時空の剣 タイムコントローラー 大(DAI)第3話 第4話
第3話 薩摩隼人の美青年・肝付宗一の双子の妹たちが僕に惚れちゃうっていうお話
このところ僕は機嫌が悪い。「超アイ」能力はますます磨きがかかり、ほとんど狙った倍速のスピード・アイに切り替えることが出来るようになった。でも、その僕の能力をぶつけられる「敵」がいない。
ネットで僕の強さが知れてくると、道場破りは激減した。僕は自分の戦闘能力を全開にしたいという欲求に押し潰されそうになっていたのだ。
「あなた、このところイライラがピークになってるみたいね」
敦子が道場から母家に戻った僕にそう言った。
「たくさんの警官とヤクザを殺してから、あなた、様子が変わったわ」
「そう?」
「ええ。なにかこう・・・そう、体中から殺気が立ち上ってるって感じ。まるでいくさの最中のお侍みたい」
たしかに叔母の言うとおりなんだろうと思う。いや、じっさい僕の中に「殺人衝動」が抑えがたく膨らんでいた、ということなのだ。
SEXの何倍もの興奮と快感・・・
僕は対等にぶつかりあえる相手を求めている。しかし、現実にはそんな相手はこの地上に存在しないこともわかっていた。
「超アイ能力」は人類が持ちえた最高の戦闘能力であることに疑う余地はなかったのだ。
17歳の僕が得たこの異常な能力がもたらす「快感」は、過去に例がないだけに対処法は自分で見つけるしかないのだろうということもわかっていた。
* * *
僕が叔父の鍋島 剛の古武術の道場に通い始めたのはブリュッセルから戻って日本の幼稚園に通い始めたのと同時だったと思う。
道場が幼稚園・小学校のごく近くにあるため、叔父叔母揃って僕のママに強引に勧めていたらしい。叔父は「道場は広いぞ。友達つれて遊んでいけばいいよ」と誘った。僕は何度か友達とこの道場に遊びに行ったけど、遊び場としてはそんなに魅力的じゃなかったので、友達はすぐについて来なくなった。でも僕はこの道場がなぜだか気にいったみたい。
凛とした空気の張り詰める畳と板張りの床。壁に掛けてある木刀や竹刀。そして叔父の3代前の道場主、僕とは血のつながりはないけど、なぜか似ているとよく言われる男の書いたらしい「潜静発剛」という墨書の額。僕は幼稚園の帰り道、この道場に寄っていくことが日課となった。
僕には格闘技のセンスがあるらしい。すぐに叔父の流派「静剛流」の魅力に惹かれていった。子供を持てなかった叔父は僕を将来の跡継ぎと決め、結構厳しく鍛えたのだが、それが苦痛ではなかったようだ。
「武道」ではない。「武術」である。戦場で武器を失ったときの格闘技、という前提がある。「道場の外で敵に襲われたら、そいつは殺せ」というのが叔父の口癖だった。「叔父さん、実際に人を殺したこと、あるの?」ときいても笑っているだけだった。それから数年後、僕自身、叔父が道場破りを死亡させるという「事故」の現場に立ち会ったのだが・・・
小学校に入ると僕の腕は成人、当然「格闘技の心得のる大人」と組んでもある程度は通用するくらいになっていた。体重別の「スポーツ柔道」や「ボクシング」とは思想が根本的に違う。「丸腰で相手を殺すこと」をひたすら追求してきた流派である。非力な子供でも、数人の敵の囲みを破って脱出する、あるいは全部を倒して生き延びる。そういったシチュエーションを想定し、技を編み出し、研ぎすまして400年? 500年近く受け継がれてきたのだ。
小学校6年生のとき、道場に見学にきていた警視庁の男4人と組まされたことがあった。叔父は「四人がかりで押さえつけるなり倒すなりしていいぞ」と笑いながら言った。しかし男たちが「ご冗談を」と本気にしようとしなかった。
男4人の囲む真ん中にスタスタ歩み進んだ僕を見て、男たちは戸惑っているようだった。
「どうした? そのままじゃ日が暮れるぞ」と叔父がけしかける。とうとう僕に一番近かった男がツッと猿臂(=ひじから先の腕)を伸ばしてきた。僕の襟元を掴んで押さえつけて終わりにしようとでも思ったようだった。僕にはその男の下半身の動きが丸見えで、その攻撃が予想できていたので、すっと身を屈め、その男の肘を下からまっすぐ蹴りあげた。
「グシュ!」といういやな音がした。男の右手はひじから先が異様な方向に曲がっていた。
「ぎょえっ!!」男は左手で右手を押さえてうずくまった。
「な?」残りの3人の男たちは呆然と口を開けたまま突っ立っていた。僕は躊躇しなかった。3人はまだ隙だらけなのだ。この瞬間に一気に倒さなければ、あとで叔父にこっぴどく叩きのめされるだろうことはわかっていた。
僕は男たちの間を走り、一人の男の横に位置取った。左足がガラ空きだった。膝蹴りをその男の膝の横に繰り出した。その男が倒れかかって死角に入ったことを確かめたので、次の男の後ろに回り、股間を蹴りあげた。右足の甲が男の睾丸を二つとも蹴りつぶすのを感じた。キンタマを蹴りつぶされた男が前のめりに倒れ込み、最後の一人の上半身に捕まろうとした。しかし、その男はかなり鍛錬を積んでいるらしく、仲間の両手からすっと逃れると後ろに飛びじさった。
(あ、この男は強い)
僕は瞬時に判断した。くるっときびすを返し、ダッと逃げ出した。「え?」男は間抜けな声を出したが、すぐに追いかけてきた。僕の計算通りだった。道場の入り口近くには、スヌケという、樫より堅くて丈夫な木で作られた木刀が壁に掛けられている。僕は逃げ足を加減して、その木刀近くで男が追いつくように走ったのだ。
「こいつ、許さん!」そう言う声がすぐ背後から聞こえた。間合いはぴったりだった。僕は木刀をつかむと壁を蹴ってバック転しながら飛び上がった。真下に男の顔があった。木刀を思い切り振り降ろす。木刀の切っ先が男の脳天に吸い込まれた。激しい衝撃が両手に伝わる。頭蓋骨の縫合を割り込み、脳の中に何センチか潜り込んだのがわかった。
(まあ、助からないだろうなあ)
僕はぼんやりとそう思った。
格闘技を極めてきた男3人が重傷を、ひとりが一生全身麻痺という大けがを小学生に負わされたということは、警視庁上層部の強い意向で秘密にされた。
叔父は嬉しくて仕方ないようだった。
「あそこで彼のレベルを見切ったのが勝因だったな」
僕が木刀を使ったことは全く責めなかった。それは当然だった。静剛流は武術なのだ。卑怯もなにもない。実戦では、地面に落ちている石や砂、敵の武器など、使えるものは何でも使って敵を倒すことが第一義なのだから。
「ダイが木刀を掴むなんてこと、全く考えもしなかったんだろうな。あれでよく教務官が勤まったものだ」
叔父はさげすむようにそう言っただけだった。
その事件は警視庁の中でも極秘にされていたようで、その後その男たちの報復に誰かが襲ってくるということもなかったのだ。
これが小6。僕が「超アイ」能力を獲得する5年前のことだった。
静剛流の道場は閑散としていた。道場破りはもう久しく現れていない。そこで僕は日本に残る古武術の道場を回った。僕が道場破りになったのだ。
まともに相手になる侍はなかなかいなかった。最初は高校生だということで相手にされなかったが、次々に道場主を打ち倒すうちに、ネットで回状が回ったようだった。
追い返されるのに慣れはじめて半ばあきらめかけていたころ、薩摩、つまり鹿児島県のある道場主から1通の封書が届いた。簡単に言うとこういうことだった。
「貴殿は若いにも関わらず、日本中の道場で対戦し、ことごとく勝っていると聞く。まるで現代の宮本武蔵のようだと感じいった。ついては私とお手合わせをお願いしたいので、遠方で恐縮ながらお越しいただけまいか」
達筆といえる毛筆のこの手紙、はっきり言えば「果たし状」だ。僕はうれしくなり、すぐに連絡先として記載されていたアドレスにメールを送った。
数日後の土曜日の昼過ぎ、僕は鹿児島空港に立っていた。相手の道場があるのは市内だ。日豊本線で鹿児島駅に向かう。駅からタクシーで国道3号線を走っている時、博物館の前の石垣やその下の駐車場をすごいスピードで駆け回り、飛び跳ねているグループを見かけた。
「へ~! あの子たち、すごい身体能力だね」
「え? ああ、あれですか。あの子たち、『鹿児島パルクール』っていうグループですよ。鹿児島じゃ知らないやつはいません」
「パルクール?」
「ええ。お客さん、リュック・ベッソンって監督の『ヤマカシ』って映画、見たことないですか?」
「え? ああ、あの映画か。建物よじ登ったり、飛んだりするグループの出るやつ」
「ええ、それです。あの連中がやってたのがパルクールってスポーツなんです。あの子たちもあの映画見て、鹿児島パルクールってグループを作ったんですよ。リーダーは高1の双子の女の子でね、この二人がこれまたかわいいのなんのって・・・」
運転手の話は、目的地に着くまで続いた。
道場からは裂帛の気合いの入った掛け声が響きわたっている。
「遠方からよく来てくださいました」
迎えにでた道場主は、思いがけず若い少年のような美青年だった。
「肝付宗一といいます。あなたより年上ですが、まだ大学2回生です。あなたは確か17歳とか?」
すごい氣がビンビンと伝わってくる。
(これは本物だな)
手合わせしなくても、それくらいはわかるようになっている。
「ふーむ・・・失礼ながら、お見かけするところでは・・・」
「あはは。そうでしょうね。僕にも分かりますよ、いまここであなたと立ち合えば、僕が負けるってこと」
「・・・では・・・?」
「僕の技量はあなたにはるかに及ばない。でも、武術だけが僕の能力ではない」
「・・・それを見せていただくことは可能でしょうか?」
「ええ、いいですよ」
僕は5倍速に切り替え、宗一の後ろに回り込んだ。
「くっ! なんという・・・」
「見えましたか?」
「・・・はい・・・今の動き、あれはあなたのトップスピードではないのでしょうか?」
「ええ。もっと上です」
「・・・わかりました。あなたは実に興味深い。いや、失礼しました。これほどの人間が存在するとは、想像もしていませんでした」
「すごいですね、宗一さんの動体視力って。僕の動きを目で追ってましたね」
「あれが精いっぱいでした。眼だけは何とかついていけましたが、体はとても・・・立ち合う以前の問題でした」
僕は手を差し出した。宗一も同じようにし、二人は握手した。体温以外の、何かが通い合った。
僕は道場の隣の肝付の実家に通された。応接間はどこかエキゾチックな香りがした。
お茶を運んできたジャージ姿の女の子を見て、どこかで見た顔だと思ったが、僕が鹿児島に来たのは初めてなのだ。東京基準でも、めちゃくちゃ目立つくらいの美少女なのだが・・・。
しばらくすると、宗一が現れた。見事に色落ちし、擦り切れた藍染刺し子の道着を着ていた。
「では、弟子たちにご紹介しますので、ご一緒にいらしてください」
宗一は僕の前をゆったりと歩いている。隙だらけだった。それがこの男のすごいところなんだと思う。並みの武闘家が襲いかかっても、あっという間に叩き伏せられるだろう。
たしかにこの男、超一流の武術家だった。僕に「超アイ」能力がなければ、弟子にもしてもらえなかっただろう。
蘇鉄が植えられた南国情緒あふれる中庭を通ると、別れた廊下の向こうに弓道場が見えた。宗一は弓も教えているのだろう。
「こちらが今朝話した静剛流宗家、三島大先生だ」
17歳の若造を先生という宗一もすごいが、30人はいる道場生全員が畳の間の上に正座して真剣なまなざしで僕を迎え、一斉に深々と礼をしたのには驚いた。
隅々にまで宗一の厳しさが行き届いているような、清潔極まりない道場だ。弟子たちの顔つきを見るだけでその技量の高さが分かった。喧嘩が強くなりたいというような単純な動機で入門してきている者は皆無なんだろう。「みなさん、薩摩武士の家柄なんですか?」と聞いてみたくなったがやめておいた。
「肝付先生。お手合わせの前にお礼を言いたい。ここまですばらしい道場にはこれまでひとつとして出会ったことがありませんでした。ここに立てたことは貴重な経験です。さすがに薩摩武士の地元ですね」
「いえ、私の方こそお礼を申し上げたい。お手合わせするまでもないでしょう。道場主の私があなたと立ち会えば、数秒以内で決着します。それでは先生におこしいただいた甲斐がないでしょう。先生、あなたは年齢とか人種を越えた何かをお持ちです。でも、ここにいる弟子たちには私の話の意味は分からないと思います。そこで伏してお願いいたします。ここにいる弟子のトップ10人全員と同時に立ち会っていただけませんでしょうか?」
彼はすでに結果が見えているのだろう。しかし、弟子たちを納得させるには実際に立ち合うしかない、そういうことだった。
「いいでしょう。でも10人では、外れたみなさんに不満が残るでしょう。ということで、今ここにいる全員で一斉にかかって来てほしいのですが」
「うむむ・・・ご配慮はありがたいのですが、まだ未熟な者もいますので」
「わかっています。未熟な者ほど相手の力が見えない。ご心配なく。私は誰も傷付けることなどしませんから」
そういきさつでこの「薩摩影志流古武練場」という看板の掲げられた板の間に入った。神棚に拝礼する。この神棚はその形から見ても出雲式なので、拝礼は伊勢神道式ではなく、出雲式、それも2礼8拍手1礼の「八開手」という「正式フルバージョン」にした。宗一を見るとにっこりと笑った。
「私が君たち10人で一度にかかれと言い、先生が30人全員でかかってこいとおっしゃったのは、なにも君たちをバカにしての話ではない。これまでも私一人に10人一度という立ち合いを何度かやってきたが、この三島先生はそれをはるかに超えるレベルだということだ。一生のうちでこんな機会はまずないと思う。心して、真剣にお相手願え」
つまり、僕を殺す気で立ち向かえと言っているのだ。あーコワ!
