5 少女の悩み
魔力についてある程度、本当にある程度わかってきた。
僕は魔力があの泉にしかないと思っていたが、実は大気中、学舎内にも微細に漂っているのを感じた。よくよく感覚を研ぎ澄まさなければ発見は困難で、見つけた後もすぐに気のせいだったかと思うほどに弱く微かだ。
僕の体内にある魔力が散ったものかと最初思ったが、だとすると逆に多すぎる。感じ取るたびに捕まえ、取り入れた結果、僕の中の魔力量がわずかに、しかし明確に増えた。自然に増加するという見方もあるが、これはもともと大気中に存在していたと考えるほうが自然だろう。
魔力は泉の中に満ちていた。しかし、その上にも漂っていることを僕はあのとき確認したはずだ。あれは少しずつ外に拡散していくものだったのではないか?
もしくは、あの泉がどういう流れであの場に湧き出ているかはわからないが、同じように地下の水脈にも魔力が宿っていて、それが少し地上にも漏れ出ているのではないか?
仮定はいくらでも立つ。
調査しなければわからないので可能性だけ考えておくことにする。
問題は、この大気中の魔力をかき集めたところで泉から取り入れた、そして半分以上排出された魔力量の十分の一にもならないことだ。
検証にも実用にも限られた量だ。
解決策は一つだけ。再び森に向かうしかない。
だがこの前のような機会はなかなか訪れまい。
なら、正面から教師たちの目を欺かねばならないのだが、それは非常に難しい課題だった。
◇
訓練用の棒が振るわれる。
余裕を持って身体をそらし、棒で受ける。かん、と軽い音がする。
相手は僕のことなど目に入っていないように、棒だけをかんかんかんかんと叩いていく。
やがて叩くのにも疲れたのか、荒く呼吸を重ね、肩を上下させる。
茶色い髪の少年、ケニー。
僕と同じようにランク1で、同世代の中では平均的な体格をしている。運動訓練よりも学習訓練のほうが得意なやつだ。実際、向こうの成績では上位に食い込んでいるのだから健闘している。
「ケニー、そろそろ休憩にしようか」
「……あ、ああ。ごめん、お願い」
二人で広場の端、柵の元へ移動する。もともと近くでやっていたので移動は手間ではない。
ケニーはようやく呼吸が落ち着いてきたようだ。
「大丈夫?」
「うん。もう平気。カイリは……大丈夫そうだな。ジードに付き合わされて、大分鍛えられたんじゃないか」
「そうかな。あいつの動きには全然ついていけないし、自分じゃ変わった気もしないんだけど」
【強化】はズルだから、素の力は貧弱なままだ。
「いやあ、俺なんかはあいつの相手しろって言われても一度だって嫌だよ。続いてたんだから相当だって」
「だといいんだけど。ありがとう」
一昨日から僕はジードを相手に訓練していない。二日前、ジードに誘われようとしたところ、逆にジードが訓練に誘われたのだ。いつもの五人組に、最初から。
広場の中央に目を向ける。
ここ数日の恒例である、ジードの一対五が見える。
包囲された状況から始まり、全員から自由に攻撃されるという、相変わらずジードに不利な条件だ。
だが現実に、そんな条件にしなければジード相手にはまともな訓練にならない。
……もっと言えば、この条件下でさえ勝敗は着いている。
「うへえ、ジードのやつよく避けるなあ。あれ当たってないんだろ? 意味わかんねえ」
隣でケニーが呆れ半分の声を上げる。僕も同感だ。
ここ二、三日でジードの動きはまた一段とキレが増したように思える。呼吸の入れ方、四方への目配り、位置取りの選択、全てが少しずつ上達している。
だから当たらない。いや当たってはいる。かすっては。決定打がない。
五人組の方の連携も上達している。そのはずだ。ところどころ準備してきたのだろう動きが見える。それでは捉えきれていないというだけの話で。
ジードの側も五人組を崩せないため、変わらず決着はつかない……ように見える。
「なんかあいつらもようやくわかり始めたって顔してるよな」
「うん? どういう意味?」
「そのままだよ。わかるだろ。あいつら、ようやく絶対に手の届かないものを見つけたって顔だ」
「……」
「俺たちランク1はとっくに知ってたのにな、そんなの」
ケニーの言葉に、僕は返事ができなかった。
