日常―後編―〜認められるのは人の喜び〜
体育が本格的に始まり、バスケットボールの試合が開始される。
「キャー!」
数少ない女子が黄色い声を上げている。女子の視線の先には、桐歩がいた。
「すげ……」
素直に蓮斗は感服していた。流れるような動きでディフェンスの間をくぐり抜け、急に止まったかと思えばその手からは既にボールが消えている。次の瞬間にはゴールネットの乾いた音が聞こえてきた。
「かぁ〜!またやられたよ」
「あーもう!桐歩にボール渡すなっていったろうが!」
桐歩の相手のチームの愚痴と同時に試合終了のブザー。
勝ち抜きで進んでいるので、次は蓮斗のチームと桐歩のチームだ。
桐歩はタオルケットで汗を拭い、蓮斗の元へ歩み寄る。
「よろしくな」
それだけ行って、また桐歩はコートへと戻る。それに続いて蓮斗もコートに向かった。
蓮斗がコートに入ると、その瞬間に体育館が沈黙に包まれる。思わず蓮斗は舌打ちをしたが、その時に1人の女子が周りの空気を無視して声を上げた。
「レン君ガンバレ〜!桐歩に負けるな〜!」
蓮斗は驚いた。空気を読まないにも程がある、と。そんな蓮斗の目の前で、桐歩はクスクスと笑った。
「随分気に入られてるなぁ、蓮斗」
「う…」
「でも、ちょっとだけ嫉妬しちまうぜ。…てなわけで……本気で行くな?」
「は?ちょっ……」
さっきのは本気じゃないのか、と言おうとした瞬間、ボールが中に舞う。
「っ!」
「はっ!」
同時に跳躍。その瞬間、体育館にいる全員が息を呑んだ。
結果は全くの互角。両方から与えられた力は、正面からぶつかり合いボールを真横へ弾き飛ばした。
「へぇ」
「……!?」
着地して、蓮斗は自分に驚いた。はたしてここまで自分は高く跳べただろうか?
「よそみしてていいのかい?」
「!?」
言葉を発する隙もない蓮斗。桐歩は既にその手にボールを持っていた。
1対1。
対峙する2人の間に、ピリピリとした緊張がはしる。
「ふっ!」
蓮斗が息を吸った瞬間、桐歩が蓮斗を抜きにかかる。実際、桐歩はたやすく蓮斗を抜いた。
だが。
――ボールは、その手に無かった。
「なっ……!?」
急ブレーキをかけ、振り返る桐歩。
そしてその目に見たのは、鮮やかにディフェンスをすり抜けていく蓮斗の後ろ姿だった。
(不思議だ。俺って、こんなに動けたっけ)
桐歩が自分を抜こうとしたその瞬間に出ていた手。自分でも驚く程綺麗に上手くボールを奪い、そのまま相手のコートに切り込んでいく。
(相手がどうやってボールを奪おうとしているかが、簡単にわかる)
突き出された手をひらりと避け、それによって出来た隙間に体を通す。
(今なら、どこから手が出てこようと避けれそうだ……!)
自分の身体が信じられない程に動いてくれることに、蓮斗は楽しさを感じていた。
例え記憶を失おうとも、蓮斗の身体能力が失われた訳ではない。身体のどこに攻撃が飛んでくるかわからない喧嘩に比べれば、素人からボールだけを守る事など造作もなかった。
しかし、それは。
「このっ……!」
決してスポーツの為に身につけたモノではない。
「!?」
ボールに触れない事に痺れを切らした1人の男が、蓮斗の軸足目掛けて蹴りを飛ばす。しかし、蓮斗はその軸足に思い切り体重を乗せて蹴りを受け止めた。
「なっ?」
そう。それは決して、スポーツの為に身につけたモノではない。言うなれば、相手を傷付ける為の立派な凶器。
「うわぁっ!」
そして、本人に自覚がないとしても、その凶器は自分に触れるものを傷付ける。
蓮斗は、蹴られた足を思い切り跳ね上げ、男の足ごと払いのけた。男は、あわや1回転しそうになり、背中から地面に落ちた。
「あ……」
ハッとする蓮斗。気が付けば、体育館はまた沈黙に包まれていた……かと思われた。
「……すげぇじゃん」
1回転させられた男が、腰を抑えながら立ち上がる。
「レン君!シュートシュート!」
「……え?」
完全な沈黙ではなく、皆、ぼそぼそと蓮斗を見て話している。それは、別に悪口を言われている訳ではない。
「撃てよ、蓮斗」
桐歩も言った。言われるがまま、蓮斗はシュートを放つ。
ボールは、ゆっくりと孤を描いて、ゴールに吸い込まれた。その瞬間。
「すっごーい!桐歩君とやり合う人初めて見たよー!」
「蓮斗君って、凄いんだね。今まで体育の時ほとんど動いてなかったから気付かなかった」
「怖いばっかりかと思ってたけど……最近の蓮斗君見てたらあんまり怖くない……?」
女子がざわざわと騒ぎ立てる。
「いや、1回転するとは思わなかったぜ」
「ばーか、あの蓮斗に蹴り入れる方が無謀だっつの」
男子も男子で、笑顔だった。
「…………?」
呆然とする蓮斗。一体全体何がどうなったのかわからない。
そんな蓮斗の肩を叩いたのは、桐歩だ。
「いやいや、一躍人気者だな、蓮斗」
羨ましいなオイ、と全くそう思ってはなさそうな表情で、桐歩はバンバンと蓮斗の背中を叩いた。
「前々から思ってたんだけど、お前って絶対損してるよ。人と話さないし、そのくせとんでもないことやらかして皆に怖がられてさ。それじゃあ、いつまでたっても1人のままだ」
とんでもないことってなんだ?と蓮斗は考える。が、桐歩はそのまま続けた。
「けど、見ろよ。ちょっと自分をだせば、案外認められるもんだぜ?」
考えながら、蓮斗は周りを見渡した。
皆、自分と目が合っても逸らさなかった。手を振ってくれる女子が居て、振り返すと恥ずかしそうに笑い返してくれた。
「……なんか、いいもんだな」
自分が過去に何をしていたのかはわからない。だが、今からでもやり直せるんじゃないか。
そう思えた、蓮斗だった。
「レン君……よかったね」
恋は蓮斗に聞こえない声でそう呟いた。
「……このままなら……別に……」