僕はゆっくりと道場の真ん中に立った。侍30人が僕の周りを取り囲むように並んだ。こういう形式に慣れているのだろう。ふつうの並び方では仲間が邪魔になって攻めづらい。この弟子たちは、それぞれがある程度の間隔を取って、それでも間をすり抜けるのは困難な陣を敷いた。
僕は敬意を払って10倍速にした。
「始め!」という肝付の声が間延びした低音で響く。
僕は次々と若い青年や少年たちの背後を取り、睾丸を後ろから蹴り上げていった。しばらく転げ回れば回復する程度の強さだ。睾丸は鍛えられない。だからこそ「急所」なのだが、この流派は「後ろを取られる」だけで負け、としているというのを知っていた。その上、キンタマを蹴り上げられるのだ。屈辱以外のなにものでもないだろう。5秒で30人全員が板の間でうめき、転がっていた。
全員男だと思っていたんだけど、ふたり女の子がいたのには少々驚いた。すごい美少年だなあって思ってたんだけど、股間を蹴り上げて分かった。女の子でも股間を蹴り上げられると悶絶する。ちょっとかわいそうなことをしちゃったなあ・・・そこで気づいた。その女の子のひとりはさっき僕にお茶を出してくれた女の子だ。もう一人は・・・あれ? おんなじ顔をしてる?
「すごい!」
宗一の口から思わずそういう言葉が漏れた。
「先生、今の動きは・・・」
「見えましたか? あれが最高速というわけでもないんですが」
「まだ手加減していると」
「はい」
「うーむ」
ようやく床の上に正座した少し年かさの男が口を開いた。
「先生、三島先生に弓を使っていただけませんか」
「弓? 馬鹿者! よくそんな恥知らずなことが・・・」
「いえいえ、やってみましょう。私の体を直かに狙うのは少々やりづらいでしょうから、耳をかすめるという狙い方で射てください」
宗一の道場が弓道場を併設しているのは、廊下を渡っているときに知った。漆喰の壁の前に土嚢が積まれ、やぐらに渡したダーツの的のような標的が10個ほど並んでいた。藁束を巻き詰めた正式の的だった。
50倍速がいいだろうと思い直した。最初は10倍速で間に合うかと考えたのだけど、僕の方に矢を向けて立った宗一の構えを見て改めたのだ。
(ヘタすりゃ心臓を射抜かれるかも)
僕は白砂の敷かれた的の前に立ちながらそう思った。
「では、参る!」
リアルタイムで聞けばそう言ったのだろう。「では」というところで、絞られた弓弦から指が離されるのが見えた。
僕はゆっくりと動いた。僕の左眼をめがけて飛んでくる矢を右手でしっかりと掴み、指2本ではさんだ。リアルタイムに戻す。
「アッ!」
弓道場の中がシーンと静まり返った。
のんびりとした様子で立ち、指2本で矢をはさんでぶらぶらさせている僕の姿は、無邪気な子供がオモチャで遊んでいるように見えたかもしれない。
「参りました!」
宗一は弓を投げ出し、床板に頭をこすりつけて僕の前に土下座した。
「やめてください。別に果たし合いをしに来たわけではありませんよ」
「あ、そうでしたね・・・しかし先生は人間ですか? あ、いや、この言い方も失礼でした」
「あははは。僕はただの17歳の高校3年生ですよ」
こうして僕に大学生の弟子ができた。いざとなったら、助けてくれるだろう。弟子と言っても、技は僕より肝付の方が数段上なのはわかっている。僕が勝てるのはスピード・アイのおかげだ。その秘密を教えるわけにはいかない。人類最強は僕一人でいいからだ。もっともこの能力は教えても会得できるものじゃないけど。
僕は弓道場は初めてだったので、すこし遊ばせてもらうことにした。
「弓だけじゃないんですね」
板の間の壁に設えられた棚には、革袋入り竹刀や木刀、薙刀などの他、なんとスリングショットやボウガンまで並んでいる。
「ええ。中には真剣もあります。許可をもらっている火縄銃もありますし。もっともこの銃、実戦的じゃなくて祭のときにデモンストレーションするくらいなんですけどね」
僕は道場の板の間と的の間にある庭に手を伸ばし、ピンポン玉くらいの大きさの小石を拾った。
「静剛流っていうの、とっても諦めの悪い流派なんですよ。すべての武器を失くしたら次は体術、っていかなくて、地面に落ちてる石ころや砂まで使うんだ」
「・・・ふーむ。そこまで実戦的ですか。それは凄いですね」
宗一は本当に感心してるんだろうか?
僕は叔父との練習では、道場でひととおりの鍛錬が終わると、近くの羽根木公園までランニングした。叔父は後ろ向きで走ったり、横向きで走ったりと、並んで走るのが恥ずかしかった。
「敵に背を向けて走れるわけはないだろう」
叔父は平然とそう言った。実際、叔父は後ろ向きで走っても、僕のスピードと変わらない速度で、しかもきっちりと障害物や通行人を避けながら走れていたんだ。どうなってるんだろうね、あの男の感覚は。
公園では「投擲」の練習をさせられた。的を決め、地面に落ちている石ころを拾う。最近の公園で石ころを見つけるのはむつかしいから、ランニング途中にあるコンクリート製造工場? に山積みされている砕石をポケットに入れてくることが多くなったんだけど、叔父はその工場主と話を付けてあるらしく、堂々と砕石を10個ほどポケットにしまった。
「ダイは投擲だけは凄いな」
叔父は素直に認めた。的に当てる競技だけは僕は叔父をはるかに凌いでいたんだ。18.4404m離れて20㎝の大きさの的に当てるくらいなら、僕は小3過ぎには100発100中だった。僕のコントロールの良さは天性のものなんだろう。
僕は宗一の弓道場でもその技を披露することになった。しかもスピード・アイで5倍速にして。スピード・アイで投擲をやってみるのはこれが初めてだ。
「パシャーン!」
そういう音をたてて、藁を巻き固めた的が粉々に飛び散った。僕が放った1発目の石の破壊力は、僕自身が想像していたよりはるかに大きかった。
(これ、使えるなあ)
僕は自分自身で使う、新しい装備、武器に思いを巡らせていた。
「な、なんという物凄さだ!」
宗一だった。僕は現実に引き戻された。
見学していた弟子たちからは、息をのむ音しか聞こえてこなかった。
それから・・・この道場の女の子ふたり。彼女たち、肝付宗一の一卵性双生児の妹だった。道場に来る途中で見かけた、飛び跳ねていた女の子はそのうちのどちらかだろう。絵美と莉実という高1の女の子たち。どうもこの二人とも僕に惚れちゃったみたい。もてる男はつらいなあ。ていうか、股間を初めて蹴り上げられて、ふたりして何かが目覚めたのかな?
その夜は宗一の母上の手料理でもてなされた。素晴らしく美しい女性で(ハーフかも?)、娘たちが美人なのは彼女の血だろう。向かいの席から、絵美・莉実が熱い視線を送り続けているので、どうにも居心地が悪かった。困った顔をしながら箸を進めている僕を見て、宗一はニコニコと笑いっぱなしだった。
第3話おわり
第4話 小暮総理、マイク司令長官、上院議員エリクソンの3人とお友達になるっていうお話
日本中に僕の噂が広がりつつあるのを感じていた。ネットの書き込みで知ったんだけど「怪物」「化け物」「宇宙人」「スーパーマン」などという単語が並んでいる。
(もう、派手には動けないな)
僕は武者修行もやめ、おとなしく学校と自宅か道場を往復する日々が続く。練習はひとりきりだ。
「困ったなあ。安藤組が暴走し始めたぞ」
岸田総監の顔は、言葉とは裏腹に全然困ったように見えなかった。
僕が17人、いやその前の5人を合わせて22人の警官を殺傷したことは、警察内部でも極秘扱いされた。17歳の少年に現役警官たちを殺戮される、そんなことが現実にあるということを理解できる土壌は警察機構の中にはない。マスコミがこれを知れば、殺した者に興味が集中するだろう。その犯人が17歳の高校生とわかれば、殺された方の警官のふがいなさに非難が集まるのは必至だった。それに岸田総監は僕の存在を隠しておかなければならない理由がある。いま来日中のアメリカのエリクソン上院議員に小暮首相を引き会わせること。その仲介を首相から頼まれているのだ。そのあとの藤堂組の大殺戮は問題にならない。なにせ「全員サルモネラ菌で中毒死」したんだもん!
