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魔術師カイリの星巡り  作者: 雑木
1章 揺籃の頃
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6 疾走する少年



 ランクについて、僕たちが意識し始めるのはそりゃまぁ人によるだろう。けれど確実に一つ言えることがある。低い方が早いということだ。

 まず、身体性能が違うということに気づく。

 始めの頃はわからない。幼児の頃、まだ訓練も受けていない時期は一緒に遊んでいるだけだった。自分の肉体がどこまでの力を発揮するかなんて試そうという発想すらない。せいぜいが体力なら比べられるけど、それだって当時はまだ意識するほどの差ではなかった。

 六歳になり、僕らは学生寮に入る。訓練が始まる。すぐにはわからない。段々と運動が得意かどうかがわかってくる。この頃、ランク1であろうともジードより成績の良かったやつも数人いた。主に体格が良かったやつだ。性格的に身体を動かすことが好きなものも成績が良かった。

 七歳になる頃、もう当初の優劣は意味のないものとなっている。ランク1と2の間にある明確な違いが浮き彫りになったのだ。

 握力、速力、動体視力、全ての伸びがまるで異なる。ランク1と2では同じ量の反復練習で身につくものが一回りも二回りも違ってくる。

 諦められないものもいた。最初の頃、優れていたものほどそうだった。練習の量を増やす、意識して理解に努める、技術を磨く方向に走るなど、様々な努力を試みていた。

 全て無駄だった。

 努力に意味がなかったわけではない。むしろ努力が実り、彼は一時的にはランク2に匹敵した。

 だから問題は、ランク2がそれ以上に優れていたということだ。

 彼が努力した分、上位の連中はそれを糧により早く上達していった。彼が自由時間も使って訓練を重ね、悩み抜いて編み出し、鍛え、磨き抜いた技術はあっという間に吸収された。

 単純な、基礎性能の話だ。

 僕らは全力で走らねばならない。全力で走り、走り続け、走り切ったらすぐに振り返らねばならない。今の走り方はどうだったか、前よりどれだけ速くなったか、この消耗を早く回復させるにはどうすべきか。

 ランクが上の連中はその全てが僕らより少しだけ手早く、手短に済ませることができる。

 ケニーの言葉を思い出す。


『わかるだろ。あいつら、ようやく絶対に手の届かないものを見つけたって顔だ』

『俺たちランク1はとっくに知ってたのにな、そんなの』


 その通りだ。

 順番が来ただけのこと。

 僕らがとっくに知っていた感情を、ようやく彼らは覚え、今さら嘆いているのだ。




      ◇




 びゅおう、という音が遅れて聞こえた。

 目の前には使い込まれた練習用の棒が、顔面に当たる直前で止まっている。


「……んん? うわっ、なんだカイリじゃん。突然出てくるなよビックリするなぁもう」

「驚いたのは急に攻撃された僕の方なんだけど」


 もう空も薄暗くなった頃、赤毛を汗に濡らしながらジードが一人、素振りをしていた。

 寮の前の庭だ。広場と同じくらいの広さで、二つの寮と学舎、外への道へつながる十字の通路が舗装された以外には雑に木々が乱立している。自由時間などには幼児も交えてのかけっこなどする、僕らの大事な遊び場だ。

