時、既に遅し―後編―〜遺言〜
ザァ、と天井から音が鳴りはじめた。雨が降り始めたのだ。
今、部屋にはその音しか響いていない。
沈黙が雨の音を目立たせているのか。
それとも雨の音が沈黙を引き立てているのか。
「どうしたの?聞きたい事はそれだけ?」
おどけた様子で、蓮斗は言った。その笑顔は、蓮斗であって、蓮斗ではない。
どこか、危うさが滲み出ている。
2人――秋奈と栗実は、答えない。また、沈黙が訪れる。
しばらくして、蓮斗はつまらなそうにため息をついた。
「……なんだ。もっと動揺すると思ってたのに。これじゃ、表の俺もがっかりだろうな」
そこで、秋奈はぴくりと眉を動かした。
蓮斗の言葉の中に、聞き流せない単語があった。
「……『表の俺』、だと?」
秋奈が反応したのが嬉しかったのか、蓮斗は少しウキウキした表情になる。依然として危うさは残ってはいるが。
「まさか、お前」
そこでまた、蓮斗は表情を変えた。ニヤリと口元を曲げる。
「流石、秋奈先生。多分、その考えは合ってるよ」
「……いつからだ」
途端に深刻な表情になる秋奈を見て、栗実はわからないながらも状況を察した。
秋奈でさえ予想していなかったことが、今現実に起きているのだ。
「結構前からかな。あ、でも、表の俺も気付いてなかったみたいだから、そこは言っておくぜ」
「…………」
「まぁ、面倒だから言っちゃうけど。俺、蓮斗は、2つの人格を1人で持ち合わせている人間だ。けど、どっちにしろそれは『蓮斗』っていう1人の人間。表も裏も、蓮斗には変わりない。けど、今は違う。今の俺は、『蓮斗』とは違う考えを持った独立した存在になった」
雨の音が、一瞬消え去る。
「つまりは、二重人格になったんだな。蓮斗っていう人間は」
そして、一層強くなった雨の音が、ノイズの様に部屋を埋め尽くした。
「んじゃあ、俺は行くぜ。せっかく自由になったんだ。自由なうちに、欲求を満たさなくちゃな」
歯を食いしばっている秋奈の横を、そう言いながら通り過ぎていく。
「あ、そうだ」
部屋から出る寸前、蓮斗は思い出したように振り返り、口を開く。
「『もう俺に関わるな』……。これは、俺だけじゃなくて、表の俺の言葉でもある。……恋って奴に、伝えたかったらしい。じゃあな」
言い終わり、蓮斗は今度こそ出ていった。
残されたのは、秋奈と栗実、それに主を失おうとしている部屋。
そして、あまりにも無慈悲な、ある意味では『遺言』じみた言葉だけ。
「……くそっ!!何故気付けなかったんだ、私は……!!」
秋奈の声は、雨の音に掻き消されてしまう。
その横で、栗実はただ立ち尽くしていた。