37 湖に迷う
一通り迷宮内部の仕掛けを調べ終わり、僕は外に出ようとしたがフォルマはまだ中で研究を続けると言った。
その別れ際、彼女はひどく心配そうな顔をしていた。
『……ここまで手伝っといて何ですけど、本当にボス討伐に向かうんですか?』
当然、彼女にはケインとの取引を話していない。だから真剣に僕らを気遣っていたのだろう。
普通、ボス討伐は前回のようにランク4少数が派遣されるか、ランク3が編成された熟練のチーム複数での交代制でやるらしい。ただし最近では、やはりランク3はともかく2以下の人員は危険だという理由で後者を選択することはほとんどないという。
合理的な判断だが、しかしそれはずっとその迷宮を攻略し続けてきたものたちのプライドに触れるものでもあった。よって時折ボスを発見したチームがすぐに報告せず、自分たちのみか、もしくは親しいチームを交えて独自でボス討伐に向かう事例が散見されるようだ。
成功率は半々だとか。
僕らはと言えばランク3はキリエのみ。他にはランク2が三人。そして案内人はランク1。
ケインとイーライがランク3相当とはいえ、心もとないのは確かだ。
しかし、キリエの剣は僕の見たところ攻撃力だけならランク4のあの二人に匹敵する。加えてこの迷宮の環境も考慮すると勝算は十分以上にある。失敗する可能性も高いだけで。
『ダメそうだったら逃げますよ』
と、僕は言った。
事実ではあった。そもそもの話として、ボス部屋にまで行く気がないという点を除けば。
『……』
彼女はなおも眉尻を下ろした顔を僕に向けていた。
そしておもむろに近づいていくると、ぎゅっと僕のことを抱きしめてきた。
『本当に、そうしてくださいね』
その声と背に回された手がわずかに震えていて、僕は何も言うことができなかった。
◇
迷宮に入ると、奥の湖までの道中にもうこれと言った出来事はなかった。
まだたった数日の探索ではあるが、ケインもカンも船の扱いに明らかに慣れたことがまず大きい。僕から見ると無限のような体力を持った二人に、さらに適宜自在に回復できるイーライがいるのだ。道さえ決まればもう止まることはなかった。
そして何より、キリエの成長著しいことこの上ない。
先日、なかなか前に出してもらえなかったことが気がかりだったのか、彼女は明らかに戦い方を変えていた。
前に出て広範囲に雷をばらまくのではなく、こちらを狙う魔物が現れたと僕が伝えるや、まだ距離のある相手を狙い撃つように雷を放ち出したのだ。
最初の内は精度が荒く、かつ雷が水中で拡散するために決定打を与えることができていなかったが、次第に水面に近づく相手を狙って、的確に当てるようになっていった。
……なめていたつもりはなかった。けれどやっぱり侮っていたのかもしれない。
キリエはやはりランク3であり、その中でも特に戦いに関する勘が働く人種のようだ。
昨日、話を聞いたときから察してはいた。
彼女は生粋の戦士だ。
その才能がたとえ周囲に望まれていなくとも。
「どうです?」
ふふん、と鼻を高くする彼女に僕は拍手を贈った。
すると調子が外れたような顔をして頬を染めるのだから、この程度の賛辞にも慣れていないのだろう。
たどり着きたくなかったかもしれない、とも思う。
しかしやはり進むしかなく、魔物も最早ちょっとした障害でしかない。そうすると後は時間の問題になってしまうのだから、昼をいくらか過ぎた程度の時間で着いてしまうのも仕方のないことだった。
「ここがこの迷宮の一番奥……」
「の、手前ですね。ボス部屋自体はここから隠し通路を探さねばいけないというのが僕の見解です」
見通せないくらいに広がる湖を眺め、感嘆の吐息を漏らすキリエの横で僕はそう言った。
キリエだけでなく、他の三人も少なからずその光景には目を奪われれるものがあったようだ。
僕やフォルマは最終的に、こんな奥でこんなだだっ広い湖を作る意味って何? という考えに至ってしまったので広さに思うことはもうあまりないのだが。
「じゃあ、ちょっと遅いですが昼食にしましょう。それから行けるところまで探索して、今日は早めに休みましょう」
「……了解だ、案内人。お嬢もそれでいいですね?」
僕の呼びかけにケインが最初に反応し、キリエに確認を取る。
キリエは湖を見ながら「ええ」と肯いた。
ケインが僕を見る。その目が「なるほどな」と言っていた。
この湖全てを一日で探索し切ることなど不可能だと察したのだろう。
