3 限界
私が肉体を捨てたのは、いつのことだったか。
生まれ落ちたとき、私は当たり前に肉体を有していた。眷属の一体として、王の影に包まれ育っていった。
我々に定住できる土地はない。常に、あの【火】から逃げ惑って暮らしている。かといって遠くへも行けない。めぼしい土地はすでに先住者がいる。そしてそれ以上に、我々が暮らしていた一帯は外から封じられていた。あの【火】を恐れてのことだ。
必然として、あの【火】から逃れつつ、やつが吸い尽くしたあとの土地で、わずかばかりの力を貯える日々となる。
【影】……我々の術。在るべき姿。選んだ道。
【火】から逃れるには優れた術であったが、それに立ち向かうにはあまりに心許ない。細々と無為に日々は費やされていく。
転機は、よくある話だ。
王に限界が訪れた。
定住できる土地があるならともかく、逃げ惑い、一つ土地にいらられる時間も短い我々は、他と比べてあまりに早く終わりを迎える。常に意思が擦り減らされているようなものだからだ。先代の王がどれほどの期間持ったか、私は知らない。私が生まれたときにはもう生に倦んだ空気を持っていた。
そうなるともうやるべきことは決まっている。後継が選ばれる。結局全て王が決めることではあるが、一族の中で有力視された個体がいた。私ではない。
その個体は優秀だった。我らの術、在り方をよく理解し、王の補佐を務め、技術で言うなら先代が後継となったときを凌駕していると言われていた。
私もぼんやりその個体が選ばれるのだろうなと感じていた。何も変わらぬ日々が続くだろうと思っていた。
……果たして、先代が指名したのは私であった。
誰もが驚愕した。私も驚いていた。私は先代とはまるで違う意思を持っていた。
先代が私を選んだ理由を伝えてくる。
【我らの中で、お前だけが変化を望んでいる】
そして私は、【影】の全てを【継承】した。
私が【影】となり、一族の王となった。
同時に、肉体が千切れていくのを感じた。【影】を受け入れるのに不十分だったからだ。
【種】はとっくにできている。
意思は続く。
新しい肉体をすぐ作らずとも、所詮我々は影。肉体などなくとも十全たる働きができる。
私は先代の意思を受け取り、確かに変化を望む自分を知った。
【あの火を討つ】
一族の眷属どもが反対の意思を上げる。関係ない。
私はそのとき、どうしようもなく決めてしまっていた。
◇
【お前には無理だ】
告げると、それは小さく震えた。その上で、意思を重ねてきた。
【無理でも、やるんです】
決意が宿っていた。
かつて、私の中にもあったものだった。
それと私では背景が違う。立場が違う。目指すものなどまるで異なるだろう。
だとしても、その意思は私を打った。
ため息という動作がそれらにはあるらしい。私は、きっとため息をしたのだろう。
【見ろ】
影で編んだ身体を解き、その中に収めていた【種】を露出させる。
私の本体。力の結晶。意思の器。
紫色の【種】を見て、それは息を呑んだようだった。
【わかるだろう】
それの感覚は鋭い。術を読み解く力もある。だからこそ、理解できるはずだった。
【種】を一欠片作るのに、それ千人分の力がいる。力だけではない。意思と技術も必要だ。
あるいは、意思と技術は足りるかもしれない。
だが、それの問題は力を体外に出すことができない点にある。
【種】は新たな身体を作り出すのに等しい行為だ。
必ずそれの身体が反応し、強烈な拒絶を示すだろう。
【足りないものが多すぎる】
そう伝えると、それはうずくまっていた。
鳴いていた。いつもの鳴き声ではない。感情をそのまま垂れ流すようなうめきを口から漏らし続けていた。
「死にたくない……死にたくない……死にたくない……」
意味はわからない。
何を思っているかは、わかった。
私はそれが鳴き止むまで傍らにいた。
【触ってみても、いいですか】
【かまわない】
ぐずぐずと鼻を鳴らし、壁に背中を預けたそれは私に手を伸ばしてきた。【種】を手に取りやすいよう、露出してやる。
「【……ああ、すごい】」
それは純粋に感動していた。
力の結晶たるこの在り方を讃えていた。
【意思と知識がここにある】
【はい……わかります。カゲさんの意思が、直接伝わります】
それは単純に羨んでいた。
この在り方を望んでいた。
【変化するための形。先へ進み続ける姿……あたしもそうなりたかった】
だからか、ついこぼしてしまった。
【変化は、けしていいものではない】
わかっていたはずだった。
私が今まで見てきた中でも誰より何より変化を望んでいるのが、それであると。