彼も特に返事を求めている風ではなかった。横顔からはいかなる感情も読み取れない。
ただ遠くを、広場の中央で気炎を上げるジードを見ていた。
ジードとの訓練で初めて【強化】を試してから三日が経った。
その間、僕はまず【強化】をどこまで適用できるか試してみた。
普通に身体の各部位の動きを強化してみたり、関節の可動域が広がるか試してみたり、肌を硬くしようとしてみたり、と。
一部は成功し、一部は失敗した。
単純な身体強化は成功した。手がいけたので問題ないだろうとは思ったが良かった。
関節の可動域は予想していたが失敗。多少筋肉のゴリ押しで行けるか? と思ったが、まぁ構造的に不可能なことはさせられない。わかっていた。
懸念の肌は成功で良いのだろうか。結論を言えば単純に硬くはならなかった。自分の指でつねってみても何も変化が見られない。失敗かと思い、一応壁に軽くぶつけてみたところ、痛みがなかった。というか、触れた感覚がぼやけている。いろいろ試してみて、肌に薄い膜が覆われているという結論に達した。魔力でできた膜だ。これは肌に合わせて柔軟に形を変えるが、衝撃を通しにくくなっている。
僕の意思、おそらく運動訓練での痛みを軽減したいという思いがこの結果を生んだのではないか。
あとはもう好奇心に抗えず、感覚器官も試してしまった。
目でいきなり失敗した。めちゃめちゃ周囲が明るくなって目が潰れるかと思った。少しずつ調整するのが大事、と改めて確認した。
耳、鼻、舌と問題なく機能を強化することができた。
内臓は、胃袋だけ消化を早めてみたところ、夜にものすごくお腹が空いてしまい難儀した。
結論として、自分の肉体を強化するのは外部をどうこうすることよりかなり簡単で消費が軽いということだ。
もっとも、実用に耐えるかどうかは性能よりも使い方に慣れる必要があるだろう。どれだけ瞬時に、必要なだけの【強化】を施せるかは訓練が必要だ。
つまり、常時、できる限りどこかしらでは発動させていたい。
さすがにそこまでの魔力量はない。たとえば耳を強化し続けるとする。耳と頭が耐えられるかどうかは置いといて、およそ二倍程度の強化でも、現状なら一時間持たずに切れてしまうだろう。
もっと欲しい、という思いは抑えがたい。
だが、また危険を冒して森に入るのも悩ましい。現状でも遅々とした進みではあるが、進んでいるのだ。
仮に森に入り、泉までたどり着いたところで、望んだだけの量の魔力を体内に貯められるか、という疑問もある。この前は半分以上排出されたのだ。それを確かめたい気持ちもあるが、今でなくとも良いと理性は言う。
うーん、と僕は悩んでいた。
そこに、
「もうやめよう」
と、声が聞こえた。一応知っている声だった。
僕はとっさに【消音】を使い、自分の肉体から出る音を消す。なんとなく使ってしまったとしか言いようがない。
ここは、以前サラにこっそり治療を受けた倉庫裏、からさらに少し離れた先に立つ木の陰だ。滅多に人が来ないから思索に使っていた。
こっそり覗いてみると、倉庫の陰にいつの間にか人がいる。六人だ。
サラとランク2の五人組だった。
「どうして。今日だって勝てはしなかったけど負けなかったでしょう。このままなら」
「負けてんだよ、とっくに」
サラの言葉を遮り、五人組の中でもリーダー格の少年が吐き捨てる。
端正な顔立ちを歪めて、いかにも苦々しげに。
「わかんねえのか、わかんねえよな。サラはほとんど勝負しねえもんな」
「何を言ってるの」
「お前の言うことはわかるよ。五対一なんて恥を呑んだ上で連携磨いて、まだ捉えられてねえけど手応えはある。次は一発入れられるかもしれねえ」
「なら」
「あいつが手を抜いてなければな」
「えっ?」
「あいつは手を抜いてんだよ。あの状況で、どうにもできる手がありながらあえて勝ちに来てない」
「……なんでわかるの?」
「あいつにはバカみたいに速くて重い一撃がある。そいつを出せば今の俺たちの包囲なんて一発で崩せる。少なくとも一瞬は乱せる。その隙に一人ずつやれるはずなんだ」
「……」
「もっとやれると思ってたんだ、俺は。少なくともあれを出させて、こっちこそその隙を狙ってやろうと思ってた。現実には大技一つ出さないあいつに翻弄されてる」
