第1話 敵襲
朝起きると、日ごとに温かさがまして、
多くの人が、桜の咲く時を待ち遠しくしている今日この頃。
俺は、今、暗闇の中にいる。
平和なこの国で、俺は、敵を待ち構え戦闘態勢をとっているのだ。
思えば、よく32年間も生きてこられた。
ここ最近、朝の太陽なんて贅沢なものは見てはいない。
「フッ。まったく、
何でこんな人生を選んでしまったのか?」
そんなことを思いながら、姿を隠し、気配を消し、
強敵を待ちかまえている。
「ガチャ」
さすがだ。敵は音もたてずに気配を消して、
既にこの部屋に到達していたようだ。
いくつか、トラップをかけていたのに。
「ちくしょう。やはり来たか。
このまま、帰ってくれれば戦わずに済むのに。」
出来れば戦いたくない。
本当の俺の姿は誰にも見せたくない。
そんな、俺の希望とは逆に、
間髪入れずに敵はドアを軽々と開けて入ってくる。
どうやって開けた?
やむを得ない。
しかし、俺だって敵の能力は把握済みだ。
奴には先制攻撃しかない。
1撃で仕留めてやる。
俺は、ドアに向かって走り出した。
「大変申し訳ございません。
必ず、家賃はお支払いします。少しの間だけご慈悲を下さい。」
俺は、必殺「土下座」をぶちかましてやった。
きれいな正座で、お尻は一切上がっていない。
言葉はかまずに。
そして、頭を畳に音が出るほど叩きつける。
我ながら見事な音色で完璧な一撃だ。
これまでこの攻撃をかわした奴はいない。
「クスッ。和也君、3か月滞納ですよ。」
ん?想定していた敵とは違うのか?失敗か?
「あと、勝手に入口に工事中の看板をおいたり、
ごみ袋で通路をふさがないでください。」
電気がついた。
俺は、畳にこすりつけていた頭を少し上げた。
スカート姿の美女が笑顔で、仁王立ちで俺を見下している。
美女が髪をなで上げると、
艶のある黒髪のストレートロン毛が
シャンプーの匂いを軽くまき散らす
いたずら猫のような、大きい黒目が美しく。
その目を見ると悪魔に心を奪われるかのような魅力である。
あれ、いつも家賃を取りに来る大家のピグモン婆じゃない。
この悪魔美女は、
「希美ちゃん?」
希美ちゃんは、笑顔のまま答える。
「お祖母ちゃんは、昨日から泊り込みで
エックスメンズのコンサート行っているの。
だから私が代わりに来たのよ。
おそらく居留守使うからって合鍵も貸してくれたわ。」
60歳過ぎた婆さんが、アイドルのコンサート?
恥ずかしいぞ大家。
俺に弱点をさらしてしまったな。フフッ。
いやいや、今の俺の方が恥ずかしい。
希美ちゃんに俺の必殺「土下座」を見せてしまった。
頭には畳の跡が赤く残っているだろう。
3日は閉じこもって悶絶してしまうレベルに恥ずかしすぎる。
ここは、何とか誤魔化したいが、何も浮かばない。
ただでさえ奇麗な美脚が目の前にあるのに、
もう少し前に来てくれれば見えそうなので
俺の邪念が思考を停止させる。
しかし、俺の願望とは逆に
俺の愛しい美脚がコタツ机の方へ逃げていく。
「和也君、ここに座ってください。
今日は、家賃よりも大事なお話があって来たのです。
勇気を振り絞ってここまで来たんだから。」
勇気を振り絞って?勇気を・勇気・・・・・
この言葉が俺の頭で連呼する。
告白?そんなわけない。
相手は大家のお孫さんで、ピグモン婆さんが、
知り合いの芸能プロダクションからお誘いが来ると
自慢するほどの美人の孫なのだ。
そして何とか希美ちゃんを芸能界に入れるように工作活動をしている。
きっと希美ちゃんを芸能界に入れて、
自分がアイドルグループとお近づきになる計画でも練っているのだろう。
まあ、ピグモン婆も普段は茶飲み友達だし。
色々情報交換しているのだ。
希美ちゃんは、
俺が20歳の時このアパートに来たとき小学2年生だった。
つまり12歳差で今は、20歳くらいだろう。
しかし、俺にとってはまだ子供。いや?もう大人?