 そこで、ジードは少しずつ進みながら虚空に棒を振っていた。同じ調子ではなく、全て角度や踏み込みを変え、工夫を凝らした練習だと今見ただけでもわかる。

 なんとなく気配を消し、木々に隠れつつそーっと近寄ってみたところ、間合いに入った瞬間、僕に向かって鋭い一撃が飛んできたのだ。寸止めで良かった。


「お前やけに気配隠すの上手いな……全然気づかなかったわ」


 ジードが感心した様子でこちらを見てくるので「熱中してただけだろ」と僕は目をそらした。


「それ、庭でやるのは木で視界が遮られるから?」

「わかってんなー。そうそう、棒もさ、テキトーに振ったら枝に当たっちまうから雑にはできねえのよ」


 中断されたのは一瞬、進みながらの素振りを再開し、ジードはにこやかに答える。

 普段と全く変わりない様子だった。周囲が騒いでいることに気づいているのか、その姿からはわからない。


「どうしてそこまでしてるんだ?」

「ん? なんで?」

「どうしてそんな強くなろうとしてるんだって。単純な疑問」


 ふと尋ねていた。自然に口から出た疑問だ。考えていたわけではないけれど、前から用意していたみたいにするっと。


「どうしてって……」


 ジードは動きを止め、訝しげにこちらを見ると小首をかしげた。


「そんな変か、俺」

「変というか、僕らの中ではもうジードが一番だろ。そんな急がなくったって、誰も追いつけないよ」

「追いつけない、かな」

「少なくともジードがそんなに頑張ってる内はまず無理。……追いついてほしいの?」

「その方がいいな。もうちょっと手強くなってくれると助かる」


 気軽な一言だった。気負いなく、強い感情は何もこもっていない。ただ自分の考えを述べているだけの言葉だった。


「やっぱり手を抜いてたんだな、今日の訓練も、これまでも」

「あ。……あー、これあいつらには言わないでほしい。全力で来いってよく言われてたんだよな」


 手抜いてるわけじゃないんだけど、と、気まずそうにジードは言った。


「今の五人相手なんかは結構助かってるんだよ。まだあれ破る手は三つくらいしかないから、少なくとも十には増やしたいし」

「……」

「カイリも言ったところに構えてくれるから良かったんだけど、やっぱあいつらがまた相手してくれるのが一番いいよ。効率が違う」


 本当に、ジードはただ彼の中の事実を、そうあることを口にしていた。

 他人がどう思っているか、まるで気にしていない。考慮の外にある、というかただ遠いのだろう。彼はまさに今も走り続けていて、足を止めた人間の感情など追いつけるはずもない。

 僕はただ確認のために尋ねた。


「……いつから手を抜いてたんだ?」

「だから手を抜いてないんだけど……まぁ、去年の終わり頃かな。誰が相手でもどうやっても勝てるってわかったから、これはやらないとか、速度はここまでとか、色々制限決めたんだよ」

「それが今につながってると」

「そうなんだけど、ちょっと違う。つい最近までこのままでもいいかなって思ったんだけど、すげえもん見ちゃってさ。やっぱできるならできる限りできることやりたいじゃん? なんで今は気合入ってるよ」


 ジードは快活な笑顔を見せた。多くの人間が見惚れそうな、ただ前進しているものだけが持つ魅力に溢れていた。

 現にジードは下の世代に人気があり、上の世代からも好かれている。同世代だって、今距離をとっているのはランク2の数人と、それからサラ程度のものだろう。ランク1の大勢からしてみたら、ここまで違うと複雑な思いさえ抱けない。


「なるほど、わかった」

「おう? 俺はよくわからないけど、わかったのか」

「うん、そう。ところでジード、実はとっくに夕食の鐘が鳴ってるんだ」

「えっ」

「君を探してこいって先生に言われたんだよね」

「それもっと早く言えよ!?」


 バタバタと慌ててジードは走り出す。棒は備品だ。学舎の保管庫に行かなければいけない。

 僕は走るジードに背を向け、ゆっくりと寮に向かって歩き出した。

 結局ジードは先生にこっぴどい説教を食らい、時間厳守を約束させられてようやく食事にありついたのだった。




      ◇




 深夜。寮のみんなが寝静まった頃、僕はベッドから身体を起こした。

 すでに【消音】はかけてある。僕の立てる音は誰の耳にも届かない。

 二段ベッドから降りる。振動で下のやつを起こしてしまうかもしれないが、今ならまだトイレに行くと誤魔化せる。

 部屋を出た。

 廊下は暗く、しん、と静まり返っている。

 【暗視】も使いたいところだが、魔力は節約したい。寮の中ならわかる。

 できれば森の中に入るまで、【消音】だけで乗り切りたかった。

 廊下を進み、階段を下りる。

 ここが怖い。廊下までなら誤魔化せるが、一階に下りるのは朝まで禁止だ。見咎められるわけには行かない。

 最悪なのは踊り場でばったりだが、明かりも見えず音も聞こえない。巡回の教師はいないようだ。

 一階にたどり着く。

 左右を見ても、教師の姿は見えない。

 小走りで一階の廊下を駆け抜け、入り口へ向かう。

 玄関前に着く。廊下の角から覗くと、大きな扉がある。その脇にはいつも椅子が一つ置いてある。

 誰かが一人、椅子に座って、床にランプを置き、毛布にくるまり目を閉じているのが見えた。

 当直の教師だ。いるとは聞いていた。夜に外出しようとする大体はヤンチャな子どもを止めるためにいるのだと。今までは夜に出ようなどという気は微塵もなかったため本当に初めて見る。