なぜ岸田がエリクソンと小暮首相を引き合わせるなんてめんどっちい任を引き受けたのか、その真意は分からない。保身か上昇志向か、まあそんなところだろう。でも、僕という「特別な存在」を知っているということを、だれかに知らせたかったということなんだろうと思うようになってきた。人間って、秘密を自分の中にだけ閉じ込めておくには意思が弱すぎるからね。
超タカ派のアメリカ共和党上院議員のエリクソンは、表向きの来日の目的を「極東における米軍の現状視察」としているらしい。乗ってきたのもハワイの空軍基地から米軍機だったし、着いたのも横田基地だった。日本での接待役を引き受けたのは横田基地常駐のマイク・イーストウッド少将。司令長官らしい。
本来なら日本への表敬訪問となるはずが、エリクソンは日本政府など眼中にないかのように政府の接待の申し出を断っている。宿泊のベースも横田基地内の宿舎。見学はすべて日本各地の米軍基地という徹底ぶり。次期米国大統領の最有力候補者にぜひとも今のうちからコネクションを作っておきたい小暮首相は焦っているのだと岸田総監は話していた。唯一の手立てが僕、というのは何度も聞かされてわかっていたけど、僕自身は土川組の23人との対決、そのあとの藤堂組の始末に忙殺されて、それどころじゃなかった。
* * *
「ダイちゃん、アメリカの軍人さんがいらしてるわよ」
僕が学校からの帰り道、道場に顔を出すと、叔母がそう言った。
「アメリカの軍人? なんだろ?」
僕はそのまま応接間に入った。そこにいたのは初老の軍人だった。立派な軍服だったが、階級章を読めない僕は、彼がどういう地位の軍人なのか全然わからない。
「こんにちは」
日本語でそう言ってから、僕は自分の間抜けさに呆れた。だって幼稚園の年少組までロンドンだったし、ベルギーとフランスにも短期間だが住んでいたんだ。英語とフランス語は今でも日常会話には不自由ないくらいしゃべれる。
「ハイ、ミスタ・ダイ。お邪魔してます」
流暢な日本語でそう挨拶を返したのが、この男との初めての対面・・・あれ、どこかで見た顔だ・・・
そのあとは英語での会話となった。マイクは僕のクイーンズ・イングリッシュを褒め、僕はマイクのボストン訛りが古い英語に近いと言って喜ばせた。
「さて、私が君に会いに来た理由を言わなければならいな」
「だいたいわかるよ」
「え? そうなのか?」
「うん。来日中のエリクソン上院議員が僕に興味を持ったってことだろ?」
「・・・ふーむ。私はすこし君を見くびっていたようだな。エリクソンがいま日本にいること自体、知っている日本人はごく少数のはずだ。そのうえ、私が君に会いに来た理由をほぼ正確に知っているということは・・・」
「そのわけなら簡単だよ。警視総監の岸田のおっさんとか小暮首相とは仲良しだだからね。二人から大体のことは聞いてる」
「まるほど。で、あの噂は本当なのかね?」
「ポリスの大量殺人のこと? それともヤクザの方?」
「そう・・・まあ、その事件を両方とも知っている日本人にはじめて会ったんだがね」
「知っている、というか、僕はあの件の当事者だからね」
マイクの顔が一瞬固まった。
「・・・」
「どうせ知ってるんでしょ? 僕は日本の情報機関のお粗末さと、おじさんの国の情報網の差を少しは知ってるよ」
「ふむ。たしか君とはソニアのスカイプで話したことがあったね? もう何年も前だが」
「あー! あの時のおっさんかー」
「おっさん! かなわないな君には。君という存在についても、ソニアに相談を受けた時に聞いたよ。とんでもない話で、どうしても信じられなかったんだが」
「日本人の10歳の少年が、イングリッシュ・ペトローリアムの大株主になったってことの理由だね」
「そう。それに君は新たな能力も獲得したようだね」
「僕のその能力が興味の中心、なんでしょ?」
「あ? ああ、そう。私が君に会いに来たのはまさにその超常的戦闘能力? 私はもっと違う次元の能力じゃないかと思っているが、その能力にエリクソンが異常な興味を示しているからだ。彼の来日の本当の目的は君ということになる」
「ふーん。だいたいわかった。これは岸田のおっちゃんとか小暮首相なんか抜きって話のようだね」
「そう、そのとおり。で、エリクソンと会うのはどこがいい?」
「横田基地の司令長官なんだよね、おじさん。じゃあ、横田がいいな」
「? なにか理由があるのかい?」
「うん。あ、ちょっと待っててくれる?」
僕は地下に降り、パニックルームから拳銃2丁を取り出して応接間に戻った。
「これ、撃ってみたいんだ」
「ほお! これは珍しい! ザ・セカンド・ウォー時代のマウザーとベレッタ・・・ん? 日本じゃ自宅に、いや個人が銃を持つことは禁止されているんじゃないのかい?」
「そうだよ。だから拳銃マニアの僕が、この銃を撃てる場所を探してたんだ」
「あはは。どこまでも規格外だな、きみという少年は」
「いい?」
「ああ、もちろんだ。射撃訓練は軍人の基本的なものだからね。これを撃つ場所なんて、基地内の至る所にある。で、実弾は・・・ほお、このマウザー、9ミリパラなのか」
「そう。モーゼル・レッド9。ベレッタも同じだよ」
「いい趣味だな。君が買ったのか?」
「ううん。叔父の形見さ」
「おやおや。君の叔父上はまだ生きてるはずだが」
「参ったな、よく調べてるよまったく」
アメリカの情報収集能力は底が知れない。僕のこと、どこまで知られているのか。ムーラーダーラ―・チャクラ開花による異常性能力のことも、相当詳しく調べているようだった。米軍や政府機関が性能力について興味を持つとは思えない。おそらく僕との交接が女性の生殖器系の病気を治癒するという点に関して、アメリカの製薬会社か大学の研究機関から調査依頼があったんだろう。
僕が「タイムコントローラー・ダイ」と呼ばれていると聞いて、ちょっと驚いた。僕の能力を正確に分析している。これは気を引き締めてかからないとね。
「おじさん、自分の眼で確かめなくていいの?」
「なあ。私のこと、マイクと呼んでくれないか?」
「うん。じゃあマイク、僕のこと、ダイって呼んで」
「OKダイ。私に何かするのは勘弁してくれ」
「あはは。僕の能力は破壊力じゃないんだ。そうだな・・・。マイク、スマホ持ってる?」
「? ああ、持ってるよ」
「じゃ、それをテーブルの上に置いて」
マイクは胸ポケットからiphoneを取り出し、コーヒーテーブルの上に置いた。直後僕は50倍速に切り替え、そのスマホを見た。待ち受け画面は、マイクの孫らしい二人の赤ちゃんだった。
「もういいよ」
僕はスマホをテーブルに戻してからリアルタイムにした。
「・・・なにか風が吹いたという感じだったが、いまのが君、いやダイの動きなのか?」
「うん。マイクのスマホ、しっかり見たよ」
「?」
「待ち受け画面はマイクのふたりの孫、でしょ?」
「! 聞きしに勝る能力だな・・・ダイを敵にまわす相手が気の毒になってきた」
「これは岸田総監にもいつも言ってることだけど、僕をアサシンに使おうという気は起こさないことだね。僕は自分と身内を守る時しかこの能力を使う気はないんだ」
「了解した。いや、まったく素晴らしい対面だったよ。私の人生の中でも、最高の瞬間だったと思う」
「おおげさだなあ。僕はマイクともっと親しくなりたいと思ってるんだ」
「おお! それは嬉しい言葉だよ」
マイクは立ち上がって僕をハグした。
岸田総監から電話があった。
「横田の司令長官が会いに行ったって、本当か?」
「うん」
「なんで私に連絡してくれない」
「え? どうして連絡しなくちゃいけないの?」
「あ・・・えーっと。まあいい。それで訪問の理由はなんだったんだい?」
「エリクソン上院議員が僕に会いたがっているって伝えに来たんだ」
「・・・どういうことだ?」
「さあね。エリクソンは小暮首相には興味ないみたいだね」
「・・・困ったな。私の立場がなくなる」
「そうでもないと思うよ」
「? どういうことだ?」
「エリクソンは明らかに僕の能力を知ってる。知っているからこそ僕と会ってそれを確認したがっているんだ。僕はデモンストレーションで彼の自慢のSSをぶっ壊す。それを目の当たりにしたエリクソンは僕を欲しがるに決まってる。まあ、僕は彼のSSに就職する気なんてないけど。ともかくアメリカにとっても、僕は秘密兵器になるという認識は持つだろうね。だから僕はエリクソンとがっちりつながるってことさ」
「なるほど。首相がエリクソンとのコネクションを持つには、君が日本国民であることを利用すればいい、そういう関係を君は築くということだね?」
「まあ、大体そうだね」
「・・・わかった。仲介役としか考えていなかった私が浅はかだったようだね」
「まあ、そうなるかな。マイク、あ、横田基地のイーストウッド司令長官とは、マイク、ダイと呼び合う間柄になったからね」
「君という少年は、底が知れないな。あの身体能力だけじゃない。頭の中も並の政治家より優れているらしい」
「今度スタンフォードから論文を出すことになってるのは確かだけど」
「・・・そんな話は初めて聞いたぞ」
「情報収集力は日本はお粗末だね。マイクは僕がどういう存在なのか、相当のところまで知っていたよ」
「・・・いや、お恥ずかしい。国際情勢についてはアメリカ頼りなのは確かだが、同じ日本に住む君についてもアメリカから情報を得ている状態だよ」
「仕方ないよ。日本はアメリカの属国なんだから」
「・・・」
