過去〜傷痕を隠す今の自分〜
次の日から、蓮斗はまた1人になるつもりだった。
つもりだったのだが…。
「なんでコイツはまだ俺の隣で寝てるんだ…?」
隣で気持ち良さそうに寝息を立てている恋を見て、蓮斗はそう呟いた。
宿泊研修3日目。朝の集会に出る為に部屋を出る。
「私も行く…っ痛」
「無理すんな。事情は話しとくから」
起き上がろうとする恋を寝かせる。こんな包帯だらけの女子を連れていくのは、正直気が引ける。
頭を撫でてやろう、と手を伸ばそうとしたが、止めた。
「…何?」
「なんでも。大人しくしてろよ」
恋を残し、今度こそ部屋をでる。
蓮斗は自分の手を見つめ、少し嘲笑った。
「何やろうとしてるんだか」
集合先のロビーに踏み入れる。
瞬間、辺りが静かになった。
「………」
気にする事もなく、足を踏み入れる。
視線が集まる。
それら全てを蹴散らして進むと、一際目立つ集団がいた。
「…あ」
蓮斗を見るなり体をビクッと震わせる男達。その中には、南貴もいた。
それらすらも無視して進む。どうせ話し掛けても更に怖がらせるだけだ。
「やぁ、蓮斗」
そんな中、事もなげに蓮斗に話し掛ける人間がいた。蓮斗の担任だ。
「…空気読まないんですね。秋奈先生」
「読む必要のない空気は無視するさ。私はな」
肩まで伸びた髪を欝陶しそうに払い、蓮斗を見る。
「……ふむ」
「なにがですか」
蓮斗の周りをぐるっと一周して、秋奈は息をついた。
「…また、『出てしまった』な?」
「……!!」
無表情だった蓮斗の顔が、驚きの表情に変わる。が、すぐに呆れた表情になり、秋奈を見返した。
「…俺の」『俺の事を簡単に話さないでくれませんか。しかもこんな所で』だろ?」
「……っ」
「わかったわかった。そんなに怖い顔をするな」
苦笑しながら秋奈は蓮斗の横を通り過ぎる。その時、蓮斗のポケットに何かを突っ込んでいった。
「後でこい。話を聞こう」
部屋の鍵だった。蓮斗は秋奈と同じように苦笑しながら、呟いた。
「あの女教師め」
そして、鍵をもう一度ポケットの奥に突っ込んだ。
「で、原因はなんだ?…聞かなくても察しはつくがな」
蓮斗は言われた通りに、秋奈の部屋に行っていた。
秋奈は、蓮斗の担任であると同時に、蓮斗のカウンセラーでもあった。何のカウンセリングかといえば…。
「もう2年か。その人格と付き合い始めて」
「…ええ」
蓮斗は、異なる二つの人格を持ち合わせていた。
一つは、普段生活している中で出てきている、いうなれば表の人格。
もう一つは、あの時の非常に好戦的な、喧嘩専用とでも言うべき裏の人格。
「やっぱり、喧嘩になると出てきてしまいます。それで一発食らったりしたらもう…」
「ふむ…。まあ、たいした進歩じゃないか。昔は少しの事ですぐ出てきていたんだから」
ふぅ、と煙草をふかす秋奈。
「で?親御さんとはどうなんだ?」
「…いえ…」
「……そうか」
秋奈と話しながら、蓮斗は思い返す。
時は二年前。蓮斗がまだ平穏の中にいた頃…。
「じゃ、行ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
いつもと変わらない朝。中学生の蓮斗は、いつもと同じように家を出た。
変わらない通学路。
変わらない学校。
変わらないクラスメイト。
正直、蓮斗はこの変わらない日々に飽き飽きしていた。
「何か起きないかな」
変わらない教室で、蓮斗は口癖をいつものように吐いた。
同意する友達。これもいつもどおりだった。
でも、『いつもどおり』が続いたのはそこまでだった。
授業中に、いつもどおり騒いでいた。教師の話なんか聞かないで、話し続けていた。
