の腕が生えている。先端は球状で……最も魔力を感じた。変化が進んだ部位だ。その二本の腕によって花を運び、蜜を取り出すや部屋の中央に備えられた泉に落とす。
蜜の泉だ。僕の目的でもある。
背後からすっごい期待する気配がある。はいはいわかってますよとその泉に向かって歩を進める。
魔物たちは僕に気づかない。視覚以外の全ての情報を誤魔化しきっているからだ。この魔物は視覚に弱い。だから僕に気づかない。
彼らはこの花の香りに意識が持っていかれて、鮮やかな色には目を奪われないのだろうか。それとも彼らからしたら、僕の方がこの香りの本当の魅力に気づいていないことになるのだろうか。
【雲】から容器を取り出す。最近になってようやく空間を拡大縮小する術が実用できるようになった。壺中ならぬ【雲中】というわけだ。維持するだけでも結構な消費があるのでそうそう巨大なものは無理だが、まぁ今回みたいに一リットル程度のビンを五十本程度ならなんとかなる。
魔物たちが泉に蜜を落としていく横で、次々とビンに蜜を満たし【雲中】に放り込んでいく。
【慣れたものだな】
最中、皮肉げな思念が届く。
【おかげさまで】
【お前たちは盗みを罪とするのではなかったか】
【迷宮相手には適用されないんじゃないかな】
暇なので相手をする。向こうも同じだ。退屈しているから僕に声をかけているだけ。
【ここで我が身を晒してやろうか】
【そのときは置き去りにします】
【このような木っ端ども、全滅も叶うだろうに】
【蜜が取れなくなるし】
まだここに通い始めたばかりの頃、存在がバレてしまったことがある。あのときは大変だった。魔物はあまり殺さなかったが、巣をかなり破壊してしまったため、しばらく再建に時間を取られていたようだ。
思えばあの後からこの巣の複雑さが増した気がする。
【つまらん】
思念が途切れる。どうも眠るらしい。
何らか仕事を与えたくもあるのだがなかなか使いどころが難しいんだよな、こいつ。働きどころを用意したらしたで文句言うタイプなのも面倒くさい。
多少の会話で気が紛れるながらいくらでも付き合うが……と、ビンを三十本ほど満たしたところで、気づいた。
遠くから気配がある。近づいている。僕が通ってきた通路とは反対側から、隠しもしない騒々しさがある。マジ?
魔物たちも気づいたようだ。一斉に警戒態勢に入り、花を床に落とすやギチギチと顎を鳴らし、背面の腕、その先端が槍のように尖っていく。
この魔物は単体では搦手を持たない代わりに槍の腕と強靭な顎という単純で厄介な攻撃手段を有し、ほぼ確実に複数で取り囲んでくる性質がある。
さらに、場合によっては奥の手まで備えていることがあり……今がまさにそうだ。
「おお、うじゃうじゃいやがる」
「ここがこいつらの重要施設なのかな?」
「すっげえ匂い……勘弁してくれ」
ぞろぞろと攻略隊の面々が現れてくる。五人。見たところ癒し手が一人、案内人が一人であと三人が戦士だ。
魔物たちが瞬時に距離を詰めた。
彼らは慌てる様子も見せず、三人とも慣れた仕草で武器を作り出した。〈鋼化〉だ。鈍色に光る剣、槍、こん棒が現れる。
【強化】された視力でなければ追うこともできない速度で彼らの身体が閃く。
最初に襲いかかった魔物が五体、弾け飛んだ。あるものは頭部を潰され、あるものは槍の腕を切り落とされ、あるものは腹部を貫かれている。
戦士たちの身体から蒸気のように立ち上りながらまとわりつくものがある。精気だ。闘気……とまではいかないか。それでも精気を放出し、身体能力を飛躍的に高める域にまでたどりついている。
〈怪力〉でも可能と聞くが、もしかしたら〈気功〉まで修めているのかもしれない。戦士三人ともランク3もありうる。それほどの技量だ。
魔物たちが次々襲いかかる。