横田基地には翌日出かけることになった。学校はお休みする。このところ半分も通学してないけど、僕は気にしてない。
道場の横の駐車場に米軍の車が停まった。日本でも時々見かけるハマーH1に似てるけど、これは本物の軍用ハンヴィーHMMVWのピックアップタイプ。近くで見るとめちゃくちゃデカい! 駐車場が2台分のスペースがあってよかったなあ。バンパーだけ黒くて、あとは迷彩に塗装されていてかっこいい。運転しているのは、なんとマイク自身だった。
「やあ、おはよう! 準備はいいかい?」
「あ、おはようマイク。マイク自身が運転してくるとは思わなかったよ」
「この車でドライブするのは楽しいぞ。リッター2,3キロしか走らないがね。さあ、乗ってくれ。あ、ミセス・アツコ。おはようございます。ダイをきょう一日お借りしますよ」
マイクは僕の後ろに立った叔母にそう挨拶した。
「おはようございます。よろしくお願いいたします」
叔母はそう言って頭を下げた。
横田基地までのドライブは快適だった。高井戸ICで中央高速に乗った。このハンヴィーの運転席は3人掛けのベンチタイプ。僕はマイクのすぐわきに座ったけど、その位置は7フィート超の車幅のちょうど真ん中に当たる。高速に入ると、それほどスピードを出していないのに、前を走る車はどんどん走行車線を変更して譲る。
車中ではマイクは敦子叔母のことを聞きたがった。
「料理の名人だよ。こんどディナーに招待するよ。その辺の料亭よりおいしい日本食をご馳走してくれるよ」
「それは楽しみだな。非常に美しい女性だが、データを見る限り、ダイの母上も同様の美女だと思うな」
「そうだねえ。うちの家族、美女美少女のかたまりってよく言われるね」
「君が少女のようにかわいいのもその家系だからだろうな」
「まさかマイク、そっちの方の趣味はないよね」
「? あ、あはは。大丈夫さ。私のワイフも美女だぞ。もうかなりくたびれてきたが」
あっという間に横田基地に着いた。ゲートを通るとき、守衛が僕を見て不思議そうな顔をした。
「とりあえず、私の部屋に行こうか」
「マイク。その部屋、セキュリティはしっかりしてるよね?」
「セキュリティ? 私の部屋に泥棒は入れないよ」
「そっちの方じゃなく、盗聴やPCのハッキングのほう」
「ああ。そうだな、調査したことはない。そういう視点に立ったことがなかったからね。なるほど。君を招くならそっちを完璧にすべきだな。よし、私の部屋じゃなく、指令室に行こう。あそこは世界最高のセキュリティレベルだからね」
「あ、今はいいよ。エリクソンとの会見の場としてそこを使うってことで。僕、マイクの部屋、見てみたいな」
「そうか。じゃあこちらだ」
マイクの部屋、つまり横田基地のトップの司令長官室は広かった。マホガニーとオークとチークをふんだんに使った内装は気持ちのいい匂いがする。うん? 葉巻の匂いもする。懐かしいな。ロンドン時代の友達リチャードのパパの顔がふいに脳裏に現れた。
「マイク、葉巻吸ってる?」
「ああ。ここは禁煙じゃないからな。しかし、ダイの嗅覚は鋭いな」
「うん、僕は鼻が利くんだ。でも、この香り、ハバナじゃないね。シガリロのキング・エドワード?」
「・・・なんて子供だ! あ、いや失礼。だが17歳の君がどうしてそこまでわかるんだ?」
「さあね」
リチャードのパパもそのシガリロを吸ってたんだ。全部を教えると神秘性が薄れるってものさ。
マイクの趣味らしいイギリス製と思われるアンティークのソファと椅子。どでかいデスク。暖炉の上にはマイクの家族の写真がたくさん飾ってある。
「この人、奥さん?」
「ああ。ワイフのパトリシアだよ。こっちが息子と娘。それからこれが孫たちだ」
マイクはニコニコしながら家族の写真を見せた。息子のダニエルは軍人ではなく、ニューヨーク工科大学の教授だったそうだ。「だった」と過去完了形なのには、なにか意味がありそうだったけど、聞きはしなかった。
娘のイアンは軍人の妻だそうだ。奥さんのパトリシアは魅力的な女性だった。聡明そうで、かつ色気たっぷり。
「あはは。どんな女性も虜にしちまうダイにそう言われると、心配になるな」
「な、何言ってるのさ。冗談やめてね!」
「あ、悪い悪い。でもダイって、ある意味世界の支配者になれる能力の持ち主だと思ってるんだ。その若さであの女傑ソニアがメロメロ。何十人もの女性が同じ状態。そしてあの能力。まさに世界を変えるスーパーボーイ、ってところかな」
「いつからなの、アメリカが僕に注目するようになったのは?」
「そうだな。私が君の調査を指示されたのは7年くらい前だったと思うよ」
「・・・そんなに前なの。じゃあ、僕にあの能力が出てくる前からなんだね」
「そう。10歳の日本人少年が旧セブン・シスターズの一角のイングリッシュ・ペトローリアムの大株主になったという情報が来た時から、調査の指示が来てた。君にもうひとつの能力が発現したと分かったときは、大騒ぎになったよ。奥多摩の河原での君の戦闘シーンは何度も繰り返し見せてもらっている」
「・・・まったく嫌味な情報機関だな。見られてると知ってたら、もっとスマートにやったのに」
「いやいや。驚愕の一言だったよ。カメラの映像エンジンでは追いきれないダイのスピードに、エリクソンも口を開けたまま固まっていた」
「なんだ、エリクソン、あの戦闘シーンを見てるの? それじゃ今日はデモする必要はないじゃん」
「彼は、いや私も実際に自分の眼でダイの能力を確かめたいと思っているよ。だから思い切りSSたちをぶちのめしてやれ」
「わかった。まあ、殺さないようにセーブしながら遊んでみるよ」
しばらくマイクの部屋で話をしてから、僕はまたハンヴィーに乗せられた。3分くらい走る。大きな体育館のような建物に着いた。
「ここが屋内射撃練習場だ。あの銃、思い切り撃っていいぞ。9パラはダイが一生撃ち続ける1,000倍は在庫があるからな」
「やったー! じゃ、さっそく」
僕がこの基地での会見を望んだ最大の理由がこれだった。バッグに入れてきたモーゼルとベレッタを取り出し、テーブルに置く。一人の兵隊がバケツに入れた9㎜パラベラム弾を運んできた。200発は入っているだろう。僕はまずモーゼルのカートリッジに弾を装填していった。兵隊が手伝おうとしたけど、断った。
「弾の装填も楽しいんだよ」
「イエス・サー!」
おそらく彼は銃器の専門家なんだろう。僕が実弾を撃つのは初めてと聞かされているようだ。僕の手助けをするように命じられているんだろうと思った。でも、実は僕は何度も実弾を撃っているんだよね。
グアムとかハワイに家族旅行したとき、そっとホテルを抜け出して、射撃場に通った。最初いぶかっていた店主たちも、僕の射撃をみて、22口径から38口径、9㎜、357マグナムとどんどん口径を大きくしてくれた。
「ヘイ、ボーイ。おまえすごいな。いままで来た日本人の中で最高に射撃がうまい」
観光地の射撃場の実弾は、火薬の量を減らしてある。半分くらい混ぜものが入っていて、反動を抑えているのだ。だから「おれ、357マグナム撃ったぜ。反動なんて大したことなかったな」という輩が多いけど、店主たちは陰で笑っている。
その店主たちが驚愕するほどの命中率が、僕の射撃だった。
「撃っていい?」
「どうぞ」
モーゼル・ミリタリー9への弾の装填を見ていたその兵士は、僕が銃器に慣れていることを見抜いたようだ。イヤーパッドとゴーグルを差し出すと、リラックスした姿勢で斜め後ろにある椅子に坐って自分もイヤーパッドを着けた。
米軍基地にある射撃練習場の標的には2種類ある。ひとつは紙に人型を印刷したものを撃つところ。もうひとつは標的用マネキン。これは敵兵を模したもので、色んな姿勢で銃を構えている。この射撃場はマネキンの方だった。僕はふたつあるセイフティーを解除し、ボルトを引いて弾室に実弾を送り込んだ。これでトリガーを引けば撃てるが、少し力がいるので銃身がブレる。で、親指で撃鉄を起こしてから的のマネキンを狙った。引き金を絞る。パン! という、思ったより軽い音と反動があったが、ほとんどブレずに撃てたようだ。着弾点をスコープで覗く。マネキンの顔のど真ん中に命中していた。
「ヒュー!」と兵士が口笛を吹いた。
「君には的が近すぎるようだ。その銃は有効射程距離が200ヤードくらいあるから、的をあの一番向こうのやつに変更しよう。あれで大体100ヤードある」
100ヤードは約100mだ。さっき撃ったのは50mくらいかな? 僕は立ったままではなく、片膝をついて、銃をしっかり固定した。再び撃つ。キンッ!という金属音が聞こえた。どうやらマネキンの構えた銃身に当たったようだ。
「ブラボー! 俺が君に教えることは何もなさそうだな。古い銃だからジャム(排莢の際、引っかかって弾詰まりすること)に注意しろ。教えるのはそれくらいしかないよ」
「ありがとう。しばらく遊んでいくね」
「司令官に報告しておく。弾がなくなったら、あそこにいる兵に言ってくれれば『おかわり』を持ってくるよ」
「サンキュー。でもそんなに撃ったら腕が腫れ上がって使い物にならなくなるよ」
「はん! わかってるじゃないか。じゃあな」
それから数十発撃って引き上げた。途中でスピード・アイにして撃ってみたけど、これは駄目だった。弾が発射される速度は変わらない。だから、僕の動きが早くなれば、銃身がブレやすくなるんだ。命中精度が下がるだけで、いいことはほとんどない。あ、弾丸の補充速度が上がるから、実戦ではカートリッジ交換に有利かな?