小さい頃から知っているし、
希美ちゃんの前ではかっこつけている。
俺は、6部屋あるこのボロアパートの1階一番奥の部屋に住んでいるのだが、
今では最長老である。
ボロで部屋代が安いので俺より若い連中の男ばかりだが、
入れ替わりも早い。
ピグモン婆は、新しく入居する人が現われると、
すぐに俺に情報を流して、俺に面倒を見させるのだが、
新しい入居者と聞くたびに、いつも期待が高まる。
こんなボロアパートに女性が入居するわけないのに。
入居時に挨拶として俺に手土産を持ってくる奴も結構いるのだが、
この手土産の有無や内容で、俺は入居者のランクをつけている。
そして、大概の奴等は、数年で都内の生活を諦めて出て行ったり、
収入が増えてもっときれいな住居に移ったりするのだが、
俺は何故か離れられない。
住んでいるのがこんな木造のボロアパートなのだから、
希美ちゃんに、かっこつけてもどうしようもないのだが。
ピグモン婆がよく連れてくるので邪心など持たずに適当に遊んであげている。
まあ、悪魔美女が怪獣を引き連れてくる感じではあるのだが。
しかし、今日は希美ちゃんひとりだけで、大事な話?
もしかして、この部屋の男性中年臭フェロモンが、小娘の何かを刺激したのか?
確かに、俺は自分なりに上方修正すれば普通の伸長、普通の顔。普通の体系。
ストレートヘアでハゲてはいない。おそらく。
そして、今、この部屋には男女2人だけ。
さらに、真面目な顔して見つめられると、
俺にはもう告白される以外のストーリーしか思いつかない。
まさか、まさか、もしかして?
この瞬間、俺のネガティブ思考野郎が、ポジティブ思考王子に進化した。
そして、色々妄想しながら俺は、
土下座を解除してコタツ机に希美ちゃんを正面にして座った。
さっきまで顔も見れないほど恥ずかしかったのに。
先ほどの「土下座」の記憶は
ポジティブ思考王子が削除ボタンを押して消去した。
そして、さわやかな顔で希美ちゃんに対峙する。
すると、間髪入れずに希美ちゃんは、
「和也君がまたクビになったのは、
お祖母ちゃんから聞いて知っているの。」
ヒェー。くそばばああああ。
何でもネタにしやがって。
希美ちゃんには関係ねーだろー。しかも、
「またクビ」とはひどすぎる。「また自己退社」だ。
さっきの土下座でも恥ずかしかったのに。
戻るボタンが押され「土下座」の記憶が復活した。
俺のさわやかな顔が崩れた。
年の差があってこんな美人では恋愛対象ではないのだが。
小さいころから、かっこつけていた小娘にダメ男に認定されそうで怖い。
精神が悲鳴をあげている。
告白など妄想していただけに、穴があったら死ぬまで冬眠したい気持である。
もう白旗である。
そんな降参をしている俺に対して、敵は、非人道的なまでに次の攻撃を
「家賃を払おうと、パチンコに挑んで敗北し。
現在、求職活動もしないで、閉じこもりニートを満喫していることも。
和也君にお金を貸した信一さんから聞いています。」
ウヒャー。もうダメ。ヤメテ。
信一とは、俺の部屋の隣に住むオタク仲間なのだが、
何故か貯金が増えるらしくお金を貸してくれたのだ。
信一よ。
お前は手土産がなかったのに、俺の格付けでAランクにしてやったのに、
裏切り者のお前は、今からランク外だ。死ぬまで泣いて後悔しろ。
そして、ここにダメ男の認定が確定されました。
おめでとうございます。
「はい。わたしはダメ男に認定されたカス也です。
もし、道で見かけたら石を投げつてください。」
人間落ちるところまでいけば、開き直れるのである。
「石なんて投げつけませんよ。カス也君。」
ニヤリと笑顔で返された。
年上の俺をイジメに来たのだろうか?
「イジメに来たわけではないの。」
エスパーですか?
「家賃は、おそらく、失業手当が入れば、それで支払ってもらえると、
おばあちゃんは安心しているのよ。
まさか、パチンコには使わないでしょうから。」
ダメ男を舐めては困る。
ダメ男は。失業手当の使い道は、信一にお金を返して、
残った金はパチンコで増やしてから家賃を払おうと思っていました。
パチンコで負けたら、また信一様にお金を借りようと。
そんなこと、希美ちゃんには言えない。
「そうだね。失業手当が入ったらすぐ払う予定だったよ。」
今度は、俺がひきつった笑顔で返した。
「それで、仕事はしないの?」
ズッキューン。心臓を撃たれた。降参したのに殺された。
しかし、そうなのだ。
逃げてばかりいたのだが、希美ちゃんにつかまった。
今、自分の最も大きい悩みは仕事なのだ。
失業した後、仕事は探したのだ。
しかし、自分に合った仕事がない。
俺は仕事を求めているが、仕事は俺を求めていない。
矛盾した世の中だ。
イヤ、違う。
仕事を選ばなければいくらでもあるのだ。
しかし、やる気が起きないのだ。
一流大学を出たわけでもない、資格があるわけでもない、
得意なことがあるわけでもない、
他の人と比べて秀でるものもない。
そんな俺が仕事に対して欲を求めてはいけないのだが、、、、、。
わかってはいるが、やる気がおきないのだ。
しかし、そんなことは希美ちゃんには関係ない。
「いや。仕事は探しているよ。なかなか、見つからなくて。」
無難な回答をしたが、心に痛みがあった。
つづけて俺は、
「いや、ごめん嘘。正直、やる気が起きないんだ。
やらなくちゃいけないと思ってはいるんだけど、世の中のせいにしたり、
自分に言い訳ばかりして、一日一日が無駄に過ぎてしまっている。
本当にダメ男だな。こんな大人になっては駄目だよ。」
ひとまわり年下の女性に話すようなことではないのは、わかっている。
希美ちゃんには、何故か、正直に答えてしまった。
俺の残り少ない最後のプライドさんが「さようなら」とつぶやいた気がしたが。
すると希美ちゃんが蔓延の笑みで予想外の言葉をはなった。
「良かった。」
「ハッ?」
ダメ男らしい期待どおりの回答で良かったということでしょうか?