昼食は迷宮の中だと言うのに温かなものが出た。
理由はイーライが持ち込んだ調理器具にある。中央で作られたものらしく、精気を利用して熱を発することのできる……つまりコンロだ。
あの大きな背嚢には薬品ばかり入っていると思っていたが、どうやらそれ以外の道具をかなり持ち込んでいたらしい。
イーライは小さな鍋を利用して手早くスープを作り、さらに食後にはお茶も淹れてくれた。慣れているのか、ケインとカンは〈鋼化〉によって食器やコップを作り出していた。メグロがそういう使い方をしているのは見たことがない。少し驚いたが合理的ではある。
「軍じゃあまりこういう使い方しねえのよ。メシを取るときは砦に戻るから必要ないというべきかね。逆に迷宮に潜るとなると荷物を減らすために覚えることになる」
ケインはそう言った。
僕には大分縁遠い存在となったスキルであるが、こういった使い方ができるなら少し欲しくなってくる。
しばし雑談し、十分に身体を休ませた後、僕らは地底湖に船を浮かべた。
壁伝いに進んでいく。
水中は緑に色づき、見通せない。それでも怪魚の存在はあちこちから感じ取れる。
どうやらこの場にいる怪魚は今までのものと比べてさらに体格がいい。
僕とフォルマとで解体した怪魚は大体ケインと同じくらいの体長だったが、おそらくそれより大きいものしかいない。その分、あまり群れている様子はないが、何せこの広さだ。少しでも手こずったらあっという間に集まってくるだろう。
キリエたちには気づかれないよう水中に誘導用の魔術を送るなどして、戦闘は避けて船を進ませる。
隠し通路は見つからない。
だだっ広いこの空間でそう簡単に見つかるとは思わなかったが、ここまで手応えがないとは思わなかった。
会話もまばらになり、大分時間が経ったところでケインが口を開いた。
「今日の探索はここまでにしましょう」
「ケイン」
キリエが不満を込めて名を呼ぶが、少々勢いがない。
「ここから湖の入口まで戻れば結構な時間です。それに、まだ明日があるでしょう?」
「それはそうですが……」
一瞬考え込んだものの、キリエはすぐに「わかりました」と肯いた。
僕らは入口に戻ることになった。
……明日は一日探索に使える。とはいえ、この広さでは全て調べるのは不可能だろう。
明後日はほぼ帰還に費やすことは決定されている以上、明日、何も見つからなければ探索は失敗ということになる。
入口まで戻る。
その間、ふと違和感を覚えた僕は魔物を誘導することも回避することもやめてみたのだが、ほとんど襲われることはなかった。
襲われたのも相当に近づいてようやくこちらに気づいたからちょっかいをかけにきた、という感じだった。
無論、ただ大きいだけでここまでと変わることはない。すぐに倒すことができた。
しかし結構大きな音を立てたというのに他の怪魚が近寄ってくる気配はなかった。
夕食もスープだった。少し不思議な香りがしたのでイーライに聞いてみたところ、薬草の一部を使用しているらしい。
じんわりと身体が暖かくなる。
湖上は涼しいくらいに冷えている。最初の内は快適でも、段々と身体から熱が奪われていたらしい。
ほっと一息つくと、天幕を張る。
骨組みはやはり〈鋼化〉の鋼だ。そこにカンが持ってきた布を張り、二つ組み上げる。
今夜はケインとカンが交代で見張りをし、明日は僕とイーライですることになった。キリエは唇を尖らせていたが、僕はともかく他のメンバーが許すまい。
そうして七日目が終わった。
◇
八日目、今度は逆回りで壁沿いに進むことになった。
午前中、特に変化は無し。
昼食は船上で各自、保存食を食べながら進む。
午後、やはり隠し通路は見つからない。この頃、僕の中である考えが固まりつつあるが口には出さない。
最初の内、意気軒昂であったキリエも、段々と気落ちした様子を見せる。
かなり遠くまで進んだところで、
「戻りましょう」
と、ケインが言った。
キリエは勢いよく彼に顔を向けたものの数秒経って、
「……わかりました」
と肯いた。
そうして八日目も何の成果もなく帰ることになった。
会話はほぼなくなっていた。
その間、僕はずっとエサ用の魔力を水中に放ち、魔物を遠ざけていた。
今日だけで百匹以上やった。
やつらは僕の【支配】をかけた魔力を呑み込んでいる。
つまり、悠々と水中を泳ぎ回る怪魚どもの中にある僕の魔力を感じ取ることで、この湖全体の構造が僕の脳裏に浮かび上がってくる。
