17 封魔の実
メグロの実力を疑ったことはない。
学舎の会議室で初めて会ったときから油断ならない、恐るべき相手であろうと認識していた。
大柄で頑強そうな体格、隙の無い佇まい、軍出身だという経歴、どこを切り取っても弱いとはとても思えない。
けれど、僕が一番目を奪われたのは彼が携えていた杖だ。
旅人が持つようなつくりで、見た目には何の変哲もない。しかしそこには最初から魔力がこもっていた。すぐに気づいた。そして、その魔力に全く淀みがないことにも。静かに湛えられ、こぼれるということが一切なかった。
比較すれば、僕の中に内包されている魔力の方が多かっただろう。
けれどたとえば僕が魔力を使おうとし、体外に放出した際、わずかにだが手のひらからこぼれてしまうものがある。身体を動かす際に無駄な力みがあるように、ただ消費されるだけの魔力がある。それは体外に放出するときにこぼれるものもあれば、そもそも体外で完全に掌握しきれていないせいもある。
身体という器の外で魔力を支配下に置き続けるには、精密な集中が必要だった。
メグロは杖を器にしているのだろうが、それにしたって自分の身体ではない。慣れ親しんだ道具でも多くの時間を費やした訓連と工夫があったに違いない。
彼は魔導士と名乗った。
魔術を使う気配は見せず、忌避している気配すらあった。
あるいは魔術の手段、手数に置いては僕が勝る、その可能性は高い。
しかし、そもそも戦闘になった際、その状況における経験と実力とが天と地ほども違うのではという懸念は僕の頭にずっとこびりついていた。
いずれ戦うことになる、と思っていた。
僕が魔術を捨てる気がさらさらない以上、ほぼ必ず敵対するだろう、と。
逃げることも考えたが、リスクは大きく、隙は無かった。
魔力汚染への処置。対症療法。完治には至らない。そして、杖にのみ魔力を集めるメグロの姿。
まず身体から魔力を抜くことになる、と予想はあった。
逃げられなかった以上、僕はもうほぼ負けている。わかっていても、やらねばならなかった。
「……お前の魔術の腕は驚くべきものだ」
メグロが言った。いつもの、平坦な声音だった。
「初めて話を聞いたときから、けして油断ならないとわかっていた。ランク1がランク3に勝つなんて夢物語を聞いてしまえばなおさらだ」
その声音にわずかな称賛が混じっていると思うのは、僕の考えすぎだろうか。
「発想もいい。直接攻撃を多用せず、行動阻害に力を入れるという一点ですでにお前は下級魔族を超えている。そもそも、ランク3相手だ。うかつに脅威となる攻撃を加え続ければ瞬く間に学習されるのがオチだ。その懸念はあったか?」
「……単純な攻撃は逆効果だろうという予感は」
「それは正しい。ランク3との間にはもともと絶対的な壁があるものだが、そいつは生まれつきだろう。となると、自身の性能を完全に引き出せる可能性がある。相討ちに近いとの話だが完敗でもおかしくなかった」
そんなことはわかっている。
想定を超えてあいつは強かったし、予想の外にある飛躍的な成長までされた。勝てたのは単にあいつ自身の肉体があいつの意思に追いつかなかっただけだ。
それでも、手応えはあった。僕はやれる、やれたという達成感が今でもある。
だというのに、こんなに手も足も出ないとは思わなかった。
「お前は強い。しかし、脅威ではない」
倒れ伏す僕の背を、メグロが踏んでいた。
さほど体重は込められていない。けれど逃げられない。動こうとする気配を的確に察知され、その瞬間背中が圧迫される。苦しいと言うよりも、力が出せない。【強化】をかけても彼の足から抜けられない。
やられていることには覚えがある。僕がジードの動きを封じようとした背中からの抑え込みと同じだ。その後やり返され、マウントポジションによって動けない体験もある。
あのときは疲労で動けなかったが、それを加味しても僕やジードの未熟な動きと比べて、雑なようだが遥かに洗練された技術を感じる。
単純な筋力、体格差に加えて埋めがたい技量の差があった。
学舎の教師たちが施してきた訓連とは違う、こちらを完全に封じ込めようとする大人の力だ。
「……メグロさんにとってはそうかもしれません」
「違う。誰にとってもだ」
上から押さえつけるようにメグロは言い放った。
「【綿雲】と言ったな。お前、なぜ最初にあの術を使った?」
メグロが魔力を要求した瞬間、僕は【綿雲】をメグロに放った。そして踵を返し、逃げようとした。勝ち目はないと判断したのもあるし、そもそも戦う理由を見つけられなかった。
だから、それを目にしたわけではない。
感じ取った。
【綿雲】がつかまれ、どかされた。
そう感じた直後にはもう背後から迫る気配があった。