司令官長室に戻ると、そこに場違いなスーツ姿の大男がいた。エリクソン上院議員だとすぐにわかった。
「はじめまして。私がエリクソンです」
「I am」というところのイントネーションが気に食わなかったけど、この際無視。
「ハイ! 僕はダイ」
「ははは。おかしな具合だな。ダイ、エリクソンは君のことはよく知っているんだ。だから余計なおしゃべりは不要だ」
「わかった。で、あんたの自慢のSSはどこにいるの?」
「すでに体育館で待機しているよ。きみさえよければ、いまから一緒に行ってくれないか?」
「いいけど、ちょっとシャワーを浴びたいんだ。硝煙の匂いが染み付いちゃいそうだから」
「そういえば、あのStaff Sergeant(軍曹?)が報告してきた。君の射撃の腕は、スナイパー並みだって。ダイの能力は底知れないな」
「あはは。僕の射撃は単に拳銃マニアってだけのことだよ。幼稚園の頃からおもちゃの拳銃を欲しがって、たくさんコレクションするような男の子だったから。でも、『的に当てる』ってことに関しては、基本的に才能があるみたいだね。アーチェリーとか、ナイフ投げとか、野球もピッチング・コントロールだけは抜群さ。当然ダーツも上手いんだよ」
僕は体育館に向かう間、いま自分がマイクに話したことを反芻していた。
スピード・アイ、超アイで有効なのは、自分の手で投げ出される武器、だけだろうか? 弓は弦の反動を利用するから発射速度は変わらないだろう。拳銃の銃弾と同じだ。では吹き矢はどうだろう? 僕の口から噴出される息。これは倍速に比例するはずだ。手裏剣、ボール、あるいはそのほかのもの。これも倍速に応じたスピードで投げられるのではないか? 僕は鹿児島の宗一の弓道場の件を思い出していた。
「ダイ。ここだ」
マイクの言葉に我に返った。巨大な体育館の入り口に立っていた。エリクソンがニコニコしながら僕を中に招き入れた。
「ミスタ・ミシマ。彼らが私の自慢のSSたちだ」
エリクソンが指さす先に、半円状に建ち並んだ巨大な男たちがいた。
「ヒエー! でかいねえ」
僕の素直な感想に、男たちが笑い声を上げた。
「ボス、まさかこのちっこい少年が例のスーパーマン、というんじゃないでしょうね?」
「いや、そうなんだ。見た目にごまかされるんじゃないぞ。あくまでも『噂』だが、つい先日、彼は日本のポリス22人を殺戮しているんだ」
「22・・・冗談を」
「冗談にきまってるでしょ! 僕はダイ・ミシマ。17歳。ハイスクールの3年生だ」
「・・・フン。まともに聞いていられないな。ボス、いったい我々に何をさせたいんです?」
「この少年を打ち負かしてほしいんだよ」
これ以上、茶番はやってられない。
「ミスタ・エリクソン、もう初めていいかな?」
「うん? ああ、いつでも君の好きなようにするといい」
「じゃあ、皆さん。一人ずつ相手するの面倒だからみんな一度に対戦する、っていうのでいいよね?」
どの男もジョークに付き合ってられるかというように頭を振った。僕は20倍速に切り替えた。そして居並ぶ5人のSSに駈け寄り、掌底で彼らの顎を打ち砕いていった。股間はみんな太ももが異常に太くてお尻も張ってるから、睾丸を狙うのは無理があった。掌底もやっと届くくらい。それくらい彼らの体はデカかったんだ。
20倍速の掌底の威力はすさまじい。『掌底』という技は空手でもよく用いられる。掌を開き、相手に向かって突き出す。相撲の『鉄砲』と同じだ。手の「かかと」に当たる部分でどつくわけだ。素人がこぶしを作って相手を殴ると、芯が通ってないから往々にして手首を捻挫したり、小指や親指を骨折したりする。しかし、掌底で殴る?と、女の子がやっても相当な威力となる。
多くの空手の流派では、掌底で相手の顎を正面から突き上げるのを禁じている。一発で死亡するくらいのダメージを相手に与えてしまうからだ。斜めに突き上げれば、顎が割れる程度で収まる。静剛流では当然禁止技なんかないから、遠慮なく真下から突き上げる。
僕の3倍くらいあるかと思われるがっしりした顎も、掌底は全部の歯を粉々に砕き、上あご、下あごの両方を破壊した。例外は一番デカい、ど真ん中に立っていた男。東洋系の混血らしいけど、歯が折れただけで、顎の骨は残った。僕は掌底の衝撃で開き始めた彼の股間を蹴り上げた。キンタマは鍛えることのできない部位だ。二つの睾丸は僕の右足の甲で破裂した。
5人を叩いて回るのに15~6秒はかかったろう。でも20倍速だから、リアルタイムでは1秒以下。
元の位置に戻ってこぶしを握った両手を斜めうしろに広げ、頭を下げる『終礼』の形になってからリアルタイムに切り替える。
「あ!」
「げ!」
マイクとエリクソンの二人の口から同時に出たのは、その一言だった。体育館の床の上に、5人の男は次々と崩れていった。それからすさまじい悲鳴、うめき声のコーラスが始まった。
「マイク、もうちょっと銃を撃ちたいから、射撃場に戻っていい?」
* * *
マイクが射撃場に姿を現したので、モーゼルを撃つのを中断してイヤーパッドを外した。
「エリクソンは興奮の極地だ。あんまり興奮しすぎているから、しばらく頭をひやすように、将校用バーに連れて行ったよ」
僕の前に立ったマイクは、彼自身が興奮しているのを隠さずにそう言った。
「ふーん。ご自慢のSSたちを潰されて怒ってなかった?」
「まったく。すごい、すごいの連発だったよ」
「じゃあ、今日の目的は達成、でいいのかな?」
「もちろん。彼は君を欲しがるだろうが、君は彼いち個人のものになるような小さな器じゃないからな。適当に付き合ってやればいい」
そういう会話をしているところに、顔を赤く染めたエリクソンが現れた。
「いや、アルコールを入れてしまったことをお詫びする。あんまり興奮しすぎて、自分がどういう行動、発言をするか、自分でも分からないくらいだったからな」
「どうだい、少しは落ち着いたかね?」
「いや、生涯最高の興奮状態であることに変わりはないが、この素晴らしい少年と会話するチャンスを逃がしたくないからここに来たんだ。ミスタ・ダイ、握手していただけるか?」
「うん、いいよ」
僕はエリクソンの眼の底に、なにかおかしなものを感じたので30倍速くらいに切り替えて、彼の体を調べた。案の定、彼の右手の掌に、画鋲が仕込まれていた。握手すると僕の掌に突き刺さるように張り付けられている。僕はその画鋲をはがし、僕の左手の掌に張りなおした。
リアルタイムに戻してから、握手する。エリクソンは首を傾げ、強く握ってきた。
「どんなに強く握っても、画鋲は刺さらないよ」
僕は左手を開いてエリクソンに見せた。
「あ! いや・・・申し訳ない。今のこの状態では、絶対に油断していると思って試してみたんだ。本当に失礼した。これほど冷静な精神状態でいられるとは、ますます恐れ入った」
「おい、エリクソン。そんな試し方は失礼千万だぞ。ダイは大人だから許すだろうが、この場で君は頭を吹き飛ばされても文句は言えなかったぞ」
「・・・いや、申し訳ない。しかし、本当に君のような少年が存在するとは驚き以外にない」
「もういいよ。で、もうテストはおしまいなんでしょ? 僕、もうすこしマウザーで遊んでいたいんだけどな」
エリクソンは何か言いたそうだったが、マイクに促されてふたりして戻っていった。それから30分くらいは射撃に集中できた。下士官が僕を呼びに来たので、拳銃をバッグにしまおうとしたら、あの軍曹が
「銃のクリーニングをしておきますので、置いて行ってください。お帰りの際にお渡し致します」
と丁寧に言った。最初のタメ口が完全に改まっている。
「それから、ちょっと気になる癖がありそうなんで、チェックしておきます」
そう言った。
「じゃあ、お願いするね」
「気になる癖」ってなんだろうと思ったけど、後で聞いたら「照準のタンジェントサイトのネジが緩んでいて、わずかながら弾道が右にずれる」んだそうだ。
「ミスタがベレッタでは完璧に撃てるのに、マウザーだと毎回少し左を狙うのが分かったので、気づいたんですよ」とのこと。さすが銃器のプロだね。
僕は迎えの下士官に連れられジープに乗り、別の棟に入った。将校用レストランらしい。その一番奥にマイクとエリクソンがいた。彼らは僕が入っていくと立ち上がって迎えた。
「よく来てくれた。腹が減っただろう。好きなものを注文してくれ」
マイクがそう言うので、僕はメニューをちらりと見て、ハンバーガーとトマトジュースを頼んだ。
「ミスタ・ダイ。先ほどは本当に失礼した。自分でもどうしてあんなことをしたのかわからないが、おそらく興奮しすぎて常軌を逸してしまっていたんだろう。改めてお詫びするよ」
「いいんだ、あなたがなにかたくらんでるってことはわかったからね。ちょっと体を調べさせてもらっただけだよ。あ、これ返すの忘れてた」
僕はポケットからロレックスを取り出してテーブルの上に置いた。
「あ、それは・・・」
「あなたの時計だろ? 身体検査の時、外して持ってたんだ。壊れてないか、確かめてみてね」
「・・・うーむ。言葉にならない。君はいったいどういう人間なんだ?」
「まあまあ。これから長い付き合いをしてもらいたいなら、あんまり怖い顔で話すな。ダイ、この男、次期米国大統領に一倍近いところにいる男だってことは知ってるな?」
「うん。ソニアに聞いたけど、まず54%の確率でそうなるらしいね」
「54%! どこの調査だ? シンクタンクの分析では61%台となってるぞ」
エリクソンは心外だったようで、口を尖らせた。単純なヤンキーだな。
「旧セブンシスターズの持ってる調査機関。名称は言えないけどね。世界で一番信用できる調査機関だよ」
「・・・参った。君はイングリッシュ・ペトローリアムの大株主だったな。なんという少年だ、まったく」
運ばれてきたハンバーガーは巨大だったが、味は絶品だった。僕の唇の横に付いたケチャップをハンカチでぬぐいながら、マイクはこう言った。
「ダイは私に任せてくれ。君は大統領選に集中するんだ。大統領のポジションにいなければ、ダイに頼み事は出来ない。せいぜい46%の弱点を埋めるように頑張るんだな」
「わかった。こんな存在とお近づきになれただけで、5人のSSを失った何百倍の益があったというものだ」
「あ、そうだ。小暮首相にはなんて言えばいいかな?」
「? ああ、日本のプレジデントだったな。しつこく会見を申し込んできたが・・・この国だけにしか国籍がないんだね、君は。あんまり英語がナチュラルだから忘れていた。それではこう伝えてくれ。『エリクソンはミスタ・ダイと直接話せるラインを作れて大喜びしていた』ってね」
「うん。それで理解できないようなら、あのおじさん、切っていいよ」
「あはは! 怖いなダイは」
これはマイクだった。
こうして、僕のはじめての横田基地体験は終わった。
「あなた、総理や将軍に相当気にいられたみたいね」
『将軍』というのはマイクのニックネームだ。エリクソンが僕の顔を立てて、小暮首相と秘密裏に会談して帰国した後、マイクは頻繁に電話をかけてくるし、道場や自宅にもやって来た。小暮首相もママや叔母の料理にハマッたらしく、忙しい政務の隙をついて、しょっちゅう車を飛ばしてくる。何人もいるSPはうちの近くで待機。もっとも岸田警視総監も小暮のおっさんも、僕の戦闘能力は十分に承知している。SP百人に守らせるより、僕と一緒のほうが安全なんだから、ひょこひょこ一人で上り込んで、定位置と自分で決めた席にどっかりと座りこむんだ。道場の母屋では叔父が座っていた席、自宅マンションじゃ昔パパが座っていたYチェアがお気に入りだ。
マイクはもっぱら奥さんのシルバーのシボレーを自分で運転してやってくる。
「パトリシアは一人じゃ出かけないからね。ハンヴィーは目立ち過ぎるし」
マイクが平日の昼間、つまり横田で軍務についていなければならないはずの時刻に僕のところに堂々とやってこれるのは、エリクソンがアメリカ国防総省のトップに話をつけたからだって。
「ダイという最高機密のスーパー・ウェポンをほかの国にとられちゃまずいからね。それにダイの注文する武器や装備、ピカティニー・アーセナルの連中は大喜びしてるようなんだ」
「え、なんで?」
「ダイの注文に応えるために開発した特殊合金は、ほかの武器の性能向上におおいに貢献するらしい。それに装備。あのウエットスーツタイプの防弾ウエアは要人に着せるにはもってこいだそうだ。薄いし温度設定も自在だから、スーツの下につけるには最適だからね」
なんてマイクは僕が彼に頼んだ「武器」製作の打ち合わせを理由しているけど、実際は叔母やママに会いたいからだろう。彼も小暮のおっさん同様、二人が作る日本料理のとりこになってしまっていた。とくに「煮物」と「茶わん蒸し」がいたくお気に入り。ああいった料理はアメリカにはないそうだ。
「武器」はいろんな試作品を頼んだ。ピカティニー・アーセナルというのは米国ニュージャージー州に広大な敷地を持つ、アメリカ陸軍の兵器研究所・製造施設のことだ。兵器開発センターもここに置かれている。
僕がスピード・アイ、超アイ状態で威力を発揮する武器はどんなものなんだろう?