フォルマはこう言った。
『この湖の壁を探ればどこかにボス部屋につながる隠し通路があると思います』
僕もそう思っていた。だからずっと壁沿いを探っていた。
けれど昨日、数時間壁沿いに進むことでさすがに違和感を覚えた。
手応えがなさすぎる。これを続けても何か見つけられる気配がまるでない。
地上ではないんじゃないか、と閃きがあった。
隠し通路は水中にあるのではないかという疑問が生まれたのだ。
その疑問は証明された。湖は深さに変化がある。外縁部は浅く、中心に向かうと、あるところから一気に深くなる。
湖の底に半分ほどの大きさの穴があるような形だ。
そしてその壁にはいくつもの横穴が空いていた。おそらく余分な水を排出するためのものだ。
その中の一つがボス部屋に通ずる穴なのだろう。
結論として、こうして船で探索している限り、けしてボス部屋にはたどり着けないということだった。
夜、食事も終え、天幕で交代までの仮眠を取る前にケインにそれを報告した。
怪魚に魔力を食わせた云々はさすがに言えないため、推測という形でだが、それなりに信憑性はあったのか、ケインはしきりに肯いていた。
「なるほどな……とことん侵入者の道を遮る迷宮というお前の評価は正しいかもしれん」
「あくまで推測ですけどね。でも、今後本格的にこの迷宮を攻略するのなら仮説の一つとして言っとこうと思いまして」
「ああ。俺から館長に伝えておこう」
離れたところで横を向きながら僕らの会話を聞いていたのか、カンが「ふん」と鼻を鳴らす。外で話そうと思ったのだが「こいつなら大丈夫だ」とケインが押し留めたのだ。
確かに隣の天幕に伝えに行きそうな雰囲気はない。しかし、僕らの取引を快く思っていない様子は伝わってきた。
「カン。お嬢には無事に帰ってもらわねばならん。これも必要なことだ」
「……わかってますよ」
それ以上カンは口を開かない。
ケインは肩をすくめた。
僕はすっかり居心地悪くなった天幕の中、ため息をこらえて寝ることにした。
今夜は見張り番だ。
「あら、もう時間ですか? では、続きをお願いしますねー」
ランプの前で姿勢よく、静かに座っていたイーライが僕を見て微笑みかける。
交代の時間だ。
寝ぼけ眼をこすりながら彼女の前に座り「おやすみなさい」と声をかける。
「お言葉に甘えて」
彼女は立ち上がり、キリエが眠る天幕へ向かう。
僕の横を通るとき、ぴたと彼女は立ち止まった。
「上手くやりましたね」
口元がうっすら釣り上がり、その目は弓のように細められ、こちらを見ている。
「お嬢様の信頼を勝ち取り、その望みをギリギリまで叶える。見事なお仕事でしたよ。ケインさんもそこまで期待していなかったでしょうに、本当に素晴らしいです」
声音はからかうような響きで耳を打つ。
「だというのに、どうしてあなたはそんなに浮かない顔をしているのでしょう?」
そして彼女はまるでその数秒間のことがなかったかのように穏やかな顔に戻ると、「おやすみなさい」と天幕の中に入っていった。
僕は一人、ランプの前で気を静める。
眠気はもう覚めていた。
……そんな顔をしているのか、僕は。
キリエは好ましい人だった。その望みはできるなら叶えたいと思う。
だけど実のところ、ケインの取引も嫌ではなかった。キリエを裏切るのは心苦しいが、彼のやりようも理解できる。
何より、今の僕にとって一番重要なのは魔力汚染の治療法を探すことだ。そのために迷宮に潜り、ボスの身体を調べるのが第一だ。
この探索でそれが叶うなら飛びつくし、難しいなら次に繋がる道を探る。それだけだ。
だから別に、不満はない。
◇
九日目。起きてきた四人とともに朝食をとる。
今日の探索は午前中で終わる程度と決めていた。
キリエはどこか吹っ切れたような顔をしている。あきらめたような、仕方ないと割り切った顔だ。
いつかどこかでよく知る感情がそこにあった。
見ていられずに目をそらす。
すると視線の先、湖面近くに僕の魔力を食らった魔物が泳いでいるのが見えた。
まだ【支配】は続いている。
今日の探索でも多少の役には立つかと他にも意識を向けて……
気づいた。
気づいてしまった。
「嘘だろ?」
思わず声を上げる。
何事かと視線が集まるが、かまっていられない。
どうする? と自問する。
でも足はいつの間にかそっちへ向かっていた。
キリエの方へ。
「案内人カイリ?」
「キリエさん」
僕は言った。
「ボス、見つけました」