希美ちゃんが、つづけて、
「あのね。仕事が決まっていないのなら、仕事しない?」
体を前のめりにして俺に問いかけてきた。
胸、胸、胸が机の上にのってる。すばらしい。ブラボー。
一瞬思考が停止したが、俺なりに考えてみる。
こんなダメ男を心配して仕事を紹介してくれるのだろうか?
それとも家賃が心配で俺を働かそうとしているのか?
うん、後者に間違いない。
そして、俺は答えた。
「まあ、やる気が起きる仕事なら良いけど。」
甘いぞ小娘。
俺はそう簡単にやる気は起きないのだ。
俺にやる気を起こさせるには、
【働きたくない魔獣】という強敵を倒してみせろ。
悪魔美女希美VS働きたくない魔獣
≪スタート≫
「月50万円は約束するわ。」
・・・・・・・
「嘘でしょ。俺、何の資格もないし、
い、いきなり50万円もらえる仕事って。
怪しすぎるのだけど。犯罪に手を染める感じのやつ?」
【働きたくない魔獣】は50HPのダメージを受けた。
しかし、
そんな胡散臭い約束の仕事なんて怪しすぎると思い直した。
【働きたくない魔獣】は、魔法の言葉でダメージを自己回復した。
「フフフ。犯罪には手を染めさせないわよ。」
【働きたくない魔獣】は、疑い防御でダメージを受けなかった。
「あと、職場には、男性もいるけど、
基本は、きれいな女性たちに囲まれた職場よ。」
≪会心の一撃≫
「やります。いや、やらせてください。」
【働きたくない魔獣は】一撃で倒された。
≪ゲームオーバー≫
うん。やる気が起きた。
必要なら犯罪でも何でもします。
今まで、俺の職場は、どこもかしこも男ばかりだった。
女性といえばオバタリアンで、実は、テレビのドラマに出てくるような、
奇麗なお姉さんの多い仕事環境に憧れていたのだ。
「ちなみに、どのようなお仕事なのでしょうか?希美お嬢様」
「お嬢様はやめて。社長と呼んで。」
「えっ?」
「だから、社長」
なにかオチがありそうな話の展開になってきた。
「もしかして、希美ちゃんが社長の仕事?」
「そう。キャバクラ辞めて今、会社の社長をやっているの。
人気もなかったから店にも迷惑かからないと思って。
お母さんも泣いて喜んでくれた。」
キャバクラで働いてたの?知らなかった。
それだけの美貌で人気が無かったというのは、顔やスタイル以外の問題だよな。
いや、過去は、どうでも良い。
問題はこれからのことだ。社長ごっこならまだ間に合う。
「いやいや。世の中、そんな甘くないよ。
いくつもの会社を渡り鳥のように飛び回って、
色々とつらい経験をしてきた先輩の俺だから忠告するけど」
「そんなのお客さんの愚痴ばかり聞いてたからわかっているよ。」
人から話を聞いて理解しているのと、
経験をして理解しているのは違うのだよ。
世の中を知らないと強いよね。
「だって、俺に50万円の給与を約束するといったって、
収入が無ければ払えないんだよ。知ってる、収入って言葉?
会社といったって、本当に会社を設立するなら、
事業計画をしっかり立てて、法務局に登記して、
税務署や社会保険事務所とか色々手続きして、、、、、、
とにかく会社を経営をするって大変なんだから。」
今なら間に合う。
止めておきなさい。
という忠告を込めて知っている限りを話した。
希美ちゃんを小さいころから知っているからこその。
「あら、私にはわからない難しいこと色々知っているのね。」
実は、昔、俺は起業しようとして勉強したのである。
でも、どうしても一歩が踏み出せなくて。
「いや、当然。社会人を長いことやっているからね。
考えなおした方が良いよ。」
再度、忠告をしてあげた。
「私だって、収入が無くては駄目なことぐらいわかっているのよ。
それに、私の知らないところで手続きは全て終わっているみたい。」
あらまあ。俺が一歩踏み出せなかったことを、いとも簡単に。
おそらく、手続きは誰かがやってくれたのだろうが。
騙されたのか?
