喪失〜天秤にかけるは記憶と命〜
名前は?
――蓮斗。
性別は?
――そりゃあ男だけど。
ここはどこだと思う?
――病室、病院だよ、ね?
違和感はないか?
――違和感?……えっと、正直、あんまり。
「というよりも、何でこんなこと聞くんですか、秋奈先生」
「まぁ待て。最後の質問だ。……ここにいる、全員の名前を言ってみろ」
蓮斗はそう言われて、病室に集まっている人物を1人1人見つめていく。
「えと……秋奈先生に景、それと栗実…さん。あとは……。……?」
顔を見て、確かめるように名前を口にしていく蓮斗だったが、それは呆気なく途切れてしまう。蓮斗は首を傾げて、残った人物2人を訝しげに見つめた。
「……わからないか?」
「…………」
秋奈の言葉に、申し訳なさそうに頷く蓮斗。それでも、何かひっかかるところはあるのか、引っ切り無しに首を傾げていた。
名を呼ばれなかったのは、恋と威吹。
恋は、もはや何の反応も示さなかった。まるで電池の切れた人形のように、首をうなだれたまま動かない。
「……どうやら、一部の記憶だけが失われているようだな。大量出血によるショックによるものらしいが」
「……それは、もう戻らないのでしょうか」
栗実が、膝の上で手を強く握りしめながら言う。彼女にとっては、余りにもショックが大きすぎるのだろう、必死に、崩れ落ちそうになるのを堪えていた。
「脳自体がやられた訳ではないからな。戻らない事はないと思うが……」
話しながら、秋奈はちらりと景を見る。
「問題は、どの点を基準にして記憶喪失になっているか、だ」
そう言うと、秋奈は景に小さく耳打ちをした。その内容に、景は1度身を固くしたが、やがて静かに頷き、蓮斗を見つめた。そして大きく息を吸い、口を開く。
「蓮斗。……久しぶり、いつ以来かな?」
「……忘れてた。久しぶりだな、景。もう何年も会ってなかったもんな」
「…………!」
「そう……あれからずっと……。……あれから?…『あれ』って、なんだ……?」
「やはり、か」
頭を抱え、ぶつぶつと呟き始めた蓮斗を見て、秋奈はそう言った。
「どういう、ことですか?」
「蓮斗は、裏人格の『蓮』に関する記憶を全て失っているんだろう。それに付随して、『蓮』が現れた時の前後の記憶も失ってしまっている……。景とも、蓮斗の中ではあの事件以来『会っていない』ことになっているんだろうな。まぁ、それ故に所々で記憶の矛盾が出てきてしまう。ちょうど、今のようにな」
蓮斗を一瞥して、秋奈は更に続ける。
「特に、恋と威吹に関しては、全て忘れてしまっている。……おそらく、この2人は『蓮』との関わりが多くあったからだろう。私達のように、通常の生活で関わりが多くあった場合とは違い、な」
それに、と秋奈は続ける。恋の身体が小刻みに震えている事に気付いてはいるが、それでも続ける。
「恋に関しては、蓮斗の中でも『蓮』の中でもその存在は大きかったのだろうな。それが逆に、このような結果を生み出してしまった……。皮肉なものだ。自分が命を賭して守ったその代償が、その人間との記憶とは……」
カタン、と音がした。
恋が立ち上がっていたのだ。
「あ……」
栗実の声は虚しく響き、そのまま、恋は病室から出ていってしまう。淀みないその足取りは、それ故に危うく見えた。
蓮斗は、それをじっと見つめていた。