【強化】は発動していた。足は回転し、すぐにでも山頂から駆け下りる準備はできていた。危険だとわかっていたが、こうなったならやるしかないという決断はとうにあった。
しかし寸前で腕をつかまれ、ヤバいと思ったときにはもう投げ飛ばされていた。
足が背中に置かれてようやく地面に倒されたと気づいたくらいだ。
「一番最適だと思ったからです」
「そうだろうな。たしかに最適だ。穏便に終わらせるのだったら」
まだ残された手はある。
先ほどは近すぎて自分も巻き込み、逃げるには向かなかったから使わなかったが、こうなっては四の五の言ってられない。
範囲指定、僕らの周囲、深さはメグロの身長程度。
【地荒し】発動。
真下に突然落とし穴が現れる。落下が始まった瞬間に身をよじり、メグロの足をかわすと縁に手を引っ掛けて一息に穴から出る。
逃げる。今度こそ。
「それもだ」
声は、すぐ背後から聞こえた。
横に飛ぶ。直後、杖が僕のいた場所を叩く。
杖に満ちた魔力が飛び散り、感覚が乱される。
「それらは、お前に力があればという前提での最適に過ぎない」
その隙にまた腕がつかまれた。
振りほどけない。【強化】はしている。この状態なら、大人のランク2であっても凌駕する自信はあった。
相手が素の肉体であれば。
「俺が持つスキルの一つ〈怪力〉だ。ランク2の兵士としてはごくありきたり。特別なものじゃない」
「ぐっ、う……」
痛くはない。ただびくとも動かない。振りほどこうにもまるで力が足りていない。
「やめておけ。筋力強化にも限界があるだろう。ましてその小さな身体ならなおさらだ」
「……わからないじゃないですか」
「いや、わかるよ。お前の初手が証明している」
メグロは僕のもう片方の手も捕まえ、まとめて拘束しながら静かに言った。
「お前の真に恐るべきは、術の開発速度だ」
「……」
「ランク3との決闘騒ぎがそれを証明している。一晩で三つ。魔術を使うものは少ないが、だとしても図抜けている。異常だ。そんなやつがこの二日間、何もしていないはずがない」
「どうですかね……」
「俺はお前の体内の魔力の動きは感知できない。お前が体内で開発する分には止められなかった」
「……」
「しかし、結局お前が最初に使ったのも、今使ったのも決闘騒ぎと同じものだ。だが、たとえお前がこの二日間何もしていなかったとしても、それらより有効な手が一つあるだろう」
メグロは正確に僕の実力を把握し、打つ手を推測していた。懸念はしていたが、まったく油断していなかった。
「もし本当に俺から逃げ出そうと思うのなら、お前は最初に直接攻撃し、痛手を負わせなければならなかった。それを俺は警戒していた。体内で準備したなら十分な威力を持った攻撃ができていたはずだ」
「それは……」
「お前、俺を気遣ったな?」
あるいはそれは、メグロが僕に向けた初めての怒りであったかもしれない。
彼ははっきりと僕を見て、怒っていた。
「馬鹿め。そんな甘さを抱えたガキが一人生きていけるほどこの世は甘くない。お前にいかなる望みがあろうとも、力がなくば成し遂げられん」
メグロが手を離した。驚き、しかし動かそうとすると叶わない。
見るとそこには、両の手首をそのままがっしり捕らえて離さない、鈍色の拘束具がいつのまにか嵌められていた。
「〈鋼化〉の応用だ。お前には破れない」
彼はそう言うと、僕の頭をつかんだ。
「眠れ、半端者」
◇
『生きていくためには力が必要だろ?』
これを言ったのは、友人ではなく僕だった。当時の僕は高校生らしく、進路やら人生やら自我やらに悩んでいた。
とりあえずそのとき話題として出したのがその言葉だった。
『そうかな』
友人は首を傾げた。
『それは、どこまでを力と呼ぶかによるね。自分が所有しているもの全部を力と呼ぶのかな』
返された疑問に、僕はとっさに答えることができなかったが、口ごもりつつも数秒考え、肯いた。
『そう。財力とか学力、権力、人脈……』
『暴力とか』
『ぼう……いや、まぁ、武力でいいんじゃないかな、そこは』
『僕もどっちでもかまわないけど』
友人はそのとき読んでいた本を閉じ、僕を見た。こういうとき、彼は僕には理解が難しいことを口にするのが常だった。
『真面目な話、現代日本でただ生きるだけならそれらは必要じゃないよ。厚い社会保障があるだろ』
『いやそんな極端な……』
『うん、わかってる。そういうことじゃないんだろ。君はつまり「自分の望むように生きるには力がいる」と言いたいんだ』
『えーと、ま、そうかな』
『でも僕の答えは変わらないんだ。というより、適性の話なんだけど』
『適性?』
『そう。力を使うにも向いてる向いてないがある』