知っていたはずだった。
【どうして、そんなこというんですか】
それは私の【種】から手を離し、強張った顔になっていた。
【あたしは変わりたいのに、変わりたくてたまらないのに、簡単にそれができるあなたが、どうしてそんなことを】
失敗したと思った。それに伝えるべきことではなかった。だというのに出してしまった。
次に何を思うべきか、それさえわからなくなっていた。
【……ああ、そう。そうなんですね】
それから伝わってくる意思が冷めたものへと変わっていく。
何か、決定的な隔たりが生まれてしまったような気がした。
【カゲさん、味方に裏切られたんですね】
意味を理解し、飲み込むのに数秒必要だった。
【なぜ】
ぐちゃぐちゃの思考の中、短くそんなことしか思えない。
【すいません。ちょっと〈解析〉させてもらいました。あはは、何かすっごいことやりとげたんですね? その直後に味方に裏切られて、必死でここまで逃げてきたんだ。だからあんなところで、あたしなんかを捕まえようとしたわけですか】
悪意と呼ばれるものがそこにあった。
攻撃性の発露。私を傷つけようとする確かな意思がある。
遮断してしまえばよかった。閉ざしてしまえば、そんなものを直接受け取らずすむ。
けれどできなかった。
【惨めじゃないですか、そんなの。いくらだって変われるくせに、そんなことでつまずいて、こんなところでずっと止まっていて】
身が切り刻まれるような思いだった。
それは明らかにタガが外れていたが、その上で無理をして私を罵っていた。
そうすることで、離れようとしていた。
【あたしは、変わりたい】
最後にそう伝えてくると、それは身を翻し駆け去っていった。 応えることさえできなかった。
◇
また数日、それは現れなかった。
私は意思が弱まるのを感じながらも仕方ないことだと思っていた。
それの願いは不可能に近い。【種】をあの状態で作り出そうなど、できようはずもない。それは明らかに弱っていた。身体の異常が進行してしまったのだろう。であれば、いつになるかは知らないが終わりが来る。
考えると苦しくなる。
終わるのであれば私の知らないところで終わってほしい。身勝手にもそう思っていた。
……眷属を狩るだけの日々が過ぎていく。
土地を動き回っていれば、それと同種のものを見かけることもある。それらの中に姿を探すこともあったが、さすがにいない。もうここには現れないかもしれない。次第にそう思うようになっていた。
そんなときだった。
それの意思を、感じた。
正確にはそれの意思に染まった力の残滓が漂っていた。
それらが「隠し通路」と呼ぶものの前のことだった。正しく奥へ向かう道だ。数日前に通りかかったときは開いていなかった。今は、それの力の残滓とともに開いている。
奥へ向かう。
当然、土地の王のもとへ向かう道ということだ。
混乱した。
なぜここにその気配があるのかわからず、ぐるぐる思考を巡らせて……思い出した。それは私の過去を一部とはいえ知ったのではなかったか。記憶を読み取っていた。
この土地について、全てではないが少なくとも玉座へ至る道筋くらいは詳らかにしていた。攻め入るつもりはない。備えただけだった。
……もし、そこまで読み取られていたら?
少なくとも玉座を手中にしたならば、当然、力だけは賄うことができる。王を出し抜けられたならば。
ほんのわずかも立ち止まっていなかった。しかし気づいた瞬間、致命的な遅れに思えた。
私は通路の奥へこの身を滑り込ませ、舐めるようにそれの痕跡をたどっていった。
間に合った、と思った。
巨大な足の無い虫……王だろう。その巨体は休んでいるようだ。
その横を、気配を隠しながら通ろうとする姿があった。
まだ気づかれていない。けれど無茶だった。それが気配を隠すのにどれだけ長けていようと、玉座は最も王の能力が高まる場だ。近づけば近づくほど、確実に中心へ至る前に気づかれる。
王に気づかれぬよう、その前に回収できるよう、この身をさらに早く走らせた。
……そのとき、どうして気づかれてしまったのか。
気配は隠していたはずだ。玉座であろうが、中心に触れぬ限りは王であろうが勘付かれるわけもない。
王ではなかった。それが、私に気づいた。
振り返り、私の姿に気づくと、表情を崩した。
気を抜いた。
瞬間、蠢くものがある。
玉座の中心で眠れる王が、その身を起こしていた。
甲高い怒りの鳴き声を上げると、巨大な虫がその身を地面へ……それのいる場所に叩きつけた。
ぐしゃり、と奇妙な音がした。




