栗実―中編―〜私はただあなたのために〜
栗実視点で、過去に入ります。
保健室――。
ベッドに隣り合わせに座るのは、言ってしまえば似た者同士の2人。
「私の、過去を、聞いてくれますか……?」
控えめに、けれどしっかりと、栗実は言った。
座高の関係でどうしても見上げるようになってしまう栗実だったが、それが上目遣いのようになり、即座に蓮斗は頷いてしまう。
蓮斗自身も、栗実の過去を知りたいとは思っていたが、予想外の攻撃で顔が赤くなってしまう。
そんな蓮斗を知ってか知らずか、上目遣い(の様になる)のまま栗実は話し始めた。
「私の家は、というよりも両親が、ですかね。完璧主義者、だったんです。だから教育には凄く力を入れていました」
「――兄さん!」
「……栗実?どうした?何か用か?」
「……用がなければ、来てはいけませんか…?」
「まさか!そんなことないよ!」
私には、1つ上の兄がいた。
何でも出来て、優しくて、嫉妬したくなるくらいに、憧れていた。
兄さんは、両親からすごく期待されているみたいだった。
兄さんは次々と期待に応えて、その度に私の頭を撫でた。
――ありがとう。栗実がいるから、僕は頑張れる。
そう言って、優しく撫でてくれた。
とても、平和だった。それこそ、永遠は本当にあるんだって信じた位に、平和で、幸せな時間だけが過ぎていった。
――あの日まで。
ある日、私は兄さんが怒られているのを見つけた。
兄さんは、お父さんに怒られているみたいだった。
――なんで、こんな簡単な事が出来ないんだ!
ピアノの前で、兄さんはそう怒鳴られていた。
どうしたんだろう?兄さんはピアノは得意だったはずだ。
そう思い、私はその部屋に入っていった。
――思えば、これがすべての歯車を狂わしたんだ――
兄さんが怒られている、その横から、楽譜を覗き混んだ。
兄さんはこれが弾けないばかりに怒られているみたいだった。
――なんだ、これくらいなら私にだって弾ける。
兄さんの妹なら、ピアノ位は……。そう思い、習い始めたピアノ。少しは自身がある。
そう思い、私はピアノの前に座り、鍵盤に指を置いた。
そして、私は弾きはじめた。流れるメロディーはとても楽しげで、弾いていて楽しかった。
――弾き終わったら、兄さんを励まそう。ほら、私に出来るんだよ、兄さんだって出来るよ。だって、兄さんは、私なんかよりも何倍も凄いんだから。って――
そう考えながら、私は指を走らせる。弾けば弾くほど、私は楽しくなってくる。
そうして、私は弾き終えた。なぜか、楽譜はお父さんがめくってくれた。
指を鍵盤から離し、兄さんに振り返ろうとした、その時。
お父さんは私をものすごく褒めてくれた。
栗実すごいな、今まで知らなかった。あぁ、なんで気づかなかったんだろう!
お父さんはそう言って、私を抱きしめた。
嬉しかった。
それまであまり褒められる事がなかったから、すごく嬉しかった。
だからだろうか、私は、すぐ横で恨めしそうに私を見ている兄さんに話しかけるのを忘れていたんだ。
「…………っ、はぁ………」
「……栗実さん。無理はしなくて…」
「いいえ、話させて下さい……。話し、たいんです」
栗実は胸を抑えて必死に何かを堪えている。
何を堪えているのか、蓮斗にはすぐに分かったが、本人が話したいというなら、と、止めることはしない。
それから私は、褒められる事が多くなっていった。
褒められる事が嬉しくて、私はもっと頑張ろう、もっと努力しよう、そう思っていた。
いつからか、私は、兄さん以上に褒められる事が多くなっていた。
それが、きっかけだった。
兄さんは、いきなり私の部屋に入ってきたかと思うと、思い切り私を殴り付けた。
痛いと思う暇もなく、私は壁に押し付けられた。
――痛い、痛いよ、兄さん……!
――お前さえいなければ…!俺は、あの場所にいられたのに!
――……え?
――お前は、俺より良くっちゃダメなんだよ!俺より後ろにいなきゃダメなのに……!
――そんな……!私はただ……!
――なんで、お前は俺が出来ないことを普通にこなすんだよ!栗実のくせに…栗実のくせに!!
兄さんは、私を何度も何度も壁にぶつけた。
栗実のくせに、栗実のくせに……。
事あるごとに、兄さんはそう言った。
――じゃあ、私は頑張っちゃいけないの?私が頑張ったから、兄さんは……。
兄さんは答えなかった。
ただ、私に暴力を振るった。
私は泣いた。痛いからではない。
私のせいで、兄さんは、不幸になった。
その事実が、私には何よりも辛かった。
「それから、私は父や母に褒められる度に、兄から暴力を受けました…」
「…………」
「そんな日々がしばらく続く内に、私は1日中泣き続ける事が多くなっていったんです。……そして、気付けば……今のように…少しのショック…で」
栗実が全てを言い終える前に、蓮斗は栗実を抱き寄せていた。
もう、栗実の目からは今にも涙が零れそうだった。
「いい……。もう、いいから」
蓮斗に抱き寄せられ、栗実はそのまま蓮斗の胸に顔を埋める。
「うっ……わぁぁあぁぁあん!!!!」
蓮斗の胸で泣き叫ぶ栗実。
何故、栗実がこの話をしてくれたかをまだ聞いていないが、今は、これでいいと蓮斗は思った。