もっと前に相談してくれれば止められたのに。
もう動き出してしまったのか。
何も知らない小娘が借金地獄になっても可哀そうだし。
給料だって、俺は50万円なんていらない。
奇麗な女性に囲まれて仕事が出来るなら、
家賃と生活費が払えるくらいもらえれば良い。
まあ、仕事だって絶対失敗するということはないかもしれない。
失敗は経験なのだ。悪いことではない。
こんな俺でも手伝うことが出来るかもしれないし。
なによりも誘われて悪い気がしない。
頼られている感じがして。
小娘の下で働くのに抵抗はあるが、
俺のプライドさんは既に旅立って留守にしている。
不安な毎日を暮らすより、
行動することにより何か新しい人生が始まるかもしれない。
こうなったら仕方ない。
人生の先輩が色々と現実社会を教えてあげよう。
うん。話を進めよう。
「わかった。やるって言ったのだから、男に二言はない。
力になれるかわからないけど頑張るよ。
それより、仕事の内容は?」
「スパイよ」
「・・・・・・・・」
話のオチがよろしいようで。
「ス・パ・イ。大丈夫、捕まらなければ犯罪にならないから」
さっき犯罪には手を染めさせないとか断言してたよね。
馬鹿げている。
いくら何でも現実性が全くない。
失敗とか成功とかの話ではない。
希美ちゃん、美人でもおバカすぎるとモテないよ。
「すみません。この縁談はお断りさせていただきます。」
丁重にお断りした。
「絶対に駄目よ。ダメダメ。さっきもう約束したんだから。」
ぐぅぅぅ。キツイところをついてくるな小娘。
「男に二言はないという言葉は、どこいっちゃったの。
旅に出ちゃったの?探して連れ戻してきて。」
希美ちゃんが、子供のように、駄々をこね始めたので、
俺は決着をつけることにした。
「希美ちゃん、この世の中、証拠が大事なのだよ。証拠が。
俺が約束したという証拠を見せてみよ。ハハハハハッ」
ダメ男らしい返事をしてやった。
小娘のスパイごっこに付き合っていられるほど暇ではない。
暇だけど。
そんなことを考えていると
希美ちゃんは、しばらく考え込んだ後、いきなり自分の世界に入り、
ニヤリと笑顔を浮かべてて語り始めた。
「フッ。あなたは私の話を聞いてしまった。
もうこの世界からは抜けられないわ。」
「えっ?ホワイ?」
「もし、抜けるというのであれば、
組織の掟にしたがってもらうしかない。」
希美ちゃんは、邪悪な笑みを浮かべた。
いつのまにこんなキャラに変身してしまったの?
「希美ちゃん?
会社でなくて組織に変わっていますが。これ如何に?」
と俺が指摘すると。
希美ちゃんは「チッ」と舌打ちした後で、開き直って
「あなたの気持ちはわかる。
この世界って誰でも最初は不安なものよ。
大丈夫。和也君。ドカーンとぶつかってしまえば、
あとはチャンチャンよ。」
ドカーン?チャンチャン?
強引に畳みかける作戦できやがった。
しかも、全然俺の気持ちをわかっていない。
馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しすぎて・・・・・・・・
心のモヤモヤが晴れて何故か楽しい気持ちになってきた。
そして思考を切り替える。
本当にスパイをやるわけではなく、
スパイみたいな
ニュービジネスを考え付いただけなんだろう。
手続きが完了しているということは、
しっかりした人もいるかもしれない。
希美ちゃんが満足するまで短い時間付き合ってみるのも
良いかもしれない。
そう思った俺は
「わかりました。希美社長。
一緒にスパイやらせていただきます。」
希美ちゃんは一瞬キョトンとしたが、
「ヨシッ」
とガッツポーズをして、その後に、
自分の世界にまた入ってしまったのか、
不敵な笑みを浮かべながら
「知っている和也君?
スパイはコードネームがあるから、かっこよいのよ。
だから、私を呼ぶときはコードネームでお願い。
私は「ビューティフル」の「Byu」。
そう「Byu」よ。」
自分で「ビューティフル」とは如何なものか。まあ良い。
「了解。「Byu」。それで俺のコードネームは?」
「フフ。期待しているわ。
そうね、決めたわ。あなたのコードネームは「D」よ。」
かっこいいじゃん俺の。ダーク(闇)の{D}。
いや違うな。
もしかしてダメ男の「D」ですか?
これから始まる和也の活躍をご期待ください。