まず考えたのは「投擲系武器」。さまざまなモノを投げてみて分かったんだけど、僕が投げるものは、倍速の1.5倍増しくらいで威力が増す。E=mS×1.5 エネルギー量は質量×投擲されるスピード×1.5、ということだ。特殊相対性理論とは違う結果だった。スピードの二乗という予想を立てていたが、これは裏切られた。
でも時速60㎞で投げるとすれば、50倍速では4500㎞/hとなる。これはレミントン弾、つまり狙撃用高速ライフル弾より早い。世界最高速の「15.2㎜ステアーAPF SDS」の5220㎞/hには負けるけど、100倍速にすれば世界最高速の倍近い速度となる。十分な破壊力を生み出すと思えた。問題は「何を投げるか」だった。僕が投げやすく、携帯に便利で、かつそれ自体は硬度・粘度・耐摩耗性に優れていなければならない。
いろいろ投げてみて、最終的に500円玉くらいのコインがいいということになった。
「もう少し厚みがあって、大きさも一回り大きいのがいいな。周りにはギザギザもあった方がいいし」
こういう僕の注文を受けて、研究所に指示したマイクだけど、完成するまでに何度かうちにやってきては研究所員のグチを伝えた。
「合金でもダイの要求のものは作れないようだ。堅さと重さは必ずしも比例しないんだ」
「重くて粘り気のある合金を中に入れて、周りを硬い合金でくるむ、っていうの、どう?」
「うーん。分かった、その線で作らせてみよう。しかし、投擲用のコインをピカティニー・アーセナルに作らせることになるとは想像もしてなかったな」
「基本的には僕の使う武器はアナログ、アナクロだからね」
「あの防弾ウェアみたいに超ハイテクなのもあるじゃないか」
「まあ実戦に出れば、もっといろいろ欲しくなると思うよ。奥多摩の木の上でポリスたちを待っている時、明るければ書き留めたいと思う道具がいっぱいあったんだ」
「おやおや、ダイはどういう想定をしているのかな? どこかの国に出かけて戦争をしかけるとか?」
「またまたー。そうやってけしかけるんだから。あくまでも仮定だよ」
「ときどき見かけるんだ。スナイパーに多いんだが、戦場から戻っても人を撃つという経験が潜在的な欲望となって抑えきれなくなる、そういう、いわば『殺人衝動』を抱えている人間」
「僕がそうじゃないなんて言わないよ。もともとガンマニアなんだしね」
「あっさり認めるんだな」
「まあ日本じゃ、僕はおとなしくしてるよ」
「いやそういうわけにはいかなくなりそうだぞ」
「? どういうこと?」
「新宿のジャパニーズ・マフィアさ」
マイクは日本の警察内部の情報も詳しい。岸田くらいの警察幹部しか知らないレベルの情報も入ってくるようだ。安藤組は新宿を拠点とする、小さな暴力団だ。以前からかなり注目されている「過激な」組織だけど、今回の警察関係者22人大虐殺と関係づけられたことで、僕を拉致しようとした藤堂組の上部組織らしい。そのさらに上には関西系の田岡組がいる。ひょっとすると、僕は日本最大の暴力団を敵に回したのかもしれなかった。
その安藤組が極端な行動をとるようになっていた。例によって叔母の料理を食べに来た小暮首相は、持参の日本酒を飲みながら世間話のように話した。
「彼らにしてみれば、とんでもない言いがかり、でっち上げで配下の組を潰されたんだからな。報復を考えるだろうな」
「僕の存在は察知されていないの?」
「まだ大丈夫だ。逃げ出した何とかいう若いチンピラの身柄も抑えてある。外部との接触はできない」
「まだ、ねえ・・・それでその安藤組、どうするの?」
「土川グループの時のこともあるしね」
「?・・・あー、情報漏洩! ひどいなーおっちゃん。またどこかから僕の存在が安藤組に漏れるかもってこと?」
「ああ。こういうのは完全には防ぎきれん」
「くっ・・・家族の安全を守るにはこっちから先制攻撃、ってそそのかしてるのと同じだよ、それ」
「まあ、ヤクザの組織がもう一つ壊滅すれば、近隣住民が喜ぶだろうな」
こんなふうにのんびりと小暮首相やマイクと話していたんだけど、事態は相当深刻化していた。彼らは報復戦を叫び、ほかの暴力団から拳銃やダイナマイト、日本刀などを集め、警察を煽り立てていた。
「君のせいだとは言わないが、安藤組の扱いには困っているんだ」
岸田総監は僕のところに来てはそうこぼすようになった。どうやら僕に責任を取れと言いたいようだった。
「わかったよ。安藤組って、何人いるの?」
「48人だ。小さな組なんだよ。・・・って、また全員を抹殺する気じゃないだろうな?」
「何言ってるの。そうしろってけしかけてるの、総監の方じゃない」
「いやいや。私はそんなこと言ってないぞ」
「じゃあ、そっちで何とかしたら」
「・・・」
「わかったよ。でも、あとはどうするの?」
「あと、か・・・それは何とでもするさ。この前みたいにサルモネラ菌中毒でってわけにはいかないだろうが」
「警視総監がこんな嘘つきだって知ったら、子供の教育に悪いよ」
「お願いできるか?」
「いいよ。じゃあ、僕の言うとおりにやってくれる?」
とうとう担ぎ出されちゃった。万が一にも僕の家族に害が及ぶ可能性があるとわかっては、乗り出さないわけにはいかないじゃん!
僕は一般人を巻き込まない方法を考えていた。ポリスの時は奥多摩に誘い出したけど、今度は新宿という超繁華街にあるひとつのビルの中で納めなければならない。それも素手あるいは刃物などによる殺傷。銃撃戦や爆発物の使用はだめだ。流れ弾で近隣住人に被害が出るくらい住宅街に近いところに安藤組の事務所ビルはあるんだ。
僕は怖かった。自分の戦闘能力については自信があった。しかし、今度大量殺人を経験すれば、後戻りできなくなるのではないか。そういう「殺人嗜好の表面化」が怖かったんだ。でも、その衝動は抑えきれないほどの圧力となって僕を振り回し始めている。
(僕ってどういう人生を歩むんだろう?)
そのビルの周辺は警官でびっしりと固められていた。新宿の喧騒の中で、その一角だけは別世界だった。
POLICE KEEP OUTというネームの入った黄色いテープが張り巡らされた向うにそのビルはある。警官はふつうテープのむこう側に立って外側を向くんだろうけど、ここではテープの結界のこちら側に立ち並んでいる。フルフェイスのヘルメットに防弾衣、ジュラルミンの盾。ものものしい雰囲気だ。通りのビルの陰に「SWAT」の控えていると思われる大型の灰色のバスが停まっている。太い金網の張られた窓から、ちらっと狙撃銃の銃身が見えたりしている。市街戦もいとわず。そういうアピールなのか?
僕は敵情視察を終え、いったん自宅に帰った。夕飯を家族みんなで食べた後、道場に出かける。ママが
「敦子、あなただけが頼りなのよ。よく考えてね」
と言った。どういう意味なのかな?
道場は武器庫然としていた。続々と米軍兵器研究所から送られてくる、僕が注文した武器や装備。それにモーゼル用の9㎜パラべラムの実弾の木箱までを、他に置く場所がなくて道場に運び込んでいたからだった。どこかに僕の秘密の倉庫、練習場を作る必要性を切実に感じていた。
小暮首相にそれを言ったら、即刻動いてくれて、いまは使われていない地下鉄の路線をいるだけくれるということになった。ちょっと想像しにくいけど、東京の地下って、一般的には知られてない世界が広がっているんだ。太平洋戦争時代に作られた地下弾薬庫、皇族の避難専用地下鉄道、原爆の投下を予想して作られた陸軍総司令部、などなど。ほとんどが分厚いコンクリート造で、内側は赤レンガ積みの壁で覆われている。
僕は自宅から1㎞くらいのところにある築40年という古いビルを買った。そこの地下室の空調機械室のブロックとコンクリートの壁、その奥の3mくらいの土壌をぶち抜くと、地下練習場まで直線距離で5㎞という地下道に出られるんだ。練習場候補にした地下鉄跡から延びる地下道は、僕の所有しているビルからは遠かったので、地下道の真上に建つこのビルを買ったのだ。古いビルだけど、構造体はまだしっかりしていた。地上階を何も使わないのももったいないから、外装をオールドブリック張りにしておしゃれにお化粧。テナントとして雑貨店や喫茶店を出してもらうことにして内装と電気衛生設備、配管類を新しくした。僕がしょっちゅう立ち寄るのに不自然じゃないよう、1階や地階の駐車場からエレベーターで上がれる4階に音楽教室を作ってもらった。僕、幼稚園時代からピアノとヴァイオリンとフルートを習ってるんだ。言ってなかったっけ?
自宅からは自転車で行くけど、地下道にはフェラーリとジープ、それにカワサキのZX-10Rというバイクを置いている。まだ17歳だから車は当然無免許だけど、公道を走るわけじゃないから問題ない。運転は横田基地で親しくなったあの銃器担当の軍曹に教えてもらっていた。エリクソンに程度のいいジャガーEタイプ・クーペを探してくれるように頼んである。僕の好きな車なんだ。
地下練習場は首相に言って、端っこの方、北西側の首都高出口近くに防衛庁管轄の建物を作るということにさせた。壁厚1200㎜と要塞みたいに頑丈な、窓のない高さ12mの1階建て。建築資材や設備、建機を運び入れるデカいシャッターをつける。出入り口はシャッター奥にあるピット1か所だけだ。瞳の光彩認証と掌の静脈認証の2重の生体認証式ロックだから、まず侵入は不可能。開錠スイッチは道場にも光ケーブルを引っ張ってもらった。米軍の輸送車が来たとき、叔母にでも開けられるようにだ。
全長約8㎞、有効直線距離2㎞のこの練習場は天井高が8mと低いのが難点だったけど、それ以外は申し分ない。どんなに長い射程のライフルでも、十分な距離をとって撃てる。僕が投げるコイン、これを『穏剣』と呼ぶことにしたんだけど、この穏剣でも天井高が8mでは2㎞も飛ばない。僕はマイクに頼んで、この地下練習場に廃車となった戦車、装甲車、戦闘機、爆薬の代わりに砂を詰めたミサイルなどを運び込んでもらった。穏剣の的にするためだ。もともとここに敷かれていた地下鉄用の2車線軌道を取り外し、1車線にだけ新たに新品のレールを敷設した。その上にリフトやクレーン車、コンテナ車の台車を置き、牽引用の電車を2台設置した。これで標的の移動もスムーズになった。
休憩室を兼ねた応接室も首相に頼んで作ってもらった。簡素でいいと思ったから、組み立て式のプレハブを頼んだんだけど、どう勘違いしたのかプレハブには違いないけどコンクリートパネル造の大成パルコンが建てられた。で、ご丁寧にも内装が老舗ホテルのスイートルーム並みの部屋が仕上がった。シェフが使いそうな厨房と業務用冷蔵庫の置かれたパントリーもついている。マイクや総理が一人で練習を見に来るときは、ママか敦子に来てもらって料理を頼むかな。あ、そういうことか。首相、自分が来たとき、ここでどちらかの女性に料理を作ってもらおうって魂胆なんだ。ほんとに食い意地の張ったおっさんだなあ。
マイク、岸田総監、小暮首相との連絡は光ケーブルで専用回線を引いた。おそらく国家機密に属するような情報のやり取りとなるだろうから、電波を傍受されるとまずい。横田経由で米国のエリクソンともソニアともホットラインが繋がる。
注文してあったコイン『穏剣』が地下練習場に届いた。木箱3つ分、3千枚あった。
出来上がった穏剣を試す。10倍速。距離は50m。ミサイルの胴体はあっけなく貫通。戦闘機のジュラルミンも同様。装甲車の甲板にはカンカンと突き刺さった。もう少し倍速を上げれば貫通するだろう。戦車はさすがに分厚い甲板をもっている。ようやく傷がつく程度。そこで僕は、倍速と貫通性能の関係を調べようとトライしはじめた。
まず30倍速。戦車の甲板にも深々と突き刺さる。しかし貫通しなければ意味がない。で、50倍速にした。ちなみにこの倍速は時計の秒針の進み方で判断することにしている。リズムを取って時計を見るんだから、「大体のところ」でしかないけど。
50倍速は上々の成果だった。ついでにさらに上に挑戦する。100倍速だ。この100倍速の世界は異様な光景をもたらした。時速7000mの速度で突き刺さる穏剣は、戦車の甲板をあっさり突き抜け、後ろの甲板も貫通してさらに数十メートル飛んだ。
100倍速はやりすぎだな、そう思ったので、時計で計測しやすい60倍にした。60倍だと穏剣は戦車の前の甲板を突き抜け、戦車内部の操縦席で何十回も跳ね回った。搭乗員は全滅するだろう。
「穏剣」は僕にとって最強の武器のひとつとなることが確認できた。重さ、大きさ、投げ心地、硬度。いずれも合格点をあげられる出来だったが、実戦で使っていくうちに改良点が見つかるかもしれない。
この穏剣と斬甲剣。このふたつで十分戦えるだろうが、もう一つ、飛び道具が欲しい。拳銃は使い方に制限がある。できれば音の出ないもの。動作が小さくて済むもの。持ち運びが楽な、軽くて小型のもの。そういった条件を満たすのは何か?