それを切り裂き、刺し貫き、砕いては押し止める。
瞬く間に十体以上の魔物が倒される。さらに倒れた魔物の身体が邪魔で、後続の魔物たちは思うように襲いかかることができない。
慣れた手口だ。危なげがない。
遠目だが、おそらく彼ら全員二十を超えた程度。
〈気功〉を修め、〈鋼化〉の武器を使いこなし、戦闘の経験も積み、さらに先を狙おうとしている意欲がうかがえる。多数の魔物がいると知ってわざわざ近寄ってきたのはそのためだろう。
強いチームだ。僕がこの一年以上見てきた中でも上位にある。
けれど、まずい。これだけでは敵うまい。
魔物たちの動きに変化が見える。攻略隊を囲むものたちはそのままでわずかに防御寄りに動きを変え、その他が戦線を離脱していく。……と、思ったらすぐに戻ってくる。その腕の先端、槍に花弁を貼り付けて。
花弁を手にした魔物が前に出る。戦士たちと接敵する。
「なんだそりゃ!」
警戒した様子を見せながらも戦士たちの動きに淀みはない。腕を切り落とす、薙ぎ払う、迎撃する動きを見せて……
じゅあっ、と奇怪な音が響いたと思うや、彼らの手にした武器に異変が訪れていた。
溶解している。
花弁に触れたところが黒ずみ、溶け落ちている。
「こいつは……」
「う、嘘だろ!?」
戦士たちに動揺が走る。即座に〈鋼化〉を重ねがけしたか、武器は元通りの姿に戻ったが、動きに乱れが見え始めた。
魔物の花弁を全面に押し出した攻撃に及び腰になっている。ただの長い槍であれば恐れなかった彼らが、そこに溶解という要素が加わることによって彼我の戦力差を測り直しているのだろう。
【新手が来るぞ】
思念が上がる。本当に眠っていた様子だったが、この騒ぎの中いつの間にか覚醒していた。
【倒れた魔物どもが匂いで増援を呼んでいる。直にやつら後背から襲われるな】
嘲るようで、どこかつまらなそうな思念だ。こいつからしてみればこの程度の戦闘など見世物にもならないのだろう。
「じゃあ、そろそろ頃合いだね」
僕は一歩を踏み出した。
詰めたビンの数は四十本程度。最大ではないがさすがにこれ以上放ってはおけまい。
背後から抗議する気配がある。
「また近い内来ようね」
なだめると不承不承、といった様子で気配が静まる。
ありがとう、と口にしながら小走りで向かう。
途中、魔物の群れをくぐり抜けるのが若干面倒だったが、この種はかなり整然と並ぶので下手に手を出そうとしなければ抜け道はあった。
最前線を覗く。ギリギリのところで状況は停滞していた。
戦士三人の顔色は良くないが、体力的にはまだ全然余裕がありそうだ。むしろ後方の二人が悪い。もしかしたら迫りくる増援の気配を察知しているのかもしれない。
このまま前に出ると彼らに攻撃されてしまいそうだ。それはさすがに勘弁願いたいので、声をかけることにした。
「すいません」
と、まず注意を引く。
「敵じゃないので、攻撃しないでください」
同時に、隠していた気配を露わにした。
「は?」
「え?」
「なに?」
戦士たちは僕を視認したようだった。
そして、周囲の魔物も自分たちのただ中にいる異物に気づく。
驚きのけぞる動き、とっさの攻撃、威嚇の叫び……その全てを転がり込んで回避する。直後、僕のいた空間が魔物の攻撃で埋まる。
僕は攻略隊と魔物たちとの間に躍り出た。
一瞬の空白があったかどうか。魔物たちが狂乱し、花弁の槍が突き出される。
「おらあ!」
それを、戦士たちが弾き返す。
身体からほんのわずか離れたところで衝撃を感じながら、這々の体で僕は彼らの背後へ回り込んだ。
「いやあ、ありがとうございます。助かりました」
へらへらと笑って挨拶すると、彼らは一様に異様なものを見る目つきを向けてくる。
「……案内人カイリ?」
その中、後方に控えていた一人が声を上げる。同じく案内人だろう。