 しかもよりにもよって運動訓練担当の教師だ。

 寝ているようだが、おそらく【消音】では足りない。近づいたらバレる。気配で。

 人の気配とは何か。音、熱、呼吸、動いたときの空気の揺れ、などなどと考えてみたが、音も熱も遮断できる。空気の揺れも呼吸も【消音】の応用で消そうと思えば消せる。

 それでもバレるかもしれない。その可能性を否定しきれない。

 なぜなら、ジードにはバレた。

 先ほど庭でジードに近づいたとき、僕は【消音】の範囲を拡大し、熱を遮断する【断熱】をかけ、おまけに光を反射しにくくする【暗幕】まで使って近づいた。

 なのに間合いに入ったら気づかれた。【暗幕】は暗いところでなければ効果が薄いとはいえ、その瞬間まで僕は背後の木の陰に隠れていたのだ。

 思えば倉庫裏ではサラにも気づかれた。あのときは【消音】しかかけていないが、近づいてもいないのだ。

 この二人に気づかれて、教師に気づかれないと考えるのはさすがに甘いだろう。

 では、気配とは何か。

 これもサラが口にしていた。

 生命力。

 人間が持つ、おそらく生命があれば動植物全部が持つ、原動力たるもの。

 サラはスキルでそれに普段から触れている。今のジードは貪欲に全てから糧を得ようとしている。感知してもおかしくはない。

 僕だって、条件で言えば差はない。

 サラからスキルを施されたことがある。そのとき、熱を感じた。あれは熱だと感じたが、物理的なものとは違う。

 あの熱が少なくとも生命力の端緒のはずだ。

 なら、あのときの感覚から逆算し、あのときの熱を、内から外に漏れ出るものを遮断する。

 そのための術はもうできている。

 単純に、効果があるか僕では判別できないので完成したかわからないだけだ。

 ……バレたらどうなるかな。

 怒られるのはわかる。成績にも影響があるかもしれない。せっかく学習訓練はそこそこで、運動訓練はジードの相手をしていた加点があると信じているのに。

 それ以上に、監視が厳しくなるだろう。森に行くのは一層厳しくなるに違いない。

 前回はチャンスだったし、行かずにはいられなかった。今回は別に切羽詰まっているわけでもなく、時機も良くなく、別に乗り気というわけでもない。

 今ならまだ帰れる。

 部屋に戻り、毛布をひっかぶり、朝になってしょぼしょぼと起きればいい。

 朝食を食べ、体操をし、学舎に向かって教室につき、学習訓練をこなし、教師の語る本当か嘘かわからない社会の話を聞き、運動訓練の時間になりケニーを誘いテキトーに終了までこなし、遠目でジードがめきめき上達していくのを五人組が複雑な顔で見ているのを確認しなくてもいいがどうせサラは目に入るだろう僕には関係ないし終わったら全身洗浄を受けて自由時間だ。図書室に入り浸るのもいいしたまには幼児たちと遊んでもいい。魔力の研究だって楽しめるし何ならジードの自主練習の手伝いをしたっていい――いや、それは御免だ。それだけは。

 そんな、上っ面だけ良さそうな選択肢が頭をよぎる段階でもう嫌だ。どうにもならない、先が見える、誰も傷つけないだけのことなんて。

 前回は行かずにはいられなかった。

 今回もそうだ。乗り気じゃない。全然やる気になれないが、やらずにはいられない。

 すう、と息を吸い込む。胸に手を当て、心臓の鼓動を感じ取る。その奥、脈動の中に、熱を覚える。おぼろげだ。錯覚と言われたら信じてしまいそう。あると信じ込む。

 そしてその熱も脈動も外に逃がさない。


【隠身】


 急がず、自然に扉へ向かう。

 横に眠る教師がいる。【暗幕】も絶対ではない。少しでもおかしいと感じ、目が開いてしまえばおしまいだ。

 扉に近づき、かんぬきを外す。手をかけ、開く。

 自分ひとりが通れるだけの隙間を作ると、身を滑り込ませた。

 すぐにしっかりと扉を閉める。

 ため息をつきそうになるが、急いでここを離れる。まだ最初の関門を抜けただけだ。

 森の中、泉の元へはまだ遠い。

 夜空を見上げる。普段、全然見ることのない暗い空を。

 雲と星々の他に目立つもののない空に、やっぱり違うな、と改めて思う。

 星明りだけが照らす道を、僕は小走りで進んでいった。



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