しばらく考えてみたが、「吹き矢」しか思い浮かばなかった。投げる。切る。いずれも僕のスピード・アイで行えば、強烈な破壊力を発揮することは実験済みだった。では、息を吹き出して矢を送り出す「吹き矢」も、このふたつと同様な威力を持つのだろうか?
試しに、水道管に使う塩ビ管で筒を作り、画用紙で作った矢の先端に紙粘土を詰め、先っぽに釘を押し込んで固めたものを10本くらい作った。そのおもちゃのような吹き矢で実験する。ベニヤに人型をマジックで描いた。10mくらい離れたところに立って、矢を吹く。カツンという軽い音を立てて矢が的に当たり、落ちた。深くは刺さらない。
次に10倍速にしてから吹いてみる。ベニヤ板の表面で紙の矢が木端微塵に砕け散った。板の上には深々と釘が突き刺さっている。
「うん、いける!」
思わず声が出た。あとはマイクを通じてPAに作ってもらうだけだ。この研究所に制作依頼するときは、「主目的はこう。こういう機能を持っていて、これくらいの重さで、大きさはこれくらい。○○も欲しい」といった具合。その注文に最高度の開発力、製作技術で応えてくれるのだ。
吹き矢の筒は2種類作ることにした。ひとつは純粋に武器とするもの。もう一つはケーナとしての機能を持つもの。曲を奏でるには練習しなければいけないけど、僕は幼稚園時代から楽器を習っているから楽譜は読める。あとはリードのない、いわば南米の尺八のようなケーナを音色よく鳴らす練習、それに単純に開けられた穴の指使いの練習だ。
敵地に侵入するとき、斬甲剣を持ち込めないこともあるだろう。その場合、楽器という装いで第2の筒を使うのだ。テープなどで穴を全部ふさいで吹けば立派に吹き矢は飛ぶだろう。連続で発射するのは矢をこめるのが難しいので、単発になるかもしれないけど。
僕はこの筒を「木刀」替わりにも使うつもりだった。そのために耐久性、粘性、硬度に難しい注文を出している。矢の方も同様だ。強度と先端の硬度を求めた。
他にも欲しくなる武器が出てくるだろうけど、いずれにしても僕が身に帯びて運ぶものだから、そんなにたくさんは持てない。武器よりも装備の方が重要になるかもしれない。インカム、双眼鏡・赤外線暗視カメラとゴーグル付のヘルメット。防弾性能に優れた、一見普通の衣服に見える上下。安全靴のようにつま先を超強度に加工したスニーカー。これは僕の前蹴りをパワーアップしてくれるだろう。
耐摩耗性に優れた手袋。普通に階段を駆け下りても、スピード・アイの20倍速だったら、手すりを掴んだ瞬間に僕の掌の皮はすりむけるだろう。何度かそうなりかけて、危ないところで踏みとどまったんだ。
穏剣を20枚くらい仕込めるベルト。これは簡単に1枚ずつ穏剣を取り出せる装置を考えてもらう。状況に応じて、救命胴衣になるベストとか、安全帯と緩降機の機能を併せ持ったベルト、50㎝の厚さのコンクリートの壁を通して隣室の会話が聞き取れる補聴器など、奥多摩の木の上でポリを待つ間に妄想したいろんなものを次々と注文していった。
そうこうしているうちに、岸田から連絡が入った。安藤組の全員が集まる日時が分かったというのだ。
「了解。その時間も警備体制の変更はさせないでね。連中が不審に思うだろうから」
「あ、そうだな。しかし、ビルの中で大殺戮が行われている間、所轄の警官たちが異常に気付いておかしな動きを見せないとも限らんな」
「大丈夫だよ。50人くらいなら一瞬で片付けるから」
「・・・一瞬、か。そうだな、君がやるんだからな」
岸田は納得したようだった。僕の能力を十分知っているからこそだろう。
「ひとつふたつ調べてほしいんだけど」
「なんだい?」
「安藤組のビルに監視カメラが何台あって、どこに設置されているか。どこにモニターがあるか。それに各階の用途と平面図」
「わかった。君の行動の証拠が残るようでは困るからな。で、どうやって侵入するつもりだ?」
「出前を取っているって言ってたよね? 一瞬でもあのスチールドアが開けば、それで十分さ」
「なんだ、堂々と玄関から入るのか。考えられんな、まったく」
僕は警視総監室で、安藤組のビルを撮ったVTRを見ていた。だいたい同じような時刻に近所の飲食店からデリバリーの人が玄関から入っていく。玄関の上にある監視カメラを見上げるとドアが開くから、決まった顔の配達員であることを確認して開けているのだろう。毎日5回くらいは出前を取っているようだった。それでも50人が食欲を満たす量ではない。出前は幹部連中だけで、下っ端はインスタントやレトルトで我慢しているんだろうと思った。
「インカムだけ用意しておいてね。終わったら連絡するから、その合図を待って警官を入らせるんだよ。僕の姿を警官に見られるのは避けたいからね。僕は1万円札1枚だけ持って行く。終わったらタクシーで帰るから」
「わかった。健闘を祈っているよ」
「ところで、今度は何で50人死ぬことにするの?」
「それはもう考えてある。食堂がまたひとつ潰れることになるがね」
それ以上は聞かなかった。また集団食中毒か何かをでっち上げるんだろう。でもそうなると、首のない死体がごろごろってのはまずいな。ちょっと考えなくちゃ。
* * *
新宿駅はいつもの喧騒に包まれていた。サラリーマンやOLが帰宅を急いで駅に吸い込まれていく。逆に夜の新宿を楽しむ者が駅から吐き出されてくる。それらがゴシャゴシャと交差して大混雑というのは新宿駅特有の光景だった。
安藤組の事務所は歌舞伎町から少し離れた新大久保寄りのところにある。人通りが少ないのは、周囲に飲み屋や雑居ビルが少ないという環境だけではない。ビルの周囲に結界のように張り巡らされた黄色のテープ。それにはKEEP OUTという文字が入っている。その“外側”に約50人の機動隊員が微動だにせず、ジュラルミンの盾を手にして立っているのだ。その異様な光景に、道行くものは道の反対側を小走りで通り抜けていく。
僕は100mほど離れたビルの陰から双眼鏡で安藤組の玄関を見ていた。背中には斬甲剣をくくり付け、ウエストバッグに穏剣を100枚、20枚ずつ紙テープで止めて入れてある。まだ穏剣用のベルトは出来上がっていない。自転車競技用のヘルメットにインカムを仕込んだものをかぶる。それは総監の持つインカムに直結されている。
「出前が左からくるぞ。どうぞ」
「了解。いったんこれ、切るよ」
「わかった。がんばれ!」
何を頑張るんだ? 警視総監が大量殺人を煽っていいのか! なんてね。
出前は寿司屋だった。出前持ちがビルのドアの前に立ち、上を見上げたところで僕は50倍速に切り替えた。走る。ドアは開きつつあった。コンマ3秒で出前の背中を通り抜け、ビル内に侵入する。
玄関ホールには人影はない。調べによると、出前に来た者は玄関ホールに置かれたテーブルの上に料理を並べ、積んである前回の食器を持ち帰るそうだ。食器の一番下に代金がはさんであるという。玄関ドア1枚で隔てられたところで、部外者と会う危険はこれでほとんどなくなる。侵入者は監視カメラで補足される。
僕は図面で確かめてあったカメラの死角に走りこんだ。モニターをじーっと見ていても、僕が入ってきたことはわからないだろう。すぐさま、非常階段に出る。このビルの非常階段はスチール製の外階段だ。外部とは太い鉄棒の柵で仕切られ、内部から開けないことには扉は開かないような構造になっている。だから組員も安心しているのか、監視カメラは設置されていない。
「最上階の8階が安藤組長の自宅というか、妾宅なんだ。女はしょっちゅう変わるが、今は14歳、15歳の少女二人と住んでいる。この少女たちには罪はないからロープで縛っておくくらいにしてやってくれ」
「それはいいけど、まだモニタールームがどこなのか、わからないの?」
「すまん。あのビル、何度も改装されてるらしいんだが、電気関係の図面だけは入手できなかったんだ」
「じゃあ、監視カメラの位置も変わってるってことなの?」
「いや、電気屋が最近、全部の機種を新しいのに変えたんで、カメラの位置だけは確かだよ」
「ふーん。まあ、全部で12台のカメラがあるってことは、モニターも12台あるんだろうからね。どこかにスペース作ってるだろうな。入ってみれば分かるか」
総監との打ち合わせはこんな具合だった。各階の平面図と誰がいるのか、そういったことはすべて頭に入っている。僕は一気に8階まで駆け上がった。
踊り場に出た。風が少し汗ばんだ体に心地よい。
こういう時に僕の趣味が役立つんだよね。僕は暇なときには「錠前空け」をやってる。ピッキングはうまいんだよ。
専用のピッキング道具でスチールドアを開ける。ただ開けるなら簡単なんだけど、音がしないようにやるのは、結構難しいんだ。シリコンスプレーを鍵穴に吹き付けた。オイル系の潤滑スプレーは匂いが強くて気づかれる危険性が高い。1分近くやっていて、ようやく開いた。でもまだ50倍速のまま。リアルタイムでは1秒もかかっていないだろう。
そーっとノブを回す。しょっちゅう開けているわけではないようで、すこし錆びついていて音が出そうでひやひやしたが、シリコンスプレーが効いていて、なんとか静かにビル内に入ることができた。
廊下だった。一番突き当りにエレベーターの扉が見える。廊下の左右にそれぞれひとつずつ木製のドアがある。廊下には監視カメラはない。ここまでたどり着けるものはいないとタカをくくっているのか、それともモニターを見ている人間には見られたくないものがあるのか。
その両方だということは理解できた。このフロアは安藤の欲望の巣だからだ。一部屋がベッドルーム、もう一部屋は女の子たちの住む部屋なんだろう。廊下に出るのに、いちいち服なんか着ないだろう。
僕はリアルタイムに戻し、ドアノブの匂いを嗅いだ。最初に嗅いだ方のノブで少女の匂いがした。ドアに耳を当てる。無音だ。反対側のドアに耳を当てる。女性特有の嬌声が聞こえてきた。警官隊に囲まれながら、大した度胸というか、性欲を押さえられないアニマルというべきなのか。ドアノブを下げると動くことが分かった。
僕は背中のリュックから斬甲剣を取り出して抜いた。20倍速にする。ドアを開け、ひとりの女の子の上で腰を振っている男に駆け寄り、延髄に切っ先を突っ込む。安藤組長であることは、総監室のモニターで見た写真とおんなじ顔だから間違いないと思う。
男が固まり、痙攣し始めたのがわかった。もう死んでいるはずだ。僕はシーツを剥がし、裂いてそれで女の子の口をふさぐように縛った。手も縛る。
全裸のままではかわいそうなので、隣の部屋に行く。ドアを開けると、二つ並んだベッドのひとつに女の子がパジャマを着て寝ていた。その子も縛り、クローゼットからパジャマを取り出し、毛布を掴んで安藤の部屋に戻る。安藤の痙攣は終わっていた。女の子が重そうなようすなので、男の足を引っ張ってベッドから引きずりおろしてあげた。女の子の体にパジャマを置き、その上に毛布を掛けた。
(ふたりとも美少女だなあ。安藤の趣味、けっこういいな)
階下からは怒鳴り声が聞こえている。幹部連中が若い者を叱咤しているようだ。今夜警察が踏み込んでくると考えているのかな? 戦闘態勢にある数十人の暴力団員の中に飛び込むのは気が進まないが、そうは言ってられない。僕は爆弾がほしいと思った。時限爆弾にも手りゅう弾にもできる雷管を作ってもらおう。爆薬はC―4、つまりプラスチック爆弾でいいだろう。
深呼吸して階段を下りていく。踊り場で下を覗く。うじゃうじゃいる。30倍速に切り替える。
(僕、怖いんだろうか? そうだ、これ、恐怖感だ。初めてだな、こんなの。このヤクザたちの禍々しさは圧倒的だ。マイナスの「氣」のレベルが半端じゃない! うん、負けるもんか、こんなクズたちなんかに!)
