韋駄天―前編―〜天脚〜
「ふぅ」
首の骨を2、3度ならし、息を吐く。
「今日は……いろいろと予想外だったな」
靴を履き換えて、夕焼けが照らし出す外へと蓮斗は出た。
あの体育が終わった後、桐歩は蓮斗を友達と認識したらしく、気軽に話し掛けてくるようになった。
桐歩だけではない。クラスメイトの反応や、教室の雰囲気すら、蓮斗は今までとは違うような気がしていた。
いきなり桐歩の様に話し掛けてくるような生徒はいないにしても。一定の距離はおかれながらも。
「逃げだす人は……いなくなったよな。今日だけかも知れないけど」
言いながら、蓮斗は自然と頬が緩んでいた。
単純に、うれしかった。
過去に自分が何をしでかしたのか。それ自体は全く思い出せないが、あの孤独感から抜け出せただけで蓮斗は充分だった。
心なしか足取りも軽く、蓮斗は帰宅を始める。夕日に照らされた蓮斗の影は、長く長く伸びていた。
「………………」
(…………っ!)
辺りが暗くなり始め、長い影も輪郭がわかりづらくなる。そんな中、蓮斗は幾度目かとなるダッシュを開始した。
「…………!」
「…………た…!…ちだ……!」
蓮斗は、走りながら後ろから聞こえる声に集中する。
(やっぱり、勘違いじゃない)
学校を出て数分過ぎた辺りから感じていた、何者かの視線。勘違いかと思いながらも、蓮斗は確認の為に何度か揺さぶりをかけていた。
いきなりダッシュする。
わざと狭い路地に入る。
道を間違えた振りをして小走りで逆走する。
あまり嬉しくないことに、そのどれもに反応があった。
狭い路地では、明らかに蓮斗のもの以外の足音がしていた。
逆走してみれば、その道を急いで走り抜ける怪しい人影もいた。
(ダッシュしてみれば、こっちに聞こえる程の声でどこに行ったかを教え合うぐらいにして……ハァ)
不幸な事に、揺さぶりをかければかける程、疑いが確信に変わるどころか知りたくない情報まであちらから教えてくれる始末。
(教え合うってことは、少なくとも2人以上ってことだよな……。しかも、さんざん振り回されたせいか、さっきの声を聞いた限りじゃ大分いらついているみたいだ。何とか撒かないと……っ)
ダッシュの勢いそのまま、蓮斗は狭い路地に突っ込んでいく。
――確か、こっちに行けば……あった!
蓮斗が来た場所は、建物の間に出来た空間だ。およそ3メートル程の横幅で、そこから先には進めないように高い金網が張られている。
「確か、ここに穴が空いてるはずなんだけど……」
金網に手をかけ、その穴を探す。しかし、探せども探せどもその穴は見つからない。
「そんな……!まさか、塞がれたのか!?」
口にした瞬間、蓮斗は一気に身体の熱が冷めていくのを感じた。これでは、自ら袋小路に入り込んだだけ。
「くそ……!」
ならばせめて、と金網にかけた手に力を込める。金網の高さは5メートル弱。かなり高いが、今の蓮斗にはそれしか逃げる術がない。
しかし。
「いたぞ。こっちだ」
――苦肉の策は、実行すら許されなかった。
「くっ……」
金網から手を離し、振り返る。
――多い、な。
2人、3人位だろうと思っていた蓮斗は、その考えが甘いことを実感させられた。
この狭い空間に、ざっと十数人。皆、手に何かしらの得物を持っている。
「……俺が、何したんだよ」
思わずこぼれでた言葉。しかし、その言葉すら逆効果だった。
「オイ。やっぱり情報通りだ。コイツ、記憶喪失のまんまだぜ」
鉄パイプを持った男が嘲笑混じりでそう言うと、周りの男達も次々と笑い出す。
「じゃあ、もう大丈夫だな。やっちまおうぜ」
男達がすぐに襲い掛からなかったのは、蓮斗が記憶喪失かどうかを確かめる為だった。もしあの時、蓮斗が駄目元で戦う意思を見せていたら、男達は一瞬怯んでいただろう。もしかしたら、その隙に逃げることも出来たかもしれない。
しかし、それももはや昔の話だった。
「じゃあ……」
鉄パイプの男が、歪んだ笑顔で周りの男と目配せをする。そして、大きく鉄パイプを振り上げて――。
「私刑執行――――!」
「やめて」
グシャッ、と嫌な音が蓮斗の耳に届く。それは自分の頭が潰された音か、と頭を触るが、そうじゃなかった。
「……か……!!……」
その音は、鉄パイプを振り上げた男の顔から発せられた音。男の顔には、踵が見事に減り込んでいた。
「……あ、あんたは…?」
蓮斗は、いきなり現れた『特攻服』に身を包んだ女子に息を呑む。
その女子は、一瞬だけ蓮斗に目を向けると、またすぐに男達に向かって鋭い視線を突き刺した。
ドサリ、と鉄パイプの男が倒れ込み、カラン、と無機質な音が鳴り響いた。
「レディース『韋駄天』、特攻隊長、天脚の威吹!この男をやりたいなら、私を倒してからにしな!!」
威吹は、高らかにそう叫んだ。