教師が、一瞬黙り込んだ。思えば、この時に静かになればよかったんだと思う。
突然、教師が発狂した。
教壇を薙ぎ倒して、生徒を跳ね退けて蓮斗のグループに近付いてくる。
そして、蓮斗の近くにいた女子が掴み上げられた。
唾を飛ばしながら、言葉にならない怒りをただ叫び続ける教師。
ああ、人ってキレるとこうなるんだ。と、蓮斗は思った。
だが、冷静を保っていられるのもここまでだった。
パチィン!!と乾いた音が教室に響いた。
教師が、思い切り女子をひっぱたいたのだ。
蓮斗には、その瞬間がスローモーションに見えた。気付けば、拳をにぎりしめていた。
次の瞬間、拳は教師の腹に減り込んでいた。
汚い嗚咽と共に膝をつく教師。
同情などなかった。ただ、蓮斗の感想はこうだった。
――人って、こんなに脆いんだ。
拳には、柔らかい肉の感触が残っている。それが、とても心地よかった。
だが、この時はまだ、蓮斗には罪悪感があった。教師にも謝ったし、職員室で長い説教も受けた。自分のした事は分かっていたし、反省もしていた。
しかし、ここからがおかしかった。
家に帰って、いきなり父親に殴られた。
「――お前は、なんてことをしているんだ!!」
母親にも、平手で叩かれた。
「何をしたか、貴方わかってるの!?」
ああ、家にも連絡がいっていたのか。なら仕方ない。蓮斗はそう思った。殴られても仕方ない、と。
だが、次の言葉に耳を疑った。
「隣の女の子にまで手を挙げるなんて!お前はそれでも男なのか!!」
――え?
それは違う、と言おうとした時、母親の声が被さる。
「言い訳したって無駄よ!女の子のお母さんから連絡がきてるんだから!!」
殴られる。それでも、なんとか口を開いた。
「―っそれは違う!その子を、景を叩いたのは先生だ!」だが、この状況では焼け石に水だった。
「お前は…!先生に罪を着せるのか!この糞餓鬼がぁ!!」
殴られる。
駄目だ、と思った。今更何を言っても、この親は信じない。殴られた箇所が熱く感じるのと対象的に、身体の芯から冷めていくのを感じた。
もう、何時間経っただろうか。時間の感覚がわからなくなっていた。父親の姿がぼやける。
「所詮、他人の子か」
耳に入って来た言葉に、意味を理解する前に、何故か怒りが込み上げた。
拳をにぎりしめる。
あの、肉の感触がフラッシュバックしていた。
そこから先を、蓮斗は覚えていない。
ただ、両親が倒れていて、ただ、拳に肉の感触があったから、何をしたかはすぐにわかったが。
その光景を見ているのが嫌になって、背を向けたのを蓮斗は覚えている。
逆に言えば、そこまでしか覚えていない。
背中にドン、と衝撃がきたところで、記憶は途切れている。
それが包丁が刺さった衝撃だったとわかったのは、大分後になってからだったが。
その後からだった。あの人格が現れたのは。
その時に秋奈に出会い、今の付き合いに至る。
「まぁ、今は悩んでもしょうがない。部屋に戻ってゆっくり寝るんだね」
「はい」
蓮斗は秋奈と少し世間話をした後、自分の部屋に戻った。
蓮斗のベッドには、目を開いたまま寝転がっている恋がいた。
「あ、レン君。おかえり」
「寝てなかったのか」
「寝れなかったの!というわけで…ほらほら、早く〜」
「ん、ああ」
急かされるまま横になる。すぐに右腕が捕まった。
「それでいいのか?」
「え?」
少しの沈黙の後、蓮斗は体を恋のほうに向ける。そして、
「ひゃっ」
そのまま抱き寄せた。
「こうしてないと寝れないんだ。……今だけ」
最後のほうは聞き取れないぐらいの小さな声で、蓮斗は言った。
「……」
首に腕が絡まってくる。
静かに蓮斗は目を閉じた。
現実から逃れるように、強く恋を抱き寄せて。