自分を鼓舞しなくちゃ前に踏み出せない感覚に襲われていたんだと思う。17歳の少年なんだ僕って。それを痛いほど認識してしまった。
改めて斬甲剣を見る。叔父の顔が浮かんだ。(あんな形で追い出すことになったけど、叔父さんはやっぱり僕の師匠だよ。強い心を下さい!)
斬甲剣の刃がギラリと光った。僕は一気に階段を降り、30倍のスローモーションでノロノロ動く男たちの中に飛び込んで行った。
血をできるだけ流さないように殺さねばならない。僕は男たちの「盆の窪(後頭部の頸の上部の凹んだ所)」を刺し貫いて回った。少しずれると頸動脈を傷つけてしまう。そうなると血液が噴出する。スピード・アイ状態では、破壊力が増すのだけど、それに反比例するように対象物の硬度が落ちるんだ。30倍速で斬甲剣を突っ込むと、人間の頭は空の段ボールにナイフを突き刺すくらいの抵抗感しかない。ちょっとずれると簡単に首が落ちてしまう。
この時も最初のうちは失敗ばかり。返り血こそ浴びなかったけど、男たちの後頭部からは、派手に血が噴き出し始めていた。ようやく全く出血させずに殺せるようになったのは、10人目くらいの男から。その男、なぜか千枚通しの先端をナイフ研ぎのホーニングストーンで尖らせていたんだ。それを見つけた僕は、その千枚通しを奪い、それ以降、斬甲剣ではなく千枚通しで殺して回った。豆腐にお箸を突き刺すくらいの感触だった。
30数人のヤクザを殺すのにかかった時間は3分ほど。30倍速だったから7秒くらい。最初に斬甲剣で殺した男が派手に血を噴き出して倒れこんだ直後には、僕は6階の閉まっている部屋のドアを開けて中のチェックを始めていた。6階にいたのはスーツ姿の4人。どういう関係なのか、考えることもせずに殺す。
5階は売春させられているらしい女性たちの住まいで、そのままにしようと思ったらひとり乗っかっている男がいたので、そいつの体を引きはがしてペニスを切断してやった。僕を見たから、両目のところで頭蓋を切り飛ばしてあげた。
4階は武器庫らしく、人影はなかった。
3階は客を取るフロアのようで、当然ながら今夜のお客様はゼロ。
2階は男たちの居室のようで、ここもひとけはなかった。
で、1階に降りたのでビルを出ようと思ったんだけど、モニターを見なかったのを思い出した。
(どこかで監視カメラのモニタリングをしてるはずだ。残るは・・・地下、だ!)
僕は急いで地下に降りる階段を探した。でも見つからない。焦った。1階で唯一チェックしてない扉があるのを見つけた。「掃除用具庫」と書かれていた。僕はその鉄の扉を開けようとしたが、何か嫌な予感がしたのでストップ!
モニターをチェックしてれば、僕が侵入して殺しまわっているのが分かったかもしれない。こんなビルの監視員だ。気の利いたやつなら、僕が地下のモニタールームの扉を開けて入ってくるというのは予測して待ち構えているだろうと思った。
(ドアを開けて一歩踏み出した途端、銃弾が飛んでくるという可能性が高いな)
ここで冷静にそう考えられたのが勝因だっただろう。僕は30倍速でドアを開けた直後、穏剣を数枚投げ入れた。コンクリートの壁や階段を削りながら、そのコインは階下に飛んでいった。
下から人の体にコインが食い込む音が聞こえた。ひとりには当たっただろう。
僕は中に入った。地下に続く階段があり、その最初の踊り場に銃を持った男がうつぶせに倒れていた。床に血が流れ始めている。穏剣が額から後頭部に抜けたようだった。
その男の体を飛び越え、さらに下に続く階段を降りる。ドアがあった。体を壁に隠し、片手で開ける。ちらりと中の様子を見る。誰もいないようだ。
「クリア!」
アメリカの警察物のTVドラマの真似をして中に入る。斬甲剣を鞘に納め、千枚どおしをテーブルに突き立てる。一気に握り手のところまで突き抜けたので、まだ30倍速のままだということに初めて気が付いた。リアルタイムに戻す。千枚通しの握りのところをそのあたりに置いてあったタオルでぬぐう。指紋は残さないに越したことはない。
(緊張してるんだなあ。興奮しているのかも。いかん。これからどうするか、冷静に考えなくちゃ)
僕はいくつも並んでいるモニターを眺めながら、これからの行動を考えようとした。でもすぐに自分の姿が録画されていないかどうかのチェックをすることが先決だと気づいた。
モニターを録画再生していく。2台のカメラに僕の影らしいものが映っている。それが男たちの間を風のように飛んでいくと、男たちは次々に倒れていく。スロー再生しても、僕の姿は確認できるほど鮮明には映っていなかった。しかし念のため、この2台はVTRを消去した。
ライブ映像で動くものが映っているモニターがある。娼婦たちの住む5階の廊下のカメラだった。いままで自分の上に乗って腰を使っていた男の頭が無くなっているんだもの、騒ぎにならないほうがおかしいよね。考えるのが面倒になったので、録画用ディスクは全部抜き取った。枚数にすれば12枚。全部重ねても薄いから、そのままウエストバッグに仕舞った。
(あまりゆっくりはしてられないな)
僕は1階に戻り、エレベーターに乗った。8階に行く。女の子たちはそのままもぞもぞ動いている。僕は安藤の部屋を物色した。大きなモニターがある。きっと組で撮影したエロ画像を映すのだろう。棚を見る。たくさんDVDとブルーレイが並んでいる。警察関係者が仕事にかこつけて鑑賞するくらいはいいだろうが、押収品が世に出回ることが往々にして起こるのを知っているから、これらは潰しておくべきだろうと思った。
僕はバッグを物色した。クローゼットの中に、ゴルフバッグとスポーツバッグがあった。スポーツバッグの中身を床にぶちまける。ウエアの代わりに白い粉の入ったビニル袋が出てきた。ヤクだろうな。覚せい剤かな? それは無視し、棚のディスクを詰めていく。ギューギュー詰めになったけど、なんとか全部収まった。僕はそのバッグだけで諦め、エレベーターで1階に降りる。
(さて、大勢の見ている中でどうやって出るかな)
しばらく考えたけど、名案は浮かばない。仕方ないからもう一度最上階にエレベーターで戻った。女の子の部屋に入り、物色する。あった。タオルを1枚いただく。エレベーターの中で、タオルで顔の下半分を覆う。玄関ドアのロックをはずし、ノブに手をかける。50倍速にする。一気にドアを開け、そのまま外に走り出す。バッグが重い。
さっき潜んでいた路地裏にたどり着いた。リアルタイムで2秒くらいだろうか? 肉眼では僕を見ることはできなかっただろう。警察の監視カメラにとらえられていると思うけど、どれほどスローで再生しても、高速度カメラを使っていない限り僕の完全な画像は残せないはずだ。
ゆっくり歩いた。表通りに出ると、すぐにタクシーがつかまった。行先を告げ、座席に身を沈めた。岸田総監に電話を入れる。
「なんだ、インカムじゃなくて携帯なのか? で、どうしたんだ? 何かトラブルか?」
「終わったよ」
「終わったって・・・そういうことか?」
「うん。あのビルで動ける男はいない。いるのは女性ばかり」
「そ、そうか。終わっていたか・・・で、君は今どこにいるんだ? 出るとき警察の監視カメラに君の顔が映るとまずい」
「大丈夫だよ。もうタクシーに乗ってるから」
「・・・わかった。じゃあ、もう踏み込んでいいんだな?」
「うん。でも少女たちがTVカメラにさらされないようにしてあげてね。あのビルから出てくるところが全国に流れると、自殺するかもよ」
「そういう心配までする余裕があるとは恐れ入るな」
「けっこう血が流れたから、あまり刺激的な映像を撮られないように回収してね」
安藤組の組員48人全員が死亡したことが、夕方のニュースで伝えられた。
暴力団がまたひとつ消滅した。
第4話 おわり