「あれ、どこかでお会いしました?」
「……いや。有名人だからな、あんた。最年少の案内人で、十五番迷宮踏破者で……」
「ああ。案内しただけなんで踏破って言われるの申し訳ないんですよね」
「おい!」
話していると、戦士たちの一人から苛立った声が上がる。おそらくリーダーだろう、茶髪を刈り込み、精悍な顔つきをした男性だ。
「呑気にくっちゃべってねえでちゃんと後ろを警戒しろ!」
正しい意見だ。
なので、より正確な情報を伝える。
「みなさんが通ってきた道はもう魔物が塞いでますね。退路を確保するにしても別の道を探った方がいいかもしれません」
「……は?」
「増援が呼ばれたみたいです。もうすぐ後ろからも囲まれます。花弁持ちはいないと思いますけど、数だけは揃えてきそうですね」
男の顔を見る。
魔物の攻撃をさばきながら、ちら、と僕と目を合わせた。ランク3、強力な戦士らしい決意を宿した顔だった。
「……撤退する」
その一言に全員が肯いた。誰一人迷ってはいなかった。
僕のような怪しい人間がもたらした情報だろうと、土壇場でリーダーが判断したことを信じる。チームとしての強さを求めたとき、一つ理想的な在り方だった。
けれど、続く言葉には誰もが反対した。
「俺が殿になる」
「ああ?」
「また格好つけてるよこいつ」
「ありえません」
「そういうのやめよ?」
「お前ら……」
彼は苦々しげな顔になった。
「現実問題こいつらを押し止める役割が必要だろう。〈鋼化〉の量が一番多い俺が適任だ」
「そりゃそうだが……」
やり取りが途切れたところに割って入る。
「問題は花弁でいいんですよね?」
「ああ?」
「他はどうとでもなると?」
「だからそう言っている。……おい、カイリとか言ったか。子どもにどうにかなるような話じゃ」
「どうにかできます、それなら」
僕は前に向かった。
彼の横に立つ。
「バカかっ、何する気だ」
「今から花弁を剥がすので、そうしたら撤退しましょう」
隣で呆れたような、怒鳴り散らす直前の気配がある。
その前に、片付ける。
【出番だよ、パレット】
僕の背後から、ぶん、と飛び立つものがある。
それは目にも留まらぬ速度で僕らと魔物の間を飛び抜ける。
すぐには気づかない。誰も、当の魔物ですらも。だが、武器を打ち合わせていればすぐに知れた。
「……何が起きた?」
魔物の腕から花弁が剥がれ落ちていた。
槍がむき出しとなり、リーダーの剣と競り合っている。自失は一瞬、彼が手首を返すと、魔物の腕が落とされる。
その間も、ぶん、ぶん、ぶん、と奇妙な音が戦場を駆け抜ける。次々と魔物の腕から花弁が離れていく。切り裂かれ、舞い落ちる。
よく見ると魔物たちの間を縫うように飛び回る何かがいることがわかる。
「新手の魔物……か?」
隣で声が上がるので、答える。
「半分正しくて、半分間違いです」
「何?」
「魔物は正しいですが、新手の敵じゃありません。味方です、あの子は」
やがてほとんどの魔物から花弁を剥がし終えたのか、パレットが戻ってくる。
一瞬で位置を変える独特な飛び方で僕の肩口に姿を現し、そのまま滞空する。
非常に、小さい。手のひらどころか指にだって乗ることができる。
長いくちばしを持ち、目はつぶらで、今はきらびやかな緑色の羽毛を見せている。彼は気分で色を変えられるため、僕らにとっての服のようなものだ。
その羽は消えたようにも見えるほどの速度で常に羽ばたき続け、静止したように空中に留まることができる。
蜂鳥のような魔物。
名を、パレット。
僕と【契約】を交わした使い魔だ。
「……ま」
絶句する攻略隊の人々の中、案内人の男がつぶやく。
最近になって流れ始めたらしい僕の異名を、慄くように。
「魔物使い、カイリ」




