時、既に遅し―前編―〜落ちる雫は誰が為〜
病室から出た秋奈。秋奈は少し振り返り、背中越しに病室の扉を見つめると、傍目にはわからないぐらいの小さな溜息をついて、それから歩きだした。
「あ…………」
ロビーに戻ってきた秋奈を出迎えたのは、栗実だった。
パタパタと駆け寄る彼女に、秋奈は彼女が口を開く前に先に答えた。何を聞かれるか既に予測がついていたのか、もしくは自分から言おうとしたのかはわからない。
「恋なら大丈夫だろう。まだ少し落ち着いてはいないが、少なくとも、『勝手な行動』はするまい」
「……そうですか」
複雑な表情で、栗実は俯いた。
「じゃあ……恋さんは……」
「ああ。蓮斗にはもう関わる事は出来ない筈だ。……そうするように、仕向けたからな」
少なくとも今は、と付け足すように呟く秋奈。珍しく、彼女にしてはハッキリとしない答えだが、すぐに切り替えて強い眼差しで歩き出す。
「行くぞ、栗実」
「はい。……蓮斗さんを、助ける為に」
2人が病院から向かった先は、蓮斗の家だ。
ここには、蓮斗しか住んでいない。彼を引き取った親戚は、とっくの昔に蓮斗を怖がり、彼を置いて引っ越してしまっている。
リビングを見れば、引っ越した当時のままなのか何もひかれていないフローリングの床が埃を被っていた。
それらを無視し、2人は2階へと繋がる階段を登る。
登り終わってすぐ左の部屋、そこが、蓮斗の部屋だ。
「邪魔するぞ」
鍵もかけられていない部屋のドアは、無機質な音を鳴らし呆気なく開く。
中は、散々だった。
至る所に殴られた跡が目立ち、穴が開いている壁には血がこびりついている。
家具も同様、破壊されているものが殆どであった。ベッドの隣には、もはや原型を留めていないカラーボックスが静かに鎮座している。
「…………」
栗実は、声が出ない。思春期の猛り等では、ここまで酷くすることは出来ない。胸から込み上げてくる感情が一瞬で栗実を支配しようとするが、しかし、すんでのところで堪えた。
その様子を横目で一瞥し、秋奈は息を吐く。それから部屋を見渡した。そして、カラーボックスの破片を拾い上げる。
「…………ん?」
その拍子に、秋奈はあるものを見付けた。ベッドの下に、1冊のノート。そしてくしゃくしゃに丸められた紙切れがいくつか落ちている。
「なんでしょう…………」
秋奈はそれを掻き出し、栗実が先に紙切れをゆっくりと開く。
「!……秋奈、さん。これ……」
栗実は、それを一瞬見ただけで目をそらし、秋奈に手渡した。その手は震えている。
「…………!」
紙切れは、ノートを千切って出来たものだった。ところどころに赤いシミがあったが、真に問題だったのは、その内容だった。
嫌だ 嫌だ 嫌だ 俺は 普通 違う 認めない 違う 壊した 正常 そうだ 僕は 壊す 異常? 違う 違わない 恐怖 誰に 自分に 僕に やめろ! 認めろ 嫌だ 壊す 壊す 壊した もう遅い やめろ 違う 違う違う違う違う違う!
書きなぐられた、その文章。
残りの紙切れも、似たようなものだった。違いがあるとすれば、少しずつ、裏と表の比率が変わっていっていること。そこには、蓮斗の苦しみが延々と綴られている。裏と表に、余すところなくびっしりと。
そこでとうとう、栗実は耐え切れなくなり涙を流した。
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