「それでもいいじゃない。手応えはあるんでしょう。なら、油断してるジードを驚かせてやれば」
「あいつは油断なんかしてない」
「……」
「あいつは……ジードは勝負してないんだ、俺たちと。ただ練習してる。囲まれた中で、どうやって立ち回るか、それだけを考えてる」
そして彼は絞り出すように言った。
「俺たちとは、もう勝負ができねえって思ってるんだ」
サラは彼には何も返せず、少し間を置き、他の四人を見る。
四人ともサラとは視線を合わさず、一人が「俺も同じ意見だよ」と言った。それが答えだった。
五人組が去っていく。
サラだけが残される。
僕は出ていくこともできず、サラが立ち去るのを待とうと思ったところで、
「そこにいるの、誰。カイリ?」
名指しで隠れているのを見透かされた。
仕方ないので、がさがさと音を立て出ていく。
「……よくわかったね」
「全然音はしなかったけどね。なんとなくカイリかなって気配はあったよ」
静かな声だった。
透き通るような、何も映すことのない顔をしていた。
「隠れていたわけじゃないんだ。君等が来て、出て行きづらくて」
「それはいいんだけど。話、聞こえてたよね?」
「ごめん」
「いや、謝るのはあたしの方だから。……ごめんね、カイリの考えをとって」
「やれって言った覚えはないんだけど。サラがあいつらを動かしてたんだ」
「そう。逃げないで、五対一なんてやるんだったら腹くくってちゃんと連携して勝負すればって」
「どうもあいつらの中では勝負って大事な言葉らしいね」
「みたい。そこまではわからなかったな」
あははと笑う。
痛々しい、空っぽの笑みだ。
気がつけば尋ねていた。
「どうしてそんなことしたんだ」
「慰めてくれるの?」
「嫌だよ。他人のことに首突っ込んで、他人をけしかけて失敗して、八つ当たり食らっただけだろ。大したことじゃない」
「……そうかもね」
サラは目を閉じ、開き「ジードを一人にしたくなかったの」と言った。
悔しそうな声だった。
「前も言ったけど、いま孤立しようがジードは問題ないと思うよ」
「……ううん、違う」
サラは首を振り、僕を見据えた。
「もっと単純な話。あたしのスキルはわかるでしょう? あれはね、他人の生命力に干渉するんだけど、その性質上、なんとなく生命力の強さ、大きさがわかるんだ」
「生命力……」
「そう。まぁ体力程度と思ってくれてもいいよ。でさ、その生命力なんだけど、ジードね、あいつ今突き抜けてるの」
「そりゃそうだろう」
ジードは学舎唯一のランク3だ。そして今の実力もある。違和感も疑問もない。
「学生だけじゃない。先生たちを含めても、ジードが一番だって言ったら?」
「それは……」
「しかも、そこまで伸びたのは本当につい最近、ここ数日のことだって言ったら?」
「……」
「異常でしょ? すごくおかしいし、すごく怖い。生命力も、なんだか安定してなくて、勢いはあるんだけど揺らいでるみたいで……」
「そのこと、先生には」
「相談した。でも、学長先生は歓迎してたんだ。こんな早くからここまで成長した子は見たことないって言ってた」
それもわかる。
育てる側からしてみたら勝手に急成長してるんだ。その勢いを落とそうとは思わないだろうし、まず問題が出てないなら様子を見るのが常道だろう。
だから、わからないのは彼女の方だった。
「サラは、ジードを危ないと見てるの? いまの状態は何か身体に害があるんじゃないかって」
「……それもあります」
堅い声でサラは肯いた。
見覚えのある顔だ。先日、サラはやはりこの場で似たような顔をしていた。
あのときはどんな思いをそこに見たのだったか。
「生命力の急激な増加がいいものとは思えない……ううん、わからないの。わからないことは怖い。今はまだいい。これから先、今以上に差がついて、わからないこともわからなくなってしまうかもしれない。あたしはそれを恐れています」
「……なるほど」
「でも」
と、サラは声色を変えた。
堅い、感情を抑えていた声に、明らかに熱が宿る。
「ごめん、これも嘘だ。嘘じゃないけど、本当でもない」
「……」
「ねえ。カイリはさ、この学舎を出た後のこと考えたこと、ある?」
そうして彼女は、僕らの間で誰もが一度は考えるだろうことを口にした。