『そりゃ、まぁあるんじゃないか。お金とか特にそう言うよな』
『うん。で、力を使うっていうのは大概の場合誰かを押しのけるってことなんだ。限られた資源を奪い合う、そのための手段が力なんだよ』
『ええ……』
『だからただ力を持ってるだけじゃいけない。その力を適切に、必要な場面で使えるか自分に問わなきゃいけない。つまり、他人を傷つけられるかってね』
『……』
『それは攻撃性と呼ばれるものだ。他者を傷つけ、害し、それによって利益を得ることを当然と思える心。現代においては組織や社会に代行させることで、それを持たない個人であってもほどほどに望むまま生きられるようになっている』
『……やっぱり、極論じゃないか?』
『そうだよ。でも覚えておいて。闇雲に適性のない力を得ても、それを適切に使えなきゃ、何の意味もないってこと。さらには力があることで攻撃性を持つ人に目をつけられるかもしれないってね』
『うーん』
僕は首を傾げた。
友人の言うことはいつも難しく、煙に巻かれている気がする。
だから最後の言葉を今になって思い出したりするのだ。
『何より怖いのはね、この世で一番プリミティブな力は暴力なんだ。暴力こそ最も攻撃性を必要とする力なんだよ』
響きがまだ耳に残っている気がする。
きっとそれは遠い昔、遠いどこかの話のはずなのに、つい今しがた聞いたように覚えるほど友人との思い出は鮮やかだ。
目を開く。
暗く、明るい、と真っ先に思った。
空にはもう夜が広がっていた。星々とそれを隠すように雲が見える。
明るいと思ったのは焚き火だ。近くでぱちぱちと火が爆ぜる音が聞こえる。
「起きたか」
メグロの声だった。
はい、と僕はかすんだ声で肯いた。身体を起こす。
ちょっと頭はふらつくが、特に体調に問題はなかった。
「無理はするな。興奮した兵士を気絶させるための手を使った。コツがあるんだ」
「……軍に行かずにすんで良かったと思いました」
「ああ。お前は向いてない」
メグロは焚き火の前、僕の斜め横に座っていた。僕は毛布にくるめられ、寝かされていたようだ。
手を動かそうとすると難しい。見ると、そういえば拘束されていたなと思い出した。
そして何より、自分の中ががらんとしていた。
「取ったんですか、僕の魔力」
「ああ。後ろを見ろ」
言われ、背後に目をやるとそこには、青々と葉を茂らせた木があった。
そんな木は、つい先ほどまで無かった。
「え。移動してないですよね」
「山頂のままだ」
「おかしくないですか」
「そういう種だ」
何もかもおかしい。
近くに背の高い植物はない。ていうか木がない。確か一定以上高い場所には樹木が育ちにくいとか聞いたことがある。いやそんな高いところまで登った記憶はないが、何かしら環境が合わないのだろう。
そこに生えているだけでもおかしいというのに、僕が寝ている間にもうここまで育っているのが信じられない。
「僕はどのくらい寝てました」
「六時間くらいだな。疲れていたか」
「かもしれないですけど……おかしくないですか」
「そういう種だ」
そして、その木には何より目を奪われるものが一つ、いや二つ実が生っていた。
焚き火の光源だけでは心もとないが、赤い。
リンゴだ。
そのリンゴの実の中に、魔力がぎっしりとつまっているのがここからでも見えた。
「封魔の実と呼ばれるものだ。もうすぐ完全にこの山の魔力を全て閉じ込め、成熟する」
「……あれを、どうするんですか」
「言ったはずだ。廃棄する」
メグロは厳然と言った。事実だけを口にする、出会ってからずっと聞いてきた声だった。
僕は何事か反論しようとして、口をつぐんだ。
負けたのだ、僕は。
メグロに負け、誰より何より自分の準備不足によって負けた。
自身の攻撃性の無さに目を背け、そのときになっても誤魔化し、半端な手を打って失敗した。
焚き火に向かい直り、座る。うなだれる。
「食事にする」
そうメグロが言うのに、とりあえず何か反応を返そうとして……
ぞ、と背筋に悪寒が走った。
意思によらず身体が固まる。汗が一瞬で吹き出てくる。
う、あ、と意味のない音が口から漏れた。
「どうし、た」
一瞬遅れてメグロも気づいたようだった。
変化に乏しいその顔面が蒼白に染まっていた。
ゆっくりと振り返る。リンゴの木の方に。
木の幹に、黒い影が寄りかかっていた。
姿形が判然としない。ただ影と呼ぶしかない塊だった。
だがその影を目に入れた瞬間、いやその前、あれが現れたと思しきときから僕の感覚は全部それに塗り潰されていた。
それで全てが埋まっていた。
他は何も知覚できない。
莫大な魔力に満ちた存在がそこにいた。
ぽつりとメグロのこぼしたつぶやきが意識の端に引っかかる。
「魔族」




